第32話 瑠美(11) 罪人よ、真の姿を見せよ


「そのまま暗堂……いや「ママ」に殺されてもよかったんだけどね」


 美生はあどけない顔に悪魔の笑みを浮かべ、感情のこもらない声で言った。


「どうして逸見さんに、香さんを殺させたの」


「……さあ、どうしてかな。ようするに、目障りだったんだよ。みんな。逸見さんも、香お姉さんも」


「そんな……逸見さんたちに、何かされたわけじゃあないんでしょう?」


「何もされてない……だから自分でもよくわかんないんだよ」


「そんなことって……」


 私が言葉を失っていると「生首」が助け舟を出してきた。


「ようするに、美生もまた暗示をかけられていたのさ。そこにいる「本物」の暗堂によってね。彼は「お前は呪われた子だ、気に入らない存在を次々と葬ってゆく、悪魔の子だ」と信じ込ませたんだ。

 彼は美生の父親が来栖であることを知って、かつて「息子」だった美生に自分の知り得る「悪」のすべてを教え込んだというわけだ。人の心を操る術、死への恐怖を掻き立てさせる術……」


「そうさ。逸見さんも香お姉さんも、あっさり罠にかかっちゃって手ごたえがなかったよ。そんな時に逸見さんのところで「偽物」の暗堂――ママを見かけたんだ。その時すでに「本物」はママに閉じ込められていた。ママはうまく化けていたけど、僕にはすぐわかった」


「どうして「偽物」の暗堂がママだとわかったの?」


「指さ」

「指?」


「暗堂はママと同じ指をしていたんだ」


 私ははっとした。シャッターの前でギターの弦をつま弾いていた女性の指。その動きの美しさに見とれ、「インディゴ・チューン」で出逢った暗堂の指にもやはり私は見とれた。それは二人が同じ人間だったからなのだ。


「ママが生きているとわかった時はちょっと嬉しかったけど、すぐにママが僕を殺そうとしていることに気づいた。そんな時にパパが変装したピエロに襲われて、僕はママがパパを操って僕を殺そうとしているんだと思った。それで次の生贄をパパとママに決めたんだ」


 美生が子供とは思えないような渋い表情で言うと「生首」が横合いから口を挟んだ。


「だがレストランでは少し、細工に凝りすぎたね。自分で自分のランチに海老を仕込んでわざとアレルギーのふりをして見せるなんて、演出過剰だよ。子どものやることじゃない」


「それ、褒めてくれてるの?いいお芝居だったと思うけどな。だって、ああやって苦しんで見せれば、みんな僕を暗堂と血の繋がった息子だと思うじゃない。あれで邪魔なお姉さんたちが、間違った答えの方に動くのを見るのはとっても楽しかったよ」


「それが、あと少しのところで躓いた。実の母親である「偽物」の暗堂が施設に乗りこみ、君を拉致したことでね」


「そう、僕は負けたと思った。だからおとなしくママの薬を飲んであげることにしたんだよ。僕とママは死んで、一番罪の重い「本物」のパパと「本物」の暗堂はこれからも生きて苦しみを味わうんだ」


「そんな。それじゃまるで心中だわ」


 心中、という言葉を口にした直後、私の中で何かがほどけた気がした。


 この事件は本物の暗堂から悪の教えを受けた美生と、偽物の暗堂――文乃との母子の殺し合いだった。文乃は来栖に美生を殺させ、いずれは自分も死のうと考えていたのだろう。だが来栖がなかなか実行に移さないので自分が直接、美生に毒を飲ませることにした。


 では家族全員の不幸を成就させるなどという破滅的な結末を最初に描いたのは誰だ?


