第21話 緑の髪の異世界人


 アニラと護衛役のセオが収監室に踏み込む。

 アニラは収容所というから、不潔な監獄のような場所を想像していたが、実際目にしたのは正反対の光景だった。

 室内はやや手狭なワンルーム程度の広さで、ベッドや洗面器、トイレなども清潔に整えられている。

 奥にはシャワー付きのユニットバスまで設置されており、ファルデンが捕虜としたその異世界人を丁重に扱ってきたことがうかがえる。


 そんな収監室で、「彼女」は祈りを捧げていた。

 若葉色の髪をショートボブにし、白い囚人服を着た――人間の少女。

 彼女はアニラから見て右方向、方角にして北東――空に「星」が輝く大陸――へ向けて屈んでいる。

 片膝立ちの姿勢で頭を垂れ、重ねた手の平を胸に当てるその厳かな所作。

 それは異国の者でも一目で祈りの作法だとわかるほど、粛然としたものだった。


 やがて少女はまぶたを薄く開き、入室してきたアニラたちを見やる。

 垂れた髪の隙間から覗く目は、梔子くちなし色と呼ばれる黄色の虹彩を帯びており、黄水晶シトリンのように透明な輝きを宿していた。

 少女の姿かたちは、間違いなく同じ人間のものだ。

 だが緑色の髪に、黄色い目。

 ヴィストニア、そしてファルデンでも見かけないその特徴的な外見は、さながら宝石細工のごとき美しさだ。

 少女自身の端麗な容姿も相まって、アニラはその神秘的な美貌に思わず見とれてしまう。


(この人が、異世界人)


「綺麗……」


 半ば無意識に、アニラは感嘆の呟きをもらす。

 それを耳にした少女は驚きからか、アニラを注視。

 次いで祈りの姿勢を解いて静かに立ち上がり、彼女はアニラに話しかける。


「君、言葉が分かるの?」


 その清廉な声は、どこか中性的な色を帯びたものだった。

 ぼうっとしていたアニラは我に返り、慌てて返事する。


「あ、はい! 問題なく通じてるみたいですね!」


 緑髪の少女は、どこか間の抜けたアニラを眺めた後、その隣のセオを一瞥する。

 彼へ向けた少女の半眼には警戒心が見受けられたが、すぐに視線をアニラへ戻すと躊躇いがちにこう言った。


「君は……アリオンの民なの?」

「アリオンの民?」


 アリオンとは異世界に由来する言葉なのか、アニラには覚えがなかった。

 そんなアニラの様子を見て、少女は小さく吐息をつく。


「そう……言葉が通じるから、もしかしたらって……」


 彼女はかぶりを振り、すぐさま毅然とした表情を作る。


「それで、君たちは何者?」


 アニラは自分の胸に手を当て、身元を明かす。


「私はアニラ・リア・フルルータっていいます。ヴィストニアの魔導士です」


 続けて隣のセオを示し、彼のことも紹介する。


「で、この人はセオ・ローウェルさん。ファルデンの……護衛の人?」


 アニラは彼の正確な職業を知らないため、ひとまずそういうことにしておく。

 セオも気にしていないのか、無表情のまま緑髪の少女に目礼する。


「ヴィストニアのアニラに……ファルデンのセオ……」


 緑髪の少女は口の中で二人の名を転がしてから、怪訝な面持ちで尋ねる。


「確認だけど、そのヴィストニアとかファルデンっていうのは……国名?」

「そうです。正式名称は魔導連合ヴィストニアと、黎明国ファルデンっていいます!」

「それは、人間の国なの?」

「え? はい、もちろんです」


 それを聞いた少女は複雑な表情を浮かべる。


(なんか、変なこと言っちゃったかな?)


