第2話 大転移


 オーゲルの執務室を出たアニラは、腰のポーチから一冊の白い本を取り出す。

 双子の書と呼ばれる、通信用の魔導具だ。

 これは二冊一組になっており、片方の本に書いた内容がもう一方にも反映されるという代物で、連絡用に広く使われている。


 手のひらサイズのそれを開き、彼女は白紙のページにペンを走らせる。


〈シアちゃーん、今空探室にいる?〉


 すると数秒後、アニラが書いた文章の下に新たな文字が浮かび上がってくる。


〈うん、いるよ。今検証中なの〉


 アニラはペンの頭で顎を叩いたのち、返信を書き込んでいく。


〈ならお邪魔しちゃっていい?〉

〈アニラちゃんならいつでも! けど、どうかしたの?〉

〈なんか師匠が空探室を見学しろって〉

〈カインツフォード卿が?〉

〈うん、面白いことしてるからってさ〉

〈そっかぁ……?〉

〈んじゃ、今から行くよー〉

〈はい、待ってるね~〉


 アニラは双子の書を閉じ、シアの探求室へと向かう。


 壁に設置された燐光灯が淡く照らす、大理石の廊下。

 窓からはヴィストニア特有の流線的な建物が並ぶ、ルーノンの街並みが覗く。


 なんの気なしに風景を眺めながらアニラが歩いていると、ローブをまとった男子魔導士たちとすれ違う。

 通り様に、彼らの会話がアニラの耳に入ってくる。


「熱魔導の秘奥を極めれば、俺たちは季節を克服できるかもしれない」

「理論上は可能だが、実現性が乏しくないか? 屋内ならともかく国全体は無理だって」

「規模と人員の問題さえクリアすれば、魔導は次の段階に進めるというのに――」


 おそらくは熱魔導探求室のメンバーであろう。彼らは議論を続けながらどこかの講義室に姿を消す。

 アニラはふと溜め息をこぼす。


(私以外にも、識魔導を扱える人がいればなぁ)


 世界最高の探求環境を誇る都立魔導院には、ヴィストニア中の魔導士が集う。

 そして魔導士は通常、属性にあった探求室に所属し、同士と共に知見を深めていく。


 だが、その希少性から識魔導探求室のメンバーはアニラ一人のみ。

 広い探求室の中、一人ぼっちで作業するのがアニラの日常だった。


(識魔導の先生もいないし。あーあ、誰か教えてくれれば楽なのになぁ)


