第2話 少女よ、疑うなかれ


 私服姿で車両に乗りこむ瑠美は、背筋が伸びているせいか写真の姿より美しく見えた。


 わたしは同じ車両に乗りこむと、さりげなく隣の席に座った。電車が動きだすと早速、わたしは次に取るべき行動をシミュレートし始めた。


 瑠美が降りる駅はすでにわかっており、目的を果たすためには電車がひとつ前の駅を発車するのと同時に動き始める必要があった。


 数分後、電車がわたしにとって目安となる駅に到着した。わたしは腰を浮かせ、電車が駅に近づくのを待った。やがて電車が減速し始めるとわたしはバランスを崩してよろけ、わざと緩くしておいたイヤリングを床の上に転がした。


「あっ……」


 わたしは小さく叫ぶと、その場に屈みこんだ。イヤリングはせり出した座面の陰にあった。そこに転がるよう、練習しておいたのだ。わたしは瑠美のいる位置から見えないようにイヤリングを拾いあげると、そっとポケットに落とした。


 床の上には何にもなかったが、わたしは中腰のままイヤリングを探す芝居を続けた。


「あの……どうかしましたか?」


 瑠美が声をかけてきた。予定通りだ、とわたし思った。


「ちょっとイヤリングを落としてしまって……」


「探すの、お手伝いしましょうか?」


「そんな、電車の中だし、悪いです」


 わたしがやんわりと断ると、瑠美は「でも早く見つけないと」と言って探し始めた。


 探し始めてほどなく、電車が減速し始めた。瑠美が降りる駅が近づいてきたのだ。


「あの、もういいです。……ありがとうございます」


 わたしは礼を述べたが、これは彼女の性格を読んだわたしの賭けだった。


「でも……大事なものじゃないんですか」


「ええ、姉の形見なんですけど」


 わたしは用意した答えの中から、彼女が反応しそうなキーワードを選んで口にした。実際には姉どころか家族自体、いるのかどうかわからない。が、瑠美は予想通り「まあ」と言って眉を寄せた。わたしは多少の罪悪感を覚えつつ、そのまま芝居を続けた。


「じゃあ、何としても見つけないと」


 結局、イヤリング探しを手伝わせているうちに、電車は瑠美の降車駅を発車した。


 わたしがうしろめたさを覚えているのに対し、降車を諦めた瑠美はさらに熱心にイヤリングを探し始めた。


 ――よし、いい頃合いだ。


 わたしはポケットからイヤリングを取りだすと音を立てぬよう、瑠美の近くに転がした。


「――あっ」


 瑠美が声を上げ、物を拾うしぐさを見せた。


「……あの、これですか?」


 瑠美が手の平に乗せていたのは、「わたしが落とした」イヤリングだった。


「これです!ありがとうございました。助かりました。……でも」


 わたしはドアの方に目を遣りつつ「駅を乗り過ごされたんじゃないですか」と聞いた。


「……ええ。でもいいんです。たとえ降りられたとしても、大切な形見が見つかったかどうか、ずっと気にしていたと思います」


 わたしは困惑を装ってしばし、俯いた。それからやおら顔を上げ「そうだわ」と言った。


「わたし、降りたらタクシーに乗るつもりだったんだけど、あなたの降りるはずだった駅まで送らせてもらえないかしら」


 わたしがそう申し出ると、瑠美はとんでもないというように頭を振った。


「いいです、そんなの。遠回りになるし、悪いです」


 わたしはことが順調に運んでいることを実感しつつ「いいのよ、わたしが利用する車にちょっと便乗するだけですもの。……お願い、せめて送らせて」と言った。


 わたしが懇願すると、瑠美は困惑顔のまま「それじゃあ、お言葉に甘えます」と頷いた。


                  ※


「どこで降りたら都合がいいかしら」


 わたしが助手席からシート越しに後ろの瑠美に聞くと、小さな声で「N医療大前でいいです」と駅名が返ってきた。


 移動時間を約十分と読んだわたしは「もしかして、N医療大の学生さん?」と、あらかじめ確認済みの情報を口にした。


「あ、はい一年生です」


 初々しい返答を好ましく思いながらわたしは「頭いいのね。羨ましいわ」と当たり障りのない感想を口にした。


「でも、これで授業に遅れでもしたらわたしの責任だわ」


「大丈夫です、午前中は必修科目はありませんから」


 瑠美はわたしの気持ちを軽くさせようとしてか、朗らかな口調で言った。


「……あの、お名前を伺ってもいいですか?」


 唐突に瑠美が言い、わたしたちは思いだしたように自己紹介をした。


「瑠美さんか。素敵なお名前ね」


「松井さんはこの近くにお勤めなんですか?」


「ええ。興信所で事務の仕事をしているの」


 わたしは用意した嘘をすらすらと並べ立てた。


「――あ、もうすぐです」


 瑠美が窓の外を見て、声を上げた。わたしは「そうだ」と言うと、バッグからメモ帳を取りだし、ペンを走らせた。


「……これ、わたしがやってるSNSだけど、よかったら覗いてみて」


 わたしがメモを渡すと瑠美は目を走らせ「これなら私もやってます」と言った。


「ちょうどよかったわ。後で「今日、親切な人に会った」って書いておくわね」


「あ……はい」


 わたしはルームミラー越しに瑠美の表情を盗み見た。訝る様子は見られなかった。


「本当ならちゃんとしたお礼をしたいところだけど……時間がないわね」


「とんでもないです。イヤリング、見つかって良かったですね」


 タクシーが駅にほど近い路肩に緩やかに停まると、瑠美が財布を取り出す気配があった。


「だめよ、瑠美さん。ここはわたしに持たせて。イヤリングを見つけてくれたお礼よ」


 わたしがやんわりと制すると、瑠美は一瞬、目に困惑の色を浮かべた後「ありがとうございます」と頭を下げた。


「どこかで見かけたら、声をかけてね。食事でも奢るわ」


 わたしは車を降りようとする瑠美にそう声をかけた。


「はい、ありがとうございます。……それじゃ失礼します」


 瑠美はもう一度、わたしに会釈をすると身を翻した。わたしは瑠美の背中を目で追いながら、十分な手応えを感じていた。この分ならさほど労することなく親しくなれるに違いない。


 わたしはタクシーを降りると、架空の事務所に向かう代わりに瑠美が向かったN医療大学の方に歩き始めた。


              〈第三回に続く〉

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