 一連の事件の中で、憎しみの感情で繋がっているのは文乃、来栖、美生の三人だけだ。


 仮にそんな人間がいるとしても、彼ら以外の人間にはそもそも「動機」が存在しない。


 そこまで考えた時だった。突然、フロアに満ちた沈黙を切り裂いて沙羅の声が響いた


「……第七のヴェール!市居文乃を操り、破滅を成就させようと目論んだのは、誰か」


 沙羅はフロアの中央で紫の民族衣装を一気に脱ぎ棄てると、黒い下着のみの姿になった。


「やっと最後の答えまでたどり着いたな。もうわかっただろう。その人物は、今までに名前が上がっていない、ただ一人の人物だ」


「生首」がそう言って目線を向けた人物に、私を含む全員の視線が集中した。


「……随分と時間がかかったわね。待ちくたびれちゃったわ」


 そう言って口元にうっすらと笑みを浮かべたのは、南美だった。


「南美さん……あなたが「真犯人」だったの?」


「そうよ。あなたが途中から入って来たおかげで、思った以上にややこしくなったけど、お蔭で楽しませてもらったわ」


「どうして……あなたには文乃さんたち一家とは何の関係もないはず。彼らを苦しめて得をすることはひとつもないのに」


「そうよ。彼ら全員が殺し合い、死に絶えたとしても、私には何のメリットもないわ。そんな愛だの憎しみだの、つまらない動機でこんな手の込んだことをするわけないでしょ」


「じゃあ、なぜ……」


 私がそう口にした時だった。私の傍らを、風のような速さで駆け抜ける人影があった。


「……おっと」


 人影は南美に飛びかかろうとして、紙一重のところでかわされ、たたらを踏んでいた。


 まるで野生の獣のような素早さで壁際に逃げた南美を、忌々し気に舌打ちをくれながら睨みつけているのはなんと、沙羅だった。


「……あと少しだったのに」


「あっはっは、詰めが甘いな、サロメ。いったい何度、チャンスを逃した?」


 南美は中性的な声で高らかに笑うと、自分の長い髪を掴んでいきなりむしり取った。髪と共に剥ぎとられた女性の顔の下から現れたのは、なんと「生首」と全く同じ顔だった。


「やはりおまえが「災厄の王子」だったのか。同じ顔を見せられる僕の身にもなってくれ」


「生首」がうんざりしたように言うと、南美だった美青年は嘲るような笑みを浮かべた。


「ふふん、たかが人の手で作られた模造人格に不愉快がられてもね。まあ、僕を追い詰められただけでも上出来だよ。……それにしてもサロメ、君は愚かだな」


「なんですって?」


 珍しく沙羅が色をなして叫んだ。


「だってそうだろう。カウンセリング室で僕と向き合った時、君には僕の唇を奪うチャンスがあったんだ。……なのに君は馬鹿げた自制心を出して、せっかくのチャンスを自分でふいにしてしまった。……もうすこし利口な女だと思っていたけど、がっかりしたよ」


「……そうだったのね。やられたわ」


 屈辱に震える声で沙羅が言うと、「災厄の王子」はせせら笑いながら、ポケットから薬液のアンプルを取りだし、倒れている暗堂――文乃の方に放った。


「それを注射すれば、彼女は仮死状態から戻るはずだ。おそらくどこかに美生を元に戻す解毒剤も隠し持っているはずだ。残った君たちで彼らを破滅から救ってやるといい」


「災厄の王子」はそう言うと南美が着ていた上着を脱ぎ棄て、黒のシャツ一枚になった。


「この次は、絶対にあなたの唇を奪うわ、王子」


 沙羅が赤く塗れた唇で言い放つと、「災厄の王子」はさもおかしげに笑って見せた。


「しかし今回はなかなかの健闘だったよ、サロメ。そこのどこかで見たような生首の推理もそう捨てたもんじゃない。「王」によろしく言っておいてくれ」


「災厄の王子」がそう言い放つと後ろの窓が突然、大きく開け放たれた。


「……それからそこのお嬢さん、覚えておくといい。世の中には動機などなくとも、不幸を産み出せる人間がいるということをね」


そう言い放つと、「災厄の王子」は身を翻して窓の外へと姿を消した。


 ――あんな人間がこの世にいるのか。


 衝撃的な出来事の連続に、私はただ呆然とその場に立ち尽くすばかりだった。


「……七つのヴェールの踊りは終わった。すべての真実を語り終えた預言者ヨカナンよ、元の姿に戻るがいい」


 沙羅はそう言うと、テーブルの上の「生首」をうやうやしく顔の前に掲げ、「災厄の王子」と全く同じ顔をした美少年の唇に、自分のそれを押し当てた。沙羅が唇に力を込めると「カチリ」と音がして、美少年の顔が再びぐにゃぐにゃと歪み始めた。


「すべての忌まわしい物語は終わった、宴の後片付けを始めよう」


 沙羅はそう言うと、真っ白なボールに戻った「生首」をテーブルの上に戻した。


             〈第三十三回に続く〉

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