第9話 黒き死の仮面
美生を伴って外に出たわたしは、西日の照りつける往来を歩き始めた。
「ねえ、どうしてあのスタジオにお母さんがいるなんて思ったの?」
わたしが問うと美生は口をぱくぱくさせた後、一気に語り始めた。
「あのね、夢で見たの。お母さんが、必ず迎えに行くから待っていてっていう夢。でも、なかなか来ないから、逸見のおじさんのところに行けば会えるかなって」
「どうしてそう思ったの?」
「お母さんが、逸見のおじさんから「歌が聞きたい」って頼まれて、よくお父さんに内緒で歌いに来てたんだ。逸見のおじさんは僕に前のパパの話をしようとして、よくお母さんに止められてた」
「美生君は前のパパのこと、覚えてる?」
わたしが畳みかけると、美生は首を横に振った。
「あんまりよく覚えてないし、聞きたいとも思わない。お母さんもおじさんに「そんお話をするならもう来ません」って言ってた」
「じゃあ、美生君にとってのパパは、今のお父さんだと思っていいのね?」
わたしが尋ねると、美生は「うん」と言って強く頷いた。
覚えていない――か。やはり暗堂のことは本人に会ってじかに聞き出すしかなさそうだ。
そんなことを思いつつ、わたしが駅へと続く小路に足を踏みだしかけた、その時だった。
背後で唐突にエンジンの音が聞こえ、わたしは反射的に振り向いた。黒いバイクが歩道の上をこちらにむかって突進してくるのが見え、わたしは美生を突き飛ばすような形で近くの軒先に転がり込んだ。
「何?今のっ」
わたしは立ちあがると、歩道に引き返した。バイクが走り抜けた方向に目を向けると、バイクはわたしたちの目と鼻の先で停車し、ゆっくりと車体の向きを変えようとしていた。
「やっぱり、わたしたちを轢こうとしたのね」
ヘルメットで顔を隠した黒づくめのライダーは、二、三度アクセルをふかすと再びわたしに向かって突進してきた。わたしは腰にすがってきた美生を脇に押しやると、迫ってくるバイクに対し仁王立ちになった。
「お姉ちゃん、危ない!」
わたしはライダーの黒いバイザーを正面から見据えると、バッグから樹脂製のボールを取り出し、反動を付けて放った。
「ぐあっ」
目の前でバイクが横転し、わたしの身体を掠めるように滑って行った。放り出されたライダーは歩道の上をバウンドしながら転がり、民家の塀に激突して止まった。
わたしは倒れ伏しているライダーに歩み寄ると、黒いジャケットの背中に声をかけた。
「随分とクラシックな脅し方をするのね。……悪いけど、顔をあらためさせてもらうわ」
わたしがライダーにそう告げ、ヘルメットを脱がせようとした。その時だった。
地面に突っ伏していたライダーがふいに上体を捻ったかと思うと、わたしに向けてスプレーのような物を吹きかけてきた。次の瞬間、目と鼻を強烈な刺激が襲い、わたしは身体を二つ折りにして激しく咳き込んだ。どうやら唐辛子のような刺激物を吹きつけられたらしい。
「やっ……たわ、ね……」
わたしが咳き込みながら言うと、すぐ傍で人の動く気配があった。どうやら起き上がったライダーがバイクの方に向かおうとしているらしい。
わたしが痛む目をようやく開けた時、視野に飛び込んできたのはバイクに跨りかけている黒い背中だった。ライダーはエンジンを吹かすと、赤い塗料の飛び散ったヘルメットを一瞬、わたしの方に向けた。
――邪魔するなら、貴様も道連れにしてやる。
バイザーの奥の目がそう告げたかのように思った瞬間、バイクはけたたましい音と共に車道に飛びだしていった。
わたしはふらつく脚で美生の元に戻ると、怯え切った表情の美生を抱きしめ「もう大丈夫よ」と言った。
おそらく、本気で殺そうとしたわけではないだろう、とわたしは思った。繰り返される脅しの果てに何が待っているのかはわからないが、「敵」が美生たちをいたぶっていることだけは想像が付いた。
しかし今の襲撃を振り変えると、「敵」は美生を身を挺して守ろうとする者を、無差別に葬りかねないようだ。
わたしは震えが収まった美生の手を握ると、再び瑠美の待つ施設への道をたどり始めた。
〈第十話に続く〉
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