第13話 錬金研究所


 マナに依存しない、魔導とはまったく異なる技術体系――錬金工学。

 その秘奥が結集するファルデンの練金研究所、そこを訪ねた魔導士たちが抱いた感情。

 それは共感だった。

 

 階層都市第三層に建つ、玉虫色のガラス窓がはめ込まれた異様な建物。

 複数の棟から構成されるその建築物は、驚いたことに地面からだけでなく天井部分からも生えており、それらが巨大なパイプで連結されている。

 外壁には歯車機構や、大量の蒸気を噴出させる排気パイプが露出しており、それらが間断なく蠢く。


 アニラたちの目の前にそびえる、奇怪な建造物。

 これこそがファルデン第一錬金研究所。

 錬金工学の中核を担う、英知の庭だ。

 

 その威容に呆気にとられつつ、アニラたち特使団は内部に踏み込む。

 入ってすぐのロビーは不気味に薄暗く、壁に設置された電球が怪しく灯る。

 正面奥に通路と階段があるが、オゼリアに連れられた特使団は右の昇降機に乗り込む。

 オゼリアがボタンを押すと昇降機の鉄格子が閉まり、上階へ上昇していく。

 ウォン、ウォンという駆動音が唸りを上げる中、アニラがぽつりと呟く。


「ほんと、小説みたい……」


 その独り言を耳に捉えたのか、アニラの真後ろに立つセオがぼやく。


「ファンタジー……?」

「え、はい」


 寡黙なイメージのセオがこの話題に反応したのが、アニラには意外だった。


「こういう、工業技術? とかが発展した世界観って、ザ・ファンタジーじゃないです?」

「……そういうのは、SFに分類されるのでは?」

「えすえふ?」


 ヴィストニアに存在しない概念に、アニラは首をかしげる。

 セオは後頭部をかきながら、どう話すべきか勘案しているようだ。


「ああ、SFっていうのは、こう……宇宙戦争やら、クローン人間がどうとか。そういう小難しい話ですよ」


 それを聞いたアニラは混乱する。


「え、じゃあファルデンでのファンタジーっていうと?」

「……こっちでファンタジーといえば、魔法なんかが登場する話を指します。それこそヴィストニアのような」

「へぇ……あべこべなんだ」


 どうやら、ヴィストニアとファルデンではファンタジーの定義が異なるらしい、とアニラは理解する。

 魔導が当たり前に存在するヴィストニアにとっては、ファルデンのSFこそがファンタジーにあたる。

 反対に、魔導が存在しないファルデンにとっては、いわゆる「魔法の世界」がファンタジーに該当する。

 両者にとっての「空想的世界観」という概念が、あべこべになっているのだ。


(思念を読み取る対話魔導式だと、こういう認識の不一致が発生するんだ……)


