第14話 錬金術と錬金工学


 薬棚に囲まれた研究室内にて、クーナは淡々と錬金術の歴史をひも解いていく。


「――錬金術とは様々な物質を薬品などと反応させて、別の物質へ錬成する学問のことです……とくに有名なのは、金の錬成ですね」


 クーナは複数の実験器具を手元に寄せながら続ける。


「当時の錬金術師たちは卑金属を貴金属……つまり鉄を金に錬成することを目指していたそうです……まぁ、表向きは」

「表向き? 別の目的があったってこと?」


 クーナは頷く。


「金の錬成は実のところ方便に過ぎず……金持ちから融資を得るための建前だったというのが通説です。それで、真の目的は……」


 クーナは手近なフラスコを手に取り、それを前にかざす。

 フラスコにたゆたう赤色の薬液が光を反射する。


「生命原理の解明。つまり……フラスコの中に新たな生命を宿すこと……それこそが錬金術最大の命題でした」

「おお、実に壮大にして深淵なる理想ではないか」


 感心した様子でオーゲルがうめく。

 かつての錬金術師と同じく、真理の探究者を標榜する彼には思うところがあるのだろう。


「……ですが」


 クーナはフラスコを置いて、錬金術の終わりを物語る。


「ある時錬金術は限界を迎えました……高名な錬金術師によって極小の微生物……ホムンクルスが錬成された段階で、衰退期に入ったのです……残念なことに」

「ふむ、原因はなんだね?」


 真剣な様子でオーゲルは問う。


「理由は大きく二つ……一つは技術的な問題。そしてもう一つは……後ろ盾を失ったことにあります。金の錬成などペテンに過ぎないことが、公になってしまったのです……案の定」


