本家ガメラではカットされた、若者たちがガメラ襲来にも怯えずダンスしまくって、警官に息巻いているところにガメラ襲撃で我先に逃げ惑うみたいなシーン、ヨンガリでは自棄になった市民が酒飲んでくだ巻いていたシーンがコッテリ描かれていたのも印象的でした。
南大門は破壊せず、日帝残滓のソウル市役所が破壊のクライマックスでした。朝鮮総督府のチラっと映ってましたがこれもブっ壊す訳にはいかなかったんでしょうね。
最近高画質版がネットにチラホラupされましたが、ネガが発見されたのでしょうか?完全版が見てみたいです。
怪獣映画再評価の1980年代頭では色々批判された本作ですが、見る機会が増えるに連れて「あれ?これ傑作なんじゃね?」ってファンが増えた作品です。
本編がマジメなんですよね、福田監督作品なのに。福田さんすみません。でやっぱりいい味出しているのが土屋嘉男。シャーベット計画のテーマも軽妙な名曲です。
特撮もカマキラスが飛んでゴジラが放射能吐いて腕が焼き千切れて回転しながら主人公たちの近くに飛んで来るなんてアクロバティックなシーンをテンポ良く見せる。
日本特撮は釣りがいけない、なんていう奴は一遍本作を見ろや!って息巻いていたのも半世紀近く昔の話です。
まだ新婚だったころ、妻と一緒に本作を見た時、北極のマダムピラニアの部屋を見て「プランス映画の影響があるねえ」と言っていました。
そういえば怪獣映画、特撮映画の本編セットってあまり話題にならないなあ、キンゴジの桜井のアパートは広すぎモダンすぎでちょっと話題になったなあ、等と思いました。
名古屋襲撃、中日球場への避難、そしてガメラ登場、対決!
この辺りの盛り上がり方は、東宝怪獣映画を凌ぐものがあります。
何気に、怪獣BGMレコード化の先鞭だったりするけど後続は無かった模様。
「怪竜大決戦」(1966)……東映が放つ忍術×怪獣バトル映画への応援コメント
本作の城破壊は、日本特撮最高の城破壊シーンでしょう。
隅櫓がねじれる様に歪んで崩れ、瓦が落ちる、あれは特殊美術の頂点の様なシーンです。「大魔神」の戦国中期を思わせる城も中々ですが、織豊期全盛っぽいこちらに軍配が上がります。
天守に付く、松本城月見櫓みたいな江戸時代的な建物も、戦国末期を舞台にした本作に似つかわしくない存在ながら見栄え的には中々です。
ただあのバラエティー番組みたいな宴会ミュージックは笑う。
何が驚きかっていうと、決定稿までメーサー車が登場していない事。
実に短期で第三の主役を忽然と誕生させてしまえるのが、やはり当時の映画陣のパワーの凄い所です。
ガイガンで燃やされた大サイズのメーサーの残骸を第二回特撮大会で見た時の衝撃を忘れられない。
ついでに、「ビルマの竪琴」を見た時、骨壺を持った僧侶の行進の曲がサンガイマーチと同一主題だったのを知った時も衝撃的でした。
佐藤勝「僕のゴジラはおふざけ調」
それがあの名曲メカゴジラに繋がるとは…
「大魔神」(1966)……特撮と時代劇が融合した三部作への応援コメント
バルゴンとの同時上映の前日、新聞で永田社長が「日本映画は必ず復活する!」と意気込んだ記事を日比谷の国会図書館に探しに行ったものでした。
魔神への祈りの主題は東映「親鸞」で親鸞たちが京都へ向かうタイトル直後のシーンでも使われていました。印象的だったのが、巫女が佐馬之介に斬殺されるシーンで流されたところでした。「弱者は強者に対し絶対的優位にある」という先生の言葉を雄弁に表す様なシーンでした。東宝レコード「伊福部昭の世界」で聞いて惚れ込んだものでした。
「大魔神逆襲」のエンディング、キングコングの逆襲でも使われた主題ですが、クレジットが流れる辺りは通勤中に聞いていると涙が流れそうで危険です。あと「わんぱく王子の大蛇退治」のエンディングも危険。
大俳優決戦と仲間内では語っています。前作では少年を救った藤山浩二、バイラスでは「子供を見捨てられないので降伏」と言った夏木章の、怪獣を凌ぐ欲望ドロドロバトルが最大の見どころです(嘘)。
しかし何気にビール瓶チョップかます江波杏子が一番狂暴なのでは?
