第15話 魔導士と錬金工学者
ついに目覚めてしまったバイロン。
自己紹介も投げ出して彼は大きく手を打ち鳴らし、原始的な拍手をアニラたちに送る。
「フホッ、ホゥ、オホホホゥッ」
その笑い声はもはや類人猿の鳴き声そのもので、特使団一行の心中に「これは白衣を着ただけの猿なのでは……?」という疑念が浮かび上がってしまう。
うつむき肩を落とすクーナにアニラは確認する。
「えっと、あの人は本当にバイロン博士……なんだよね?」
「……はい、悲しいことに……博士は興奮すると脳内麻薬が過剰分泌され、あのように笑い呆けてしまうのです……」
「笑い声が完全にお猿さんのそれなんだけど……」
「猿の方がまだ理性的ですよ…………ずっとマシ」
そうこぼすクーナの言葉には重く深い実感がこもっており、日ごろの彼女の苦労が想像できる。
少女たちが会話していると、唐突にバイロンがアニラへ指を突き付ける。
「君ぃぃぃぃ!」
「は、はい!?」
「君、今、今……!」
バイロンがずんずんとアニラに迫っていく。
咄嗟の出来事に動けないでいるアニラの真正面に急接近する。
「君、今……コンティ君と喋っていたね?」
「そ、それが……?」
「さらには私と君の間で会話が成立しているね?」
「で、ですね……?」
「口の動きを見れば、君が異言語を発声していることが分かる……発音と口の動きが一致しないからだ。つまり――」
バイロンは目を剥いてアニラを凝視する。
「これが例の翻訳魔法で、君がアニラなにがし……そうだな?」
アニラはこくこくと首を縦に振る。
「です、です。私がアニラ・リア・フルルータです」
バイロンは天井を仰ぎ、勧笑する。
「オホッ、ウハハハハハハ……! これが魔法か! 音ではなく人間の認識を操るだと……!? 素晴らしいじゃないかッ」
かと思えば、今度はアニラの手を握り、やや粗雑に握手してくる。
歯を剥き出しにして笑む彼の顔はどこか不気味だ。
「アハハ、仲良くしようフル……フルルータ君? そしてヴィスなんたらの諸君!」
喜色満面のバイロン。
アニラを始めとして彼に気圧されている者がほとんどだ。
しかし彼に冷たい声を浴びせる人物が、一人だけいた。
「……アニラちゃんから離れてください」
敵意を隠さずそう言ったのは、シアだった。
アニラが振り向くと、すぐ後ろにはシアの姿。
彼女はすでに杖を抜いており、バイロンに鋭い視線を向ける。
「ファルデンの偉い人でも、アニラちゃんになにかしたら、私……許しません」
普段の温厚なシアには見られない真剣な表情からは、少女の緊張と固い意志が見て取れる。
「シアちゃん……?」
周囲に聞こえないよう、シアは小声でささやく。
「アニラちゃんは絶対守るから……そのために私はきたの」
通訳できなかったせいで、シアに無用な危機感を抱かせてしまったようだ――そう考えたアニラは慌てて説明する。
「だ、大丈夫だって。今のはただ対話魔導式の確認と握手されただけだから」
「そう、なの……?」
バイロンの方も自分が警戒されてることを察したのか、シアに語りかける。
「はて? 言葉は分からんが、なにやら誤解を招いてしまったようだね? これはすまないことをした」
謝罪の意を込めて、彼は深くお辞儀する。
「え、あ……私こそ、はやとちりしちゃって……」
シアは杖をしまい、頭を下げる。
その様子を横で見ていたクーナも責任を感じたのか、一言詫びる。
「ごめんなさい、今縛るので……」
助手に縄で縛られるのも気にせずバイロンは頭を上げ、再び強烈に笑む。
バイロンの意識はすでに他へ向けられているようだ。
「ではでは? 誤解も晴れたことだし、異文化交流といこうではないか?」
バイロンが特使団の面々を見渡す。
一人一人を吟味するように眺める彼は、ふとオーゲルに目を留める。
「吾輩の目を信じるならば、そこのご老公は優れた知啓の持ち主と見えるが、如何かな?」
「はてさて……」
オーゲルは自慢の髭をしごきながら前に歩み出る。
「ファルデンの『賢者』殿を満足させられればよいのですがな。ちなみに私のことはそう……オーゲルと呼んでくれたまえ」
