第14話 見たままの真実を語れ


 ステンレスのカートがあたりを埋め尽くすショッピングモールの入り口で、わたしは鋭二を待っていた。


 N町にあるこの大型商業施設は、わたしのマンションがある町から二キロほどしか離れていないのだが、よその町の生活圏にたたずんでいると、なぜか異国で迷子になったようなよそよそしさを覚えるのだった。


「やあ、この間はどうも」


 私の前に現れた鋭二は、最初に見た時よりソフトな印象に変わっていた。


「お久しぶりです。連絡を貰えてうれしいわ」


 わたしは本音を口にした。連絡先を交換した後、一週間ほど音信がなく諦めかけていた矢先の連絡だったので、柄にもなく興奮を覚えたのは事実だった。


「これから会うのは、文乃君の最後を目撃した人物だ。聞きたいことは考えてあるね?」


 鋭二の言葉にわたしは強く頷いた。ありすぎてむしろ困るほどだった。正直、事件の全貌をつかむための手がかりが乏しすぎて手詰まりになりかかっていたのだ。


「それじゃ、行こうか。相手の人は諏訪すわさんと言って、三階のフードコートで待っている」


 鋭二にうながされ、わたしはベンチから立ちあがると、ショッピングモールの入り口を潜った。わたしたちが会う相手は諏訪来三すわらいぞうといって広告会社に勤務する男性のようだった。


「時間が経ったとはいえ、事故からまだ半年しか経っていない。あまり突っ込んだ質問はしないでくれ」


 鋭二はそう言って私にくぎを刺した。もしその人物が本当に文乃の死を目の当たりにしたのであれば、今さら忌まわしい記憶を掘り返されるのは迷惑以外の何物でもないだろう。 わたしは質問の内容を、あらためて頭の中で吟味し始めた。


 待ち合わせ場所のフードコートに着くと、鋭二はファミリーでごった返す中を、人波を掻き分けて進んでいった。するとやがて一つの顔が鋭二を認めて破顔するのが見えた。


「どうも」


「おひさしぶりです」


 丸テーブルの前に一人で座っていたのは、がっしりとした体格の三十歳前後の男性だった。


 男性はアイスクリームを手にしたまま、わたしたちに同席をうながした。


「勝手なお願いで申し訳ないけど、話は三時までにさせてください。遅くなるとうちの女どもに怒られるんでね」


 そう言うと男性――諏訪来三は足元の大量の荷物を目で示した。どうやら家族はウィンドウ・ショッピングの最中らしい。わたしたちはテーブルを囲むと、自己紹介を交わした。


「諏訪さん、わざわざ時間を作っていただいて申し訳ありません。今日は少々、思い出したくないことについてもお聞きすることになるかと思いますが、ご容赦ください」


 先に鋭二が詫びると、諏訪はとんでもないというように顔の前で手を振った。


「いえいえ、僕も誰かと話してすっきりしたかったところです。お気になさらず。……なにしろもう半年ですからね。いい加減、吹っ切らないと」


 そう言うと、諏訪はアイスクリームのコーンをばりばりと噛み砕いた。


「早速お尋ねしたいのですが、文乃さんが亡くなられた現場に、諏訪さんはいらしたということでよろしいんでしょうか?」


 鋭二が短刀直入に切り込むと、諏訪は真顔になってうなずいた。


「ええ。元々、文乃君と香君との間でいつかプロモーション・ビデオを撮るという約束がなされていたらしいんですが、香君が亡くなった後で絵コンテが見つかったんです。そのことを文乃君に話したら、是非撮ってほしいと。それで重い腰を上げたというわけです」


 諏訪は香の美大の先輩に当たる人物だった。文乃を始めとする「ポートレイツ」のメンバーとも面識があり、鋭二によると香がマンションから転落して死亡した際の第一発見者でもあったという。


