第22話 アリオンの少女、エステラ


 アニラ、セオ、そして緑髪の少女の三人は場所を移し、取調室にいた。

 マジックミラーが埋め込まれた一面を除き、壁が真っ白に染め上げられた現実感に乏しい取調室。

 その中央に置かれたデスクを挟んで、両者は向かい合う。

 静寂の中、アニラはゆっくりとした口調で自分たちの素性と目的を説明する。


 ――ヴィストニアとファルデンは『大転移』によってこの異世界にやってきたこと。

 ――ヴィストニアとファルデンの関係。

 ――ファルデンと異世界文明との間で戦争が起きたこと。

 ――ファルデンは戦争を止めるため、和平交渉を望んでいること。

 ――その交渉役として、対話魔導式を扱える自分が選ばれたこと。


 アニラの真摯な語りかけが功を奏したのか、事情を把握した少女は無言で頷く。

 まだ完全に信用したわけではないが、最低限の協力はする――それが彼女のスタンスらしかった。


 そうして、ついに異世界人への事情聴取が始まった。

 アニラは少女の緊張と警戒心をほぐすため、なるべく親しみやすい言葉遣いで話しかける。


「それじゃあね、まずあなたのお名前を教えてくれる?」


 緑髪の少女は特に抵抗もなく、中性的で通りのいい声で名乗る。


「僕の名前はエステラ――エステラ・ソル・アイローラ」

「ふむふむ、エステラ・ソル・アイローラさん」


 アニラが少女、エステラの名前を復唱し、隣に座るセオがそれを調書に記入していく。

 ペン特有の心地いい筆記音を聞きながら、アニラはぼんやりとエステラを眺める。

 外見年齢はアニラやシアと同程度。

 背丈は小柄なアニラはもちろん、シアよりもやや高い程度。

 彼女の細く引き締まった肢体はほどよい流線を描き、均衡のとれた体型を実現している。

 なにより、端正な顔とそれを彩る緑の髪と黄色い目は、女性のアニラでも見入ってしまうほど魅力的だ。

 アニラの視線が気になったのか、エステラは顔をそらしてぼやく。


「そんなに変? この見た目」


 アニラはふるふると両手を振って、他意はないことを示す。


「ううん、ただ綺麗だなって思って!」

「……お世辞は、いいからさ」


 エステラは首に手を当てる仕草をし、こう続ける。


「それで、他に知りたいことは?」

「あっと、そうだったね」


 異世界外交官としての役目を果たすべく、アニラは手元のメモに目を通す。

 そこには事情聴取で尋ねるべき質問がいくつも書き連ねられている。


「えっとね、それじゃエステラさん。次はあなたの国について知りたいな?」


 尋ねられたエステラは祖国に対して深い思い入れがあるのか、背筋を伸ばして姿勢を正す。

 表情を凛と澄まし、彼女は祖国の名を口にする。


「聖帝国アリオン――それが僕の国の名だ」


 エステラは滔々とうとうと語り始める。

 聖帝国アリオンという、異世界の文明について。


 ――その世界は闇に閉ざされていた。


 アリオンの民の祖先が生まれたのは、暗黒が支配する闇の世界だった。

 天は赤黒い暗雲に覆われ、日の光もろくに射さず。

 大地は荒れ果て、有毒な瘴気を吹き出し。

 さらには残虐非道にして醜悪な怪物、魔族が跳梁跋扈ちょうりょうばっこしている。


 およそ人類の生存に適さない過酷な環境。

 強大で恐ろしい外敵に満ちた世界。

 そこに人類の安寧はなく、かれらにとっての外界とはまさに人外魔境であった。


 人類の絶滅も時間の問題と思われた死の世界で、彼らはある時一つの光を手に入れた。

 魔族を払い、人々に安息と加護、そして日の光をもたらす救済の化身――聖神アル。

 太陽のごとき光を放ち、魔族に抗う力を授けてくれた聖神アルを、人々は神として崇め信仰した。


 やがて彼らは、神の威光が照らす人類の領域を「アルの御許アリオン」と呼ぶようになり、これを国名に刻んだ。

 こうして、聖神頂く光の国――聖帝国アリオンが誕生した。


 ――エステラが語った異世界の国、アリオンの成り立ち。

 まるで神話か伝承のごとき壮大な歴史に、アニラは興味津々に聞き入っていた。


(日の光を放つ聖神アル――って、もしかしてあの謎の『星』のこと?)


 ヴィストニアが『大転移』により異世界に飛ばされた直後の事をアニラは思い出す。

 北方の大陸を照らす、煌々と輝く『星』をアニラはその目で見ていた。

 そのことについてアニラが尋ねると、エステラは「その通り」と答える。


「アニラといったね? 君が見たそれこそアルのご威光さ」

「はぁー、あれが神様かぁ」


(異世界では神様が実在するんだ、すごい!)


