第30話 夜明けを求めた国


 ファルデンに対し複雑な思いを抱きつつも、歩み寄ることを選んだアニラとエステラ。

 二人はまず彼の国の成り立ちや歴史を知るべく、係員に解説を求めようとする。

 しかし運悪く近くにいる係員は他の客の相手をしており、話を聞くに聞けない状態にあった。


「うーん、私たちはファルデンの文字も読めないしなぁ」


 歴史展示エリアでは各所に解説文が載ったプレートが設置されているのだが、この国に来たばかりの彼女たちではそれも読めない。

 はてどうしたものか、とアニラがきょろきょろ見回していると、後ろから声をかけられる。


「誰かお探しですか?」

「お?」


 アニラが振り向くとそこには、紺色の制服に身を包んだ黒人男性がいた。

 五十歳は越えているだろう彼は腹の前で手を組み、丁寧な物腰で少女らに話しかける。


「お困りのようでしたら、力になりますよ」


 彼はそう言って、首に下げている館内職員証を掲げる。

 アニラは長身の彼を見上げながら、事情を説明する。


「えっと実はファルデンの歴史について学びたいんですけど、空いてる係員さんがいなくて」

「なるほど。ところでお二人は外国出身の方ですか?」


 黒人職員の質問に、アニラは今度こそ口を滑らさないよう緊張しながら答える。


「はっはい、そうですね! 外国辺りから、観光っぽい感じです!」


 アニラの一生懸命な返事をどう受け取ったのか、彼は親しみやすい微笑を浮かべる。


「言葉は達者なようですね。なら文字の方は?」

「それが文字は全然で……」

「ふむ」


 黒人職員は思案するように眉根を寄せ、周囲の係員に目を向ける。

 係員たちは各々接客に対応しており、手が空くのはまだ先になりそうだった。


「私は警備担当なのですが、いいでしょう」


 彼は自身の左胸に右手を当て、簡易式の礼を取る。


「異国の方に我が国を知ってもらう貴重な機会です。私に任せください」

「いいんですか?」

「もちろん。祖国の宣伝は市民の責務ですから」



 そうして黒人職員による歴史解説が始まった。


「まずお二人はファルデンという国について、どのような印象を持っていますか?」


 アニラは顎に手を当て、必要以上のことを口走らないよう慎重に答える。


「んーと、発展した文明を持ってて、技術力が高くって。おしゃれで食べ物がおいしい……帽子と歯車の国?」


 一方隣のエステラは率直な印象をぼそっと呟く。


「……冷血な国」


 率直すぎるコメントにアニラは冷や汗を垂らしつつ、通訳士の立場を利用して大幅に意訳する。


「あ、えー彼女は『とってもクールな国ですよね』と言っています、はい!」


 アニラのフォローが功を奏したか、黒人職員は素直に顔をほころばせる。


「異国の方に気に入ってもらえたなら、市民としても誇らしい限りです」


 そうですね、と彼は緩く諸手を広げて述べ始める。


「先進的な社会構築、発展した文化。現在のファルデンは繁栄を極めていますね」


 ですが、と続ける彼の顔には憂いの表情が浮かぶ。


「我が国の黎明期とそれ以前の頃を知ると、印象が変わるかもしれません。信じがたいでしょうが……ファルデンはかつて『奴隷国家』と呼ばれていたのです」


 黒人職員の口から明かされる、ファルデンの歴史。

 それは少女らの想像以上に過酷なものであった。



 ――かつて世界に、まだ黎明国ファルデンが存在しなかった頃。