「怪獣大戦争」(1965)……シリーズ唯一のゴジラ宇宙遠征への応援コメント
統制官、機械に忠実と言いながら、結構隠せていないオシャレな個性がにじみ出ていて、流石土屋義男さんだなあと思います。
本作、かなりひっ迫した状況で製作されたのか、「空の大怪獣ラドン」からの流用が目立ったり、ギドラとゴジラの襲撃も地方都市で終わってたりして、スゴイスケールを思わせる作風ながら被害規模が少なく済んでます。台詞ではギドラがニューヨークを襲っていたりするのですが。
その昔キングレコードから「SF特撮映画音楽全集」というLPレコードが発売された際、ジャケットにまだ金色でなかったギドラのカラースチールがデンと載っていて、そんな写真が存在した事に驚いたものでした。
「金星って、アフリカか?」は海底軍艦の「ムー帝国?アフリカですか?」と並ぶ時代ネタでしたね。
若林明子さん。数十年前お会いする機会があったのですが、とても綺麗な方でした。当時の砧撮影所ってスゴかったんだろうなあ。
晩年の本多監督曰く、「こんな怪獣映画があってもいいじゃないか」だそうで。
ホント国際秘密警察シリーズみたいな一作でした。
スタッフ苦心のドゴラのシーン、円谷監督が「こんなもの観客に見せられるか!」と激怒してフィルムを縦に裂いてしまったとか。色々無念の残る作品だった事でしょう。
海外版、というか日本以外版とも言うべき国連艦隊フロンティア誘導弾対ゴジラのシーンを、高画質シネスコで見たいものですが、今では北米版も日本版に差し替えられて国連艦隊シーンが無かったりする…
「キングコング対ゴジラ」(1962)……日米怪獣、夢の頂上決戦への応援コメント
かつては動員数790万人と言われていましたが、今は再上映時の動員数を加算しているのですね。
かつて日本コロムビアからドラマLP「怪獣王ゴジラ」が発売され、本作も30分に短縮されて収録されましたが、キッチリ輸送作戦が収録されていた辺りに竹内さんらしい拘りを感じたものです。
太平洋の嵐、大映の釈迦と並んで日本特撮の代表作ですねえ。
多元磁気立体音響が発売された時は大喜びでした。まるで別の映画みたいでした。
全く、一時は羽化シーンが丸々バッサリ切れたプリント(しかも真っ赤な褪色版)が出回ったお蔭で歓喜してたジェリー伊藤達がいきなりパニクった版しか見られなかったのに。
この後の小泉博「話が急で驚いたでしょう」で劇場で笑いが起きるまでが約束でした。
極稀にチャンピオン版が上映されると褪色してない版で羽化シーンがあって狂喜したのも昔話です。
あのシネカリ粘液は中々にショッキングでした。
「大怪獣バラン」(1958)……陸海空を制するムササビ怪獣を討てへの応援コメント
バラン対自衛隊の攻防。なぜこうなったのか…
元々バランは30分3本のアメリカ向けテレビ映画として企画されたが頓挫(これは日本語版の音声が残っており、完成品映像を当てた商品化もされています)。
仕方なく映画として延長されたため、攻防シーンが追加された。音楽も「𠮷志舞」「兵士の序楽」「子供の為のリズム遊び」等のアレグロが盛り盛りに足されてああなったそうで。