 少女の質問の意図が分からずアニラは自問するも、まだ伝えるべきことがあると思い出す。


「でね、私たちはあなたに――」

「待って、その前に聞きたいことがある」


 しかしアニラの言葉は、少女の凛とした声によって遮られる。

 鋭い瞳に敵意を込めて、少女は問う。


「僕の仲間を殺したのは、どっちの国?」

「ぁ……」


 少女に敵意を向けられ、アニラはようやく実感する。

 実際に戦争が――人間同士の殺し合いが起きている、という紛れもない現実を。

 アニラが答えに窮していると、少女は重ねて問いかける。


「それとも両方? だとしたら――」


 だが、彼女の言葉は遮られる。

 通訳がないなりに状況を把握したのか、それまで沈黙していたセオが口を開いたのだ。


「あんたの敵は彼女じゃない。ファルデンだ」


 暗い湖に沈んだ、黒曜石のように冷ややかな声だった。

 彼は色の深い碧眼で少女を見据える。


「お仲間を艦砲で吹き飛ばしたのが俺たちで、ヴィストニアは戦争止める仲裁役だ。恨み言なら俺に言えばいい。――そう伝えてください、フルルータ嬢」

「は、はいっ」


 セオの予想外のフォローに驚きつつ、アニラは通訳に務める。

 アニラから伝え聞いた緑髪の少女は、その目を細める。

 その表情は敵意というよりは、哀しみを堪える表情のようだと、アニラには感じられた。


「……よく躊躇なく殺せるね。同じ人間なのに」

「誰も死なない戦争があるものか。命の奪い合いは必然だ、ためらう余地はない」


 臆さず言い切るセオに、少女は唖然とする。


「人間同士の殺し合いが必然だって? 信じられないっ、なんて残酷な連中なんだ」

「あんたに言えた義理か?」


 冷淡な声でセオは反論する。

 なにやら剣呑な雰囲気の二人の間で、アニラはあたふたする。


「えっと、あの」


 このまま通訳を続けていいものか、とアニラが戸惑っていると、セオから「通訳を」と催促されてしまう。


(喧嘩の通訳なんてしたくないよー!)


 人知れず、アニラは心の中で叫んだ。

 彼女の気持ちもつゆ知らず、二人は会話を続ける。


「僕は当前の事を言ってるつもりだけど?」

「そうかもな、だが筋が通らない。きれいごとを抜かすあんたも結局、うちの兵士を殺してるんだからな」

「それは……っ」


 緑髪の少女はそこで言葉を詰まらせる。

 しかしこらえるように歯を食いしばると、彼女は反発する。


「誰が好き好んで、人を手にかけるもんか……!」


 彼女は険しく、悲壮な表情で訴える。


「僕らはなにも知らなかったんだ、敵が誰で、何者なのか! 相手が人間だと分かれば、あんなことにはならなかった。誰も死なずに済んだんだ!」


 彼女の訴えを聞くと、セオは鼻で笑うでも呆れるでもなく、ただ興味深げに少女を見つめる。

 そして今度は探りを入れるように問いかけた。


「敵が人間だと分かったら、あんたはおとなしく引き下がるのか?」

「当然だ!」


 彼女は迷いなくそう答える。


「人間同士の争いは禁忌なんだ、許されることじゃない。……だというのに、僕は人を……」


 言葉を紡ぐうちに声は小さくなっていく。

 顔を見れば、見れば少女の目には涙がにじんでいた。


「僕だって、人を斬りたくなかった……っ」


 にじむ涙はついにあふれ、白い肌に一筋の軌跡を残す。

 戦場で彼女になにがあったのか、アニラはまだ知らない。

 だがこの異世界戦争という悲劇が、この少女の心に傷を残したことだけは明白だった。


(戦争、なんだもんね……辛いに決まってるよね…………。というか!)


 涙を拭い、気丈な様子を見せる少女を横目に、アニラはセオに小言を吐く。


「ローウェルさん! なんで喧嘩なんてしちゃうんですか! あの子泣いちゃったじゃないですか!」


 ふんふんと怒るアニラに、セオは困ったような、億劫そうな声で応える。


「こちらにも犠牲者が出ている以上、弱腰を見せるわけにはいかないんですよ。それに、おかげで分かったこともあります」

「それって?」


 セオは再び無表情を浮かべ、抑揚のない声で言う。


「報告によると、彼女は戦士として前線で戦っていたといいます。ですが、どうやら彼女は『敵国の兵士を殺めたこと』を悔やんでいる」

「うん……やっぱり戦争なんてよくないよ」

「いえ、そういう話ではなく」


 どこか困り気味に彼はかぶりを振り、こう続ける。


「つまり、『殺人を前提としない軍隊』に彼女はいたのです。――奇妙なことですよ、これは」


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