第16話 異世界の友達
クーナが感情を暴発させたあと。
「友達になるまで離れない!」
としてしつこく抱き着いてくるアニラにクーナは降参し、少女らはなし崩し的に友人となった。
そうして無事に友誼を結んだ彼女たちは、錬金研究室にて魔導講義を開いていた。
「でね、魔導は突き詰めると『マナを導く技術』でしかないんだよ」
講師役のアニラはホワイトボードの前に立ち、生徒役のクーナ、補助役のシアは席に座っている。
研究室のホワイトボードには魔導士やマナ、魔導具などを表したアニラの解説用イラストが描かれている。
絵本が好きなだけあってアニラの画力はそこそこで、デフォルメされたイラストはファンシーでかわいらしく仕上がっている。
クーナから拝借した指示棒でボードを指してアニラは解説する。
「じゃあまず『マナとはなにか?』という話なんだけど。たとえば物質が重力に引っ張られる、発火する、投げたものが飛んでいくといった摂理。ファルデンでいう物理法則だね、これらを成立させている存在が、マナである。っていうのがヴィストニアの考え方なの」
アニラが語るヴィストニアの摂理。
ファルデンの常識を覆すその理論をなんとか咀嚼し、クーナが尋ねる。
「それはつまり、マナこそが森羅万象の現象を引き起こしている……ってこと?」
「だね」
「たとえば……今、私の声帯が空気を振動させて音をなし、声を作っているのも……?」
「そ、『空気が振動する』という現象を成立させているものが、マナ」
「えっと……『空気を振動させる』という結果に対する原因は声帯にあるわけだけど、そもそもの因果を成立させるには、マナが必要……これで合ってる?」
「うんうん、バッチシ!」
アニラは親指を立てて、自分の生徒一号を褒める。
クーナは目からウロコとばかりに宙を仰ぎ、思案する。
「マナ、かぁ……でも現実に魔導は存在するわけだし……」
「ファルデンの考え方は、やっぱり違うのかな?」
そう聞いたのはシアだ。
「うん、かなりね……マナ、ファルデン風に名付けるなら……現象子? それがすべての因果を結び付けてるなんて発想、今までなかった……。オカルトを除けばね」
それに、と呟いてクーナは続ける。
「もしヴィストニアの魔導論や摂理が真だとするなら、ファルデンが元あった世界にもマナが存在したことになる……。だって、あらゆる現象はマナによって成立するんでしょ?」
アニラは腕を組んで頷く。
「そのはずだね」
「……となると私たちはずっと、大きな見落としをしてたの……? 魔法は空想の産物じゃなくて、ずっと前から実在してた……?」
異世界よりもたらされた、驚愕の事実。
既存の常識・理論・価値観が崩されたクーナは、額に手を当てなかば呆然としてしまう。
だが軽くかぶりを振って前を向く。
「ううん、今魔導に出会えたんだ、それで十分……お願い続けて」
待ってました、というふうにアニラは指示棒をやたらに振りながら講義を進める。
「でねでね、次は『魔導とはなにか?』ということなんだけど」
アニラは指示棒をボードに向ける。
指示棒の先には、とある一連の動作を描いた三つの絵がある。
一つ目は、薪の山。
二つ目は、人間が薪の山に火をつけようとする場面。
三つ目は、薪の山に火が起こり、焚火になった場面。
これらが一つ目から三つ目へと矢印で順に繋がれている。
「焚火を起こすには、誰かが火を起こさないといけないよね。だけど、魔導なら――」
そうしてアニラは手に持ったクリーナーで中間、二つ目の絵を消してしまう。
消去によって生まれた空白の間に、一つ目から三つ目の絵までを結ぶ矢印を書き加え、アニラは魔導をひも解いていく。
「このように『火を起こす』という原因を省略して、『火が起こる』という結果だけを発現させられるの。ためしに実演してみよっか――シアちゃん」
アニラは親友を手招きする。
「転移でこっちにきて?」
「うん、わかった」
シアは杖を振って空中に淡く発光する魔導式を描く。
その途端、今まで椅子に座っていたシアの姿は消失し、ボード側、アニラの横に虚空からシアが出現する。
空間魔導式による転移であった。
「今シアちゃんがしたのも同じこと。『私の隣まで歩く』という過程を飛ばして、『私の隣に立つ』という結果を実現させたの。つまり――」
アニラは人差し指を立て、講義を結論へと導く。
「現象を引き起こすマナ。その振舞いを誘導する魔導式。これを操ることで原因なき結果を実現させる技術……それが魔導なの!」
アニラの説いたヴィストニアの魔導論に、クーナは静かに拍手を送る。
神秘なきファルデンで生きてきたクーナには、にわかに信じがたい荒唐無稽な理論だった。
しかし、こうして眼前で魔導を実証されてしまえば、もはや認めるほかない。
「……素晴らしいわ、まさに超技術ね……世界の広さを思い知ったわ」
「どう? 魔導のこと好きになってくれた?」
アニラは瞳いっぱいに期待をみなぎらせ、クーナの返事を待つ。
その姿はどことなく子犬に似ており、クーナの口元が緩む。
「うん、魔導についてもっと知りたくなった……かな」
「よしよしっ」
異世界にできた最初の友人が魔導に興味を持ってくれたことに、アニラははしゃぐ。
「ちなみに聞きたいんだけど……あなたたちはどうやってマナを知覚しているの?」
アニラとシアは揃って首をかしげ、答えあぐねる。
「んー、なんと表現すればいいかなぁ……」
「えっと、私はマナって空気と似てるなぁ……って思うかな?」
