第8話 邂逅、黎明国ファルデン


 アトール魔導学校の生徒たちは、生涯その光景を忘れないだろう。

 急遽休校となり、追い出されるように下校するその道すがら、少年少女たちは空飛ぶ「クジラ船」を見た。


 空から校庭へ降り立とうとする、白く膨らんだ飛行船。

 それを誘導する、小舟に乗った赤毛の少女。


 市井に流れ始めた「異世界にいる」という噂を裏付けるようなその景色を、夢中で写し取る少女がいた。

 葵色の髪に、薄いピンク色の目をした少女――レノン・マークルだ。

 絵画を趣味とするレノンは半ば無意識に画材を広げ、魔導学校を見下ろせる坂道にて描画していく。


『クジラ船と赤毛の少女』と名付けられるその絵が、後に有名な歴史資料となることも知らないまま。

 筆を操るレノンは想い馳せる。


 ――今、世界になにが起こってるんだろう……?


 この時の少女はまだ知らない。

 これから巻き起こる世界を巡る物語――自分がそれに加わることを。



「――こんな感じでいいのかな?」


 アニラは飛行船から垂らされたロープを手に取り、それをアトール魔導学校の校章を掲げるポールに結んでいく。

 ファルデン人いわく飛行船は常に浮遊しているため、着陸するにはどこかに係留する必要があるのだという。

 ロープを結び終えたアニラは飛行船に指示を仰ぐ。


「次はどうすればいいですかー?」

『では、そのロープを引っ張って飛行船を下ろしてほしい』

「はーい、じゃあみなさん手伝ってくださーい!」


 そうしてアニラが呼びかけたのは、今回の会談にヴィストニア代表として参加する人々だ。

 彼女の師匠であるオーゲルとその他中央議員たちは校庭のわきに控えていたのだが、アニラの指示を受けておずおずとロープに近寄っていく。

 さしもの彼らもあまりの急展開ぶりに追いついていないようだが、無理もない。

 というのもアニラがファルデンとの会談を二つ返事で了承してしまったせいで、オーゲルら代表メンバーは事態を把握しきれないまま会談の場を設ける羽目になったのだ。


 飛行船の着陸には広い平地が必要であるため、アトール内でその条件を満たす魔導学校を休校させ、そのまま学校内で会談を執り行う手筈となっていた。

 会談メンバーの一人であるニコールがアニラに話しかける。


「この紐を引っ張ればいいのですね!?」

「そうでーす! あっ師匠は無理しなくていいですよー!」


 師の老体を労り、アニラは忠告する。

 だがオーゲルは無用とばかりに率先してロープを握る。


「ふん! 人生八十過ぎてからが本番……この程度屁でもないわい!」

「さっすが師匠ー!」

「アニラや、あとで説教じゃからな! ――さぁ皆の衆、わしに続くんじゃ!」


 オーゲルを先頭に、他の会談メンバーもロープを引いていく。

 それに従って飛行船は徐々に高度を落とす。

 やがて下部から露出した車輪を地面に接地させて着陸する。

 飛行船の下部、大きな鉄のカゴのように見える部位の扉が開き、乗員が姿を現す。


 同じ意匠の黒い服――おそらくは軍服――に身を包んだ三名の男性と、二名の女性だ。

 彼らが着ているコートは生地または仕立てがいいのか、光を飲み込むような漆黒に染まっている。

 軍服の造形はヴィストニアの衣服に例えるなら燕尾服に近いが、それよりも硬派で洗練されており、襟や袖のエッジには深緑のラインが走っているのが特徴的だ。


 そしてファルデン人は一様に、正面に紋章が施された軍帽を被っており、その風貌は確固たる知性と矜持を漂わせるのだった。


(なんか、かっこいいかも……)


