第13話 罪無きものよ、杯をあおれ


 VIPルームはカウンターの脇の、壁と見紛うような黒い扉の向こうにあった。


 マスターがノックすると「どうぞ」とくぐもった返事が聞こえた。まず鋭二が足を踏みいれ、わたしはその背に隠れるようにして後に続いた。


鋭二とわたしの足が止まったのは、部屋に入った直後だった。さほど広くないフロアの一角、奥のソファに座っている人物の周囲に、異様な光景が広がっていたのだ。


 人物は顔の上半分をマスクで隠し、ブランデーグラスを手にしていた。目と口元しか見えないにもかかわらず、わたしはその人物が暗堂であることを確信していた。


 暗堂と思しき人物の両側からは、熱帯の昆虫のようなな毒々しい模様の衣服を纏った女性が二人、しなだれかかっていた。わたしは女性の身体に目を凝らし、はっとした。


 極彩色の衣服と見えたのは、全裸に施されたボディ・ペイントだった。暗堂は全裸の女性に代わる代わるブランデーを口移しで与えると、わたしたちの方を向いて笑った。


「どなたかな、そちらのお二人は」


 暗堂が葡萄色の液体で湿らせた唇で言い放った。わたしたちはその場に凍り付いたまま、動くことができずにいた。なぜなら、暗堂と女性たちの手前の床には、やはり極彩色の生物たちが蠢いていたからだった。


 みたところ比較的じっとしているのは蜘蛛と蠍、――ただし国内では見かけない種の――だった。そしてその隙間をやはり見たことのない大きな蛇がのたうっているのだった。


「初めまして、暗堂さん。僕は埴生鋭二。埴生香の兄です」


 鋭二が自己紹介をすると、暗堂の目が細められた。


「ほう、香君の……で、そちらの女性は?」


 わたしは鋭二の肩越しに受けた暗堂のまなざしを、まっすぐ見返した。


「松井沙羅といいます。文乃さんの友人です」


 文乃の名を出した瞬間、暗堂の表情が微妙に強張った。


「文乃の?……それにしてはお見かけしたことがないな。……まあいい、で、お二人は僕に何か用があってきたのだろう?」


 暗堂が口の両端を吊り上げると、足元の生き物たちがざわりと蠢いた。


「妹の死について、聞きたいことがある」


「ほう、なんですかな」


「暗堂。妹を……香を、殺したか?」


 鋭二は余計な前置きをせず、ストレートな疑問を暗堂にぶつけた。


「……殺していない。殺す必要がない」


 暗堂は落ち着き払った態度で答えた。鋭二は予想していたのか「ふん」と不満げな相槌を打った。


「じゃあ、文乃さんは?」


 わたしが鋭二の後に続けて問いを放つと、暗堂は一瞬、口元を歪めた。


「文乃は妻だ。別れたとはいえ愛している。殺すはずがない」


 暗堂の口を突いて出たのは無頼漢とは程遠い、理性的な返答だった。


「それでいいのか?いずれ証拠が出てくるかもしれないぞ」


 鋭二が脅しともとれる言葉を口にすると、暗堂はひるまずに一笑に伏した。


「そうか、そういえば香君は兄弟に警察の人間がいたんだったな。……どうぞご自由に」


 暗堂は泰然とした姿勢を崩すことなく、ソファに一層深く身体を沈めた。


「それにこの生き物たち……違法に輸入したんだろう?この店の「裏」のおもてなしとして」


「だから何だというのかね。……そんな事を指摘している暇があったら、自分の帰り道の心配でもした方がいいのではないか?うちの可愛いホステスたちに「接待」される前にね」


「なんだと?」


 気が付くと、わたしたちの周囲を毒々しい生物の群れが包囲し始めていた。


「足を踏みだす際は、細心の注意を払った方がいいぞ。迂闊に刺激すると、彼らの「毒のもてなし」を受けることになる。この部屋がそのまま死に場所にならないよう、危機をつけたまえ」


 わたしは絶句した。マスターが頑なにVIPルームの存在を否定した裏には、こう言った事情があったのだ。ごく一部の好事家のために、法律で持ち込みが禁止されている危険な生物たちをはべらせる――そういうサービスを行っていたのだ。


「君たちの無礼は、この子たちに免じて許そう。その代わり、君たちのやり方で彼らの期限を取ってから安全な方法で帰りたまえ。僕はこれで失礼する」


 暗堂がその場でひゅっと短く口笛を吹くと、生き物たちが動いてソファから出口までの「道」が出現した。


「ではごきげんよう、諸君」


 暗堂はゆっくりした足取りで扉の前まで進むと、含み笑いと共に姿を消した。


「くそっ、どうすりゃいいんだ」


 鋭二は苦々し気に言い放つと、暗堂が去った扉の方を睨んだ。


「……見て、この子たち、少しづつ動いてるわ」


 わたしは鋭二の肩を叩くと、下を見るよう促した。ごくわずかではあるが、わたしたちを囲んでいる生きたちは各々、ゆっくりとランダムな方向に移動を始めていた。


「……本当だ。でも「道」ができるまで相当、かかりそうだな」


「暗堂が「刺激するな」って言ったでしょ。十分な幅ができるまで動くなって事なんだわ」


 鋭二は頬を歪めると「馬鹿にしやがって」と吐き捨てた。実際、わたしたちが部屋の外に出られたのは、暗堂が去ってから実に三十分ほど後のことだった。


「……これからどうするの、鋭二さん」


 わたしが尋ねると、鋭二は「さあ」と頭を振りつつ「手近な所から調べるさ」と嘯いた。


「わたしと手を組んだ方がいろいろとうまく行く気がしない?」


 わたしが誘いをかけると、鋭二は「状況によりけりだね。まだ君が敵か味方かわからない」と肩をすくめた。


 わたしは名刺を手渡すと「一緒に行動してもいいと判断したら連絡して」と言った。


 鋭二は「あまり期待しないでくれよ」と言ってわたしを一瞥すると、名刺をしまった。


 わたしは「大丈夫、失望させられるのには慣れてるわ」と微笑み返し、鋭二と別れた。


 帰途についたわたしは今日の記録を「オスカー」に転送した。手がかりは得られなかったが暗堂本人と会えたこと、そして鋭二と会えた事はそれなりに収穫といえそうだった。


              〈第十四回に続く〉

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