第30話 瑠美(9) 七つのヴェールの踊り
沙羅はフロアの中央に進み出ると、四角いケースを空いている椅子の上に置いた。
「わたしはサロメ。七つのヴェールの踊りで、隠されたすべての真実を露わにする」
沙羅はよくわからない題目を唱えると、ケースの上蓋を外し、両手を中に差し入れた。
沙羅がケースから取りだしたのは、サッカーボール大の真っ白な球体だった。球体の下部には首を思わせる円筒形の部分と台座のような平たい箱があり、全体の形状は美術のデッサンに使用する石膏像に似ていた。
「今から預言者ヨカナンの首を目覚めさせる。心して見よ」
沙羅はそう言うと、取り出した物体を顔の高さに掲げた。よく見ると球体はシリコンのような質感をしており、下の方に人間の唇を思わせる突起があった。
「さあ預言者ヨカナン。今まで知り得た物語を元に、わたしに「事件の真相」を語れ」
沙羅は球体を顔に近づけると、自分の濡れた赤い唇を、球体の「唇」に押し当てた。
人間と球体の奇妙なキスを前に私たちが呆然としているとやがて、球体がぶるぶると震えはじめた。
沙羅はそのまま球体をフロアの一角にある丸テーブルの方に運んでいくと、天板の上に置いた。
球体はテーブルの上でぐにゃぐにゃと波打ち、生きているかのように形を変え始めた。一体どんな物質でできているのだろうと私が訝っていると、球体の表面に目鼻らしきものが現れ、驚いたことに頭髪を思わせる隆起までもが現れた。
「そろそろお目ざめかしら、預言者ヨカナン」
沙羅が言葉を投げかけると、それに応じるかのように球体の瞼が見開かれた。同時に表面全体が人間の肌のようにうっすらと赤みを帯び、たちまち見目麗しい美少年の「生首」が出現したのだった。
「こ……これは一体」
鋭二が「信じられない」と言わんばかりの声音で言った。
「さあヨカナン、ゲストの皆さんにご挨拶なさい」
沙羅がそう言うと驚いたことに美少年の「生首」が、ふふんと小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、沙羅の方に視線を向けたのだった。
「――まったく随分と無駄に長い眠りを与えてくれたじゃないか、サロメ」
「情報はちゃんと与えたでしょう。あなたが「オスカー」だった時に。……それで「答え」は出ているんでしょうね、ヨカナン」
「ああ。こんな簡単な事件でわざわざ僕を起こさせるせるとは、「王」も焼きが回ったな」
「生首」は嘲るような笑みを浮かべると、ピンク色の唇を尖らせてみせた。
「どうやら減らず口は叩けるようね。安心したわ。……「踊り」を始めるわよ」
「いつでもどうぞ。悪趣味なストリッパーさん」
およそ預言者とは思えぬ品のないからかいにも沙羅は全く動じず、ゆったりとした動きでフロアの中央に進み出た。
「今から私が投げかける七つの問いに預言者がすべて答えた時、真実がさらけ出される」
そういうと沙羅は両腕を高く上げ、身体を蛇のようにくねらせ始めた。
「……第一のヴェール。「灰色の肖像」に秘められた謎とは何か。答えよ、預言者ヨカナン」
沙羅はそう言うと踊りながら髪を止めていた長いヘアピンを抜き取り、宙に放った。
長い髪がはらりと落ち、沙羅の身体の軌跡を追うように美しく流れた。
「ふふん、簡単だよ。僕の頭の中には「灰色の肖像」の動画データもインプットされているからね。あのドキュメンタリーの中で、ブラックアウト後の暗堂が別人のように変貌を遂げる場面があるね。あれは製作者の埴生香が意図した映像ではない。撮影中、偶然映し出されてしまったハプニングなのだ。あの中で一瞬、暗堂の風貌が老人のように見えたのは、ある種の病気によるものだ」
「病気?」
思わず私は「生首」に向かって問いを放っていた。
「これは仮説になるが、彼にはある種の免疫疾患があると思われる。IGE抗体による急激な免疫反応――つまりアレルギーの劇症だ」
「アレルギー……」
私ははっとした。そう言えば息子である美生にも、強いアレルギーの症状があった。
「免疫抗体が活性化すると、皮膚の下の肥満細胞が増大する。彼の場合、それが一瞬にして起こり、激しい膨張と伸縮によって一時的に顔全体が老人のような皺に覆われるというわけだ」
