第24話 瑠美(3) 若き異端者の肖像
その記事は、かなり古い物らしく、フォントが掠れて読みづらかった。
「三少年、少女暴行を認める」
不穏極まりない言葉が並ぶその記事は、十代の女の子が二人、大学生と浪人生の男性二人に酒を飲まされ、暴行を受けたという内容だった。
暴行された女の子の一人がその後、自ら命を絶っており、もう一人については触れられていなかった。記事には主犯男性の顔写真が載っていた。後の二人は未成年の従属犯であるため写真は掲載されておらず、どこの誰かもわからない。
――これじゃ、何が何だかわけがわからないわ。沙羅さん、何を言おうとしたんだろう。
私は記事のコピーをしまうと、地下鉄が入線してくるのを待った。乗り口にできている乗車待ちの列を何気なく眺めていると、ふと、見覚えのある顔が見えた。すると向こうも私に気づいたのか、こちらを向いて列を抜けだすのが見えた。
「あのう……確かお会いしたこと、ありますよね」
そう言いながら近づいてきたのは、一度だけあったことのある男性――逸見だった。
「あ、はい。以前、美生君のことで……」
私は気後れしつつ、言葉を返した。親しく話すほどの間柄ではない。
「やはりそうか。……ええとお名前は」
「塚本瑠美です。確か逸見さんですよね。「ポートレイツ」の」
「そうです。覚えていて下さって光栄です。塚本さんは、どちらへ?」
「家に帰るだけです。……逸見さんは?」
「僕は……この先のR商店街に行こうと思ってます。先日、事故に遭ってしまってまだ創作活動をできる状態じゃないので、リハビリを兼ねてちょっと懐かしい場所に行こうかと思って」
「商店街がですか?」
「ええ。文乃さん……美生君のお母さんが昔、よく歌っていた場所があるんです」
私は俄かに興味を掻き立てられた。
「あの……もし迷惑でなかったら、私もご一緒していいですか?」
「ええ、構いませんよ。でも、帰るところじゃなかったんですか?」
「実はその……文乃さんが路上で歌っているビデオを見たことがあって、一度、どんなところで歌っていたのか見てみたかったんです」
私が打ち明けると、逸見は「ああ、なるほど」と相好を崩した。私たちはR商店街の最寄り駅で地下鉄を降りると、連れ立って文乃が歌っていたという商店街を訪ねた。
文乃が歌っていた店先は、ビデオで見たのと同様にシャッターが降りたままだった。
都心の賑わいから取り残されたかのような寂しい店先からは、今にも文乃の歌声が聞こえてきそうな雰囲気があった。
「ここですよ、昔よく、文乃さんが歌っていた場所は」
「来栖さんも、ここで初めて文乃さんを見たって言ってました」
私はほんの少し胸苦しさを感じながら、来栖の名を口にした。
「僕が彼女と行動を共にしていた頃は、まだ弾き語りはしていませんでした。彼女が少しづつ変わっていったのは、暗堂という男としたしくなってからです」
「暗堂さん……文乃さんの最初のご主人ですね」
私が確かめると逸見は「ええ」と頷いた。
「僕らが四人で「ポートレイト」を始めた頃の暗堂は、至って普通の青年でした。彼が怪しい行為に明け暮れるようになったのは、仲間の埴生香君の影響なんです」
「香さん……たしか、暗堂さんって方のドキュメンタリーをお撮りになった方ですよね」
「よくご存じですね。文乃さんが亡くなる少し前に、やはり不幸な事故で亡くなった方です。美大出身の香君は、アングラな文化に造詣が深くて、そこに暗堂は惹きつけられたようです」
「でも暗堂さんは文乃さんと結婚したんじゃ……」
「そうです。まあ香君にしてみれば、僕や暗堂は「同志」みたいな物だったんでしょう。暗堂が文乃さんとつき合うようになってからは、しきりに彼の感性が鈍ったと愚痴っていました」
「二人のお付き合いに反対でも?」
「さすがにそれはしませんでしたが、僕はことあるごとに「丸くなったら駄目だ」と彼に囁き続けたし、香君も表現者としての暗堂をビデオに保存しようと躍起になっていました」
「その後、暗堂さんと文乃さんは「ポートレイツ」を脱退したんですね」
「まあ、その前にも暗堂の病気とか、色々あったんですが」
「病気?」
「彼は重度のアレルギー体質で、発作が起こると全身の皮膚に炎症を発症するんです」
「アレルギー……」
美生と同じだ、と私は思った。やはり親子だと体質も似るのだろうか。
「結婚後は幸せに暮らしている……と思っていたんですが、しばらくすると、暗堂が僕らの活動に顔を出すようになりました。どうも美生君を可愛がることができずに悩んでいたようです」
「そんな……あんなに可愛いのに」
「まあ、子どものどこを可愛いと感じるかは、人それぞれですからね。それで文乃さんとはうまく行かなくなり、別れてしまったんですが……その後、奇妙なことが起きたんです」
「奇妙なこと?」
「文乃さんが育てていたはずの美生君が、僕らの稽古場にお母さんに内緒で遊びに来るようになったんです。僕と暗堂は美生くんに、文乃さんの傍にいたら見ることができないようなアンダーグラウンドな芸術をたくさん見せました。……一種の情操教育でしょうか」
逸見は遠い目をすると、少し寂し気に微笑んで見せた。よほど充実した日々だったのだろう。
「でもそんな時間は長くは続きませんでした。文乃さんが美生くんが僕たちの元に入り浸っている事を知ってしまったのです。文乃さんは暗堂に抗議をした挙句、美生君を連れ帰ってしまいました。やがて文乃さんは再婚し、美生君が来ることも一度はなくなりました」
「来栖さんと一緒になる前に、そんなことがあったんですね」
「ちょうどその頃、香君の撮影した暗堂のドキュメンタリーが完成したんです。それを見た暗堂は、あらためて自身の奔放ぶりに気づき、ショックを受けました。それから彼は僕らの元に寄りつかなくなったんです」
「結局は一人ぼっちに戻ってしまったわけですね。なんだか気の毒ね」
「ところが話はこれで終わりではなかったんです。今度は文乃さんがおかしくなり始めました」
「……と言うと?」
「かつて暗堂の仲間だった女性科学者となぜか意気投合し「異端科学研究会」という怪しげなサークルに通い詰めるようになったんです」
「異端科学……」
「人間の身体を作り変えたり、意識を操ったりする方法を研究する集団なんだそうです」
「なんだか怖いわ」
「並行して彼女は「AYA]という名前で弾き語りを始めたのですが、諏訪さんという香君の先輩に当たる男性が「AYA」のイメージビデオを作りたいと申し出てきて、撮影する運びになったんです」
「あ、もしかして、その撮影中に……」
私が口を挟むと、逸見は無言で苦し気に頷いた。
「そうです。残念な事に、撮影中に乗っていた車が事故で海中に転落して……」
そこまで話すと、逸見はふいに口をつぐんだ。私が「ごめんなさい。話しづらいことを聞いてしまって」というと「いや、むしろ話してすっきりしましたよ」と笑顔を見せた。
話はそこで途切れたが、私はもう十分だと思った。逸見とは商店街で別れ、私は再び帰途についた。文乃の話を思いのほかたくさん聞けたことはラッキーだった、と私は思った。
――たしか来栖さんのSNSで一度、文乃さんの映像らしきものを見た気がする。もし来栖さんがビデオの現物を持っているのなら、直接、お願いしたら見せてくれるだろうか?
私は様々な情報で溢れそうになった頭で、来栖に会ったら何を聞こうかと考え始めた。
〈第二十五回に続く〉
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