第26話 瑠美(5) 巡礼は雨音と共に
私から一通りいきさつを聞き終えた来栖は「信じられない」と目を見開いた。
「すぐに後を追わなければ。美生の身に何かあっては悔やんでも悔やみきれない」
来栖はそう言うと、身を翻して施設の外に飛び出そうとした。
「待ってください。私も……一緒に連れて行ってくれませんか」
「塚本さんも……?」
「美生君をみすみす知らない男性の手にゆだねてしまったのは、私の責任です。足手まといかもしれませんが……お願いします」
来栖は一旦体の向きを変えると、太い息を吐いた。
「塚本さん、あなたには今の僕がおかしく見えるでしょうね。暗堂と聞いた途端、取り乱した僕が」
「どうしてですか」
「だって暗堂は美生の父親なんですよ。実の父が息子を連れて行っても、本来であれば何ら危ぶむような事態ではないはずです」
「それは……」
私が口ごもると、来栖は口元に自嘲めいた笑みを浮かべた。
「僕はね、悔しいんです。ほとんど父親として暮らしていない暗堂の誘いに、美生が抵抗もせずに乗ってしまったことが。あと少し待っていれば僕が迎えに来るというのに、何をしでかすかわからないような男に、引きよせられるようについていってしまった。僕と暮らしたこの数年間は、いったい何だったんだろうって」
「だからと言って、子供が攫われていったのをそのままにはしておけないと思います」
「その通りです。ですから、取り返しに行くつもりです。……僕はこれから家に戻って車を取って来ます。塚本さんはここで待っていてください」
「……私もご一緒していいんですか?」
「これも何かの縁です。三十分くらいしたら来ます」
「来栖さんは美生君が連れていかれた「別荘」について、何か知ってらっしゃるんですか?」
「ええ。恐らく暗堂の友人、新井戸南美さんの所有している別荘のことだと思います」
「南美さんの……」
「詳しいことは車の中で話します。それじゃ、また後で」
そう言い置くと来栖は再び身を翻し、ドアの外へと姿を消した。
居間に残された私は、とにかく混乱する思考を落ち着かせることに務めた。
※
来栖が去って二十分ほど経った頃、ふいにインターフォンが鳴った。
通話口に出ると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「松井です。ちょっといいですか?」
沙羅の声を聞いた瞬間、私の心臓がまた小さく跳ねた。私は玄関に移動すると、引き戸を開けた。戸口のところに現れたのは、濡れそぼったコート姿の沙羅だった。
見た瞬間、私は沙羅の携えている奇妙な荷物に目を奪われた。それはジュラルミンか何かできたさいころ型のケースで、サッカーボールが入りそうなほどの大きさだった。
「沙羅さん……なんですか、それ」
「これ?これはわたし専用のパソコンよ。「オスカー」って言う愛称で呼んでるわ」
「パソコン……」
「少々、変わった形だけど、これから取りかかる仕事にどうしても必要なの。それであなたにも関係のあることだから一言、忠告をしておこうと思って」
「忠告?」
「良く聞いてね。別荘に着いたら、誰のことも信じちゃだめよ。どんなに心細くてもよ。……いい?」
「は、はい……わかりました。……でもどうして沙羅さんが「別荘」のことを?」
「ごめんなさい、今は詳しく話していられないの。でもいずれ、あなたも全てを知ることになるわ。あなたもこの、奇怪な絵のピースの一つに他ならないのだから」
「ピースの一つ?」
私が問い返すと、沙羅の手元でケースが震えた。
「そろそろ行かなきゃ。……また向こうで会いましょう……わたしに会うまで無事でいることを祈ってるわ」
謎めいた言葉を残し、沙羅は戸外の暗がりへと姿を消した。
※
沙羅が立ち去ってからほどなくして、建物の外に車の停車する音が聞こえた。
「遅くなりました。外に車が止めてあるので、戸締りをしたら来てください」
来栖はそう言い置いて、戸外へと戻って行った。私は身支度をすると、居間の電灯を消して外に出た。施設の前には来栖の物と思われるスポーティなセダンが停められていた。
「本当にいいんですか」
戸締りを終え、助手席に乗りこんだ私に来栖が念を押した。
私は来栖の目を見返すと「はい」と頷いた。沙羅の言葉が本当なら、美生を追って「別荘」に赴くことは避けようのない運命なのだ。
「わかりました。では行きましょう」
来栖がアクセルを踏みこむと、セダンはまだ宵の口であるにもかかわらず、まるで無明の闇も同然に見える道を滑りだした。
「南美さん……新井戸さんの別荘はE区の北端にある丘陵地帯の一角にあります。場所ももう調べてカーナビにインプット済みです」
「どうして所在地がわかったんですか?」
私が驚いて尋ねると、来栖は片手でドアポケットからタブレットを出し、私に手渡した。
「これを見てください。南美さんが参加している「異端科学研究会」のホームページです。「例会の場所」というページに「別荘」のことが載っています」
私は言われるまま、画面を操作した。「第十三回例会・場所「トワイライト・カフェ」(新井戸邸)」とあった。
「この「異端科学研究会」には暗堂も名前を連ねていて、南美さんの別荘にも何度か足を運んでいるようです。「トワイライト・カフェ」というのは現在は営業していませんが、主にオカルト愛好者たちが集まる店だったみたいですね。すでに閉鎖された別のオカルト系サイトに、カフェの住所が掲載されていました。そしてこの「別荘」自体はそもそも、とあるIT系企業の重役が所有していた建物のようです」
そう言うと、来栖は法定速度で走行している車両を立て続けに追い抜いていった。
「道中、黙りっぱなしも何ですから、僕と文乃の昔話でもしましょうか」
唐突に来栖がそう切りだし、私は胸の奥が怪しく波立つのを感じた。
――全てを知ることが私の「運命」なのだとしたら、もう何を聞かされても驚くまい。
〈第二十七回に続く〉
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