第31話 瑠美(10) 汝の罪を告白せよ


「これはあくまでも一つの推理にすぎない。が、事件の背景として一応の説明にはなっているはずだ。

 まず、逸見と香がどこかの店で創作論を戦わせつつ、したたかに飲んだとする。逸見は悩んでいる香を突拍子もない提案で焚きつける。死ぬような経験をすればインスピレーションが得られるかもしれないとね。例えば、マンションのベランダから死ぬつもりで身を乗り出してみる……とか」


「香さんがそれを真に受けて、転落した?」


「あるいはこうだ。彼女の部屋に侵入し、中を一見、別の部屋と見まがうように変えてしまう。そして酔い潰れた香を運び込み、ここは自分の部屋だ、マンションの二階だと言い聞かせる。ここならうっかり転落してしまっても二階だ、まず死なないと煽ったうえで自分は外に出て待ち構える。うまく彼女が勘違いして転落すれば、そのまま第一発見者になるというわけだ」


「そして彼女は落ちた……」


「おそらく転落する彼女を目撃するという行為そのものが、それ以前に逸見にかけられていた暗示を解くキーだったのだろう。我に帰った逸見は香が倒れているのを見て、慌てて救急車を呼ぶ。彼女の元を訪れたら、たまたま事故現場に遭遇した、そう思いこんでね」


「……もし飛び降りなかったら?」


「それはそれで構わない。真犯人の意図は自分の意に染まない人間を一人でも減らしたいだけ。香が死ななければ、また誰か別の人間を事故に見せかけて殺害するだけのことさ」


「そんな……どうかしてる」


「だからこれは事故であると同時に自殺であり、殺人でもあるというわけさ」


「生首」が退屈そうに言い放つと、床の上に四つん這いになって猫が伸びをするように身体を前後に動かしていた沙羅がやおら立ちあがって口を開いた。


「……第四のヴェール!……来栖が美生を手にかけようとしたのは、なぜか?」


 沙羅はそう叫ぶと、手首に着けていた金色のブレスレッドを外し、後ろ手で放り投げた。


「ふっ、いよいよ核心に近づいてきたようだね。じゃあ説明しよう。来栖は自分の息子が疎ましかった……正しくは疎ましく思う心を利用された……かな。

 逸見同様、彼もまた、自分の内なる衝動に、知らないうちに火をつけられていたんだよ。一方で父親らしい顔も見せつつ、相反する歪んだ気持ちを抱き続けていたというわけだ」


「どうして?血が繋がっていないとはいえ、愛する女性の息子でしょう?」


 私が尋ねると「生首」鼻白んだように一瞬、沈黙した。


「まだわからないのかい。せっかくサロメが手がかりを渡したというのに」


「手がかり?」


「新聞記事のコピーを受け取ったろう?」


 私ははっとした。七年前の暴行事件――主犯は逮捕され、実刑を受けたが従属犯の二人は未成年で不起訴が確定した――主犯に乱暴された少女は自殺したが、現場にいた友人の少女は表に出ることはなかった。――まさか。


「当時の状況がどうだったかは当事者にしかわからない。合意があったのかもしれないし、押し切られるように関係を持たされたのかもしれない。とにかく生き残った少女は妊娠していたんだ。少女の名は市居文乃。十か月後に息子を産み、美生と名付ける女性だ」


「まさか、そんな――」


「当時、既に文乃は暗堂とつき合っていて、事件から二か月後、入籍した。十か月後、生まれた息子を当初、文乃は事件の記憶を封印していたため、美生を自分の子と信じて疑わなかった。母親がそう信じている以上、暗堂が自分の子だと思うのは当然の成り行きだ」


「暗堂さんと美生君は血が繋がっていない……じゃあ、美生君の本当の父親は、誰?」


「当時十九歳の大学生だった若者……その後、不良グループとの関係を絶って教員の資格を取り、音楽教師になった男性……もうわかるだろう?」


「まさか……来栖さん?」


「来栖が文乃を商店街で見かけた時、自分ではそのことに気づいていなかったのさ。初対面と思い、一目で恋に落ちた来栖は彼女に求婚し、すでに暗堂と別れていた文乃は、来栖が七年前の加害者とは知る由もなく一緒になった。自分の伴侶がかつての加害者であるだけでなく、息子の実の父親であるとも知らずにね」


「来栖さんがそのことに気づいたのは、いつなの」


「つい最近だろうね。何がきっかけかはわからないが、とにかく自分が美生の父親であると知った来栖は、かつて自分が犯した「罪」の記憶を蘇らせる息子の存在が、疎ましくなっていったんだ。……時には意識下で殺したいと思うほどにね」


「じゃあ、ショッピングモールで美生君を襲ったピエロは……」


「実の父親だった……とういわけさ。息子に待っていろと言い置いて姿を消し、ピエロの変装をして再度息子の前に現れたんだ」


「信じられない……いくらなんでも自分の子供にそんな事をするなんて」


「日に日に自分の面影か濃くなる美生にかつての「罪」を見せつけられ、苦悩していた来栖の心理を利用して「誰か」が「息子を殺せ」と命じたんだ。……もちろん、心の奥底では抵抗があった。だから毎回「殺すふり」をすることで自分の中の衝動を抑えていんだ」


