第4話 穢れなきたくらみ


「それにしても、ショッピングモールみたいに人気の多い場所でそんなことが起きるなんて、ちょっと信じがたいわね」


「私もそう思いました。でもその方は「相手の正体も分からないし」と、警察にも届けなかったそうなんです」


「怖い気持ちはわかるけど、もし本当に誰かに恨まれてるんだとしたら、また狙われる可能性もなくはないわ」


「はい、私もそう思ったんですけど……でも他人があれこれ差し出がましいことを言うのもおかしいし」


 瑠美のまるで自分の身内のことを案ずるかのような表情を見て、わたしは直感した。おそらくこの子は父子の父親の方に、淡くはあるが好ましい感情を抱いているのに違いない。


「でも心当たりがない以上、何に気をつけていいのかわからないわね。……そうだ、こんなことを申し出たら迷惑かもしれないけど」


 わたしはそこで一旦言葉を切りると、息を吸った。


「わたしがこっそり調べましょうか。そういう「調査」なら一応、プロだから」


 わたしが思い切って「提案」を口にすると、瑠美は一瞬、虚を突かれたような表情になり、それから何とも形容しがたい複雑な表情を浮かべた。


「あの、それは……」


 色々な思いが交錯し、戸惑っているのだろう。瑠美は目まぐるしく表情を変え、思案し始めた。それはそうだろう。つい先日会ったばかりの女が、自分が思いを寄せている男性の周囲を調べると申し出てきたのだ。いくらイヤリングのお礼だなどと言われたところで、心穏やかでいられるはずがない。


「どうかしら?」


「……でも、松井さんのお仕事はどうされるんです?」


 瑠美が辛うじて投げかけた問いに、わたしは笑顔で応じた。


「大丈夫よ。休日とか、空いた時間を利用するから。ある程度やり方もわかってるし」


「……来栖くるすさんに迷惑がかからないのなら」


 瑠美の口から、父親の苗字と思しき名前がこぼれた。いける、とわたしは思った。


「そこは信用してもらって大丈夫よ。なにしろプロだから」


 わたしは真実を知るために、敢えて重ねて「嘘」を口にした。こうしてわたしは嘘に嘘を重ねる形で瑠美の抱える「闇」の奥へと踏み込んでいったのだった。


                 ※


「すみません、遅くなって」


 S区健康促進センターのロビーでわたしがレンタルシューズに履き替えていると、スポーツブランドのジャージに身を包んだ瑠美が姿を現した。


「ごめんなさいね、無理なお願いしちゃって」


 わたしが詫びると、瑠美は「いえ、私も運動不足だったからちょうどよかったです」と笑顔を返した。瑠美が卓球のラケットとシューズを借りに行っている間、わたしは今回の来訪の目的をおさらいした。


 わたしたちがこの施設に赴いた理由は来栖父子と「ごく自然な形で」知り会うためだった。

 来栖の息子の美生よしきが最近、卓球に夢中だという話を瑠美から聞き出したわたしは、父子がよく利用するという施設とよく訪れる曜日とを確かめて「偶然」を演出することにしたのだった。


 もちろんわたしたちがそこに来ていることを彼らは知らない。あくまでもわたしたちは「たまたま」鉢合わせるのであって、間違ってもそこに意図を匂わせてはいけないのだ。


 戻ってきた瑠美は事務所で借りたラケットを見せびらかしながら「初心者なので、お手柔らかにお願いします」と言った。


 わたしは「こちらこそ、いじめないでね」と悪戯っぽく返すと、若さを全身から溢れさせている瑠美を眩しく見つめながら、トレーニングルームへと移動した。


 トレーニングルームでは、様々な年代の利用者が学校の部活さながらの激しさで汗を流していた。わたしと瑠美は空いている台を見つけると、さっそく打ち合いを始めた。


 わたしは過去にラケットを握った経験があったので、初めての相手とのラリーにもさほど戸惑いはなかった。一方、瑠美の方はというと、同じ位置でひたすら球が返ってくるのを待つという超受け身のプレースタイルだった。


 狙いが当たったのは、わたしたちが二十分ほど緩いラリーを続けた頃だった。


「……塚本さん?」


 ふいに横合いから、瑠美を呼ぶ声が聞こえた。瑠美ははっとして声のした方に顔を向け、返し損じた球はそのまま隣の台の方へと転がっていった。


「塚本さんも、卓球をされていたんですね」


 わたしは声の主に目を遣った。日焼けした彫りの深い顔立ちの男性が柔和な笑みを浮かべて立っており、傍らに小学校に上がるか上がらないかくらいの男の子が寄り添っていた。


「あ、はい。あの……以前、アルバイト先でお世話になった先輩に誘われて……」


 瑠美はわたしがあらかじめ吹きこんでおいたでたらめを、すらすらと諳んじた。


 「そうでしたか。卓球仲間ってわけですね」


 来栖はそう言ってわたしの方を見た。わたしは来栖の外見と物腰に、素直に好感を持った。これからわたしはこの父子の周辺を探らねばならないのだ。


「じゃあ、僕らはあっちの台でやってますから」


 来栖はそう言うと、ちょうど利用者が去って使うことが可能になった台を目で示した。


「――そうだ、美生君。後でお姉さんと勝負してくれない?」


 瑠美が思いだしたように言うと、美生は「うん」と力強く頷いた。


「その代わり手加減してよ。僕、初心者なんだから」


 美生が大人びた口調で言うと、瑠美はくすくす笑いながら「お姉さんもよ。手加減してね」と返した。それからわたしたちはそれぞれの台でラリーを続けた。


 瑠美が美生と約束した「勝負」の機会は、思っていたより早く訪れた。


 来栖父子が打ち合いを初めて十分ほど経った時、来栖の本気のスマッシュを返そうとして美生が尻餅をついたのだ。


「ごめんごめん。大丈夫か?」


「もう、お父さんすぐ本気になるんだもん。……僕、お姉ちゃんとやる」


 そう言うと美生はラケットを手に、わたしたちのいる台の方へ目を輝かせてやってきた。


「ねえお姉ちゃん、勝負しよう」


「ようし、軽くひねってやる」


 わたしは二人のやり取りを視野の隅に収めつつ、離れた台で待っている父親の姿を盗み見た。手の中でラケットをくるくると回しているさまは妙にこなれていて、わたしは彼の指の動きを美しいと思った。


 やがて、ふと目があったのをきっかけに来栖が立ちあがり、こちらに向かって歩み寄ってきた。


「あの……良かったら僕らも軽く打ち合いませんか?」


 来栖がそうわたしに誘いかけた時だった。わたしはふと、背中に視線のようなものを感じた。わたしたちは父子が使っていた台の方に移動すると、ラリーの準備を始めた。


 打ち合いを始める直前、わたしはふと瑠美たちの方を見た。するとほんの一瞬だが、瑠美が険しい目でこちらを見ているのが目に入った。


 わたしは直感的に、来栖が打ち合いをしているうちにわたしと意気投合することを警戒しているのだと思った。


「いきますよ、松井さん」


 来栖がさわやかな口調でラリーの開始を告げた。瑠美の突き刺さるような視線を首筋に感じ、わたしは瑠美の不安の中身を悟った。


 ――この人は協力するなどと言ってちゃっかり裏切るのではないか――


 彼女はそう懸念しているのだ。


 わたしはラケットを握り締めながら、ちょっと面白いことになってきたと感じていた。


              〈第五回に続く〉

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