第8話 踊る恋人たち
フロアの中央では、体にフィットしたレッスン着に身を包んだ男女が絡み合うような舞いを見せていた。
二人の外見には際立った特徴、それも異様な特徴があった。
「ファントマの恋人」と名付けたというその舞いの主役二名は、両者とも頭部を白い布ですっぽりと包み隠した状態でパフォーマンスを繰り広げていたのだった。
わたしはフロアの隅に用意されたパイプ椅子に座って、なんとも奇妙な雰囲気の二人を落ち着かない気持ちで眺めていた。私を落ち着かなくさせているものは、二人の舞い以外にもあった。バックで流れている音楽が、変拍子を多用した前衛的な曲だったのだ。
やはり同じフロアの一角にキーボードやシンセサイザーなどの鍵盤楽器を城塞のように固めた場所があり、その中でまだあどけなさの残る青年が一心不乱に演奏を続けていた。
わたしがどこが山場かもわからないダンスを不思議な気持ちで眺めてると、唐突に演奏が止み、二人の動きもそれに合わせてぴたりと止まった。
「……どうでした、松井さん」
頭部の布を取り去った男性が、汗を拭きながら私の前にやってきた。背後を見ると一緒に踊っていたパートナーもまた布を取り払い、汗をぬぐっていた。二十歳そこそこの若い女性だった。
「……よくわからないけど、圧倒されました」
わたしは当たり障りのない感想を男性――逸見恭介に返した。実際、いいも悪いも判別のしようがない内容だった。
「あの子は最近知りあった子で、ダンススクールに通っているんです。僕の新しい演目「ファントマの恋人」に共感してくれたので、レッスンに招いたんです」
逸見はそう言うと、ルネ・マグリットの絵画に着想を得たというダンスの説明を得意げに披露し始めた。
「それから、バックで素晴らしい演奏を披露してくれたのが、やはり先日、知り会ったばかりの音大生さんです。前衛音楽を専攻しているそうで、自分の曲を披露する場を探していたんだそうです」
男性が目で示した方に視線を向けると、演奏を終えたばかりの青年がはにかみながらこちらを向いているのが見えた。
「この二人を、できれば新生「ポートレイツ」のメンバーとして迎えたいと思っているんです。もう一年以上、活動を休止していましたが、これでようやく再開できそうです」
逸見はタオルで首筋の汗をぬぐいながら、自信に満ちた口調で言った。
「あの、「ポートレイツ」のメンバーは、ここにいらっしゃる方だけなんですか?」
わたしが疑問を口にすると、逸見は「ふむ」と口をつぐんで宙を睨んだ。
「実はもう一人、暗堂という男性メンバーがいるのですが、消息がわからないのです」
「消息が?」
「……あ、いや行方不明という意味ではありません。彼は僕と一緒にこの「ポートレイツ」を立ち上げたいわば「同志」とも呼べる男なんですが、根っからの自由人で束縛されることをひどく嫌うたちなのです。元々「ポートレイツ」は僕ら二人のほかに女性メンバーが二人、いたのですが不幸なことに二人とも事故で亡くなってしまいまして、それ以来、活動再開のめどが立っていなかったのです」
逸見は現在に至るいきさつを、立て板に水とばかりにすらすらと語って聞かせた。
「とにかくこの暗堂も新しい演目に誘いたいと思っているのですが、なにぶん気難しい男なので無理に誘うとモチベーションを下げかねない。まあ、僕のSNSくらいは見ているでしょうから、気になったら彼の方から何らかのアクションを起こして来るだろうとは思ってます」
逸見の過剰とも言える自信をわたしは正直、つまらないと思った。先ほどのパフォーマンスもそうだが、こけおどしの域を出ない安っぽいものが好きなタイプらしい。
「亡くなった女性メンバーのことなんですけど、活動中に事故に遭われたのですか?」
わたしが突っ込んだ問いを放つと、逸見はまたしても押し黙り、うーんと唸った。
「いや、事故とうちの活動とは関係ありません。一人は暗堂の元、妻で
夫婦仲はよかったのですが、暗堂は子供ができて守りに入った妻に飽きたのでしょう、次第に遊び歩くようになり、結局は彼女が子供を引き取るという形で別れました。その後、市居は別の男性と結婚したのですが、音楽仲間と映像作品を撮っている最中に命を落としたそうです」
「もう一人の女性は?」
「
さすがに僕も四人のうち二人が亡くなった時は解散かなと思いましたが、こうして新しい才能に出逢えたことで、再起のきっかけがつかめたような気がしています。……あとは松井さん、あなたに参加してもらえれば僕のイメージする最強のパフォーマンス集団が完成します。考えていただけませんか」
「お誘いはありがたいのですけど、わたしは人前でパフォーマンスをするようなタイプじゃないので……」
わたしがやんわりと拒絶の意を示すと、逸見は「またまた」と食い下がってきた。
「あなたのプロフィール写真を見た瞬間、僕はピンときましたよ。この人の中には表現への欲求が眠っているってね」
「そうでしょうか……ちょっと自分じゃわからないです」
わたしが再三にわたって逸見の誘いをかわそうと粘っていた、その時だった。
ふいにフロアのどこからか、ハモンドオルガンの音色が流れ始めた。単純なメロディではあったが明らかに生の演奏で、私は思わず音楽担当の青年を見た。青年は戸惑った表情を浮かべており、その両手は身体の両側にだらりと下がっていた。
「僕じゃないです。おかしいな……」
やがて青年は下の方に視線を向けると、あっと叫んだ。
「美生君じゃないか。また来たのかい」
――美生だって?
