第23話 瑠美(2) 少女よ、告白せよ
「皆さん、ご心配をおかけしました」
人気のなくなった施設の入り口で、来栖は深々と頭を下げた。
「とにかく居場所がわかって良かったわ。事故にも遭ってなかったし」
寿子はしきりに恐縮する来栖を宥めるように言った。
「でもどうしてクリニックなんかに行ってたの?」
私は来栖の傍らでばつが悪そうにしている美生に向かって言った。
「南美さんに……クリニックのお姉さんに「何か心配なことがあったらいつでもきてね」って言われたから……」
「心配なこと?……美生君、何か心配ごとがあったのね?」
「うん。……パパがこの頃、疲れたとか眠れないとか言うから、それで心配になったんだ」
美生がおずおずと告げると、来栖が「ごめんよ」と美生の頭を撫でた。
「僕がいけないんです。仕事で疲れた様子を見せたり、眠れないなんて愚痴った物だから」
「それにしても、一人で行くなんて……」
私が苦言を呈しかけると、二人の後ろに控えるようにたたずんでいた沙羅が口を開いた。
「瑠美さん、子供だって大人並みに悩んだりするんですよ。私も南美さんに、こっそり相談事を打ち明けたりしてるし」
「沙羅さんが?」
私は意外の念に打たれながら、改めて沙羅を見た。来栖父子と並んで立っているさまは、仲のよい家族のようだった。
私はふと以前、来栖親子と一緒に歩いていて、通りすがりの年配夫人に家族連れと間違われたことを思い出した。こうしてみると、沙羅と来栖の方がよほど夫婦と呼ぶにふさわしい。私は一体、何を浮かれていたのだろう。
「瑠美さんもストレスが溜まっているのなら、一度、行ってみた方がいいわよ」
私はふと沙羅の口調に、何か違和感めいたものを覚えた。どこがどうとは言えないが、少し前までの彼女とは少し違う気がした。美しさは変わらないが、どこか人形のような、以前感じた妖しさが影を潜めて普通の人になったように感じられたのだ。
「……そうですね、機会があったら」
私は言葉を濁しながら、また一人、味方が遠ざかったかのような寂しさを覚えていた。
※
私がクリニックの門をくぐったのは、その翌日のことだった。
美生が何者かに狙われているというのに、来栖は警察等に危機を訴える気配がなく、私のもやもやは限界に達しようとしていた。沙羅への嫉妬も含めてすべてを女性である南美に打ち明けたらどんな気分になるだろう、そう思ったのだった。
受付をすませ、クリップボードに留められた問診票に答えを記入すると、職員が私に先に医師の診察を受けるよう促した。
レストランで会った江口という医師から「疲労からくる抑うつ症状」という診断を下され、私はようやく同じクリニック内にあるカウンセリング室への入室を許されたのだった。
中に入ると、白衣に身を包んだ南美がにこやかに私を出迎えた。髪をすっきりとまとめ、眼鏡をかけた南美は、レストランで会った時よりも清潔感と不思議な妖しさが増して見えた。
「こんにちは。会うのは二度目ね、瑠美さん」
南美はそう言うと、私を向き合った椅子に座らせた。私の訴えを一通り聞き終えた南美は「色々な思いを溜めこんでいたのね」と感想を口にした。
「でもその思いを溜めこんじゃだめ。だって人間だもん。嫉妬もすれば疑心暗鬼にだってなるわ。私もそう、みんな弱いのよ」
南美は形のよい眉を寄せ、パールピンクの唇を柔らかくほころばせた。
「そうでしょうか」
「瑠美さんにはきっと、自分を吐き出せる場所がないんだわ。そのことで自分を追い詰める時間が長くなっているのよ」
南美の見立てに、私は素直に頷いた、たしかに学校でも孤立しがちだ。異性だけでなく同性や家族に対しても構えてしまう。だから鬱憤を溜めこんでしまうのかもしれない。
「もし私でよかったら、ここで思う存分、吐き出してもらって構わないけど……」
南美の言葉に私は「そうですね、他に吐き出せそうな場所もないですし」と応じた。
「……そうだ、よかったら今度、私がお休みの日に時々、息抜きに行っている「別荘」に遊びに来ない?環境をがらりと変えてみるのも、いいものよ」
突然、思いがけない提案を切りだされ、私はどぎまぎした。カウンセラーがプライベートのレジャーに患者を誘うなんて、そんな公私混同があるだろうか。
「いえ、あの……」
「ちょっと唐突かしらね。でもあなた、いまにも爆発しそうなんですもの」
そういうと、口ごもる私に南美は妖しく含み笑いをしてみせた。
「大丈夫、来栖さんも沙羅さんもみなさん、ここで思いを吐き出してすっきりした顔で帰られてるわ」
南美の言葉はわたしの胸に、ナイフのように深くつき刺ささった。来栖も沙羅も、わたしの知らないところで思いを語り、安らぎを得ていたのだ。
「焦らないで。誰かに出しぬかれた気がしていても、必ずチャンスは巡ってくるわ」
「チャンスが巡ってくる……」
私が復唱すると「そうよ」と南美の唇が言い聞かせるように動いた。
「――わかりました。なんとなくすっきりしました」
「気がかりなことがあったら、また来てね。待ってるわ」
私は「そうします」と返すとふらふらとカウンセリング室を後にした。クリニックを出ても、南美の声が脳髄の奥深くにまで染み渡っているようで、現実感が乏しかった。
そんな私を現実に引き戻したのは、ふいに背後から投げ掛けられた声だった。
「あら、瑠美さん、これからボランティア?」
振り返ると、路上に沙羅が立っていた。
「あ、いえ……今日は休日で、これから家に帰るところです」
「そう。私はついさっき図書館に行って来たところよ」
「図書館……」
私はふと、奇妙な感覚に囚われた。沙羅の持つ現実離れした雰囲気と、図書館という堅い場所とがいまひとつ、ちぐはぐに思えたからだった。
「そう、ちょっと調べ物があって。……あ、そうだ。この記事のコピー、あなたにあげるわ。すぐには意味がわからないかもしれないけど、帰ったら目を通してみて」
沙羅はそう言うと、新聞記事のコピーと思われる紙片を私に手渡した。
「それじゃ、またね。美生くんによろしく」
そう言うと、沙羅は私の内面のもやもやを見透かすかのようにくるりと背を向け、足早に立ち去った。私はなぜか安堵の溜息をもらした。南美に会ったことを言わずに済ませたのは、正解だったかもしれない。
――別荘か。私にもそんな場所があれば、少しは気分が浮き立つかもしれない。
この澱のように溜まったもやもやを吐き出すには、今の環境は窮屈すぎる。少なくとも私の周囲にいる人たちはどこか皆、隠しごとをしているようで気を許すことができない。私は沙羅から手渡されたコピーをバッグにしまうと、地下鉄のホームへと降りていった。
〈第二十四回に続く〉
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