 今後の課題として、アニラは頭に刻む。

 そうこうしていると、やがて昇降機は目的の六階で停止する。

 昇降機から降りた一行は次に、別の棟へと繋がるパイプ型連絡路を進む。

 連絡路内を歩くたびに金属質な振動音が鳴り響く。

 パイプが人の重さで崩れ落ちるのを想像してしまったのか、シアはアニラの腕にぎゅっと抱き着く。

 連絡路を渡り終えると別棟のエレベーターに乗って上階を目指し、左右に研究室が並ぶ通路の奥へと進む。

 そして突き当り、最奥のドアを前にしてオゼリアが振り返る。


「特使団の皆さまお待たせいたしました。この扉の奥に、ファルデン錬金工学最高の称号――『賢者』を得たお方がいらっしゃいます……のですが、一点だけご注意を」


 オゼリアは目を伏せて続ける。


「天才と呼ばれる人物は往々にして、人格に瑕疵かしがあるものです。非常に個性的なお方ですので、そこはどうかご了承くださいませ」


 もっとも、それをある程度は予期していたのか、特使団の反応は薄い。


「まぁ、建物からして奇抜ですしねー」

「うむ、ヴィストニアの魔導士もまた変人・偏屈の集まりじゃ。慣れたものじゃよ」

「そう仰ってもらえると幸いです……では、参りましょうか」


 そうして入室の許可を求めるべくオゼリアは扉を三回ノックする。


「バイロン博士、ヴィストニア特使団の方々を――」


 しかしオゼリアの言葉は遮られる。

 扉の向こうの人間があげた、了承でも拒否でもない――高笑いの声によって。


「フホッ、アッハ!? アッハハハハハッハァァ!」


 そしてなにやらばたばたと足音が鳴ったと思ったその直後、向こう側から扉になにかがぶつかるような、鈍い音が響く。

 どうやら、バイロンなる人物が扉へ体当たりをかましたようだ。

 興奮か、錯乱か、はたまた狂乱によるものか。

 ノックされるや否や、高笑いを上げながら扉に体当たりを食らわせる――この奇行極まる振舞いが『賢者』と呼ばれる人間のすることなのか。

 予想を軽く超えてきた『賢者』に、ヴィストニアの面々の顔が引きつる。

 アニラにいたっては「うわ……」と口に出してしまっていた。


 だが『賢者』の痴態は終わらない。

 今度は引き笑いをしながら、扉を叩き始める。

 まるで扉の開き方さえ忘れてしまったかのように。


「ひっ……」


 もはやホラーの域に達する眼前の光景に、シアはおびえだしてしまう。

 表情を殺したオゼリアが後方のセオに目くばせをし、彼が扉に近づこうとしたその時。


「ヌァッ!?」


 ふと、扉への殴打が止む。

 さらに室内から、人のようなものが床に引き倒される音が聞こえてくる。

 なにかを察したのか、再度オゼリアがノックする。


「……入室しても支障はありませんか?」

「はい……問題ありません」


 返ってきたのは、少女のハスキーな声だった。


「……博士は落ち着かせましたので……強制的に」

「ご協力感謝いたしますわ」


 オゼリアはクルリと振り返り、完璧な微笑を浮かべる。


「あちらの準備も完了した様子です。ではみなさま、参りましょうか」


 波乱の予感を抱きつつ、特使団は足を踏み入れる。

 ファルデンが誇る稀代の天才、『賢者』の研究室へと。

 


 錬金工学の研究室、それはヴィストニアの探求室によく似ていた。

 大型の実験テーブルが等間隔に数台並び、その上には研究資料や実験道具が置かれている。

 フラスコやビーカーなどのガラス製器具には青・赤・緑といった色とりどりの薬液が入っており、電灯に照らされたそれらはある種神秘的な風情を醸している。

 魔導と錬金工学。

 遠い世界にて発達した知恵の箱庭は、驚くほど類似していた。

 

 アニラたちが研究室に親近感を抱いていると、一人の少女が特使団に語りかける。


「えー、ヴィストニアの皆さん初めまして。そして先ほどは失礼しました……」


 黒いブラウスの上に白衣を羽織った、アニラやシアと同じ年頃の少女だ。

 灰色がかった亜麻色の髪は一見セミロングに見えるが、よく見ると後ろで一房、細く結っているのが分かる。

 長めの前髪から覗くのは琥珀色の虹彩をした、くすんだ瞳。

 目の下にはクマができており、その表情からは色濃い疲労がにじむ。

 そんな陰鬱な雰囲気をまとった少女は、自身の左胸に手を当てて名乗る。


「私の名前は、クーナ・コンティです……まぁ、どうでもいいことですね……あと――」


 クーナは足元に転がる人物を指さす。

 一切の敬意を感じない雑な手つきで示されたのは、ロープで簀巻きにされ白目をむく、気絶した男。


が、『賢者』ザック・バイロン博士です……」


 ザック・バイロン。

 彼の風貌を言い表すのに最適な言葉が存在する。

 それは類人猿。

 いや正確には、白衣を着た類人猿だ。

 体毛は濃く、もみあげから頬まで黒い髭が生い茂っている。

 目元はくぼみ、ギョロ目がちの瞳には愛嬌と不気味さが共存している。


 そんな『賢者』という称号とはかけ離れた印象を持たせる彼こそが、ファルデン最高の錬金工学者であった。

 クーナは溜め息を吐いて続ける。


「御覧の通り、博士はお眠りになっているので、ご質問などあれば助手の私に聞いてください……では、こちらへ」


 クーナは適当な椅子を指し、特使団に着席を促す。

 実験器具が左右によけられたデスクを挟んで、クーナとアニラたちは対面する。

 傍で立ったままのオゼリアがクーナについて紹介する。


「コンティ博士は若くして博士号を取得し、バイロン博士の助手まで務める天才少女なのですよ」


(へー、なんか似てる……かも?)


 異世界の天才と謳われる少女に、アニラは通じるものを感じる。

 クーナは再度溜め息をこぼし、ハスキーな声でぼそぼそと喋る。


「……それで、ヴィストニアの方々には……なにからお話ししますか?」


 口火を切ったのは、やはりアニラだった。

 彼女は「はい!」と手を上げて尋ねる。


「錬金工学とはなにか。そこから教えてください!」


 クーナは伸びた前髪をいじりつつ、独り言をつぶやく。

 その仕草は、どう答えるか迷っているに見える。


「……あー、どこから話せばいいかな……たぶん錬金工学の深奥がどうとか、そういう話じゃないし……概念? いや歴史から話したほうが……」


 なにやら答えあぐねているらしいクーナに、アニラが助け舟を出す。


「平気平気、そんな難しく考えなくていいよ? 子どもに教える感じでさ」

「え……っ」


 初対面とは思えないほど気さくなアニラに、クーナはわずかに面食らう。


「あ……はい」


 ぎこちなく頷くと、クーナは錬金工学の解説を始める。

 異世界の技術について。


「それじゃあ、お話しします……錬金工学と、その礎となった錬金術について」


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