第28話 瑠美(7) 招かれし者たち


「お前は……」


 来栖が呼びかけたとたん、異様な人影はくるりと背を向け、階下へと姿を消した。


「待てっ」


 来栖はそう叫ぶと、消えた人影を追って階段に向かった。私はいったん躊躇した後、階段の方に移動を始めた。


 私が気配を求めて階下を覗きこんだ、その時だった。ふいに背後でくぐもった声のようなものが聞こえた。私はその場で振り返ると、背後のドアを見た。

 私はしばらくその場で息を殺し、耳を澄ませたが、声や物音らしきものは聞こえなかった。


 私は意を決すると、目の前のドアを勢いに任せて押し開けた。難なく開いた扉の向こうの風景を見た瞬間、私は驚きのあまりその場に棒立ちになった。


 寝室と思しき部屋の中にいたのは、二人の人物だった。一人はベッドの上に腰かけている美生で、もう一人は美生と向かい合う形で立ち、美生の首のあたりに手をあてがっている長身の人物だった。


「――美生君!」


 私が叫ぶと立っていた人物がこちらを振り返った。その風貌を見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。


「暗堂……さん」


 私の方を向き、感情のない瞳でこちらを見ているのは妖しい風貌の人物――暗堂だった。

 私は暗堂の不気味なまでに整った顔立ちと鋭い眼差しに一瞬、ピンで留められたように身動きがままならなくなった。


「……美生君をどうするつもりですか」


 私が後ろ手でドアを閉め、声を低めて呼びかけると、暗堂と思しき人物は血の気のない薄い唇を開き、聞こえないほどの声で何かをつぶやいた。

 私はその妖しい魅力に飲みこまれそうになりながら「美生君から離れて」と言った。


「……ふっ」


 暗堂らしき人物は唇の両端をぎゅっと持ち上げ、この世の物とは思えない笑みを浮かべると次の瞬間、風のような身のこなしで壁際へと飛び退った。

 私が暗堂の動きを睨みつつ、いちかばちか美生の方に駆けだそうとした、その時だった。


「塚本さん!……塚本さん」


 突然、背後でドアが叩かれる音がした。私が答えられずにいると、再びドアが叩かれた。


「いったい、どうしたんです?塚本さん!」


 来栖の切迫した声に、私は思わずドアの方を振り返った。するとその直後、背後でガシャンというガラスの割れる音が聞こえた。


「……どうしました?今のは何の音です?」


 室内の方を振り返った私の目に飛び込んできたのは、割れたガラス窓と強風に弄ばれるカーテンだった。


 私が呆然と立ちつくしていると、バンというドアを蹴破るような音がして来栖が飛び込んできた。


「……美生!」


 来栖は一声叫ぶと私の傍らをすり抜け、ベッドの上の美生に駆け寄った。


「美生、大丈夫か?何もされなかったか?」


 来栖に抱きしめられる美生を見て、私の胸にようやく救出に成功したのだという実感が沸き上がった。


「来栖さん……あの怪しい人は?」


 私が聞くと来栖は「わからない」というように頭を振った。


「不覚にも見失ってしまった。……塚本さん、廊下に誰かいないか、見てくれませんか」


 私は頷くと、ドアの前に移動した。ドアを細く開け、隙間から廊下をうかがおうと顔をつき出しかけた、その時だった。ふいに後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が見舞った。


 目の前がたちまち暗くなり、私はその場に膝から崩れ落ちた。


 ――来栖さん?……一体なぜ?


 闇に飲まれてゆく意識の中で、私はひたすら問い続けた。


             ※


「……かっ。……大丈夫ですかっ」


 遠くから呼びかける声に、私は深い闇の底から現実へと引き戻された。

 私の両肩を掴んで揺さぶっているのは、見たことのない男性だった。


「……あなたは?」


「――よかった、気が付いて。僕はこの建物に招待された客で、埴生と言います」


「埴生さん……」


「いったい、何があったんです?」


 埴生と名乗る男性は、厳しい表情で私に問いかけた。


「いきなり、後ろから殴られて……」


「殴られた?……誰に?」


「……知人です。一緒にここに来た……来栖さんという人です」


「来栖だって?……君は一体、何者だ?」


 埴生は来栖の名を聞くや否や、口調を荒げた。私は身体を起こし、埴生の目を見返した。


「私は塚本瑠美。施設でボランティアをしている大学生です」


 私は埴生の傍らを離れると、ベッドの上を見た。


「そうだ……美生君は?」


 美生の姿はとうになく、来栖の姿も消え失せていた。


「どうやら君も誰かに導かれた「客」のようだね。僕は埴生鋭二。一応、警察官だ」


「警察官?警察の人がどうして……」


「話せば長くなるが、簡単に言うと、妹の死の原因を調べていて知りあった人物から、ここに来るよう促されたんだ」


「妹さん?」


「ああ。映像の仕事をしていたんだが数年前、マンションから転落して亡くなった」


「もしかして、文乃さんのお友達の……」


「そうだ。文乃さんを知っているということは、君も松井さんに招待されたのか?」


「松井さん……沙羅さん?新井戸さんじゃなくて?」


「松井さんだ。メールを貰ったんだ。ここに来ればすべてがわかると」


 私は鋭二の言葉に、鼓動が早まるのを覚えた。いったい、何が起こっているのだろう。


 私の頭は、気絶する前にもまして混乱していた。


「松井さんはメールの中で「別荘についたら誰のことも信用するな」と忠告していた。思い当たる節はあるかい?」


 鋭二に言われ、私はどきりとした。


「私も……沙羅さんに同じことを言われました」


「ふむ。……そうなると、僕と君の立場にさほどの違いはなさそうだ。……よし、とりあえず、下の階に降りよう。二階には誰もいないようだ」


 誰もいない……鋭二に言われ、私は反射的に窓の方を見た。暗堂があそこから逃げていったのだとしたら、いったいどこへ行ったのだろう?


