第26話 喫茶店で、心を写して


 アニラにとって二度目となるファルデンの街並みは、以前とも趣が異なる景色を披露していた。


 人払いがされていないため歩道には市民が闊歩し、道路にはバスなどの自動車が走っている。

 人々はコートやジャケット、ベストなど瀟洒な衣装に身を包み、カフェテラスで新聞を読んだり、身内で語らったりしている。

 街に流れるのはラジオ番組の音声や、オペラ音楽。それから路上演奏者によるアコーディオンの音色。

 ファルデンが築き上げた文化都市、その本来の姿がそこにはあった。


「おー、人がいっぱいだねー」


 歩道を進むアニラは、きょろきょろと周囲を見渡す。

 この日はファルデンでの休日に当たるため、老若男女問わず多くの市民が街に出かけていた。

 街道賑わす人々を見て、エステラが訝しげにぼやく。


「なぜみんなして帽子を被っているんだ?」


 彼女の言う通り、ファルデンの市民はみなタイプやデザインこそ違えど、一様に帽子を着用していた。

 天井が都市基盤で覆われた階層都市なのに全員が帽子を被っているというのは、異文化圏の人間からは奇妙に映るのだろう。

 頭の上のハンチング帽をいじりながら、アニラが応える。


「私もよく知らないけど、ファルデンは帽子の国なんだって」

「へぇ」


 二人がそんな会話をしていると、どこからか甘く香ばしい匂いが漂ってくる。

 パンや焼き菓子特有の砂糖が焼ける香りに、アニラはたまらず発生源を探し出す。


「この匂い……ぜったいおいしいものに決まってる!」

「たしかに、いい匂いではあるね」


 台詞こそ消極的だが、エステラもまだ見ぬ甘味に興味があるらしく、さりげなくあたりを窺う。

 匂いにつられるように通りを進んでいくと、やがて二人は一軒の店舗に辿り着く。

 店の前に立てられた小看板にはティーカップのイラストが描かれていることから、そこは喫茶店のようだ。


 扉をあければ小気味のいいベルの音が響き、異邦人である二人を店内へ迎え入れる。

 内装は木製のインテリアで統一されており、店内を橙色の電灯が温かく照らす。

 店内に流れる落ち着いた音楽は耳心地よく、ただようコーヒーの香りが客の心をなごませる。

 アニラとエステラが訪れた喫茶店は、そんな小洒落た雰囲気の店だった。


 二人は小さなテーブル席に座り、読めないメニュー表は隅に置いたままウェイトレスを呼ぶ。

 アニラは無難に「このお店で人気のもの、お願いします!」と注文し、エステラもまた同じものを頼む。

 注文の品を待っている間、アニラはうきうきとした様子で店内を眺める。


「素敵なお店だね~」


 エステラも「落ち着いた場所は、僕も嫌いじゃない」と言って、テーブル傍に設けられた帽子掛けに帽子を置く。


「お客さんも、私たちと同じくらいの女の子が多いね」


 他の客席を見れば、私服や学生服に身を包んだ女子が多く見受けられる。

 彼女たちは友人と談笑したり静かに読書するなどして満喫しているようだった。


 アニラがなんの気なしに少女たちを見ていると、カウンター席に座る2人組の女生徒と目が合う。

 ひそかにアニラたちを窺い見ていたらしい女生徒らは、視線が合ったことに気づくと慌てて顔をそらし、なにやらひそひそと囁き合う。


「んー?」


 対話魔導式の効果範囲を広げれば女生徒たちの会話も読み取れるが、それは盗み聞きになってしまうか……などとアニラが考えていると、注文の品が運ばれてくる。

 ウェイトレスによって配膳されたのは、香り深いコーヒーと、色とりどりのベリーが眩しいタルトだった。

 焼きたてのタルト生地からただよう甘くかぐわしい匂いが、アニラの鼻腔をくすぐる。


「わ、おいしそう!」


 エステラも思わずといったふうに、目の前のご馳走に喉を鳴らす。


「ファルデンの民は、こんな豪華なものを食べてるのか……」

「エステラさん、もしかしてタルトは初めて?」

「ああ、アリオンでは土地も食料も限られているからね。甘味は貴重なんだ」

「そっかそっか~」


 そう言うアニラは実に嬉しげだ。


(異文化同士が出会えば、今まで食べられなかったもの、知らなかったものとも巡り合えるよね)

(そうやってみんなで分かち合って、世界中を素敵なものでいっぱいにできたらいいなぁ)


 世界への夢と希望を膨らませながら、アニラは破顔する。

 タルトを食べる前からやたらと楽し気なアニラに、エステラは首をかしげる。


「どうしたんだい、そんなにニヤニヤして」

「うんとね、これから先が楽しみだなぁって思って」


 誕生日を待ち望む子供のように無邪気なアニラを見て、エステラもほのかに笑む。


「そう」

「うん!」


 そうして穏やかで暖かな喫茶店の中、少女たちはなごやかに時を過ごしたのだった。



「はぁ、おいしかったぁ」


 コーヒーとタルトを堪能したアニラとエステラは、事前に支給されていたファルデン通貨で会計を済ませて、店外に出る。

 ベリーの酸味と甘味、そしてタルト生地のサクサクフカフカ食感は当分忘れられそうにない。


 時刻は正午過ぎ、まだまだ時間の余裕はある。

 二人が次はどこへ行こうかと話していると、「あ、あのっ」と声をかけられる。

 声の主は、アニラたちを追うようにして店を出てきた二人組の女生徒だった。

 どこかの学園の制服に身を包む、黒髪の少女と茶髪の少女だ。


(あ、この子たちはさっきの)


