第1話 ヴィストニアの短い一日


 とある世界にて、真理にもっとも近いとされる国家があった。


 その名は、魔導連合ヴィストニア。


 マナを利用した特殊技術――魔導によって栄華を誇る、世界最高の魔導大国である。


 魔導の為す超常のわざは多岐にわたり、たとえば熱量を操る熱魔導、物体を浮かせる念動魔導、空間転移を可能とする空間魔導などがある。

 ヴィストニアはこれら魔導士の操る力――魔導式の探求・開発に注力し、魔導士もまた国家レベルで保護。

 魔導開発に集中したその文明は他の追随を許さず、世界中から羨望と畏敬を集めていた。


 魔導の恩恵により、平和と繁栄を極める魔導連合ヴィストニア。

 その首都ルーノンに、アニラという少女はいた。



「――やい、そこのきみ。変な鉄の筒に乗ったきみだよ」


 西日射す自室、ベッドに座ったアニラが絵本を朗読している。


「なんだいおまえは。まさか月に住んでるのかい?」


 垂れてきた朱色の髪を耳にかけつつ、彼女は絵本を読み進める。

 彼女が読んでいるのは「魔導士になれなかった少年が宇宙船を開発して、念願の宇宙旅行をする」という内容のものだ。


「そうだけど、こんなとこもうごめんだよ。ぐるぐる回って酔っちゃいそうだ。ぼくも宇宙に連れてっておくれよ。――ふふっ」


 微笑するアニラはひざの上のうさぎに触れ、その小さい頭を撫でる。

 彼女の撫で方が好きなのか、うさぎは気持ちよさそうに目を細める。


「ぬーちゃん宇宙だって、どんなとこだろねー」

『ぬー、うちゅー、ぬーん……』


 アニラが話しかけると、声を持たないはずのうさぎから返事が返ってくる。

 本来うさぎは人間と会話などできず、そもそも声帯自体もっていない。

 だがアニラの稀有な魔導適正と、彼女が組み上げた魔導式があれば、不可能も可能になるのだ。

 アニラの魔導式を介して、一人と一匹は意思疎通する。


「うーん、ぬーちゃんに宇宙の概念を伝えるにはどうしたらいいかなぁ? お空の向こうにある世界だよ?」

『ぬーん、ぬーん……』


 ぬーちゃんの表層意識から汲み取った思念は、「不可解」の色を示していた。


「わかんないかー、うさぎは空自体認識できてないのかも? 時間の理解もあいまいだったし、やっぱり認識に限界がある?」


 首を傾げたアニラは、部屋の時計を見やる。

 今から二年前、一つ星の称号を獲得した際に両親より贈られた品だ。

 時刻は十四時を指していた。


「十四時かー、たしか師匠の呼び出しは十二時だったような……ん? あっ」


 ぬーちゃんを撫でる手を止め、アニラは表情を硬直させる。

 そして自分がやらかしたことに気づいたアニラは、頭を抱えて叫ぶ。


「わぁぁ遅刻だー!」


 彼女はひざのぬーちゃんを床へ下ろし、慌てて身支度にとりかかる。

 部屋着から着替えるべく、整理されていない衣装タンスからローブや帽子を取り出すのに苦労しているその時。


アニラに天啓が舞い降りる。


(そうだ、逆に考えよう!)


 それはまさに、逆転の発想であった。


(二時間も遅れてるんなら……三時間遅れても大差ない!)


「むしろ四時間コースも許されるんじゃ……!?」


 追い詰められた人間は時に恐ろしい発想をするものだった。

 現実から目を背け、開き直ったアニラは神妙な顔で頷き、こうつぶやいた。


「やっぱ私って天才だわ」

 

 