そうか、と私は思った。ブラックアウトの間に、何らかの理由でアレルギーの発作が起きたため、短時間であのように風貌が激変したというわけだ。
「つまりキッチンにいたこの人が本物の暗堂さん、というわけね」
私が思わず口を挟むと「生首」が、ぎらりと光る目を私の方に向けた。
「その通りだ。度重なるストレスによって症状が慢性化し、恐らく現在に至るも回復の見込みがないのだろう。つまり症状が現れている人物こそが、本当の暗堂ということになる」
「じゃあ逸見さんに化けていた、さっき薬を飲んで倒れた人は誰?」
私がせっかちに問いを重ねた時だった。沙羅が「生首」の方を見て口を開いた。
「第一のヴェールの謎は解けた。預言者ヨカナン、第二のヴェールの謎に答えよ」
沙羅はそう言い放つと、たゆたうような動きで「生首」に近づき、指先で「生首」の唇を撫でた。
「第二のヴェールの謎……市居文乃の死は事故か、他殺か?」
沙羅は「生首」に向かって問いかけると着けていたイヤリングを外し、放り投げた。
「事故死ではない。強いて言うなら「自殺」だ」
「自殺ですって?」
「――自殺というのは言葉のあやで、彼女は死んではいない。事故に偽装し、自らを死んだかのように見せかけたのだ」
「生首」は驚くべき内容を涼しい顔で事もなげに語ると、唇を舌先で湿した。
「彼女はある理由で、夫である来栖と息子の前から姿を消すことを決意した。その際、彼女は家族が自分のことを探すのを避けるため、あえて事故死を装ったというわけだ。ふ頭から死体が見つからなかったのも、そのためだ」
「どうやって事故に見せかけたの?」
「まず車から撮影者である諏訪来三を外に出す。次に人目がなくなった時を見計らって自分でサイドブレーキを外し、ギアをドライブに入れる。
車はそろそろと前に進み、やがて防波堤の端から転落する。前輪がはみ出し、車体が前に傾いた直後にドアを開けて外に飛び出せば、脱出の瞬間はまず見咎められない。あとは水に潜り、岸壁に沿って離れた場所まで泳いでから水面に顔を出せばいい」
「その後は?……生死不明の人間がおいそれと姿を現したら騒ぎになるに決まってるわ」
「その通り。偽装死を首尾よくやり遂げたら、ある人物の元に身を寄せることにあらかじめ決めてあったのだ」
「ある人物?……それは誰だ?」
鋭二が焦れたように問いを挟んだ。
「真相の究明には段取りがある。まだその問いに応える段階じゃあない」
「生首」ににべもなくあしらわれ、鋭二は憤懣やるかたないという顔になった。
「……第三のヴェール」
沙羅が身をくねらせながら、強い口調で言い放った。
「埴生香の転落死は事故か、自殺か、あるいは……他殺か」
沙羅は首から下げていたネックレスを外すと、私の足元に放った。
「埴生香の死は、ある種の事故だ。……だが、第三者による誘導が介在しており、その点から見れば「他殺」でもある」
「どういう意味だ?」
鋭二が色をなして叫んだ。だが「生首」は一切、ひるむことなく推理を続けた。
「転落死の少し前、香は悩んでいた。仲間の文乃と暗堂が自分から離れていったように思い、創作に賭ける情熱が失われていたのだ。そこにある人物が、新たな創作テーマを吹きこんだ。それは「死」をリアルに表現するという禁断のテーマだった」
「吹きこんだのは誰だ?暗堂か?」
「違う。「ポートレイツ」の主催者、逸見だ」
「生首」が断言すると、逸見が「嘘だ、僕が香君を殺すなんてこと、あるわけがない」と強い口調で「生首」に詰めよった。
「そうだろう。君は香の死体の第一発見者でもあるからね。だが、それは覚えていないというだけで、君は「発見」の前に彼女を死へと誘っていたのだ」
「どういうことだ……僕にそんな記憶はない」
逸見は信じられないという表情になると、大きく頭を振った。
「記憶がないのは当然だ。君は真犯人に「操られて」いたのだから」
「操られていた?真犯人とは、誰だ?この中にいるのか?」
「……そう。この中にいる。だが、それを明かすのはもう少し先だ」
「生首」は勿体をつけるように言うと、口元をきゅっと吊り上げた。
「まずは君がどのような方法で香君を死に至らしめたか、その失われた記憶を蘇らせよう」
〈第三十一回に続く〉
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