「実に覚えやすい、短くていい名前だオーゲル殿」
「それでじゃバイロン殿」
オーゲルはバイロンの目の前に立ち、その肩に手を置く。
通訳するアニラもその傍に立つ。
「貴公は我々の魔導に関心があるようだね?」
「当然! 物理法則を超越した神秘の業……これを解明しない手はあるまい?」
「ならば重畳。わしもまた、貴公と錬金工学について知りたい。そこで提案がある」
オーゲルは人差し指を立てる。
「両国を代表する真理の探究者がここに出会ったのじゃ。気兼ねなく、一対一で話し合ってみないかね?」
アニラは通訳を止めて、師に尋ねる。
「それは私も同行するってことですよね? 通訳は必要ですし」
だがオーゲルは首を振ってみせる。
「いいや、わしだけで問題ない」
「えっ、大丈夫なんですか?」
奇人バイロンの相手を一人で請け負うオーゲルへの心配。
そして、通訳者抜きで対談するという無謀。
アニラは師を憂慮せざるを得ない。
「心配には及ばんよ。これがあるからな」
そう言ってオーゲルは懐から二つのペンダント型魔導具を取り出す。
これは会談の日に向けてアニラが突貫作業で製作した魔導具で、対話魔導式が刻印されている。
着用すればアニラがいなくても異言語の理解が可能となる代物だ。
「でもでも、効果時間は短いですし、予備だってないんですよ?」
彼女の言う通り、その魔導具の効果時間はせいぜい一時間程度で、使い切ると再度魔導式を刻印する必要があるのだ。
「バイロン殿の相手が務まるのはわしくらいなものじゃろう。だから任せなさい」
やがて焦れ始めたバイロンが口を開く。
「ん、ん? フルルータ君、通訳してもらえるかな?」
「あ、はい。師匠は――」
アニラがオーゲルの提案と魔導具の説明をすると、バイロンは呵々大笑する。
「ハハハ、それがいわゆる魔法の道具というやつか!」
と思いきや、唐突に冷静になりぶつぶつ呟き始める。
「……しかし興味深い。物質に魔導式とかいう魔法を込めれば、魔導士本人でなくとも使えてしまう。それはつまり、ヴィストニアの魔導の本質は魔導士ではなく魔導式の方にあるということ。魔導は異能ではなく、技術だと……? ならば再現性があるはず。魔導式のメカニズムとは……」
思考の海へと沈んでいくバイロンに、オーゲルは微笑む。
「些細な事柄に命題を見出してしまう……これは探求者の性ですな」
バイロンもまた、口角を釣り上げて笑う。
「まったくである。ではオーゲル殿、奥の準備室でとっくりとお話ししよう! 魔導と、錬金工学について!」
「望むところですな」
そうしてオーゲルとバイロン、付き添いのオゼリアを含めた三名は準備室へと移動していった。
「ねーね、クーナちゃん」
バイロンらが去った後の研究室にて、アニラはクーナに話しかける。
初対面にしては気安い態度のアニラに、クーナはやや困り気味だ。
「なんでしょう、フルルータ嬢……?」
「クーナちゃんと私って同じくらいだよね、年齢」
「おそらく……私は十五です」
「やっぱり! だったらさ、敬語使わなくていいよ」
「いや、えー……」
「あなたと仲良くしたいなー、ほら同じ天才少女でもあるし!」
どこか自慢げにのたまうアニラ。
だがクーナは「天才少女」という単語を聞くと、視線を下げて自嘲の笑みを浮かべる。
「天才、天才かぁ……私は後悔してるけどね……」
「え、なんで?」
「いや、ただの独り言……まぁでも分かった。普通に話すよ」
「やった!」
そうしてシアも加えた少女三人で語り始める。
「この子がシアちゃん! この年で二つ星になった才媛にして、めっちゃいい子なの!」
アニラの紹介を受けて、シアが丁寧にお辞儀する。
「シアです。よろしくね、クーナちゃん」
クーナの方はどこか照れくさそうで、うつむきがちに前髪をいじっている。
「あ、うん、どうも……シアさん?」
「ただのシアでいいよ?」
「わ、わかった」
「次はクーナちゃん、どうぞ!」
アニラは両手の人差し指をクーナに向ける。
「えーっと、クーナ・コンティ……二級錬金術師……バイロン博士の助手やってる…………不本意ながら」
クーナがぼそっと付け加えた一言に、アニラとシアは同情の声をもらす。
