第10話 夜を纏いし男


「ブルー・キャビン」は、想像していたより広い店だった。


 アート志向の若者たちがたむろする店だと思い込んでいたわたしは、妙にこざっぱりとした雰囲気にいささか拍子抜けするものを感じた。


 ――ここが「ポートレイツ」のメンバーたちのたまり場だった店か。


 わたしは奥まった一角に席を占めると、この店の売りだというカルーアミルクに口をつけた。


 客の入りは四割ほどで、見たところ普通の大学生かOL、といった風情の人々が大半だった。中には顔中が髭だらけの巨漢や、ラスタカラーのニットキャップを被った初老の男性など、普通の勤め人ではなさそうな顔もちらほらと見受けられたが、それでも怪しげな相談をしている客の姿はは皆無だった。


 わたしはベレー帽に大きな伊達眼鏡という、こういったミッションの時でもなければ自分ではしない出で立ちで店を訪れていた。わたしは店内のいたるところでかわされているさざめきをなるべく逃すまいと、必死で聞き耳を立てた。


 しばらくそうしているとやがて、ある囁きの一部がわたしの耳に引っかかった。


 ――少人数のバンドか劇団?……うーん、難しい注文だね。


 ささやきが漏れ聞こえた方向に目を遣ると、カウンター席でこちらに背を向けている女性と、マスターらしい男性の姿が目に入った。


「そういうグループが無いこともないけどさ、まずは君自身がどういう物をやりたいのか方向性をはっきりさせないと、参加しても失望させられるだけだと思うな」


 マスターにたしなめられた女性客は、ふうと溜息をつくとカウンターに突っ伏した。


「二、三年前なら四人でやってた「ポートレイツ」っていうグループがあったけどね」


 ふいに聞き覚えのある単語が飛びだし、わたしは思わず聞き耳を立てた。


「「ポートレイツ」?」


「ああ。逸見っていう男がリーダーのグループで、気分によってバンドをやったり寸劇をやったりしていたんだ。だけど、メンバー四人のうち、二人が事故で亡くなってね。たぶん今も活動は休止中だと思う」


「ふうん。……残念だわ」


 わたしはそっと席を立つと、、カウンターの方に移動した。


「でもメンバーが二人も亡くなるなんて、お気の毒ね。皆さん、まだ若かったんでしょ?」


「まあ、そうだね。事故とは聞いてるけど、さすがにこれにはリーダーの逸見君もこたえたようで、以前は皆でこの店によく顔を出してたんだけど、さすがに最近はさっぱり姿を見せなくなったよ」


 マスターが言葉を切って感傷に耽り始めたところで、わたしは思い切って割りこんだ。


「あの……よろしいですか?」


 わたしが声をかけると、女性客とマスターが同時にわたしの方を見た。マスターと女性の好奇のまなざしを、わたしは真っ向から受け止めた。


「その「ポートレイツ」の逸見さんって言う男性、わたしちょっと知ってるんですけど」


 わたしがおもむろにそう切りだすと、二人の眉が「だから何だ」というように顰められた。


「実は最近SNSで知りあって、わたしがアップしたプロフィール写真を見て「うちのメンバーにならないか」って誘ってきたんです。まだよく存じ上げない方だし、どうしようかと思って」


 わたしがことさら困惑気な目をして言うと、マスターが「そんなことか」という表情になった。女性の方はクリエイター集団のリーダーに目をつけられたという事実が気になるのか、挑むような目でわたしを見つめていた。


「へえ、あの逸見君がね……そう言えば、亡くなった二人の女性メンバーとは、また違ったタイプみたいだね」


「今は活動なさっていないみたいですけど、どんな作品を作ってらしたのかしら」


 わたしが無邪気に尋ねると、マスターは腕組みをして「どんな作品――ねえ」

と宙を睨んだ。


「僕が見たのは、廃墟のような場所で男女がよくわからないサイレント・ドラマを演じてるって奴だったな。途中に奇妙なダンスが入ったりして正直、とっつきづらかった印象がある。……でも主役をやってた暗堂っていう男性メンバーに存在感があってそこは結構、魅力的だったかもしれないな」