止めにシネスコサイズでの公開を求められ、現場は大混乱。「(温厚で責任感が強い)本多監督でなければ完成させられなかっただろう」と言われる程だったそうです。
70年代以降の再評価ブームの際、日劇のゴジラ誕生25周年記念で上映されたのが印象的でした。しかし評価は押しなべて同様でしたね。
それでもゴジラはまだいい方で、バランとかなんだこりゃでした。
先日東京都現代美術館で故井上泰幸さんの展覧会があり、撮影用の原寸大で再現された岩田屋のセットが公開されました。もう感涙の一言です。
反対側の商店街のセットや、数カットのみ登場の日活ホテル等、あんなすげーミニチュアが何杯も用意されていたと思うと、かつての日本映画の底力の凄さが実感できるというものです。
日本怪獣史上初の対決シーン、昔オールナイト上映では真っ黒黒で、見る人達が次々と眠りに倒れて行ったのもいい思い出です。
レーザーディスク(死語)で見た時、ちゃんとビルの凸凹が見えて、感動した事と言ったら…
なお、北海道の宴会シーン、特撮史上に残る楽しそうな宴会シーンです。その正反対が新東宝の「地獄」。
この作品は、平成ゴジラシリーズの最終作ということで、もちろん劇場に観に行きました。
ただし、当時アクション映画の新進気鋭北村龍平監督を起用した作品ということで、何となくイヤな感じを抱いてましたね。
結果として私の懸念は的中し、映画は特撮怪獣スペクタクルとしてもアクションヒーロードラマとしてもどっちつかずの中途半端な安っぽい感じに終わりました。
こんな作品がゴジラ映画のラストとは全くもって残念至極と嘆きながら帰りました。
怪獣映画ってのは創る側からしても難しいものなんだなと思いましたね。
今となっては本多猪四郎監督の偉大さを感じますね。
編集済
「ゴジラVSビオランテ」(1989)……ファン投票第一位の人気作への応援コメント
怪獣映画の傑作ってのは、もちろん出演怪獣の特色が秀逸であることも大事だけど、やはりストーリー展開が素晴らしいかどうかってことが重要だと思うんですよ!
特に巨大怪獣の映画だと、重厚感が前面に来ると、人間ドラマが堅苦しくなる傾向になる。
この作品が多くの支持を得て人気があるのは、冒頭の地下鉄構内での銃撃戦から始まり、主要登場人物の紹介から怪獣登場までの展開が無駄なくスピーディーなことや、すぎやまこういち氏の音楽とかスーパーXⅡ によるゴジラ攻撃など、話の流れに軽快感があるのが好評につながったんじゃないかな !?
高嶋の次男坊が対ゴジラ攻撃のエリート自衛官役で颯爽と出演してるのが良い感じです。(これでゴジラ映画に親子で出演を果たしましたね)
大森監督が張り切って撮った感じも映画全体に表れててナイスなんだけど、一つ気になったのは主要登場人物のセリフが演劇風にカッコつけくさい感想でした。
最後にビオランテが霧散して空に消えて行くシーンはファンタジーみたいで、私は違和感を感じたけど、これは観た人によって良し悪しが別れそうですな…。
スーパーXⅡはもっと最後まで活躍して欲しかった!
まぁ、いろいろあって楽しい作品だったな!