わたしは思いがけない珍客の訪問に、思わず目を丸くした。そのままキーボードの方を眺めていると、青年にうながされる形で渋い表情を浮かべた美生が姿を現した。どうやら楽器の陰に隠れる形でオルガンを弾いていたらしい。
「美生君……」
わたしが呼びかけると、美生は丸い目を見開いた。
「……お姉ちゃん」
わたしが美生に近づこうと足を踏み出しかけると、いきなり逸見がわたしと美生との間に割って入ってきた。
「美生君、何度来ても同じだよ。お母さんはここにはいない」
逸見に強い口調で窘められ。美生は押し黙った。
「この子はここに来れば、お母さんと会えると思っているんです。……そうだね?」
逸見はわたしと美生を交互に見て言った。美生はおずおずと首を縦に振ると「だって、警察の人もお父さんも、お母さんが死んだなんて言うんだ。そんなの嘘だよ」と言った。
「どうして嘘だと思うの?美生君」
わたしが問いかけると美生は一瞬、ひるむような素振りを見せ、それからおもむろに口を開いた。
「夢で……お母さんが僕に言うんだ。私は生きてる。いつか迎えに行くからって」
美生の切実な望みを耳にして、全員が黙りこくった。どうこの場を取り繕えば、美生は納得するだろうか――そんなことを考えていると、ふいに携帯の着信音が鳴り響いた。
「……はい、逸見です。……えっ、塚本さん?……はい、来てます」
どうやら電話は塚本瑠美からのようだった。ということは、美生は職員の目を盗んで、学童保育施設を抜けだしてきたのか。
「そうですね。来たんだから帰れるとは思います。……はい、そのように言い聞かせます」
わたしは思わず前に進み出て、気付くと逸見の携帯を奪っていた。
「もしもし、瑠美さん?……松井です。……そうです、たまたま今日はこちらにお邪魔してました。美生君は、わたしが連れて帰るってことでいいでしょうか?……はい」
わたしは一方的に美生を連れ帰ることを取り決めると、逸見に携帯を返した。
「……ごめんなさい、差し出がましい真似をしてしまって」
「いえ、いいんです。……そうか、松井さんはもう、あの親子と知り合いになっていたんですね」
逸見が感心したように言った。その目の奥に「油断のならない人だ」という色が過ぎるのを私は見逃さなかった。
「すみません、別に隠していたわけではないんですけど……そうだ、逸見さん、もしよかったら暗堂さんがよく行く場所を教えていただけません?」
わたしがそう頼みこむと逸見の目が一瞬、細くなった。
「暗堂とお会いになるつもりですか?」
わたしは逸見の懸念を一瞬で理解した。文乃の時と同様、わたしが暗堂の性格に惹かれて、のっぴきならない関係になってしまうことを恐れているのだ。
「わたしと暗堂さんがねんごろになるのを懸念していらっしゃるのなら、その心配はご無用です。わたしはただ、暗堂さんがどんな外見の男性なのか知りたいだけです。中身にはさほど興味ありません」
わたしがあっさりと言い切ると、逸見は逆に虚を突かれたような表情になった。
「あ……まあ、それならいいです。ええと、それじゃあ、美生君をよろしくお願いします」
わたしはにっこりと笑って逸見に会釈をすると、美生を招きよせた。
「お母さんに会うのは、またにしましょう。さあ、帰るわよ」
美生は一瞬、何か言いたげな表情でわたしを見た後、こくんと頷いた。
〈第九回に続く〉
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