第5話 天空の大地


 対策会議を終え、異世界に夜明けが訪れた。

 元の世界と同じく太陽は東から昇り、空を青く染めていく。


 ヴィストニアの混乱はまだ完全には収束していないが、魔導士たちは行動を開始した。

 国内および国外の調査。

 そして未知の脅威に対する警戒任務。

 星なし・星持ちの区別なく魔導士が忙しく務めを果たす一方で、唯一「自宅謹慎」を言い渡された少女がいた。


 そう、アニラである。


「なんで? なんで私だけ謹慎なのー!?」


 自室のベッドに転がる少女は手足を振り回し、だだをこねる子供のように暴れていた。

 対策会議にて調査班や警戒班が編成されたのだが、アニラだけはどこにも組み込まれず、挙句の果てに「お留守番」を言い渡されたのだった。

 未知なる異世界を目前に探求心を昂らせていたアニラは、この決定に大きな不満を抱いていた。


「今頃みんな、すごい発見をしてるかもしれないのに……師匠のばかー!」


 アニラは八つ当たりで枕を天井へ投げつける……が、


「ぐふっ!」


 天井にあたり跳ね返ってきた枕が彼女の顔面に直撃してしまう。

そんな落ち着きのない飼い主を見かねたのか、対話魔導式を通じてぬーちゃんが小言を吐く。


『おねーちゃ、うーさい……』

「ごめーん……」


 顔に枕を乗せたままアニラは返事し、同時に思考を巡らせる。


(なんで私だけ留守番なの?)

(識魔導を使えるのが私だけだから?)

(「お前が必要になるときがくる」とか言ってたけど、でもこんなの耐えられない……!)

(私は識魔導士である前に、世界真理の探求者で、一人の人間!)


「異世界を前に、待ってるだけなんてできない……!」


 がばっ、と起き上がるアニラ。

 自分の心に素直であるべく、少女は一人でも調査に向かおうと決心する。

 そんな彼女の耳に窓の外、街の方から人々のざわめきが耳に入る。


「なにか起きたのかな?」


 アニラは窓を開き、外の様子をうかがう。

 窓の外広がるのは街を流れる河川を挟んで並ぶ、丸みを帯びた色とりどりの住宅街。

 一見なにも変化はないが、住民たちが空を見上げ、指さしている姿が目に入る。


「上……?」


 つられて上空を仰ぎ見るアニラ。

 その目に飛び込んできたのは、魔導士でも信じられない光景だった。


「なに、あれ……」


 それは、空にあった。


 はるか上空浮遊する、謎の物体。

 島であった。

 大地をむき出しにして大空を飛行する正体不明の島が、ヴィストニアの上空を横断していた。


「島……? 島が空を飛んでるの?」


 魔導連合ヴィストニアにおいてさえ非常識な、天空の島。

 それはここが異世界であり、既存の常識が通用しないことを雄弁に物語っていた。


「おとぎ話が、現実になる世界……」


 これが異世界だと、アニラは理解した。

 異世界の風が彼女に吹く。

 青紫の虹彩が、うるみを帯びる。

 アニラの頬が感動と興奮に紅潮する。


 胸にしまい続けてきた、遠い世界への片想い。

 彼女の初恋がうずきだす。


「――待ってて、世界。今会いに行くから」

 

 アニラの心を妨げるものは、もはやなにもなかった。




 天空の島を目にして決意を固めたアニラの行動は早かった。

 異世界調査に旅立つべく食料品や着替え、各種魔導具をバッグに詰め込む。


 知人への連絡も忘れない。

 双子の書でシアに旅に出ることを伝え、母親にはぬーちゃんのお世話も頼む。

 今オーゲルに連絡すると止められてしまうから、師への連絡は後回しだ。


 旅支度を済ませたアニラはうさぎの頭を撫で、別れの挨拶をする。


「それじゃぬーちゃん、行ってくるね」

『ぬっぬー』


 ぬーちゃんはその手に応えるように、自らの額を擦り付ける。


「ママが面倒見てくれるから、元気でね」


 ありったけの魔導具を大きなバッグに詰め込んだアニラはドアを開ける。

 どこかへ旅立とうとする飼い主をぬーちゃんは見つめ、去り際にこう伝える。


『かえってきてー』

「うん、ぜったい」


 そうして、少女は部屋を去っていった。



 魔導士用の貸倉庫前。

 アニラは調査に旅立つ最終準備をしていた。

 倉庫にしまっていた念動小舟に諸々の荷物を載せたあと、刻印された魔導式を起動させる。

 念動魔導式の働きにより小舟は持ち上げられ、宙に浮く。


「食料よし、着替えよし、天幕よし……もろもろよし!」


 小舟の中、物資の確認を終えるとアニラは高度を上げていき、出発の号令を下す。


「それじゃ、異世界へしゅっぱーつ!」


 使用者の命令を受け、小舟は飛翔する。

 日が昇ったばかりの、ひんやりとした空気が肌を撫でる。

 眼下には異世界の太陽を受けて、日向と日蔭にくっきり塗り分けられた街並み。

 上空には、あの空を行く謎の島がそびえている。


「もっともっと上がれー!」


 天空の浮遊島を目指してアニラは小舟を最高高度まで上昇させる。

 だが十二階分の高さで小舟の限界高度に達してしまい、それ以上上がれなくなってしまう。

 まだ浮遊島まではかなりの距離があり、遠めに見ても高度が足りないのは明らかだった。


「届かないかー……するとあれはどれだけの高高度を飛んでるの?」


 アニラは目算で浮遊島の位置を測ろうとする。


(まさか成層圏まで届いてる? だとしたらあれは島じゃなくて……)


「大陸なの……?」


 成層圏に位置し、なおかつ「島」と認識できる程度の面積を持つ。

 ならばそれは島などではなく、大陸規模の大きさを持つことになる。


 浮遊島ではなく――「浮遊大陸」。


 その仮説に至り、あらためてアニラは異世界の途方もなさに打ちのめされる。


「いったいどうやって……重力魔導? 未知の技術?」


 最新の魔導技術でも手が届かない高みにある、異世界の大陸。

 それを下から見上げることしかできない現状が、アニラは口惜しい。


「むー、でもどうしようもないしなぁ」


 アニラの周囲には、彼女と同じく浮遊大陸を目指して空を昇ろうとするものや、観測魔導具で観察するものが見受けられた。

 だが天空の大陸に至るほどの英傑はいないようだった。


「歯がゆいけど、仕方ない――他をあたろう!」


 アニラは潔く切り替える。

 調査する手段がない以上、今はこだわるだけ時間の無駄と判断する。

 アニラは夢見る少年のような笑みを浮かべる。


「異世界はきっと広い、他にも不思議なものがあるはず!」


 そう意気込んで少女は西へ舟を飛ばす。

 この先の新世界を目指して。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る