第18話 黎魔国交会談 その2


 国交会談にてファルデンが提示した条件。

 それは「アニラの身柄引き渡し」というものだった。

 テイラーの発言を通訳したアニラは、その内容に動揺する。


「え、私……?」

「そうとも。……ああ、ここからの通訳はいらないよ。お疲れのようだからね」


 いつもと変わらず親しみやすい、温和な微笑をテイラーは浮かべ、アニラ個人に語りかける。


「我々は君という才能を高く評価しているんだよ、フルルータ嬢」

「それは嬉しいんですけど……」

「実感がわかないかね? ならばこれを見てくれ」


 テイラーは指を鳴らし、オゼリアからとある書類一式を受け取る。

 それは調停書に使われるような高級紙で、紙面には豪華な装丁がほどこされている。


「これは君を特別名誉市民として迎え入れるための証書さ。ここに一筆サインするだけで、我が国のVIPとしての身分が保証される」

「VIP、ですか」

「他にも君の望みは可能な限り叶えてあげよう。裕福な暮らしはもちろん、賢者の石をはじめとする重要機密へのアクセスだって思いのままだ。もちろん、魔導の探求だって続けて構わない」

「お、おお……」


 突如アニラの前に差し出された、楽園へのチケット。

 アニラを勧誘するテイラーは、微笑んでこそいるが真剣そのもので、これがただのジョークやリップサービスじゃないことは明白だった。


「ただし、守秘義務の観点からヴィストニアとの関係は断ってもらうがね」


 事実上の亡命、ということであった。


「それに、これは君の祖国のためにもなる」


 テイラーは切り口を変えて、アニラの決断を誘う。


「フルルータ嬢が我が国に来てくれた暁には、ファルデンはヴィストニアに対し最大限の譲歩をすると約束しよう。百年にわたる友好を実現してみせる」

「なる、ほど……」

「突然のことで困惑するのも無理はない。だが、世界の今後は君の決断にかかっている。英断を期待するよ」


 アニラは事の重要性を理解し、考え込む。


(ファルデンには興味があるし、応援してもらえるのも嬉しい……)

(それに、私一人がファルデンに行くだけで、二つの国が仲良くできるなら……)


 そんな具合にアニラが思案を巡らしていると、隣のシアが話しかけてくる。


「アニラちゃん……一人で背負いこまないでね」


 オーゲルも、途中から通訳が途絶えていたが会話の内容を察し、声をかける。


「甘言に惑わされてはいかんぞ」


 アニラと親しい二人は、そう忠告してくれる。

 だが一方で、中央議員たちは別の反応を見せていた。

 彼らはファルデンが提示した「条件」に対して、ひそやかに議論する。


「……これじゃまるで人質です、我が国の人道に反しますよ」

「フルルータ嬢は唯一の識魔導士……彼女という才能を手放すのは論外だろう」

「人道主義も結構だがね、我々は異常事態のただなかにあることをお忘れか?」

「その通り、ここは異世界だ。時には非情になることも必要だ」

「さらに、ファルデンに対し有利な条件で同盟と条約を取り付けられる。これを逃す手は……」

「なっ、そのためにフルルータ嬢を差し出せと? 出会って三日の、異世界の国に?」


 根が真面目なニコールは、声を大にして反発する。

 今、中央議員たちの意見は二分されていた。

 人道を重視し、アニラ引き渡しに反対する者。

 そして国益を優先し、アニラの引き渡しに賛成する者。

 ニコールは賛成派に考えを改めさせるよう、説得を試みる。


「この異世界にはファルデンの他に、最低でもあと一つ文明が存在するのですよ? それもファルデンに攻撃したという文明です。彼女の存在はこれからのヴィストニアに必要不可欠のはず」