「正直、香君の時のショックが大きすぎて僕にはためらう物があったのですが、文乃君が思いのほか積極的だったので、これは香君の遺志でもあると考えることにしたのです」


「……すみません、話がちょっと前後しますが、香が亡くなった時、諏訪さんは香に呼びだされてマンションまで足を運んだということでしたよね?」


 鋭二がさらに細かい話題に踏みこむと、諏訪は一層、眉間に刻んだ皺を深くした。


「そうです。「灰色の肖像」の編集を手伝ってくれと頼まれて香君のマンションに出向いたのですが、僕が到着した時にはもう、彼女は飛び降りた後でした」


「おかしいと思いませんでしたか?呼びだしておいて、飛び降りるなんて」


「さあ。もしかしたら最初から僕を発見者にするつもりだったのかもしれませんし、そのあたりはよくわかりません」


 諏訪は苦し気に心情を吐露した。鋭二は構わずさらに事件の詳細に踏みこんで言った。


「警察は状況から、自殺と判断しました。なぜならその少し前から香は情緒不安定気味で、精神科で安定剤を処方されていたからです」


「はい。そううかがっています」


「しかもマンションには、香の死の前後に出入りした者がいない。……実は香が飛び降りてから数十分後に逸見君が訪れているのだけれど、不審な点は見当たらなかった」


「はい。僕も警察に事情聴取を受けましたが、やはり不審な点は見当たらないということで容疑をかけられませんでした」


「それからわずか半年後に文乃さんの事故死を目撃したんですね?」


 わたしが頃合いを見計らって口を挟むと、諏訪は「そうです」と低い声で答えた。


「文乃さんが亡くなった場所はたしか、港でしたよね」


 鋭二が尋ねると、諏訪は「そうです。彼女がそこでの撮影を希望したんです」と言った。


 諏訪によると、文乃が防波堤で歌うシーンが元々、香の絵コンテにあったのだという。


「当初、そのシーンは香が削除していてコンテの上に罰印がついていたのですが、撮影が終わりに近づいた頃になって文乃君が「どうしても撮りたい」と言いだして急きょ、車を借りて撮りに行く事になったのです」


 諏訪はそこで言葉を切ると、慙愧の念に堪えないという表情をして見せた。


「彼女もアーティストとしてそこは外したくなかったのでしょう。香が撮ったとしてもやはり行ったと思います」


「すみません、そう言っていただくと、少し気が楽になります。それで、防波堤の上で文乃君に歌ってもらったのですが、歌い始めてほどなく雨が降ってきたんです。それで一旦、車内に避難したのですが、彼女が「防波堤の上に譜面台を忘れて来た」というので、僕が車を降りて取りに行ったんです。「事故」が起きたのはその直後でした」


 諏訪は沈痛な表情で言葉を切ると、大きく息を吸った。


「彼女の乗った車が突然動きだし、そのまま海に向かって走りだしたんです。僕はすぐ異変に気づいて車を追いかけたのですが、車が岸壁から消える直前、扉が開くのが見えただけで間に合いませんでした。

 車は確かにギアをパーキングに入れていたはずですし、アクセルを踏まない限り、絶対に動くはずはありませんでした。

 ……結局、引きあげられた車の中に文乃君の姿はなく、ドアから脱出はできたものの、海中に転落して溺れたのに違いないという結論になりました」


 諏訪は長い話を一気に語り終えると、深々と溜息をついた。


「諏訪さんのせいじゃありませんよ。どうしたってその状況では救出は困難です」


 鋭二が取り繕うと、諏訪は「そうですね。警察の方にもそう言われました。ですが……」


 諏訪が何か言いたげに口を開きかけた時、テーブルの上に置かれていた携帯が鳴った。


「はい……あ、俺。……うん、わかった。すぐ行く」


 諏訪は通話を終えると「家族が下の階で待ってるそうなんで、今日はこれで失礼します」と言った。鋭二とわたしは「お忙しいところ、すみませんでした」と交互に頭を下げた。


 諏訪が立ち去った後、鋭二はわたしの方を向いて「今の話でわかったろう。これが諏訪さんが目にした二つの「事件」の詳細だ」と言った。


「ええ、諏訪さんが詳しく話してくれたおかげで、わたしにも大筋が呑み込めたわ。……でも奇妙な事件よね。香さんの件はともかく、文乃さんの方は普通じゃ考えられないわ」


「君の言う通りだ。それもいずれ明らかにしたいところだが……ひとまず今日のところはこれで引きあげよう。お互い、何か思いついた事があれば連絡し合う……それでいいかな」


 わたしが「ええ」と返すと、鋭二はすっと立ち上がって「帰りは僕の車で送るよ」と言った。


              〈第十五回に続く〉

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