 初めてまみえるファルデン人の装いにアニラが感銘を受ける傍で、代表メンバーたちは安堵から溜め息をこぼす。


 彼らの心中は一言――「相手が人間でよかった」――これに尽きる。


 異世界に住まう生物である以上、どんな異形の種族が現れてもおかしくないと、代表メンバーたちは身構えていたのだ。

 服装こそ違えど、見る限りでは同じ霊長類らしいと判明しただけでもヴィストニアにとって大きな収穫であった。


 飛行船から校庭へ降り立ったファルデン人たちは、指揮官らしき一人の男性を先頭にしてアニラたちに歩み寄り、残り二歩という距離で足を止める。


「総員、敬礼!」


 先頭に立つ、堀の深い顔をした四十代ほどの男性が声を上げる。

彼の声に従って、ファルデン人たちは厳かな所作で頭の軍帽を手に取り、それを自身の左胸に当てる。

 ヴィストニア人には見慣れぬこの所作こそ、ファルデン式の敬礼であった。


「魔導連合ヴィストニアの皆様方、会談の実現ならびに場所の提供、感謝いたします。貴国の好意と英断にファルデンは最大の敬意を表します」


(あ、この声)


 アニラはその声に聞き覚えがあった。

 そう、口火を切ったその男性こそ、上空でアニラと会話した人物だったのだ。


「私は黎明れいめい国ファルデン空軍所属のディーン・ウォルター大佐であります。こたびの会談にて交渉の任を拝命しております」


 ファルデンの礼に応えるべく、今度はヴィストニア陣営が口上を述べる番だ。

 だが、前に出る者も口を開く者もいない。

 その原因はただ一つ――。


「……アニラ、アニラや」

「はい?」


 オーゲルが小声でアニラに耳打ちする。

 そして根本的な問いかけをする。


「ファルデンの御仁は……なんとおっしゃっているのだ?」


 その通り、言葉が通じていないのである。


 識魔導による翻訳を可能とするアニラだけが例外なのであって、初接触となる両国はコミュニケーションにおいて致命的な欠陥を抱えている状況なのだ。

 言語圏の異なる国同士が対話を成立させるには、必然的に誰かが通訳する必要が出てくる。


 そして今それが行えるのは、アニラだけであった。


「あそっか、私しか分からないのか!」

「その通りじゃ。だから、会談中は通訳をしてくれんか?」


 魔導連合ヴィストニアと黎明国ファルデン。

 両国の関係はひとえに、アニラの双肩にかかっているのが現状であった。

 アニラは、ふっふー、と意気込む。


「任せてください! 私が異世界との橋渡しをしましょう!」


 そうしてようやく両国家間の対話が成立する。


 ヴィストニアの代表としてオーゲルが前に進み出る。

 彼もまた相手に敬意を示すべく、杖を模した人差し指を頭・口・胸に触れさせるというヴィストニア式の作法をとる。


「返事が遅れたこと、謝罪する。そして魔導連合ヴィストニアへようこそ、ファルデンの方々。わしは三つ星魔導士のオーゲル・オグ・デア・ケル・カインツフォードじゃ。中央議会の特別顧問でもある」


 アニラの通訳を受け、それまで敬礼の姿勢を維持していたウォルターは軍帽を被り直し、返答する。


「どうかお気になさらず。このような状況ですから、必要上の不備や支障はお互い見逃しましょう」

「話の分かる相手で助かる」

「言語は通じませんがね」

「ふふ」


 ウォルターのジョークに、アニラはつい微笑んでしまう。


「うむ? ウォルター氏はなんとおっしゃったのじゃ?」

「えっと……」


 通訳しようとするアニラを、しかしかぶりを振ってウォルターが止める。


「いえそれには及びません、ただのつまらない戯言ジョークです――話を戻しましょう」


 アニラに一瞬見せた優しい父親然とした表情から一転、ウォルターの瞳には鉄を思わせる、怜悧な輝きがともる。


「ファルデンはこの会談にてヴィストニアとの友好関係の構築、および情報の交換を望みます」

「うむ、我々としてもそれは望むところじゃ。なにぶんこの異世界では新参者であるからな」


 アニラを介して伝えられたオーゲルの発言にウォルターは反応する。

 彼は青い目を細め、オーゲルに尋ねる。


「やはり、貴国とその領土は別の場所から移ってきたのですか?」


 それはどこか確信めいた言い方だった。


「そのように推測しているが……なにかご存知かね?」

「ええ、十全とは言えませんが、我々からも情報を提供できそうです――『この世界』について」


 魔導連合ヴィストニアと黎明国ファルデン。


 ここに、異世界の文明が交差しようとしていた。


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