 わずかばかりの寂寥を抱くアニラは、やがて目的地に到着する。

 部屋の入り口には「空間魔導探求室」と書かれたプレートが飾られている。

 アニラは双子の書に到着のメッセージを記してから、扉を開けて中に踏み込む。


「フルルータです、お邪魔しますねー」


 アニラを迎えるのは燐光灯の仄かな明かりだった。

 探求室の中はカーテンを閉めているからか薄暗く、天井から吊るされた燐光灯の光だけが室内を照らす。


 手近な場所にはぎっしり詰まった本棚や様々な魔導具があり、それから大型魔導具の部品らしきものがデスクや床に散在している。

 部屋の中央には会議用のデスクが置かれており、探求部の面々がそれを囲んで議論しているのが見て取れる。


 アニラはその中から親友の姿を見つける。

 年若い、流麗な金髪を伸ばした少女――シアだ。


「やほー」


 アニラがはたはたと手を振ると、気づいたシアも控えめに手を振って応える。

 そして少女は周囲のメンバーへ何事かを伝えて会議を離脱し、床の資料につまずきながらもアニラのもとへ駆け寄る。

 親友を迎えるシアの顔には、柔和な微笑みが浮かんでいた。


「いらっしゃい、アニラちゃん」


 薄い金髪に、スカイブルーの虹彩。

 肌は白く、体は華奢。

 シアは、そんな童話から出てきたような少女であった。


「ういういー」


 二人の少女は互いの手の平を合わせ、親友を歓迎する。


「ごめんね邪魔しちゃった?」

「ううん、指示は出したから、あとはみんながやってくれると思う」

「おー、さすが二つ星だねぇ」


 空間魔導探求室において、シアは十五歳で副室長の地位に就いている。

 つまり、彼女よりはるかに年上のメンバーも、二つ星を冠するシアにとっては部下にあたるのだ。

 シアはふるふる、とかぶりを振る。


「そんな、そんな……私はまだ若輩で、経験が足りないから」

「でもシアちゃんは頑張ってると思うなぁ」

「あ、ありがと」

「それで、今なんの探求してるの?」


 黒板にかかれた理論や奥の魔導具を見ようと背伸びしながら、アニラは問う。


「えっと、本当は転移門について実験してたんだけど……」

「おー、二つ星取ったときのあれかー」


 転移門とは、シアが探求している理論で、二つ星を授かるきっかけとなったものだ。

 都市間の行き来を迅速に行うための転移門――というアイデアは古くから存在したが、魔導具への刻印を苦手とする空間魔導の性質ゆえ、机上の空論止まりであった。

 それをシアは、既存の理論に独自の新発想を加えることで実現可能性を飛躍的に高めたのだ。


「けど最近、無視できない空間異常が検知されて、その緊急調査をしてたの」

「空間異常?」

「うん、空間魔導士だけが感知できるみたいなんだけどね」

「なんかやばい感じ?」


 シアは思案顔で述べる。


「それがわかんなくて。浮遊感みたいなものを私たちは感じるんだけど、他の人は気にしてないし……あと国境に沿って空間にゆらぎが生じてるみたいなんだけど……」


 シアは苦笑し、溜め息をこぼす。


「でも原因は不明。とにかく情報が不足してて、議論も行き詰まってたの」


 アニラが他の探求部メンバーを見やると、たしかに徒労感のようなものを彼らから感じ取れた。

 中には小声で「転移門の方、進めない?」と提案する者もいる。


「なるほどなぁ」

「アニラちゃんは最近どう?」

「ん? 私はうさぎと話してるかなぁ」

「え、うさぎと?」

「うん、動物とも会話できる魔導式を組んだんだー」

「わぁ……!」


 シアは夢見る少女のように胸の前で手を合わせる。


「素敵だね、おとぎ話みたい……!」

「でっしょー」


 アニラは得意げな顔でにやける。


「魔導は夢を実現させるためのものだからね……!」

「やっぱりアニラちゃんの作る魔導式はいいなぁ」

「シアちゃんにもお話させてあげるよ」

「うん、ぜひ……っ? ――――!?」


 そして、日常は終わりを迎える。


 異変が顕わになったのは、その時だった。


 突然、シアがなにかに耐えるように目をつむる。

 他の空間魔導士たちも、頭を抑える、うずくまるなど、尋常でない様子を見せる。

 周囲の反応を見て、アニラは動揺する。


「えっ、なにどうしたの?」


 やがてその異常は、アニラにも感じられるほど大きくなる。

 アニラを襲う浮遊感、そして大いなる力の奔流。

 あまりに巨大ななにかが、空間を覆っている錯覚を覚える。


「なに、これ……魔導式なの……?」


 魔導式に近い、しかしどこか違うような感触。

 アニラの心を襲う、恐怖・違和・疑問。

 だがなによりもアニラの心を突き動かすのは、好奇心だった。


(外……! なにか起きてるはず、この目で見ないと――!)


 この異常事態にあって、アニラは安全の確保より魔導士としての探求心を優先した。


(今、なにかすごいことが起きてる――!)


 おぼつかない足取りでアニラは窓へ向かう。

 床に散乱した道具を邪魔に思いつつも、ついにアニラは辿り着く。

 閉じられたカーテンを力任せに振り払い、窓も開け放つ。

 風が吹き込み、朱色の髪を揺らす。


 そして少女が見たのは、空を埋め尽くす大量の魔導式だった。

 黄金色に輝くそれらが、空一面を覆いつくしているのだ。


「魔導式……でも、読めない……?」


 魔導式のような、けれど見たことない言語で綴られた、異能の式。

 光を伴うそれらがひと際強く明滅した、その瞬間――世界は空を失う。


 午後、まだ青かった空は瞬きの間に消え失せ、暗黒が支配する。

 黒一色に塗りつぶされた空。


 底なしの奈落を想起させるその異常な光景に、さすがのアニラも怯えを抱いたころ。

 音もなく暗黒に亀裂が走り、天蓋が割れる。


 そして、新たにヴィストニアの空を覆ったのは――異世界の夜空だった。


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