「今まで酔狂な弟子を多く持ったが、おまえさんは別格じゃな」


 魔導連合ヴィストニア、首都ルーノン。

 そこに建てられた都立魔導院の七階、オーゲル執務室にアニラはいた。

 魔導士のご多分にもれず書物や魔導具が積み上げられた部屋の中、アニラは老齢の師に応える。


「あっ師匠もそう思います? 実は私も私って特別だなぁって」

「……もし二つ星に昇格することがあれば、お前さんには『阿呆』を司る星の名を授けよう」

「そんな星ありませんし、いりませーん」

「くぅ!」


 減らず口を叩く弟子に、オーゲルは歯ぎしりする。


「口答えだけは達者になりおって……一つ星なら相応のふるまいをせい、リアの星が泣いておるわ!」


 ヴィストニアの魔導士は、その功績や実力に応じて階級が設けられている。

 すなわち、星なし・一つ星・二つ星・三つ星の四段階である。

 探求や実績を評価されるごとに昇格し、それと共に星の名を自身のミドルネームに刻むのだ。


 たとえばアニラ・リア・フルルータの場合。

 彼女は一つ星で、「無垢」を司るリア星の名を授かっている。

 そして彼女の師、オーゲル・オグ・デア・ケル・カインツフォードの場合。

 彼は星の名を三つ刻んでいるため、最高階級の三つ星ということになる。


 オーゲルは怒鳴り声をあげるのに疲れたのか、一度深呼吸して息を整える。

 そして賢者然とした、普段の口調で会話を再開する。


「……よいかアニラ、わしは遅刻したことに腹を立てているわけではないのだよ」

「え、本当ですか?」

「そうとも。魔導士たるもの、探求に熱中して約束を忘れることもあるだろう。それが魔導士の性というものじゃ」

「そっかー……」


 オーゲルの器量の大きさに、アニラもほっと安堵する。


「なら四時間コースも平気だったかな……」

「ん? なにか言ったか?」


 アニラの呟きに、オーゲルの血管がぴくりと反応する。


「いえなんでも! それでなんのご用件ですか?」

「うむ」


 オーゲルは書類で埋まった執務机から数枚束になった用紙を手に取る。

 とある魔導式の概要と理論について記述されたそれは、先日アニラが提出した探求レポートであった。


「アニラの魔導式について尋ねたいことがあってな。この『動物とお話し魔導式』とかいう……しかし語呂が悪いな」

「ダメですか?」

「いささか冗長じゃな。せめて対話魔導式でどうじゃ」

「それ、いいですね!」


 アニラはぽんっ、と手を打つ。


「うむ、それでこの魔導式はどこまでできるんじゃ?」

「どこまでもなにも、それに書いた通りですよ」


 人差し指を振って少女は説明する。


「一定の知性を持つ生物の表層意識から思念を読み取って、それを使用者の言語に変換することで、会話を成立させる魔導式です。もちろん人間の言葉を動物に伝えることもできます」

「つまり、本当に動物と対話するためだけの理論なのじゃな?」

「です」

「……うむ、ならばよし。言いつけは守ってるようじゃな」

「これ以上は耳にタコができちゃいますもん」


 アニラは両耳を手で覆う仕草をとる。

 そんな茶化すような弟子に苦笑しつつ、オーゲルは手元のレポートを眺めてうめく。


「しかし他者の表層意識を読み取り、それを言語化するとは……識魔(しきま)導(どう)は底が知れんな」


 識魔導。

 それこそがアニラの魔導属性であり、ヴィストニアでもアニラしか適正を持たない、稀代の特異属性だ。


 識魔導は意識や思念を司る属性であり、知生体の意識に干渉し、操ることを可能とする。

 識魔導士が望めば、他者の催眠から洗脳、記憶の改竄……果ては対象の自我崩壊や意識の乗っ取りさえも実現できてしまう。

 もちろん精神治療などにも役立つが、その性質上適正者のモラルと倫理観が問われる、危うい属性である。


 事実、ヴィストニアに過去存在した二人の識魔導士のうち一人は、私利私欲に走って国内に混乱を招いた挙句、謎の発狂死を遂げた。


 幸か不幸か、識魔導に適性を持ってしまったアニラ。

 オーゲルには弟子が道を踏み外さないよう、監督する義務があるのだった。


(誠実な魔導士に育ってほしいものだ。聖人として名高い一人目のように)