 だが、賛成派もまた反論を展開する。


「ニコールの言う通りではある。……だがお忘れか?」


 賛成派のスキンヘッドの男は声を潜め、言葉を続ける。


「同盟締結が完了するまでは、ファルデンもまた潜在的脅威なのだぞ」

「それは……」


 ニコールはそれを否定できない。

 アトールでの会談を経験したニコールだからこそ、その可能性が無視できないことをよく知っている。

 スキンヘッドの男は、冷静に論ずる。


「ファルデンは元あった世界では軍事大国として覇権を握ったという。そう報告したのは、君じゃないか」

「……はい。ですが、それを証明するものはないはずです……」

「その通り。だが彼らの文明が高度であることは明らかだ。この階層都市とやらを見れば分かるだろう。都市を重ね、それを運営維持することなど……魔導連合にだって困難だ」


 引き渡し賛成派の主張には相応の妥当性があると、ニコールたちも認めざるを得なかった。

 同盟・条約締結の条件として提示された、「アニラ引き渡し」。

 賛成派がこれを推奨するのは、有利な条件で条約が結べるから、という浅い考えからではない。

 ファルデンという仮想敵を一気に心強い同盟国へ転ずる、大いなる一手になるからこそなのだ。


「……大局を見極めるんだ、ニコール」


 ニコールは苦悩から眉間に皺を寄せ、反駁はんばくしようと口を開きかける。

 だが、彼が抗論することは叶わない。

 テイラーが指す追撃の一手が、それを阻止したからだ。


「ちなみに、さきほどの条件の受諾・拒否の返事は、今この場でしてくれ。延期は認めない――そう彼らに伝えてくれたまえ、フルルータ嬢」


 あたかも、中央議員たちの会話を読み取れているかのような、狙いすました台詞だった。

 気さくな紳士の仮面の下に、冷酷な狩人の顔を隠す男、ジーン・テイラー。

 彼こそはまさに、ファルデンという国を体現する人物であった。


 テイラーからの通告を受けたニコールは、顔を伏せ――そして押し黙ってしまう。

 他の反対派も、消極的だが現実を受け入れつつあった。

 中央議員たちの中で大勢が決しようとした、その時。

 声を上げる少女がいた。

 アニラ唯一の親友、シアだ。


「……待ってください」


 彼女は席を立ち、毅然とした面持ちで議員たちを見据える。


「アニラちゃんをよく知らない国に渡すつもりですか……本当に?」


 スキンヘッドの議員は、やれやれという具合に首を振る。


「ウーニー嬢、反対の立場を取るなら根拠も併せて述べてください」

「根拠ならあります」


 そう断ずるシアの声は、冷静でありながらも確固たる決意を帯びていた。


「まず、アニラちゃんを引き渡した後、どうやって異世界人と意思疎通を図るんですか?」


 それは想定済みとばかりに、議員は即答する。


「異世界言語との翻訳作業にはすぐに取り掛かります。人類がこれまでそうしてきたように、地道にね。また、喫緊の状況であるならファルデンと交渉し、フルルータ嬢のお力を借ります」

「それは……楽観的ではありませんか?」


 シアの青い瞳に、不退転の覚悟が宿る。


「ファルデンがその協力要請を快諾するという保証はないはずです。それに、その度になにか条件を提示してくるかもしれません。『通訳士アニラ』という存在は、いわば異世界外交のイニシアチブなんです」


 その指摘が、賛成派の議員たちの妥当性にひびを入れる。

 咳ばらいをしてから、スキンヘッドの議員が反論する。


「……その可能性はあります。ですがその時こそ我々による交渉の出番です。別途、フルルータ嬢の扱いに関する条約を結べばいい。なにより……」


 ため息を吐いてから、彼は結論を述べる。


「人間一人と、国家の安全保障。この二つは等価ではなく、選ぶべきは……常に後者です」


 最大の利益を得るために、最小の犠牲を払う。

 国家運営においては必要とされる決断。

 だがシアにとって、親友アニラだけは特別なのだ。

 ヴィストニアの議員が下した冷たい結論に、シアは思わず涙する。

 哀しみも怒りも悔しさもないまぜになった涙は少女の瞳を潤ませ、やがて頬を伝う。


「認めない……そんなの、私は……」


 アニラとの別離を想像して、シアはその小さな肩を震わす。

 そんな心優しい少女を、アニラは抱きしめる。


「ありがと、シアちゃん……」

「だめだよ、アニラちゃん……こんなの、こんなの……」


 シアはアニラの胸に顔をうずめ、その細い体にすがりつく。

 アニラはシアの頭を撫でる。

 彼女は、シアの繊細で綺麗な金髪がすきだった。


「ごめんね、心配かけちゃったね……」


 自分を巡る政争にシアを巻き込み、傷つけてしまったことをアニラは悔やむ。

 かといって、状況は変わらない。

 アニラがファルデンの要求をのめば、シアは悲しむ。

 拒否すれば、両国家間の関係に亀裂を入れることとなり、それがいつ、どんな形で表面化するかは分からない。

 どちらを選んでも、悲劇が訪れる。


(それに、これは直感だけど……ファルデンは「敵」と「格下」に対しては容赦しない国な気がする)


 今のアニラには、かつて神童と謳われた頃のような頭脳明晰な働きは期待できない。

 それでも、アニラの直感は的を射るものであった。


(うん、今の私じゃダメ。誰も幸せにできない)

(だから――『みんなを幸せにできる私』にならないと)


 アニラは名残惜し気に、シアを強く抱きしめる。

 そして彼女の耳元で、そっとささやく。


「シアちゃん、ちょっとだけ……お別れだね」


 ――アニラが一人、ファルデンへ行ってしまう。

 そう考えたシアは引き留めようとする。


「や、行っちゃだめだよ……アニラちゃん…………っ」

「んー? たぶん大丈夫だよ~」


 アニラはにへら、とはにかんで見せる。

 少女に相応しい、花が咲くような、無垢な笑顔だった。

 アニラは懐から杖を取り出し、それを宙に振るう。

 青く発光する燐光が空中に刻まれていく。


 それは、アニラの願いを込めた魔導式。

 そして同時に――アニラを殺す魔導式。


「とっても頭のいい『私』が、ずばっと解決するはずだから!」

「アニラちゃん、それって……」


 シアがその言葉の意味を覚ってしまう前に、アニラは魔導式を起動させる。

 途端、アニラの意識は肉体を離れ、海に沈んでいく。

 淡い星の光が差し込む、無意識の海へと。


 暗く、静かな海中でアニラは呟く。

 誰にも届かない、泡となって消える――別れの言葉を。

 

(ばいばい、世界)


 そうして『無垢のアニラ』は眠りにつき――『最初のアニラ』が目を覚ます。

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