第15話 翼あるもののように
鋭二の車はミニバンで、ショッピングモールの立体駐車場に停めてあった。
わたしたちはエレベーターで四階に上がると、連絡通路で駐車場に移動した。駐車場の手前で、うまくドアを潜れず難儀しているベビーカーの母親がいた。
わたしと鋭二がドアを抑えると、母親が「すみません」と小声で会釈した。わたしは一瞬、自分がプライベートで買い物をしに訪れているかのような錯覚を覚え、妙に気恥ずかしくなった。
自動ドアをくぐると、ひんやりした風が頬を撫でた。だだっ広い駐車場は柱ごとにカラフルな表示で区分されていた。しばらく進むとふいに鋭二が立ち止まり、柱の一つを指さした。
「僕の車はあそこに停めてある。メタリックブルーのミニバンだ。僕は清算に行ってくるから、先に乗っていてくれないか」
鋭二はそういうとキーを取りだし、操作した。少し離れた場所でガチャッというロックの外れる音と、エンジンのかかる音とが聞こえた。わたしは鋭二と別れ、言われた場所に移動した。それらしい車両の助手席に回り、取っ手を引くとドアがあっさりと開いた。
わたしは気後れするのを覚えつつ、助手席のシートに収まった。
背もたれから伝わってくるアイドリングの振動に身を任せながら、フロントガラス越しに見えるガラス窓の外を見ていると、ふいにガチリという音が聞こえ、視界の隅でシフトレバーが勝手に動くのが見えた。
――えっ、何?
わたしが反射的にレバーに手を伸ばした瞬間、突然、ミニバンがゆっくりと前進を開始した。助けを求めて運転席の窓を見ると、血相を変えた鋭二が走ってくるのが見えた。
わたしは咄嗟に助手席のドアを開けようと試みたが、なぜがロックがかかっていてびくともしなかった。わたしは運転席側への移動を試みたが、シートを隔てているボトルホルダーに妨げられ、思うように動けなかった。フロントガラスに視線を向けると、四階の高さの空が窓越しに迫ってきていた。
――だめだ、間に合わない!
わたしは駄目元で身体を助手席側に戻すと、再びドアの取っ手を力任せに引いた。すると驚いたことにドアが動き、わたしは大きく開いたドアに引っ張られるようにして外に飛び出した。
わたしが駐車場の床に叩きつけられるのとほぼ同時に、甲高いブレーキ音と鈍い衝突音が響き渡った。手足の痛みをこらえて恐る恐る立ちあがると、ミニバンが窓の手前で向きを変え、柱に鼻先をめり込ませているのが見えた。
「松井さん、大丈夫ですかっ」
駆け寄ってきた鋭二にわたしは「ええ」と掠れた声で返した。
「なぜ、あの車に乗ったんです」
思いがけない言葉にわたしははっとした。ウィンカーの破片が散らばる中、柱にぶつかって止まっているミニバンの色は、メタリックグレーだった。
「でも、あれじゃ……」
わたしが混乱した頭で言うと、鋭二は頭を振って後ろを見るよう、うながした。
「僕の車はあれです。メタリック・ブルーと言ったでしょう。全く同じ車種の車が隣に停まっているとは思いませんでしたが……ドアがロックされていなかったんですね?」
わたしは頷き、愕然とした。自分では確かにメタリック・ブルーの車に乗ったつもりだったのだ。たまたま隣に同じ車種の、しかもメタリック系の似通った車が並んでいたとしても、「たまたまロックがかかっていなかった」などということがあり得るだろうか?
「しかし、どうして走りだしたんだろう」
「わからないわ。突然、勝手にギアが入ったかと思うと、急に走り出したの」
「まさか、そんなことが……ちょっと、ぶつかった車を見てくる。君はここにいてくれ」
鋭二はそういうと、既に野次馬がちらほらと取り巻き始めている事故車の方に移動した。
わたしは速まった動悸が鎮まるのを待ちつつ、思考を整理した。これは間違いなくわたしへの警告だ。調子に乗って深入りすると、こういう目に遭うというメッセージに違いない。
わたしはふと、駐車場に足を踏みいれる前にすれ違った母子のことを思い出した。
もしあれが「災厄の王子」の変装だったら?そして、わたしに気づかれぬよう「メタリックグレー」を「メタリックブルー」と思いこむよう、暗示をかけていたとしたら?
馬鹿馬鹿しい想像だ、そう思いかけてわたしははっとした。鋭二が乗っている車がメタリックブルーのミニバンと知っていて、同じ車種の車を隣に停めた人物がいたとしたら、その人物は今日、わたしたちがここへ来ることも、諏訪と会うことも全てを知り得ていたことになる。つまり、わたしの行動は何者かによって逐一、マークされているのだ。
わたしが思わず身震いすると、事故の様子を確かめ終えた鋭二が、首を捻りながら戻ってくるのが見えた。
「まったくわけがわからないな。……とにかく災難だったね。さあ、今度こそ送っていくよ」
わたしは首を横に振ると「ごめんなさい。やっぱり一人で帰ることにする」と言った。
鋭二は訝しむような表情を見せつつ「……無理もないか。あれと同じ車じゃ」と言った。
「今日はありがとう。またそのうち会いましょう」
わたしが言うと、鋭二は手を振ってミニバンの方へ歩き始めた。わたしはふと、全身を冷気で包まれたような恐怖を覚えた。……これからは誰一人、信用してはいけないのだ。
〈第十六回に続く〉
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