「ああ、大変そうだもんね~」
「うん、クーナちゃんは頑張ってるよ」
「ありがと……ほんと、あの人頭おかしくて……」
溜め息を吐きながらクーナはアニラを見やる。
「あなたの師匠さんはいいよね、まともで……」
「たしかに、師匠は魔導士の中でも常識人かもなー」
「ね、カインツフォード卿は三つ星魔導士の顔役で、中央議会の特別顧問まで兼任なさってて、とても立派なお方だよね」
「へぇー……ちなみにヴィストニアの魔導士って、どんな感じなの?」
「んーとね」
アニラは唇に指をあてて答える。
「割と変わってる人も多いよ?」
「私のとこの室長とかね……」
「でも自由に探求できるからか、みんな穏やかだよね?」
「うんうん。まぁ時々、トラブルも起きちゃうけど……」
「……まーね」
クーナはしぼむように脱力する。
「なんか、魔導士の方は平和なんだね…………こっちとは大違い」
そして、奈落の底を見つめるようにつぶやく。
「…………はぁ、生まれる世界を間違えたかな、私………はは」
生まれを否定するほどの絶望オーラをまとい始めるクーナを、アニラたちはなんとか励まそうとする。
「いやいや、ファルデンだってすごい国なんでしょ!?」
「そうだよ、それにクーナちゃんは天才だって聞いたよ?」
だが、少女たちの想いとは裏腹に、クーナの不満は膨らんでいく。
「天才少女、十年に一人の逸材、『賢者』の助手……?」
彼女に浴びせられてきた、空虚な称賛の数々。
それらが積年のストレスを伴い、クーナを苛む。
そしてクーナの心は限界を迎え、とうとう爆発する。
「そんな耳障りが良いだけの言葉、なんの慰めにもならないんだよー……っ!」
少女のハスキーな声が研究室に響く。
「みんなして、人の努力を『天才』の一言で片づけて、挙句の果てに『最年少だから』なんて理由で狂人の世話を押し付けて……!」
クーナはそれまでのおとなしい印象から打って変わり、語調を荒くして鬱憤を晴らす。
「ク、クーナちゃん?」
「ファルデンじゃ、才能活かさないと搾取されるから……だから錬金工学者になったのに! 周りはみんな自己中だし、頭おかしいし……!」
彼女は堰を切ったように思いのたけを吐き出す。
やがて力なく床にへたり込み、疲れた顔を浮かべる。
「ほんと、なんのために頑張ってるんだろ、私…………」
情緒不安定気味なクーナを前にして、アニラとシアは顔を見合わせる。
アニラはシアへ、クーナの本音を伝える。
そして少女らは互いにうなずき合い、クーナに語りかける。
「クーナちゃん」
クーナは虚空を見つめながら、生気のない返事をする。
「……ごめん、ちょっとパンクして……」
その言葉を聞き終わらないうちに、少女たちは床のクーナをそっと、優しく抱きしめる。
傷ついた人には、人のぬくもりとふれあいが必要だと、アニラは身をもって知っているのだ。
子供を落ち着かせるように、アニラはゆっくりとささやく。
「辛かったんだね……一人でよく頑張ったね」
「はっ……え……?」
両側からアニラとシアに抱擁され、クーナは目を白黒させる。
「あの、ちょっと、その……!」
そして二人から逃げ出すように慌てて立ち上がり、手をぶんぶん振って弁明する。
「違うから……私そういう、気を引こうとしたわけじゃないから……! ただなんか、惨めな自分が悔しくて、つい……」
アニラたちはそんな心配は無用と微笑みかける。
「いいのいいの、一人じゃ抱えきれないものだってあるよ。それに……」
アニラはそっとクーナの手を取る。
「なんか……昔の私と似てるからさ、クーナちゃん……助けたくて」
「うん、ほっとけないよ」
アニラとシアの偽りない、純粋な善意を向けられたクーナはいたたまれず、白衣の袖で顔を隠してしまう。
「えっと、あ、えぇ……?」
「クーナちゃん」
アニラの青紫の瞳が、クーナの琥珀色の瞳を見つめる。
そしてアニラはクーナへはにかみ、こう言う。
かつて幼いころ、自分がそうしてもらったように。
「友達、なろ?」
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