 クーナは固定器具に吊るされたフラスコの口を指で弾く。

 ガラス特有の、透明感ある音が響く。


「錬金術師は選択を迫られました……理想の実現か、現実で永らえるか。選ばれたのは……後者でした」

「そっか……それで、錬金術はどうなったの?」

「まぁ、というわけで彼らは路線変更して、それまで培ってきた知識と技術を活用し、工業技術の発展に尽力するようになりました………その方が金になるって気づいたんだね」


 クーナはぼそっと一言、身も蓋もないコメントを付け加える。

 アニラは気を利かせて翻訳せず、クスっと笑むに留める。


「そんな経緯がありまして、衰退した錬金術は工業と合流し、新しい技術体系へと発展しました……それが錬金工学です」

「きたきた、錬金工学!」


 真打登場とばかりにアニラははしゃぐ。


「聞いた話だと、飛行船やラジオ、それから電波? なんかも錬金工学の発明なんでしょ?」

「その通りです……錬金工学の分野は多岐にわたりまして、錬金術に近しい薬学や化学はもちろん、動力機関や建築、兵器の開発までもがそれに含まれます……節操ないですね」


 どうやら末尾にコメントを付け足すのがクーナの口癖らしい。

 そのぶっきらぼうな言い方が、アニラにはどこか好ましく思える。


「ちなみにクーナちゃんはなんの専門なの?」

「ん、ん……?」


 アニラの「クーナちゃん」呼びに若干混乱しつつも、白衣の少女は応じる。


「えー、私は薬学および生命研究ですね……ホムンクルスの開発・錬成が主な業務です」


 少々お待ちを、と言い残してクーナは立ち上がり、研究室内の薬品棚から数本の薬瓶を持ってくる。


「たとえば、こういったものを作ってます……」


 クーナがデスクに置いたのは、黄色・緑色・青色の薬液が詰まった、三本の瓶だ。

 それを見たシアは「綺麗……」と呟く。


「黄色の薬液……これは視力向上薬です」


 クーナは黄色い薬瓶をつまむ。


「服用すれば一定時間視力を向上させるという効能があります……試してみますか?」


 差し出された薬瓶を受け取ったアニラは特使団の面々を見渡し、そしてある人物を指名する。


「ニコールさん、お願いします!」


 後ろの方で話を聞いていたニコールは「ええっ」という声をもらす。


「だってこの中で眼鏡してるの、ニコールさんだけですもん」


 得体のしれない薬物の実験体に選ばれたニコールは顔を引きつらせる。

 そして観念したように進み出て、アニラから薬瓶を受け取る。


「……ヴィストニアのために」


 意を決し、彼は薬を飲む。

 未知の薬品に対する緊張と恐怖から彼は強く目をつむる。

 そして目を開けると、彼の見る世界は一変していた。


「これは……驚きですね」


 眼鏡を取り外した彼は裸眼で周囲を見回す。


「ニコール君、効果のほどはいかに?」


 オーゲルの問いに、ニコールはいたく感心した様子で頷く。


「効果てきめんですよ、カインツフォード卿。まるで眼球を取り換えたように、視界がクリアです」

「これはどういう原理なの?」

「ホムンクルスが微生物である……ということはお伝えしましたね?」


 アニラは「うんうん」と素早く二回頷く。


「ホムンクルス……別名、拡張器官生体はその名の通り、人体器官を拡張・増強する特性を持つのです」


 もっとも、と呟いてクーナは続ける。

 その口調には諦観の色がにじんでいる。


「ホムンクルスの存在は我々錬金工学者にとって、ある種の屈辱でもあるんですけど……」

「そうなの?」

「はい、というのも……ホムンクルスの製法はいまだ解明されていないのです」


 そうしてクーナは物語る。

 錬金術と錬金工学、その最大の挫折。

 そして命の真理にもっとも近づいた、ある錬金術師の伝説を。


 ――かつて、一人の錬金術師がある理想にとりつかれた。

 ――彼が求めたもの、それは不老不死。

 ――なぜ彼がそれを欲したのかは分からない。

 ――ただ彼は不老不死を得るために金、地位、愛、そして人間性にいたるまで、持てるもの全てをなげうった。


 ――そして錬金術師は長い時をかけて、ついに生命の秘密を解き明かす。

 ――最後の友人が彼に呼ばれ研究室を訪ねた時、すでにそこは無人で、彼の遺産だけがあった。

 ――すなわち、人工生命体ホムンクルスとそれを生み出す錬成器官……賢者の石。

 ――賢者の石はあらゆるホムンクルスを錬成し、今のファルデンまで続く新たな薬学体系を樹立させた。


 ――しかし研究室に残された資料には賢者の石の使用法は書いてあっても、製造法までは書かれていなかったのだ。

 ――そして現代に至るまで、賢者の石の製法は明らかになっていない。

 ――一説には、その錬金術師が「悪魔と契約した」などという噂もあるというが……。

 ――いずれにせよ、真相を知る者はどこにもいない。


「――まぁ、そういうわけでして……ホムンクルスと賢者の石は、私たちにとっても魔法のような存在なんです」

「賢者の石……」


 ホムンクルスと賢者の石にまつわる謎多き逸話。

 錬金術を継承した、現代の錬金工学者でさえも明かせない未知の理論。

 魔導とも異なる異世界の超技術にアニラたち魔導士が心惹かれていると、おもむろに男の声が聞こえてくる。


「……賢者の石など、すでにだ」


 ひどく退屈そうな声音。

 その発生源はクーナの後方からだった。


「しかし、久方ぶりの仮眠……実に心地よかったぞコンティ君」


 その声を聞いた途端、クーナは溜め息を吐いて顔を覆い、肩を落とす。

 アニラたちの視線はテーブルの向こうで立ち上がる、その男に集められる。

 いつの間にかロープをほどき自由の身となっていた、白衣を着た類人猿へと。


「お初にお目にかかる、魔法使い諸君! 吾輩こそがザック――バァッハハハハ……!」


 唐突に笑いが込み上げてきたのか、彼は台詞もなかばで大笑し始める。

 歓喜の笑いを堪えきれず、自らの名前すら満足に名乗れない彼こそ、錬金術の継承者。


『賢者』――ザック・バイロンであった。


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