「空気?」
シアは形の整った顎を上下させる。
「うん、空気って当たり前のものすぎて普段は認識しないでしょ? 空気という概念を知ってから初めて、それがそこにあるって認識するものだなぁって」
シアのたとえにアニラは指を鳴らし、クーナも得心いったと頷く。
「ナイスたとえだね!」
「なるほどね……なら、マナを実感できるようになったのはいつ? 方法も知りたい」
マナの知覚と、魔導の目覚め。
その方法を求めるクーナの質問に、しかし二人は答えることができない。
気まずそうに頬をかきながら、アニラが喋る。
「あー、それなんだけどね…………私たちも分かんないんだよねぇ」
「それは、どういう?」
「おかしな話なんだけど、魔導に目覚めた瞬間の記憶がない……んだよね~」
「え、そうなの?」
「うん」
そう言うアニラは困り気味だ。
隣で同じような表情を浮かべるシアが補足する。
「一応、五歳の時にそういう儀式を受けたはずなんだけど……その時何があったか、思い出せないの」
「たぶん、魔導士はみんなそうなんじゃないかなぁ?」
ヴィストニアの魔導士の記憶に空いた、奇妙な空白。
それがなにを意味するのか、答えられる人間はここにはいない。
「そっか……メカニズムさえわかれば、ファルデン人でも魔導士になれると思ったんだけど……」
「ごめんね~……!」
アニラは手の平を合わせて謝る。
「や、謝るほどのことじゃないよ……それに、謎は自力で解明するものだしね」
「あ、そうだ!」
ぱぁ、っと顔を輝かせて、アニラはクーナに近寄りその手を取る。
ボディタッチが多い友人に、クーナはたじろいでしまう。
「わ、なに?」
「クーナちゃん、今度ヴィストニアにおいでよ!」
「ヴィストニアに?」
「ファルデンにないものがたくさんあるんだよ! 私のぬーちゃんともお話しさせてあげる! とってもかわいいんだよ~」
爛々と輝くアニラの瞳が、クーナにはまぶしく映る。
「それは……いいの、かな?」
アニラから逃げるように上半身をそらせて、クーナはなんとか言葉を紡ぐ。
「もっちろん!」
クーナは幾ばくかの逡巡を経て、ぎこちないながらも頷いてみせる。
「……じゃぁ………行こ、かな」
歓喜からアニラは上半身を振り子のようにして左右に振る。
「ふふー、楽しみだなぁ」
仲睦まじいやりとりをするアニラとクーナ。
そんな二人を、シアは微笑ましく見守る。
ヴィストニア来訪時の予定などを少女たちがあれこれ話し合っていると、準備室の扉が勢いよく開かれる。
一度聴いたら忘れない、あの高笑いを伴って。
「ウォッホ、ワッハハハハハハハ!」
バイロンを先頭にして、後ろからオーゲルとオゼリアが姿を現す。
隣で行われていた対談も終わったらしい。
バイロンはオーゲルに手を差し出し、固い握手をする。
「オーゲル殿、君は素晴らしい御仁だ……! 吾輩に新たな地平を垣間見せてくれた貴殿には、感謝の念に堪えない……!」
そう語るバイロンはもはや感極まりすぎて、泣きながら笑っている。
オーゲルもまた、実に柔和な笑みを返す。
「わしこそ、貴公の知啓には瞠目するばかりじゃった。またお話ししたいですな」
「バァッハハハ……!」
「ふっふっふ……」
なにやら、異世界の探究者たちも親睦を深めたらしい。
バイロンは助手のクーナに大手を振って駆け寄る。
「コンティ君、大発見だぞー!」
「げぇっ、博士……」
あからさまに嫌そうな顔をするクーナに苦笑しつつ、アニラも師のもとに歩み寄る。
「師匠、私の魔導具はちゃんと機能しましたか?」
「ああ、これか」
オーゲルはペンダント型魔導具を首からとる。
「よくやってくれた、有効に機能していたぞ」
「よかったぁ」
「ただ持続時間の短さが今後の課題じゃな。途中で切れてしまったから対談も切り上げたのじゃ」
「え?」
アニラは先ほどの光景を想起しつつ、オーゲルとバイロンを見やる。
「じゃあ、さっき会話してたのは?」
「うむ、通じておらんな。お互いに」
「通訳もなしに会話が成立するって、どんだけ仲いいんですか……」
オーゲルはバイロンに敬意の視線を送りながら、しみじみとぼやく。
「バイロン殿は一見すると狂人だが、その実どこまでも純粋なお方じゃった。この年で異世界に朋友ができるとは、人生わからんの」
魔導士と錬金工学者。
異なる世界に生きる探求者たちの出会いは、両国にとっても実りあるものであった。
魔導士側も錬金工学者側もまだまだ話したりない様子だったが、異文化交流の時間は限られていた。
ファルデンへの理解を深めるための見学はひとまず終えた。
ならば次は、特使団の本来の目的を遂行する番だ。
つまり、ファルデン首脳陣との国交会談である。
移動するべく特使団が錬金研究所をあとにしようとすると、クーナがアニラに話しかけてくる。
その口調は照れによるものか、ややたどたどしい。
「あ、あのさ……アニラ」
「はいよ」
まばたきを繰り返し、長めの前髪を指でいじりつつクーナは言葉を絞り出す。
「今日は……ありがとう、嬉しかった……」
「いいよいいよ、だって友達だし!」
「うん……それじゃまた、ね」
「うん、また会おーね!」
そうして少女たちは一時別れる。
アニラははたはたと手を振り、クーナは小さく振って返す。
お互いに、いつかくる再会の日を心待ちにして。
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