 ヴィストニアでは実体を伴った神の存在は証明されておらず、神とは概念上のものでしかないとされていた。

 そんな神が異世界には実在すると知り、アニラは強い感銘を覚える。


 それと同時にアニラは疑問も抱いていた。

 ただしその疑問は、エステラの供述や、その伝説然とした建国秘話への懐疑によるものではない。

 一言で言うならば、それは齟齬。

 現実との食い違いに由来するものだった。


「エステラさん。確認したいんだけどね?」


 アニラは引っかかりの正体を探るべく問う。


「今の話だと『日の光も届かない暗黒の世界』だった、ということだけど。それは大昔の話とかなのかな?」


 最初の違和感、それは環境の矛盾。

 エステラの言う通りならば、この名もなき異世界は魔族とやらが跋扈ばっこする暗黒の世界であるはずだ。

 だが実際は天には太陽が昇り、空は青く澄み渡り、魔族らしき存在も見当たらない――。


(あれかな、または建国の歴史が神話化されてる、とかかな?)


 国家・宗教の権威付けのために歴史が美化されることはままある。

 アリオンもそのパターンなんだろう、それなら納得できる――というアニラの考えはしかし、すぐに撤回することとなる。


「いや、僕らはたしかに暗黒の世界にいたんだ――


 彼女の発言に、アニラは耳を疑った。

 エステラが神妙な顔で紡いだ、その言葉。

 アニラはその言葉、その文脈に覚えがあった。

 前提が崩されるこの感覚を、アニラは二日前にも体験している。


「え、まさか――」


 アニラの心臓が早鐘を打つ。


「アリオンは元からここにあったわけじゃなくて――別の世界からやってきたの?」


 核心に迫る問いかけを、エステラは首肯する。


「ああ、たぶん君たちと同じだよ。ある日異変が生じて、外界が一変していたんだ」

「ちょ、ちょっと、なにが起こったのか詳しく聞かせて!」


 アリオンがこの異世界にやってきた経緯をエステラは説明する。

 それはヴィストニアやファルデンの『大転移』と驚くほど一致していた。


 空間を埋め尽くす謎の文字群。

 漆黒で覆われる天蓋。

 そして現れた異世界の景色――――。

 

「こんなことってあるの……?」


 さしものアニラも、これを偶然で片づけられるほど鈍感ではなかった。

 魔導連合ヴィストニア。

 黎明国ファルデン。

 そして、聖帝国アリオン。

 これら交わるはずのない文明が、遠い異世界に集結した『大転移』という怪現象。

 一連の現象には、なにかの意志を感じずにはいられなかった。


(私たちがここに集められたのには、理由があるの?)


 さらに深まった異世界の謎にアニラは頭を悩ませるが、解明するには情報があまりに不足している。

 考えても仕方ないため、アニラは「ううん、それは後!」と切り替え、今なすべきことに意識を集中させる。

 今のアニラには異世界外交官として、「戦争を止める」という重要な使命があるのだ。


「ヴィストニアもファルデンも、そしてアリオンも同じ境遇だってことが分かった」


 アニラはエステラやセオ、それから壁面のマジックミラー越しに様子を窺う関係者たちに向けて、主張する。


「なら私たちは仲間だよ! なおさら戦っちゃダメだって!」


 少女の主張は至極真っ当なものだった。

 別の出会い方をしていれば三か国が平和に手を取り合う未来もありえただろう。

 だが、現実はそうならなかった。

 同胞となりえた国同士が戦争という形で殺し合っている――残酷なまでに、これが現状だった。

 戦場を知るエステラが、その目を伏せて言葉を紡ぐ。


「……アニラ、君は正しいよ。人間同士で殺し合うなんて、正気の沙汰じゃない――」


 でもね、と少女はアニラを見つめて続ける。

 その瞳は痛切な後悔と罪悪感、そして哀しき憎悪を湛えていた。


「仲間を殺されて、さらには……自分も相手を殺めてしまったら……もうどうすればいいか、分からないんだ」


 仲間を殺された憎しみ。

 そして、人を殺めてしまった罪の意識。

 人間の魂に刻まれた争いの業に、少女は苛まれていた。


「エステラさん……」

「どうしてこの戦いが起こったのか、まだ話してなかったね」


 殺人の記憶により痛むのか、彼女は胸元を右手で抑える。


「戦争を止めたいと願うなら、君は知るべきだと思う」


 エステラの託すような言葉を、アニラは誠実に受け止める。


「わかった。教えて――この戦争について」


 ファルデンとアリオンの間に起きた、異世界戦争――その一端が明かされようとしていた。


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