 彼女たちは先刻喫茶店内でアニラたちを窺い見ていた二人組だと、アニラは気が付く。


「はい、どうしましたー?」


 アニラに尋ねられると、緊張気味の女生徒たちはおずおずと喋りだす。


「えっと、無礼を承知でお尋ねしたいことがありまして……!」

「もしかして、なのですが……あなた方ってファルデンの出身ではありません、よね?」


 アニラの心臓がドキリ、と跳ねる。

 だがアニラは咄嗟に嘘を吐けない性格で、思わずうなずいてしまう。


「そ、そうですね!?」

「ああ、やっぱりでしたの!」


 すると女生徒たちは顔を合わせて頷き合い、意を決してこうささやいた。


「ではあなた方はひょっとして、今噂になっている!」

「異世界人さん、だったりするのでしょうか?」

「わ、わぁ……」


(ばれたー!)


 早くも異世界人であることを見抜かれてしまったアニラとエステラ。

 無用なトラブルを避けるためにファルデン風の恰好をしていたのだが、こうなってしまっては仕方がない。


「えーっとですね、なんというか、ですね~……」


 状況打開する一手を講じるべく、頭をひねるアニラ。

 そんな彼女の様子はもはや言葉以上に雄弁であり、賢明な女生徒が「お答えできないのなら、それで構いませんの」と気を利かせる始末であった。


(あれ? 実は私って交渉向いてないんじゃ?)


 アニラは異世界外交官としての自信を失いかけた。

 二人の身の上や事情を察したらしい茶髪の女生徒は、ちらちらとエステラを窺いながら、こう切り出した。


「実は、先ほどお見掛けした時から……とても綺麗なお方だなって、思いまして」


 まるで告白みたいだなぁ、と思いながらアニラは通訳する。


「どうか、あなた様のお名前をお聞かせ下さい……!」


 状況が飲み込めないエステラは、茶髪少女の熱意に気圧されるように答える。


「えっと、僕の名前はエステラだけど」

「エステラ様……なんて美しい響きでしょうか」


 女生徒は頬をほんのり染め、うっとりとしだす。

 彼女のもはや憧れの範疇に留まらない心酔っぷりを見ていると、アニラまでドキドキし始めてしまう。


(え、まさかほんとに一目ぼれなの?)

(でも女の子同士……だよ?)


 アニラの暮らすヴィストニアにおいて、同性愛は必ずしもメジャーではなかった。

 しかし、異世界でもそうとは限らないのだった。

 なにやら桃色めいてきた空間にエステラも戸惑い始める。


「一応言っておくと、僕は女だからね? 男じゃないからね?」

「はい、存じております!」

「わお」


 アニラはくらっとしてしまいそうだった。

 茶髪少女はもじもじしながら、懸命に言葉を紡ぐ。


「それで、エステラ様」


 通訳する立場上、自分もまた少女の言葉を口にするため、アニラの緊張もまた高まっていく。


「どうか私と……!」


(まさか私、これから愛の告白を通訳することになるの……!?)

(それも女の子から、女の子への……!)


 そして茶髪少女はエステラへ告げる。

 ありったけの勇気を振り絞った、純粋な想いの言葉を。


「――ツーショット写真、撮って下さいませ……!」

「え?」

「ん?」


 およそ二名に盛大な勘違いをさせた女生徒は、どこか恥ずかし気に、ポラロイドカメラを掲げていた。


 結局、めくるめく愛の告白はアニラたちの杞憂でしかなかった。

 波乱万丈な恋愛ドラマが展開されることもなく、あの後少女たちは写真撮影に興じていた。


「――クレア寄りすぎー、少し離れて。はい撮るよー」


 黒髪の女生徒の手によってカメラのシャッターが切られ、ポラロイドカメラから写真が吐き出される。

 そこには喫茶店を背景にエステラと茶髪少女、クレアのツーショットが写り出されていた。

 二人分の写真を撮影すると、クレアはそのうち一枚をエステラに渡し、こう言った。


「どうか、私の事を心の片隅にでも留めてくださいませ」


 そうして女生徒たちは慎まし気に別れを告げ、ファルデンの街へ去っていった。


 残されたアニラたちはわずかの間、立ち尽くす。

 まるで妖精に翻弄された気分であった。

 手元の写真を眺めるエステラを見ながら、アニラが呟く。


「こういう、新しい世界もあるんだなぁ」

「彼女は別に、そういうのじゃない……と思うけど」


 写真を慎重にジャケットのポケットに収める少女に、アニラは「えー?」と声を上げる。


「でもあの子、別れ際に――」

「僕の外見が物珍しかったってだけさ、だからもうこの話題は終わり。いいね?」


 そういうエステラの表情が若干照れているのを見て、アニラは食い下がる。


「でもでも、エステラさんもドキドキしたんでしょ?」

「もう、先行くからね!」


 そして二人はあれこれ話しながら、歩を進める。

 彼女たちの散策は、まだ始まったばかりだ。



――――――――――――――――――


作者からのお知らせです。


この後に展開する、第一章クライマックスに向けて物語のブラッシュアップを図るべく、一週間ほどの準備期間を設けたく思います。

その間は小説の更新が滞ってしまいます……読んでくださっている皆さま、申し訳ありません。

でもエタることはまずないので、その点はご安心ください!

では、次回第二十七話『監視者』でお会いしましょう!

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