第5話 アノと本
「この辺、なんだけどなぁ」
アノは一人で、村はずれの森の中を歩いていました。
降り注ぐ日を遮る葉の傘。木漏れ日に暖かさを感じながら、アノはてちてちと森を進んでいきます。
「あ!あれかな!?」
森の中心にある、ひと際大きな木。その木には、窓やドア、雨よけが付いていて、木そのものが家になっています。
「お家も素敵!」
好奇心を抑えられないアノが、小走りにドアの前まで来ると、キィと音を立ててゆっくりとドアが開きました。まるでドアが『いらっしゃいませ』とあいさつをしているかのように。
「ドアさん、ありがとう!」
「おはようございます!」
元気に挨拶をするとアノは黒犬の家に入っていきます。
家の中には、イスとテーブル。綺麗に整理された少々の生活用品。そして、とにかくたくさんの本、本、本。あまりの本の多さに、アノは目を回しています。
「おや、アノさん。おはようございます。」
窓際の椅子に座って本を読んでいた黒犬の魔法使いが、小さな来客に応えます。黒犬が読んでいる本は、空中に留まり、ひとりでにぺらっと音を立ててめくれていきます。本を眺めていた黒犬が立ち上がるとパタッと本が閉じました。
「今日は、どんな御用ですか?」
「ご迷惑でなければ、ここにある本を読ませてください!」
アノは勢いよく頭を下げました。
「おや、素晴らしい。アノさんは、もう字が読めるのですね。ここの本で良ければご自由にどうぞ。」
「ありがとうございます!」
アノが、どの本を読もうか迷っていると、スッと一冊の本がスライドし、背の部分だけ本棚から出て来ました。アノは自然とその本を手に取ります。
「これにしよう!」
本を片手に椅子に座ると、アノは夜遅くまで夢中になって読みました。
それからアノは、毎日のように黒犬の家に本を読みに通うようになりました。最初は黒犬と話すのが目的でしたが、次第に本を読む事、知識を得ることが楽しくなっていきました。読んだ本の話を妹たちにするのもアノにとって最高の楽しみでした。
通い始めて、ひと月程経ったある日…
「アノ…今日は私たちもついて行っていい…?」
アノが、いつものように黒犬の家に向かおうと支度をしていると、いつもは留守番をしている、モニカとラムが話しかけてきました。
「どうしたの?めずらしい!」
「ずっとモニカと話してたの~、魔法使いさんのお家を見てみたいって~」
実は、モニカとラムも魔法使いのお家が、ずっと気になっていました。ただ、アノの邪魔をしちゃいけないと思って、我慢していたのです。
「うん!みんなで行こう!今日は、黒犬さんのお家でご本を読んであげるね!」
モニカとラムはぴょんぴょん跳ねて喜びました。
三匹は、仲良く手をつないで黒犬の家へと出かけていきます。
黒犬の家に着くと、いつもより大きくドアが開きました。触れてもいないのにドアが開いたのを見て、モニカは一歩あとずさり、ラムは目を丸くしていました。
「魔法…?」
「勝手にあいた~」
その様子を見ていたアノは自慢気にしています。
「すごいでしょ~。早く入って挨拶しよう!」
てちてちと家の中に入っていくアノに妹たちが続きます。
「「「黒犬さん、こんにちは~」」」
「こんにちは。今日はみなさんでいらしたのですね。」
黒犬は深々とお辞儀をしました。
「モニカ~、みて~すごい本~」
「アノの話通り…すごい本…素敵なお家…」
2匹が目を回していると、天井近くから一冊の本が落ちてきました。
アノはバサッと床に落ちた本を拾い上げ、パタパタと埃を払います。
「今日は、この本だね。本棚さん、いつもありがとう!」
アノは、拾った本を片手に窓辺のテーブルへと歩いてくと、よいしょと椅子に座ります。この窓際のテーブルは、暖かい陽の当たる特等席。アノはいつもこの席で本を読んでいます。
「モニカ、ラム、ご本を読んであげる!こっちにきて座って!」
アノはニコニコしながら、手招きをしています。
「やった~、今行く~」
ラムも窓際のテーブルに移動し、アノの会い向かいに座りました。
しかし、モニカは移動せずに本棚を見つめて首を傾げていました。
「落ちそうな本なんてなかったのに…なんで?」
「モニカー、早くしないと読んであげないよー?」
アノに急かされ、モニカもラムのとなりに座りました。
「今日は、どんなお話し~?」