 いい流れだ、とわたしは思った。おあつらえむきに暗堂の名も出たことだし、ここでもう少し突っ込んだ質問をしても怪しまれることはあるまい。


「――その、暗堂さんていう方の出ている作品で、今でも見られる物はないのかしら」


 私が問いを繰りだすと、またしてもマスターは「うーん」と唸って黙り込んだ。


「ちょっと前までは動画みたいなのをアップしてたけどな。何せ二人死んでるし、もう削除しちまったんじゃないかなあ」


 マスターが言葉を濁そうとしかけた、そのときだった。ふいに背後から三十歳くらいのショートカットの女性が顔を出した。


「ほら、あれがまだ見られるんじゃない?香ちゃんが撮った暗堂君のイメージビデオ」


 同僚らしい女性店員がそう言うと、マスターが急に「あっ」と言って額を叩いた。


「そうだ、たしかにあれならまだ見られるかもしれない。……でも香ちゃんも亡くなってるし、誰かが削除しちまった可能性はおおいにあるけどな」


 マスターの言葉にわたしは俄然興味を掻き立てられた。


「亡くなったメンバーが撮ったビデオなんですか?」


「そう、たしか「灰色の肖像」とかいうタイトルで、本名かニックネームか、どちらかで上げていたと思うな。「ポートレイツ」名義の作品じゃあ、ないけどね」


「逸見さんに聞けば、わかるでしょうか」


「どうかなあ。一番確実なのは、主演の暗堂君本人に聞くことだけどね」


「このお店には来られないんですか?」


 私が問いを放つと、マスターはあっさりと首を横に振った。


「一人でここにはまず、ないね。グループがまだ活動してた頃は皆と一緒に来てたけど、元々が風来坊だし、逸見君にも彼の行動はきっとつかめてないんじゃないかな」


 わたしは唸った。やはり、そのビデをを見て風貌を目に焼き付けるしかないか。


「何せ単独行動が好きで、結構、危ない場所にも出入りしてたって噂だからさ。それがきっかけかどうかはわからないけど、亡くなった奥さんも暗堂君の夜遊びには手を焼いてたって言う話だよ」


 マスターはカウンターに身を乗り出すと、声を低めて言った。すると、ふいに離れた場所からハスキーな女性の声が飛んできた。


「暗堂ちゃんなら「インディゴ・チューン」で見たわよ」


 声のした方を見ると、カウンターの端の席で髪を赤紫に染めた女性が、鼻から煙草の煙を吐き出しながらこちらを見ていた。


「……ああ、あそこか。たしかに、いかにも暗堂君が好みそうな店だな」


 わたしは女性が口にした店の名に、大いに興味をそそられた。


「インディゴ・チューン?」


「ここより遥かにマニアックなお店でね。女房持ちが行くような店じゃないよ」


「どこにあるかわかります?」


 わたしが重ねて問うと、マスターは呆れたような表情を浮かべた。


「そうまでして暗堂君に会いたいの?」


「ええ。なんとなく、お顔を間近で見てみたいんです」


 わたしが正直に言うと、マスターは「しょうがない子だなあ」という顔になった。


「教えてもいいけど、行くのはお薦めしないよ」


 わたしはマスターがしぶしぶ寄越したメモをバッグにしまうと、礼を述べた。隣で女性客が「本気かしら」というまなざしで見ているのが、顔を向けなくてもわかった。


 ――これで一歩、事件の奥に踏みこんだな。暗堂が美生君たちを脅している「犯人」であってもなくても、とにかく「灰色の肖像」だけは何としても見なくては。


 わたしはひそかにそう誓うと、グラスの底に残ったカルーアミルクを一気に干した。


              〈第十一回に続く〉

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