 オーゲルは心の内で、弟子の未来を案じた。


「それでじゃ、対話魔導式の成果はどうか?」

「んーとですね」


 自分の唇に人差し指を添えつつ、アニラはこれまでの経過を述べる。


「まずですね、うさぎは『ぬー』って鳴きます!」

「ほう、うさぎは鳴くのか」

「あとですね、だいたい食事と排泄、それから寝ることばかり考えてます!」

「まぁ、動物ならそんなものか」

「それとうさぎに時間の概念はほぼないみたいです! 一応一日をいくつかに区分してるっぽいですが」

「動物なら、まぁ……」

「宇宙を理解するのも難しいみたいです、空の認識も疑わしいかと」

「うさぎには宇宙など縁遠いじゃろうからなぁ……」

「えーと……」

「それから?」


 しばし記憶を探ってからアニラは頷き、やがて笑みを浮かべる。


「うん、以上です!」


 わずかな沈黙が執務室を包む。

 弟子の報告を聞き、オーゲルは思わずまぶたをこする。

 対するアニラは「褒めてください!」とばかりに、期待している様子だ。


 そして、ついにオーゲルがその口を開いた。


「――わしは悲しいっ!」

「えぇ!?」


 求めていたものと真逆の反応に、アニラは面食らう。

 オーゲルは涙を流さんばかりに嘆く。


「かつて神童と謳われた娘が、今では見る影もない!」


 彼は振り返る。

 まだ五歳のアニラに天性の才覚を見出し、自らの弟子とした昔日の記憶を。


「あのころ確かにお前さんは天才じゃった。魔導学校では常にトップの成績を打ち出し、さらには稀有な識魔導の適正者ときた。わしはこの娘こそが未来の三つ星を担い、ヴィストニアを導く逸材だと信じて疑わんかった……!」

「え、ええ! 私は特別なんです……!」


 アニラは誇らしげに自分の胸に手を当てる。


「事実、それを裏付けるように弱冠十三歳で一つ星を授かった!」

「そーですとも、私はできる子なんです!」


 さらに胸を張るアニラ。


「じゃけどその才能も枯れ果ててしまった……ここにいるのはただのポンコツじゃああ」

「ポンコツ!?」


 青天の霹靂と言わんばかりにアニラは驚愕する。

 目に涙をためつつオーゲルは吼える。

 弟子のため、彼は心を鬼にする。


「それもこれも、お前さんの怠惰な生活が原因じゃ! 一つ星を得てから金持ち向けに夢見魔導具を売りさばき、小金を持て余して堕落の道を歩みおって!」


 魔導士は物体に魔導式を刻印することにより、それを特殊な力を持った魔導具へと作り変えることができる。

 アニラは、使えば好きな夢を見ることができる夢見魔導具なるものを製作・販売し、私腹を肥やしていたのだ。


「だって、みんな喜んでくれるし……」


 指を突き合わせながらアニラは弁明する。


「お金も稼げるし……?」

「かー! 俗に染まりおってからに! 同期のウーニー嬢を見習え!」


 ウーニー嬢こと、シア・ニア・フェル・ウーニー。

 彼女はアニラの同期であり、唯一無二の親友でもあった。


「かの才媛は、とうとう十五で二つ星を授かったという……今では、空間魔導探求室の副室長に就いてるそうではないか」

「そりゃシアちゃんはすごいに決まってますよ。頭も良くて、可愛くて、いい子なんですから!」

「お前さんの素質は彼女をも凌ぐんじゃぞ!」

「あう」


 師の偽りなき期待を正面から受け、アニラは言葉を詰まらせてしまう。

 素直に褒められたり頼られると、彼女は照れておとなしくなってしまう一面があった。

 オーゲルはさらにたたみかける。


「アニラならできる」

「う」

「お前さんは才能がある!」

「えへ」

「必ず大成できる!」

「う、うぅ~」

「アニラ、わしはな――」

「あーもう、わかりましたって!」


 まいったとばかりにアニラが声を上げる。


「おっしゃる通りに私頑張りますから、もう勘弁してください……!」


 やる気を出してくれた弟子に、オーゲルはほっと安堵のため息を吐く。


「わかってくれたか……ならば、空間魔導探求室を覗いてくるといい」

「空探室? シアちゃんのとこへ?」

「うむ。あそこは今面白い探求に取り組んでおる。そこで怠けた性根を見直すといい」


 アニラはめんどくさー、と言わんばかりに口をへの字に曲げる。

 彼女の本音としては今すぐ自室に帰って昼寝に勤しみたいところだ。

 だが自分の将来を案じてくれる師の想いを無下にするほど、アニラは朴念仁ではなかった。


「はーい」


 そうしてアニラは探求室へ向かうべく、オーゲルの執務室を後にした。


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