この作品は平成ガメラシリーズの金子修介監督ということで、いつもより期待して見に行きました。
結果、物語展開も特撮ビジュアルも良い出来で、さすが金子修介監督!と思える作品でしたね。
白目ゴジラの残忍さが、これでもかとばかりに描かれ、温水洋一や篠原ともえがその餌食になるシーンも秀逸な演出でした。
ゴジラが静岡の街を破壊してキノコ雲が上がり、かとうかずこが
「原爆?」
と呟くところとかも、昔からのゴジラファンを良く理解してるワンカットだと思いました。
1992年公開の「ゴジラ VS モスラ」に続きクライマックスの舞台は横浜みなとみらいでしたが、前回よりも格段に特撮ビジュアルがリアルで臨場感がありました。
ただ、宇崎竜童が最後の最後に魔法のように帰還したのは何だかご都合よろしい感じだったかな?という印象です。
…ってまぁ、映画自体は満足したんだけど、この作品は「とっとこハム太郎」と併映だったので実は私、劇場スタッフに
「私はゴジラ作品だけ見られれば良いんで、ハム太郎が終わったら入場したい ! 」
と言ったら、
「途中入場は出来ません、2作品上映前に入って下さい」
ってことだったので、しぶしぶハム太郎も見るはめに…。
いや~、その上映中ほぼ全編、キャラクターらの黄色い声がキャッキャラキャッキャラはしゃいでるような作品で、もうゴジラを見る前にぐったりした記憶が… 今となってはトラウマです。
作者からの返信
金子監督にとって念願のゴジラ映画だっただけに、力の入れようがすごかったですね
VSモスラと同じくみなとみらいを舞台にしても、川北紘一監督とはまったく見せ方が違うのも印象的でした
ハム太郎は……映画自体はハム太郎黄金期の作品なので、出来は良いんですけどね
ハム太郎終わった瞬間に親子連れがぞろぞろ帰って行くのが悲しかった……
編集済
ガメラ3 邪神覚醒…もちろん観ましたよ!
怪獣映画の傑作なのは間違いないですよね。
まず「怪獣被害遺児」の少女を主人公に持ってくる設定が凄い、画期的な作品ですよね。
そして新怪獣イリスの生態…ギャオスの亜種として、また伝奇的存在の「鳳凰」とする見方もあるという描かれ方。
一方で、日本を始め世界各国に増殖したギャオス。
秀逸の渋谷破壊シーンや、奈良~紀伊半島上空雲海上の飛行バトルシーン、台風の風雨吹き荒れる京都でのクライマックスバトルシーンなど、もはや非の打ち所無き特撮ビジュアル!
ただ、こんなに怪獣展開をあちこち広げちゃって回収つくのか、この話?…って映画観てる途中で思いました。
それと、出演キャラクターの役割が何だか中途半端に終わった感が残った。
…例えば内閣の秘密セクションのスタッフ、(山咲千里と手塚とおる)…何だったのかよく分からぬうちに最後あっけなく死亡。
浮浪者落ちしてた大迫元警部は長峰にイリス対策への協力を求められたが、自身ほとんど役に立たず、街のお巡りさんに取り押さえられる。
守部少年はイリス退治の聖剣を持って京都に行ったが、あっけなくイリスに吹っ飛ばされて失神。
さらに言えば、ガメラとイリスのバトルで大爆発を起こして吹っ飛ぶ京都駅の構内にいた主人公たちが、無傷でエンディングを迎えるってのも…どうなの?
イリスとの戦闘で傷つくガメラ…大増殖して大群で日本に向かうギャオスの群れ…非常にモヤモヤする中でのエンドロール。
何なのよ !?
ガメラ4を見せてくれ~っ !!
…そう言えばこの映画、まだブレークする前の仲間由紀恵が出てましたね。
イリスに襲われ体液吸われてミイラになっちゃう女の子の役でした。
作者からの返信
本作の脚本執筆には紆余曲折あったらしいので
キャラクターの描写にはちょっと気になるところもなくはないですね
しかしそれを補って余りある特撮シーンの素晴らしさですよ
ラストシーンも色々言われていますが、あの世紀末感が良いんですワ…
『GODZILLA(1998)』は素晴らしい怪獣映画でした。
『ジュラシックパーク』シリーズはどれだけ巨大生物が大暴れしようと、やはり恐竜。火を吐く事もなければ戦車を踏み潰す事もない。
でも怪獣であるGODZILLAは違いました。
多くの人がGODZILLAはゴジラじゃなくガッジーラだと申されますが、私はGODZILLAはゴジラだと思っています。
はっきりと姿を見せずに船舶を破壊するという、セオリーである登場の仕方。足跡で大きさを予感させ、姿を見せたら無双する展開。怪獣(=ゴジラ)映画の醍醐味を全て詰め込んだ作品でした。
NYへの上陸地点から魚市場への進撃ルートは『原子怪獣現わる(1953)』へのオマージュのようです。
親が倒れ、産卵場所も破壊され全滅したと思ったら、一匹生き残っていたというオチもハリウッドが得意とする生物・怪物パニック映画の踏襲ですし。
米軍が強すぎる、という意見もありますが、『インデペンデンス・デイ』や『バトルシップ』では聞きませんので、難癖の一種だろうと(苦笑)。
何度見返しても楽しめる最高の怪獣映画ですね。
作者からの返信
「こんなのゴジラじゃない!」の一言で駄作認定するのは勿体ない作品ですね
2作目3作目と続けばアメリカンゴジラとして定着したのかもしれませんが……
こういう怪獣映画もまた見たいですね
おはようございます。
「ゴジラ×メガギラス」は、あのラドンの餌に過ぎなかった虫がゴジラの対戦相手として大出世する映画ですね。私は大阪人ですが、大阪が首都になるのはちと違和感が・・・・・・(汗)。でも、東京が壊滅してしまったらこうなるのかな?