「楽しみ…」
二匹は、わくわくしながらアノを見つめています。
「今日はまだ読んでないから、わからないよ」
アノは笑いながら本をテーブルの上に出しました。
真っ黒な表紙の本。その真ん中にはアンティーク調の箱が一つ。
「本のタイトルは『パンドラの箱』だって!」
アノはタイトルを伝えると、本を開き読み始めます。
「これは昔々、まだ神様が…」
アノは本を読み始めました。黒犬の家で何冊も本を読んでいるアノは、ほぼすべての文字が読めるようになっていました。最初は知らない言葉も多かったのですが、一生懸命勉強してたくさんの言葉を覚えました。
そのままの文章で読むのではなく、妹たちがわかりやすいように、やさしい言葉に変えながらゆっくりゆっくり本を読み進めていきます。
モニカとラムは、真剣に話を聞いています。いつもふざけ合いながら聞く家での雰囲気とは、また違い、とても新鮮で楽しい時間が過ぎていきます。
「パンドラが慌てて蓋を閉めたら、箱の中には希望だけが残ったといいます―。」
パタンと本を閉じると、アノはふぅと息を吐きました。
そんなアノを労うように、黒犬が拍手をしはじめました。つられてモニカとラムもぱちぱちと拍手をします。
「アノ~ありがとう~」
ラムがアノに近寄り、ぎゅーっと抱き月ました。
「ありがとう…」
モニカもぎゅっとアノに抱きついています。
「どういたしまして!」
3匹は、それから1時間程、『パンドラの箱』について話をしました。
それぞれがひとしきり話したところで、ラムが言いました。
「このお話は本当なのかな~?」
モニカもラムと同じような疑問を口にしました。
「私も気になる…パンドラの箱は本当にあるのかな?」
「「「んー?」」」
3匹は、一斉に黒犬へ視線を向けました。その視線に気づいた黒犬が3匹に答えます。
「パンドラの箱は、実在しますよ。」
いつもより明るめの口調で黒犬は話し始めました。
「南の山を越えたところにある『不思議の森』、その向こうの海に『蒼い洞窟』があります。そこにパンドラの箱が眠っているそうです。」
南を指さし、黒犬が続けます。
「その森は、迷いの森とも呼ばれていて、近づく者はいないそうですよ。」
「さすが黒犬様!なんでも知ってる!」
アノは目をハートにして、黒犬を見つめています。アノを放置して二匹は会話をはじめます。
「ん~、パンドラの箱~、見てみたい~」
「私も…箱を見つけたい」
2匹は同じ考えをしていました。
「私も!きっと二人が考えてる事と同じこと考えてる!」
猫の目に戻ったアノが話に混ざってきました。
「ほんと~?じゃあ、せーので考えてることを一斉に言おう~」
三匹はそれぞれと目を合わせます。
「「「せーの!」」」
「「「箱に残った希望を解き放ちたい!」」」
きゃっきゃっと盛り上がる子猫達。3匹は黒犬に相談しました。
すると、黒犬は棚から、奇麗な透明の水晶を取り出し、3匹に差し出しました。
「これをどうぞ。これは魔法の水晶。この水晶を通して、いつでも私と話が出来るようになります。私が箱探しのお手伝いをしますよ。」
誰よりも早くその水晶を受け取ったのはアノでした。若干、怪しく目を輝かせアノがお礼を言います。
「ありがとうございます!」
「あのズルい~」
「すごい速さだった…」
3匹は、またキャッキャと騒いでいます。
「でも、これで箱を探せるんだね…開ければ、希望に満ち溢れた世界になる…」
「うん~、とってもとっても素敵~楽しみ~」
笑顔で話す二匹を見て、アノは気が付きました。
「これって…」
何かを言おうとしたアノの視界に黒犬が入りました。黒犬は指を一本立てて口元に当てています。アノはそれが、『言ってはいけないよ』というサインだと気づきました。
「アノどうしたの~?」
「ん。これってお母さんとお父さんを説得しなきゃだめなんじゃないかな?」
「確かに…」
3匹はまだ子猫。さすがに長期の旅は許してもらえなそうです。
「それなら、私がご両親を説得しましょう。大丈夫ですよ。」
黒犬は優しく言いました。
「「「ありがとうー!」」」
3匹は黒犬を囲んでキャッキャとはしゃぎ始めました。
「では、三日後、また家へいらしてください。」
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