第3話 少女は告白する


「あ、おいしいです。……思い切って頼んでよかった」


 ベリーのパンケーキを口に運びながら、瑠美は満足げに目を細めた。


「よかった、あんまりちゃんとしたランチだと引かれてしまうんじゃないかと思って、この店にしたの」


 わたしは瑠美の反応に、事前の調査を怠らないでおいてよかったと胸をなでおろした。


 N医療大学から二区画ほど離れた住宅地にある「みすとらる」というカフェがN大に通う女子学生の間でひそかに人気を集めつつあるという情報を、初めて瑠美と会った日の翌日に入手しておいたのだった。


「松井さん、今日はその……興信所の方はお休みなんですか?」


 瑠美がおずおずと尋ね、わたしは頷く代わりに微笑んで見せた。


「もともと、有給を取ってあったの。お蔭で家でごろごろしてるより有意義になったわ」


 わたしの返答に安心したのか、留海は「そっかあ」と屈託なく吐き出すと、パンケーキにフォークをつき刺した。瑠美にイヤリングを見つけてもらった日、私は早速そのことをSNSに書きこんだ。


 予想通り、その日のうちに瑠美と思しきアカウントからコメントがあり、そこからは一気にやり取りが進んでいった。彼女のようにまだ人づきあいが多くない年ごろに取って、文字で本音を語り合うことが安心感を強固なものにするようだった。


「医療関係の勉強をしているって言う話だけど、将来は何になりたいのかしら」


 わたしが尋ねると、瑠美は一瞬、視線を優にさまよわせたあと「実は」と切りだした。


「うちの学校にはいくつかコースがあって、医療コースと福祉コースがあるんです。わたしは最初、医療の方に行くつもりだったんだけど、だんだん心理とか勉強したくなって今は臨床心理を学べるコースに変更しようかって思ってるところです」


「心理かあ。また難しい事に興味があるのね」


「最近、ボランティアを始めて、色々な年代の方と接する機会が増えたんですけど、人間って深いなあと思うことがたくさんあって。いままで家族と友達くらいしか世界がなかったから、もう少し「人間」そのものを学んでみたくなったんです」


「そうね、わたしも仕事柄、いろんな人に接するけど、みなさん共通しておっしゃるのは、人間、いくつになっても人の心だけはわからないって」


 わたしが急ごしらえででっちあげた「経験」を口にすると、瑠美は「やっぱり」とでもいうように眉を寄せ、口ごもった。


「そうですよね、わからないことだらけなんですよね……」


 瑠美が声のトーンを落とした瞬間、わたしはこの話の流れは間違ってない、と確信した。


 おそらく、学校や家庭のことではない「なにか」が彼女の日常に影を落としているのだ。


「あの……知り合って間もない方にこんなお話をするのも何なんですけど」


 瑠美がおもむろに口火を切った。わたしは直感的に「来たな」と思った。


「誰にも迷惑をかけていない、どこから見ても「いい人」と思われるような人が、誰かの恨みを買うなんてこと、あり得るでしょうか」


 わたしは話題がいきなり深みに入ったことを意識しつつ「うーん、そうね」と言った。


「それはあるでしょうね。たとえばあまり恵まれていない人が、自分の親しい人が幸せに気づかずのうのうとして暮らすのを見たら、その人には何の落ち度もなくても妬ましく思うかもしれない。それがたまりにたまって何らかの行為に現れたとしても、鬱憤をぶつけられた側にしてみればまったく身に覚えがない事だから、恐ろしく感じるでしょうね」


「幸せですか……その相手は知り合いの幸せを壊したいと思うでしょうか」


「思うかもしれない。……ところで今の話だけど、もしかしてあなたの知り合いのお話?」


 わたしは少し早いかなと思いつつ、攻めてみることにした。なにより瑠美の表情には、何かを吐き出したがっている人間特有の切実さが見て取れたのだ。


「……ええ、知り合いの話です」


「いい人なのね、その人。……だってあなたがそんなにも気にかけるくらいだもの」


「はい、そうなんです。お節介だとは思うんですが、なぜか気になってしまって」

「よかったら、話してくれない?」


 わたしは声を低めると、テーブルの上に身を乗り出した。さらに興味本位でないことを強調するため、手を顔の前で組むと、怯えたような瑠美の目を正面から覗きこんだ。これが、わたしが「事件」に入りこむために会得した人心掌握術だった。


「わたし、ボランティアで児童施設の食事作りを手伝っているんですけど、そこにお子さんを預けていらっしゃる方がいるんです。」


 わたしはふんふんと相槌を打ちながら、瑠美の話に聞き入った。これが仕事なら、自分の知り得た客の情報をみだりに外部にもらすのはNGだ。だがボランティアであり、何より彼女は若い。たまった物を吐き出せるのなら、ついこの間知りあった人間であっても構わないはずだ。


「その方……シングルファーザーなんですけど、一年ほど前に奥様が事故に巻きこまれて行方不明になってしまわれたそうなんです。それで男のお子さんを男手一つで育てられているんですけど、その子と私がたまたま施設で二人きりになった時、とても気になる出来事があったんです」


「気になる出来事?」


「……はい。その子がしきりに窓の外を気にしていたので「どうしたの?今日はパパが早く迎えに来るの?」と聞いたんです。すると「怖い人が来ないか見てるの」と答えたんです。「怖い人って、誰?」と私が聞いても首を振っていやいやするだけなので、思い切ってお父さんに聞いたら目を見開いて「まさか」って絶句されたんです」


「じゃあ、その子が怯えていたのには、ちゃんとした理由があったってわけね」


「ええ。私、どうしても知りたくなってしまって」


「……聞いたの?」


 わたしが聞くと、瑠美はこくんと頷いた。


「その方は「こんなことをお話する筋合いではないと思うのですが」と前置きしてから、私にあるお話をしてくれました」


 瑠美の話を要約すると、こういうことらしかった。父子の生活に異変が訪れたのは、ひと月ほど前のことらしい。たまたま休みの取れた父親が息子を大型ショッピングモールに連れていった時、その人物は現れたのだという。


 モールの一角に、ピエロの格好をした人物がいて、風船をつかった大道芸のような物を披露していた。父親が目を離してほんの数分ほどの間に、息子はピエロに近寄っていった。息子がピエロから手渡された風船に夢中になっていると、いきなりピエロが息子の首に手をかけ、少しづつ絞め始めたのだった。


 息子の苦し気な声に気づいた父親が慌てて駆けつけると既にピエロの姿はなく、風船で出来た大小の動物の中に埋もれるようにして息子がぐったりしていた。そして息子のポケットには「まずはご挨拶代わりに」と記されたカードが入っていたのだという。


 瑠美の話を聞き終えたわたしは、ぞっとすると同時に「これが今回の事件に違いない」と確信していた。恐らくそのピエロが犯人、もしくは「災厄の王子」に違いない。


 わたしは興奮を悟られぬよう、瑠美に「それは気になって当然だわ」と共感して見せた。


 瑠美のほっとしたような目を見て、わたしは一気に押しても大丈夫に違いないと思った。


               〈第四回に続く〉

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