ところで本作に登場する辻森桐子さんはゴジラシリーズ初のバリバリの「戦うヒロイン」ですね。対ゴジラ兵器を操縦して最前線で戦う女性キャラは何人か出てきましたが(エミー・カノ―さん、キャサリン隊員、家城茜さん。三枝未希さんもゴジラの第二の脳を探知する為にメカゴジラに搭乗した事あり)、体1つで武器を携え最前線でゴジラに勝負を挑んだ女性キャラは今のところ彼女だけでしょう。
本作では女性であるところをあまり出さない人なので、アニメのキリコちゃんが可愛く見えました(笑)。辻森さんがゴジラ打倒に執着するのは、責任転嫁では無く尊敬していた上官に対する贖罪、ゴジラを倒す事で上官に報いようとする気持ちだと思いますので、私にはそんなに彼女に対して嫌な気持ちは無いです。
本作では皮肉にも対ゴジラ兵器であるはずのブラックホール砲がメガギラスという新たな脅威を呼び寄せてしまうのですよね。で、両者が倒れた後には新たなゴジラの影が・・・・・・(生きていたのか、別個体なのか?)。
これはゴジラとの共存を否定して殲滅しようとした事に対する報いなのでしょうか?前作からのテーマが尾を引いているのでしょうか?
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作者からの返信
シンゴジラでは東京壊滅後の遷都先に埼玉や札幌の名前も挙がっていましたね
大阪遷都は……現実的にどうなんでしょうね
辻森さんはカッコいいんですが、男の主人公の方は辻森さんへのスケベ根性丸出しでちょっと気持ち悪いですね。彼も功労者ではあるんですが……
おはようございます。超お久振りの書き込みです。
新型コロナウイルスの為に世界中が大変な事になってますが、そちらは大丈夫ですか?私の方は仕事に影響が出るという事はありませんでしたが、行きたかった場所とか予定が大幅に狂ってしまい困り果てております。でも、感染して闘病生活を送っておられる方々の事を思うと呑気な事は言ってられませんから、少なくとも今月いっぱいは我慢したいと思います。高橋さんも、どうぞお気をつけ下さい。
「ゴジラ2000ミレニアム」は新世紀へ向けての節目の年に公開されたミレニアムシリーズ第1作目の映画ですね。本作のゴジラはかなり凶暴ですが、あれがジュニアで無くて良かったです。対戦相手は宇宙人(が変異した怪獣)ですが、数多いゴジラシリーズの中でもゴジラが宇宙人と戦うのは本作が初めてではないでしょうか(昭和では宇宙人に操られた怪獣と戦うのはありましたけど)。
最終的に敵を倒したゴジラですが、その後は東京を破壊し蹂躙しまくるという未だかつて無かったラストを迎えます。でも、政府の不祥事がそのまま国民に降りかかる現状というのはある意味現実的であり、最後の「ゴジラは俺達の中にいる」という篠田雄二氏の言葉。この言葉を聞くと「こんな世の中、一度滅茶苦茶になって最初からやり直せば良い」という誰もが多かれ少なかれ持っている心を象徴しているのがあのゴジラなのではないかと言っているように思えてきます。
首都・東京を破壊しつくされた日本は、これからどうなっていくのでしょうか?大阪が新しい首都になるのか?23世紀でそうであったような貧乏国に生り下がっていくのか?