 とある新大陸にて、一つの新興国家が建国された。

 国の名はファルデン共和国――黎明国ファルデンの前身となる国だ。


 某大国の承認と後援の下独立国として成立したファルデンだったが、しかしその代償は大きかった。

 独立国とは名ばかりで、その実態は実効支配者である大国の搾取が横行する、奴隷国家だったのだ。


 未開拓の自然が広がる新大陸を苦労して切り開いても、そこに建つ農場や工場、街は大国のものばかり。

 当時のファルデン人は難民など居場所のないものが大半で、圧制と重税に苦しみながらも耐えるしかなく。

 民を救うべき政府は大国の傀儡と化している始末。

 自由と尊厳を奪われたファルデン共和国は、希望なき暗夜に覆われていた――。



「――しかしある時、夜明けを求め立ち上がった人々が現れたのです」


 黒人職員は少女たちに語り聞かせながら、ボードに掲示されたある写真を指し示す。

 古ぼけた白黒写真に写っているのは、どこかのバーで整列する帽子を被った男女たちだった。


「彼らは黎明れいめい義勇団。真の独立のために戦った、ファルデンの英雄です」

「義勇団ってことは、この人たちは普通の市民なんですか?」

「その通り。共和国時代の政府は買収されていたので」


 真剣な様子で話を聞いていたエステラは、うつむきがちに独り言をもらす。


「民を守るべき国が義務を放棄し、国民を苦しめるなら……自分たちが戦うしかない、か……」


 彼女は内省するように目を伏せ、その整った睫毛を揺らす。

 自分ならどうするだろう、と自問しているのかもしれない。


「それで昔のファルデンは変わったんですか?」


 アニラの質問にしかし、黒人職員はゆるやかに首を振る。


「不当な支配に対し、義勇団は懸命に抵抗しました。彼らはデモ活動やストライキといった、暴力に頼らない方法で民の怒りを訴え、国を変えようとしたのです……しかし残酷にも、彼らの想いは踏みにじられることとなります」


 そうして、夜明けを求めた国の物語は佳境を迎える。



 市民の代弁者として立ち上がった黎明義勇団。

 彼らの活動と勇名は全国に広がっていき、国中で革命の機運が高まっていった。


 その勢いはもはや共和国政府も無視できないレベルに達し、とうとう政府と義勇団の直接交渉が実現する。

 これを聞いた国民は『民衆の勝利』『無血革命』と喜び、各地で快哉が叫ばれた。


 しかし彼らの期待は無残な形で裏切られることとなる。

 会談が実施される運命の日。政府は『身の安全を保障する』という約束を破り、武力を行使。

 集まった義勇団幹部らを拘束した後、見せしめとして銃殺処刑したのだ。


 政府の裏切りと義勇団の処刑に人々は絶望し、一つの真実を覚る。


 ――人に悪あり、世に善なし。

 ――悪意と不平等に満ちたこの世界で、信じるべきは一つだけ。

 ――すなわち、理不尽をねじ伏せる鉄の精神。


 そして彼らの失望と絶望は怒りと執念に転じ。

 国中に革命の檄文が出回り、人々は抗戦を謳い始める。


 ――闘争せよ。

 ――それが残酷な世界に抗う、たった一つの方法だ。

 ――これは世界でもっとも正しい戦いである!

 ――抗い、戦い、征服せよ!

 ――ファルデンの夜明けは、その果てにある……!


「――黎明義勇団の処刑後、市民たちの意志は砕けることなく、むしろさらなる隆盛をみせました。市民を導いた気高き義勇団の矜持は死ぬことなく、人々の心に継承されたのです」


