第5話 父子と娘たちの事情


「へえー、興信所に。それはなかなか大変なところにお勤めですね」


 来栖は感心したように目を瞠ると、ファストフード店のコーヒーを啜った。


「いえ、そんなことはないです。よくそう言われますけど、わたしは調査員じゃなくて事務なので、外に出て張りこんだりはしないです」


 わたしは一日も勤めていない架空の勤務先の話を、真に迫った口調で語った。


「ねえ、チョウサって何するの?」


 突然、シェイクを啜っていた美生が会話に割りこんできた。


「奥さんや旦那さんが浮気をしてないか調べたり、姿を消しちゃった人の居場所を探したりすることよ」


 わたしは一般的な興信所の業務を口にした。美生は口の中でしばらく「ウワキ、ウワキ」と繰り返した後「ウワキって警察に捕まるのかなあ」と無邪気な問いを口にした。


 わたしはそれとなく、隣に座っている瑠美の表情を盗み見た。平静を装ってはいるが、わたしと来栖の間に流れる空気を読み取ろうとしているのがはっきりとわかった。


「来栖さんのお仕事は?」


 わたしは質問を開始した。仕事を聞くくらいはいいだろう。このプロセスなくして事件の全貌は掴めない。


「中学校で音楽教師を務めています。昼間はどうしても家にいないので、学童保育に美生を預けています。塚本さんにはいつも迷惑をかけっぱなしで心苦しいんですが」


 ようやく自分の方に話を振られ、瑠美は「いえ、とんでもないです」とはにかんだ。


「……美生君がいい子だから、私も助かってます」


 瑠美がそう付け加えると、美生は「もちろん、そうさ」と得意気に胸をそらせた。


「そんな事情なもので、休日にはできるだけたくさん遊んであげようと思ってるんですが」


 そう言い終えたとたん、来栖の目に陰りがよぎった。


「お父さん、もうショッピングセンターにはいかないの?」


 何らかの空気を感じ取ったのか、美生が唐突にそう、問いを放った。


「うん。……この間のこともあるし、一か月くらいは行かない方がいいとお父さんは思う。もう小学校に入ったんだから、そのくらいは我慢できるだろう?」


 来栖がやんわりと説得すると、美生はしぶしぶと言った体で「わかった」と言った。


「留守がちな分、できることはしてやりたいのですが、なかなか力が及ばなくて……」


「ショッピングセンターで何かあったんですか?」


 わたしは核心に切り込んだ。積極的に話してくれればラッキーだ、程度の期待だった。


「ええ、まあ……」


 来栖が言葉を濁すと、唐突に美生が「変な人がいたんだよ」と口を挟んだ。


「変な人?」


「うん。ピエロの格好で風船を作ってた人がいて、僕の首を……」


「美生。そのくらいにしなさい」


 話を遮られた美生は、父親が怖い目をしていることに気づくとそれきり黙り込んだ。


「お恥ずかしい話ですが、この子は母親が事故で消息不明になって以来、ちょっとしたことにも敏感になっているんです。父親としては少しでも不安をやわらげてあげたいところなのですが、いかんせん生まれた時から一緒にいたわけではないので……あ、これはまた別の話です。失礼しました」


 わたしは相槌を打ちつつ、どうやら来栖にも吐き出したい鬱憤があるようだと推察した。


「……そうだ、美生君。お姉ちゃんたちとお父さんと、四人で動物園に行くっていうのはどうかしら?大人が三人もいれば、怖くないでしょ」


 わたしはふと思いついた提案を口にした。すると美生の表情がぱっと輝いた。


「いいの?お姉ちゃん」


「……そんな、お忙しいのに」


「わたしたちなら問題ないです。……ね、瑠美さん?」


 わたしが半ば強引に同意を求めると、瑠美はいくぶん気後れしたように「ええ」と言った。


「そうですか。……ではお言葉に甘えさせていただきます」


 来栖は深々と頭を下げると「では私はこのへんで」と美生を促し、わたしたちの前から立ち去った。


「瑠美さん。わたしはみなさんのスケジュールに合わせるから、来栖さんと相談して日程を立ててもらえないかしら」


「あ、はい、わかりました」


 打ち合わせを任せると言われ、瑠美はどこかほっとしたような表情になった。

 これがもし、わたしが来栖と打ち合わせるなどと言おうものなら、まず間違いなく抜け駆けを疑われるだろう。


 早くも携帯で動物園の情報を調べ始めた瑠美を見て、わたしはひとまずいい方向に進んでいるなとほくそ笑んだ。


             〈第六回に続く〉

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