 私たちは部屋を出ると、連れ立って階下へと降りた。一階のフロアは目が慣れるとかなり広いことがわかった。壁際にはカフェだったころの名残か、椅子が山と積まれていた。


「……ここも無人か。人を呼びつけておいて、不作法にもほどがあるな」


 鋭二はそう言うと、フロアの中央に進み出ていった。それにしても美生はいったい、どこにいるのだろう。そんなことを考えていると。ふいに正面玄関の方からどんどんと扉を叩く音が聞こえた。


「誰か、誰かいませんか?」


 扉の向こうから男性の声がして、私と鋭二は思わず顔を見合わせた。


「どうします?」


「……とにかく開けてみないことには判断できないな」


 鋭二はそう言うと、扉の前に移動した。


「どちら様です?」


 鋭二が誰何すると、一呼吸遅れて返事があった。


「……逸見と言います。松井さんから招待を受けて来ました」


「逸見さんだって?」


 鋭二が肩越しに振り返り、私を見た。私は思わず「ドアを開けて」と鋭二を促した。


 鋭二がチェーンを外して扉を開けると、濡れそぼったコートに身を包んだ逸見がふらつくように室内に入ってきた。


「逸見さん……」


 私が思わず呼ぶと、逸見がはっとしたように顔を上げ、私を見た。


「塚本さん……埴生さんまで」


「逸見さん、あなたも松井さんに招待されたそうですね。どういうことです?」


 鋭二が質すと逸見は肩をすくめ、黙って頭を振った。


「どういうことだか、こっちが知りたいですよ。晩餐会にしても、時間が遅すぎる」


 逸見は壁の時計を見ながら言った。針は午後十時を指していた。


「とにかくここにいる三人のうち二人は、松井さんから招待を受けたわけだ。しかし肝心のホストがここにはいない。これはどういう趣向かな」


 鋭二の言葉に、全員が沈黙した。やがて耐えかねた私が思い切って口火を切った。


「とりあえず、美生君をさがしましょう」


「美生君もここにいるのかい?」


 逸見の言葉に頷くと私は「来栖さんもいます」と付け加えた。


「建物の中にいるのなら、くまなく探せば見つかるはずだ。外を探す前に、手分けして調べてみよう」


 鋭二の言葉をきっかけに、私たちはフロアの中を、隠し部屋などがないか調べ始めた。


 それにしても、と私は思った。あの奇怪な人物はいったい、どこに隠れているのだろう。もう一度鉢合わせたら、恐怖でその場に倒れてしまいそうな気がした。


「……だめだ、キッチンへの扉とトイレの他は何もない。階段と玄関だけだ」


 鋭二がお手上げだというように肩をすくめると、逸見が何かに気づいたように唸った。


「待てよ……ドアとは限らないぞ」


「どういうことです?」


「ここがもし「異端科学研究会」の集会所として使われていたなら、本当の集会場はこの階じゃない。僕が聞いた話では大抵の場合、集会は地下にある部屋で行われていたらしい」


「――地下?」


 私は思わずフロア全体を眺め回した。


「ええ。もし「トワイライト・カフェ」の「裏フロア」がどこかにあるとすれば、この部屋のどこかに地下に通じる階段があるはずです」


 逸見は押し殺した声で言うと、壁に沿って丹念にフロアを調べ始めた。


 鋭二が「やれやれ、とんだ怪談だな」と呆れたように言った、その直後だった。


「……あった。たぶんここだ」


 逸見が突然、声を上げた。私は思わず声のした方を見やった。逸見は階段の側面に設けられた収納庫の扉を、厳しい表情で見つめていた。


「この扉が怪しい。調べてみよう」


 そう言うと逸見は、子供の背丈ほどの小さな扉を開けた。私たちが固唾を呑んで見守っていると、扉の隙間に首を突っ込んだ逸見が突然「あっ」と小さく叫んだ。


「やっぱりここだ。……下に通じる階段がある」


 私と鋭二は収納庫の前に移動すると、代わる代わる中を覗きこんだ。収納庫の床に一メートル四方ほどの穴がぽっかりと開き、下の暗闇に向かって急こう配の階段が伸びていた。


「僕が先に行きます。下に着いたら合図しますから、ついて来て下さい」


 逸見はそう言うと、慎重な動作で穴の中に降り始めた。逸見の姿が消えてしばらくすると「着きました」という声が響いてきた。


「真っ暗だ。僕は照明がないか探してみますから、皆さんは降りきったら階段の近くで待機していてください」


「よし、行ってみよう」 


 鋭二が逸見の後に続いて穴に潜り、私もその後を追うように急な階段を降り始めた。


 やがてつま先が固い平面を探りあて、私は地下室に到着したことを知った。暗闇の中でじっとしていると逸見の「あった、スイッチだ」という声が聞こえた。


 そのまま待っているとやがてパチンという音がして、目の前がまばゆい光に覆われた。


 部屋の様子が露わになった瞬間、私たちの目の前に現れたのは信じがたい光景だった。


             〈第二十九回に続く〉

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