「いい加減教えて。……ねえ、来栖さんを操っていたのは誰なの?」


「……まあ待ちたまえ。せっかちなお嬢さんだな。まだヴェールが三枚も残っている。全く鬱陶しいショーだよ、こいつは」


「生首」はうんざりしたような口調で言うと、沙羅のなまめかしい動きを醒めた目で見た。


「それじゃあ、美生君と私をバイクで襲ったのも、来栖さんなの?」


「――それが違うんだな」


「生首」は勿体をつけるように、ふふんと鼻を鳴らした。


「来栖の衝動は何者かの暗示で特定の状況にならない限り、スイッチが入らないようになっていた。たぶん、バイクの運転者は別の人間だ。来栖に久々にスイッチが入ったのは、この館に来て本物の「暗堂」を見た時だろう。来栖は暗堂に対して負い目のようなものがあったからね。スイッチが入ったからこそ、それまで一緒に行動していた君を容赦なく殴ることができたというわけさ」


「地下室で急に苦しみ始めたのは、なぜ?」


「良心の呵責から、パニックに陥った身体が拒否反応を示したんだろう。単なるデモンストレーションのつもりが、鋭二が拳銃をつきつけたことで「実行」せざるを得ない状況に追い込まれた。だから美生を「救う」ために自分の身体を動かなくさせたというわけだ」


「来栖さんが脅迫者だったなんて……じゃあ、「偽物」の暗堂さんの謎めいた行動はいったい、なんだったの?」


「それは次の問いかけがなされないと答えられないな。……ちょうどサロメの興奮もピークに達してきたようだし、踊りの方も見てやらないと気の毒だ」


「生首」に促され、私は沙羅の方に目を遣った。恍惚とした表情で身体をくねらせている沙羅は「生首」と目線がぶつかると正気を取り戻したかのように背筋を伸ばし、叫んだ。


「第五のヴェール!「偽物」の暗堂はいかにして作られ、何故このような結末に至ったか」


 沙羅はそう口にすると、刺繍の施された布のベルトを外し、放り投げた。


「さあ、ぼちぼち残り時間が少なくなってきた。今の質問は、そこに倒れている人物の正体は誰か?という物だが、いままでの答えの中で、その後がわからなくなっている人間が一人いた。わかるね?」


「まさか……文乃さん?」


「そうだ。文乃は自身を事故に見せかけて「殺した」あと、ある人物の力を借りて外見を変え、かつての恋人そっくりの姿で生まれ変わったのだ。そして病気が悪化し始めていた「本物」の暗堂を軟禁し、人々の前に姿を現した」


「いったい何のために?」


「一連の呪わしい出来事をすべて終わらせるため……自分の存在も含めてね」


「どういうこと?」


「文乃は夫――来栖が美生の父親であることを知って苦悩した。そして過酷な現実から逃避するため、市居文乃という人物を「死んだ」ことにしてかつての恋人である暗堂になりすました。そして来栖の憎悪を利用して息子の美生をこの世から消そうと企んだ」


「つまり……「暗示」の主は文乃さんだったということ?」


「そうなるね。もし来栖が美生の殺害に失敗したら、自分が美生と来栖の両方を殺害する予定だったんだろう。しかしその計画が、ある理由で狂い始めた」


「ある理由?」


「君と、サロメの出現だよ。君たちが関わってきたことで、少々、路線を変更せざるを得なくなったのだ」


「私と沙羅さん……私たちが美生君を心配して「脅迫者」のことを調べ始めたから?」


「そういうことだ。当初は来栖が焦って早く美生の始末に取りかかることを期待したが、案に相違して来栖はなかなか決断をしなかった。だから業を煮やした「偽物」の暗堂は美生を攫い、毒物を飲ませたというわけだ。自分も後を追う覚悟でね」


「じゃあ、バイクで私たちを襲ったのも、立体駐車場で鋭二さんの車そっくりの車を用意したのも、文乃さん……」


「そうだ。あれだけ脅しておけば、君たちの注意は嫌でも「暗堂」に向く。そこで、妖しい店で君たちが来るのを待ち構え、実際には存在しない男があたかも何か不穏なことを企んでいるかのような芝居をして見せたというわけだ。逸見に変装して君たちを地下室へと誘導したのも、追い詰められた来栖が興奮して美生に手をかけるよう、仕向けるためだ」


「逸見さんを事故に遭わせたり、美生君のランチにアレルギー物質を入れたりしたのも?」


「……おっと、それはまた、別の企みさ。この物語は恐ろしく複雑にできているんだよ」


「よくわからないわ。美生君と来栖さんが狙いなら、香さんや逸見さんを標的にする必要はないわ。……それに、美生君が暗堂さんと血が繋がっていないのなら、美生君が暗堂さんと同じアレルギー体質というのもおかしい」


「ふふっ、鈍い君でもやっと、多少の推理はできるようになったみたいだね。……いいだろう、そろそろ決定的な謎について語るとしようか」


「生首」が言い放つと、喘ぐような舞いを続けていた沙羅が、ひときわ大きな声を上げた。


「第六のヴェール!……香を死へと追いやるよう逸見に暗示をかけ、逸見本人も事故に遭うよう仕向けた人物……わたしと塚本瑠美の介入を知って、ゆくゆくは暗堂もろとも葬り去ろうと画策していた人物は誰か!」


 叫び終えた沙羅は身体を二つ折りにすると、履いていたサンダル風の靴を脱ぎ棄てた。


「いいだろう、教えてあげよう。その人物は偶然、自分の出生の秘密を知ったことにより、人間の暗黒面に異常な興味を抱くようになった。……自分に関わる人間を自分同様に不幸の渦に陥れようと、恐ろしい計画をためらうことなく実行に移してきた。その人物は……」


「生首」がそこまで言った時だった。ふと私の後ろで、誰かが身を起こす気配があった。


「もういいよ。ゲームは終わった。逸見さんを操って香さんを殺そうとしたのは、僕だ」


 振り返った私の目の前に、青白い顔に薄笑いを浮かべて立っている少年の姿があった。


「美生君……まさか」


              〈第三十二回に続く〉

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