第7話 遭遇、異世界文明
「なにかがこっちきてるらしい!」
「白いやつが飛んでるってよ! クジラみたいだって!」
野次馬に走る通行人たちからそんな声が聞こえてくる。
路肩に止めていた小舟に乗り込んだアニラは直ちに魔導式を起動させ、上昇していく。
「今度は空飛ぶクジラ? そういう生き物?」
異世界の片鱗がまた一つ現れたらしい。
それも今まさに、手が届く場所にある。
「とにかく、この目で見たい……!」
探求の徒として、魔導士として。
なにより夢見る一人の少女として、アニラは飛び立つ。
小舟で上昇したのち、一定の高度を維持して四方を見渡す。
そして西方、少女よりもいくらか高い位置に飛ぶ物体を発見する。
「ほんとだ、白い……けどクジラではない、よね?」
より詳しく観察するべく、さらに高度を上げる。
接近するにつれ、その全貌が明らかになる。
たしかに、それは傍から見るとクジラに似ていた。
大部分が白色で、それが細長く膨らんでいる。
後部には魚のヒレのような平たい突起が四枚、上下左右についている。
そして下部、クジラの腹にあたる部分には金属のカゴのような物体が据え付けられていた。
「人工物? なんか、小説に出てくる宇宙船みたい……」
物体の姿を見て、アニラは自分がかつて読んだ空想小説を連想する。
「もしこれが人工物なら、それは異世界文明の産物ということ。つまり――異世界人との初遭遇!」
自分は今、歴史に残る決定的瞬間に立ち会っているのかもしれない。
その興奮に、アニラはやった、やったと上空にいるのも忘れて小躍りする。
そんな浮かれた少女の耳が、とある「声」を捉える。
わずかにひび割れた、男性のものと思しき低い声。
それはどうやら、クジラ船から発せられているらしい。
『~~~、~~~~。~~~~~~?』
だが言語が違うのか、アニラではその内容が読み取れない。
「あそっか、異世界人なら言葉も違うよね。なにか喋ってるみたいだけど……」
コミュニケーションをとりたいが、互いの言語が噛み合わない。
そんな状況に心当たりがあるのを彼女は思い出す。
「もしかして」
アニラはバッグからある魔導具を取り出す。
それはネックレスの形をした音魔導具だ。
刻印された魔導式により、着用者の声を増大させる効果を持つ。
アニラはこれを首にかけ、さらに懐から取り出した杖を振ってある魔導式を発動させる。
彼女が使った魔導式――それは対話魔導式。
知生体の表層意識を読み取りそれを自身の言語に変換するこの魔導式は、いわば通訳の代わりにできるのではないか?
アニラはそう考えたのだ。
そしてここに、人類史上初となる異世界外交が交わされる。
「もしもーし! クジラ船の人、通じていますかー?」
対話魔導式の効果範囲をクジラ船まで広げて、彼女は呼びかける。
「私の言葉が届いているなら、返事くださーい!」
そうだなぁ、と一拍間をおいてアニラは言葉を続ける。
「たとえば、犬と猫ならどっちが好きですかー?」
(あ、でも異世界には犬や猫がいない可能性も?)
彼女が顎に手を当ててそんなことを考えていると、やや間を置いてクジラ船から返事が返ってくる。
応答したのは渋く通りのいい、男性の理知的な声だった。
『……言葉が通じたことに驚いたため返事が遅れたこと、謝罪する。先の質問についてだが、私個人は犬派だ。……そちらはどうか?』
識魔導のアニラによって果たされた、言葉の通じない異世界文明との対話。
アトール上空のこの出会いこそが、後の世界の趨勢を左右する歴史的邂逅であった。
「おお!」
異世界人との会話が成立したことにアニラは興奮と達成感を噛みしめる。
「どっちかというと猫? でも最近はうさぎさんも大好きでーす!」
三拍ほどしてから、クジラ船が話しかける。
『尋ねたいことはお互いにあるだろうが、まず確認したいことがある。当飛行船は貴国の領空を侵犯しているだろうか? そうであるならば直ちに引き返す。なお、こちらに攻撃の意志はなく、平和的に事態を解決したいと考える。……そちらの意見を聞きたい』
「ひこーせん? このクジラ船のこと?」
ヴィストニアの言語に存在しない単語は元の言語のまま読み取られるらしい、とアニラは学ぶ。
「あのー難しいことは分かんないんですけど、とりあえず領空を侵犯とか? 攻撃とか? そういうのは大丈夫だと思いまーす!」
『ならば当方の身元を明かす。当飛行船は
「ファルデン? それが異世界の国の名前?」
少なくとも、そんな名前の国は元の世界には存在しなかった。
このようなクジラ船あらため飛行船とやらを作り出すファルデンとは、いったいどんな場所なのか――アニラの好奇心が刺激される。
『可能ならばそちらの身元と、所属する国家について知りたい』
誰何の声に、アニラは応える。
「えっと、私の名前はアニラ・リア・フルルータといいます! 魔導連合ヴィストニアの一つ星魔導士です!」
『
「あっはい、それで構いませんよ!」
今のやりとりで得た情報から、アニラは思案する。
(自分は知ってても相手の知らない単語はカタコトとして聞こえるんだ)
カタコト交じりの返答から、また一つアニラは学ぶ。
(ということは、ファルデンって国には魔導の概念が存在しない……?)
魔導技術が存在しない国。
未知の技術体系を発展させた国。
そんなものは今まで、フィクションの中にしか存在しなかった。
『ミス・フルルータ、一つお尋ねしたい。あなたが乗っているそれは小舟か?』
「ええ、空飛ぶ小舟っていう魔導具です!」
『
「念動魔導式です! 刻印された魔導式の力で浮遊してます!」
アニラの回答を受け、ファルデンの飛行船はしばし沈黙する。
対話魔導式は表層意識のもっとも浅い領域、それも意思表示に関する思念しか読み取らないため、心を読むような芸当はできない。
ゆえにこれはアニラの直感でしかないが、彼女は飛行船の沈黙から「困惑」のようなものを感じていた。
大人しくなってしまった飛行船になにか話しかけた方がいいのだろうか、とアニラが考え始めたころ。
飛行船はついに沈黙を破り、こう切り出した。
『――当方は貴国との対話と交流を望む』
「お、おお?」
『こちらには会談を開く準備がある。ついては、貴国の政治交渉を行う立場にある人物を――』
ファルデンの飛行船はヴィストニアと正式な外交を交わすべく、相応の政治的手続きを踏まえようとしたらしい。
だが彼らは知らなかった、アニラという少女を。
「やりましょう!」
飛行船の言葉を遮って、アニラは即答する。
彼女の溌溂とした声が青空に響く。
「実際に会って、話して、互いのことを知り合いましょう!」
異世界の国を歓迎するように、アニラは両腕を広げる。
好奇心と異世界への憧憬に駆られた少女は、だれにも止められない。
「私とヴィストニアに、あなたたちのこと……教えてください!」
魔導連合ヴィストニアと黎明国ファルデン。
異世界の国同士の初遭遇および歴史的会談は、青空の中、少女の心のままに実現する。
この日、この時。
世界の中心に立っている者がいるとすれば、それは間違いなく――アニラだった。
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