 そこで黒人職員は自分の帽子を指さし「この帽子と共にね」と付け加える。

 その言葉でアニラはぴんときたらしく、「あ、もしかして!」と声を上げる。


「ファルデンの帽子文化の由来って、その義勇団さんにあるんですか?」

「ご名答。黎明義勇団は団体のシンボルとして帽子を採用していたんですよ。そのため我々にとっての帽子は、矜持の象徴なんです」


 経緯を知ったアニラは合点がいったというように繰り返し頷く。


「ははぁ、みんなして帽子星人なのはそういうわけだったのか~」

「帽子せいじん……?」


 アニラの独り言を耳にしたエステラは、不思議そうに首をかしげる。

 アリオンには「宇宙人」や「○○星人」という概念が存在しないのかもしれない。

 少女たちがそれぞれ納得と疑問を抱く中、再び職員が語りだす。


「そうして人々は革命軍を結成し、来るべき『夜明け』に備えました――」


 対話や抗議活動ではファルデン共和国の支配構造を変えられないと思い知った市民たち。

 彼らは最終手段として、武力による革命を決意する。


 しかし相手取るのは国家そのもの。

 警察や軍隊と渡り合うだけの武器が必要だった。

 そこで白羽の矢が立ったのが、錬金術師であった。


 当時ファルデンには、各地で迫害を受けていた錬金術師たちが集まっていた。

 彼らもまた苦境を味わってきた身であるため、解放を望むファルデン人と同調し、共闘関係を結んだ。


 錬金術師たちは地下に秘密工場を作り、そこで武器の研究開発に着手した。

 生命原理の解明という難題に比べれば、錬金術師にとって武器の研究などは造作もない。


 彼らは培ってきた知識と技術を活用して、ついに画期的な発明をする。

 黒色火薬に代わる発火装置、雷管を採用した次世代銃器――雷管式小銃である。


 雷管とは火薬と薬品を内包した金属部品のことで、湿気に弱い黒色火薬より不発リスクがはるかに低く済む。

 雷管式小銃は信頼性が高いだけでなく生産性にも優れており、その時代普及していた燧発式すいはつしき小銃を改造すればそのまま銃器として流用できた。


 次世代銃器という強力な武器を手にした市民ら革命軍は、各地で一斉に蜂起。

 悪政を敷く政府を討つべく各重要施設を襲撃した。


 当然のように警察や軍隊が鎮圧に動いたが、しかし革命軍は用意周到であった。

 敵の武装が燧発式すいはつしき小銃であることを見越して、作戦決行日を雨季に設定したのだ。


 降りしきる雨、大気に満ちる湿気によって敵の黒色火薬は湿気り、不発が相次いだ。

 一方革命軍の雷管式小銃は影響を最小限に抑え、終始優勢に立ち回った。


 街に響く発砲音、道路を染める流血とそれを洗い流す革命の雨。

 戦闘は七日七晩続き、とうとう雨が止む。

 大地に光の柱が射し、世界から銃声が止んだ時、最後に立っていたのは革命軍であった。

 


「――ここに革命はなされました。腐敗した政府を駆逐した市民らは国を取り戻し、自由という夜明けを迎えたのです……!」

「おおー」


 波乱万丈な革命譚に感心したアニラは、小さく拍手を送る。

 隣で話を聞いているエステラもまた、興味深げに聞き入っていた。

 聞き手の反応に気をよくしたのか、黒人職員の解説に熱が入っていく。


「革命後、黎明国として再出発したファルデンは『富国強兵』を国是とし、軍事国家としての道を歩むこととなります。錬金工学とその産物である軍艦や戦車といった次世代兵器を武器に周辺諸国を屈服させ、ついに覇権国家へと上り詰めたのです!」


 黒人職員が揚々と語ってみせたファルデンの歴史。

 それは奴隷国家とまで呼ばれた弱小国が革命を起こし、最後には覇権国家に成り上がるという輝かしき大成物語サクセスストーリーであった。


 しかしエステラにはどうしても気がかりな点が一つあった。

 戦場でファルデンと相対した彼女は、華々しい歴史の背後から漂う血の匂いを無視できない。


「『周辺諸国を屈服させた』……? それはもしかして、ファルデンの方から攻め込んだのですか?」


 少女の質問に一瞬ためらう素振りを見せたのち、黒人職員は頷く。


「……ご指摘の通りです。武力を手にした黎明国は次々に宣戦布告し、そして実効支配していったのです」

「支配を否定して抗ったファルデンが、今度は他の国を支配して回ったのですか? なぜそんな暴挙を……?」

「予防的征服、と呼んだそうです」


 黒人職員の口から出た言葉の意味が咄嗟に理解できず、エステラは聞き返す。


「予防的征服?」

「かつて軍国主義の最盛期に説かれた国防論です。あらかじめ近隣の主要国を征服して国力増強と軍事宣伝を為すことで、対外的抑止力が実現されると……当時は信じられていたそうです」


 アニラの通訳を通じて意味を理解すると、エステラは唖然とする。


「……あまりに独善的な考えだ、許されるはずがない」

「仰りたいことはよくわかります。初期から中期にかけての黎明国は、少なくない犠牲を他国に強いてきました……それは我々が生涯背負うべき業であります」


 しかし、と続ける彼の顔は真面目そのものだ。


「ファルデンが諸外国と渡り合うには、武力の誇示が必要不可欠だったのです。対話が対等以上の関係でのみ成立することは、黎明義勇団の最期が示した通りです」

「その結果、多くの人々が倒れることになっても……?」

「それでもです。国と民を守るための戦いは肯定する。それがファルデンの選択です」


 皮肉な話だ、とエステラは内心で呟く。


 黎明義勇団の処刑をきっかけとして革命が起き、独立を果たした黎明国ファルデン。

 だが革命後ファルデンに蔓延したのは、他国の侵略さえ辞さない軍国主義だったのだ。

 平和的革命を目指した義勇団の台頭が、結果的に真逆の思想を招くことになったのは、因果な話であった。


 これまで少女の内で不気味に揺らぐだけだった、黎明国ファルデンという一つの世界鏡像

 それが今、一つの像として結ばれる。


「平和のための闘争。自由のための支配――それが神なき世界ファルデンの理なのですね」


 その言葉を黒人職員は肯定も否定もせず、黙して受け止める。

 そして穏やかな声音で、こう言うのだった。


「事実として、ファルデンは血で血を洗う百年を歩んできました。しかしこれだけは信じてください。……我が国には一人だって、心から戦争を望む者はいないのですよ」




――――――――――――――――――――――――――――


作者より


大変お待たせしました、第三十話です……!


この二か月間、この物語とどう向き合うべきか、思い悩んでおりました。

作者なりに一定の答えは見いだせたのですが、それでもまだ迷い続けています。

更新頻度は遅めになるかもしれませんが、それでも一歩ずつ前に進めたらと、そう思っております……!


次回更新は一、二週間後を予定しております。

またお会いできれば幸いです、では!


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