ともあれ、どのような時代が来ても篠田親子とその周囲の人々は逞しく生き抜いてくれるでしょうね。
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作者からの返信
公開当時はジュニアの成長した姿だと思い込んでいました
体型や体色が似ていたもので……
東京を破壊し尽くすラストはやっぱり当時の世紀末っぽい感じの反映でしょうかね
編集済
「ゴジラ」(1984)……平成シリーズに繋がるゴジラ復活作への応援コメント
1984年版ゴジラ…!
この作品は新宿まで車で出掛けて行って観ましたよ。
ちょうど首都高速から西新宿に降りて映画館へというルートだったので、ゴジラがスーパーX と対決して破壊しつくした街の中を行き帰りで通った訳で、何か不思議な感じでしたね。
映画は前半の緊迫感、政治家たちの苦悩や米ソとの折衝など、適度に上手く描かれていた印象です。小林桂樹の首相役は説得力がありました。
夏木陽介の科学者役もクールで良かった。(この人はドゴラにも出てましたね)
ただ石坂浩二や江本孟紀、かまやつひろし、武田鉄矢などの賑やかし出演者らはウザイ感じがしました。
当時新人だった沢口靖子は、シリアスドラマの中の紅一点、メインの役どころでしたが、でくの棒感が目立ってました。…現在までのこんなに息の長い女優さんになるとは思わなかった !
手堅いストーリー展開で正々堂々とゴジラを描いてたけど、役者の演技面など総合的に見るとやや表現のバランスが良くない箇所があった気がします。
ただ、ゴジラ映画が再スタートした嬉しさを当時は感じながら満足して帰りました。
いや~、怪獣映画って、本当に良いもんですね!…それではまた、お会いしましょう !!
あっ!それと前回の、インファント島は世田谷区の東宝撮影所プールにあるんだ ! って話をしたら、甥っ子姪っ子たちは、
「えっ!? 東京なら、行けるね!」
と喜んでましたよ。良かった良かった!
作者からの返信
役者で悪ふざけするのは日本映画の悪癖ですかね
まあ当時は9年ぶりの復活で、お祭り的な面も出したかったのかもしれませんが
武田鉄矢はいらなかったな……
編集済
モスラが封切られた昭和30年代は、日本映画の全盛期だったと言って良いでしょう。
この映画は何度もテレビ放送された毎に観てました。
怪獣映画と言えば、ジャンルとしては「SF」の類になるかと思うけど、モスラの特異性として「ファンタジー」色が同時に加味されていて、さらに言えば「平和の怪獣」として神格化されているところですね。
モスラとテレパシー通信の出来る妖精(双子の小美人)の存在、インファント島の人々の祈りや崇拝の踊りなど、それまでの怪獣映画と違ってエンターテイメント性の高さも素晴らしい。
話の本筋も、怪獣による破壊の恐怖よりも人間の商業主義的欲望の醜さが強調されているところが目立つ作品。
令和となった現在にこそ、リメイクして見せて欲しいですね。この作品。
円谷英二の特撮はこの映画でも圧巻だったけど、終盤モスラが海を渡った先の「ニューカーク市」のミニチュアはちょっとだけ雑な造りだったのがやや残念な気がしました。
話は変わりますが、甥っ子姪っ子が小学生になったばかりの頃、このモスラ映画のDVDを見せたことがありまして、映画を見終わった後で姪っ子が、
「おじちゃん、インファント島って何処にあるの?」
と訊いてきたので、私は怪獣映画ファンとしていい加減な答えは言えないと思い、
「東京世田谷区の東宝撮影所屋外プールにあるんだ!」
とキッチリと教えておきました。
今となっては良い思い出です。
作者からの返信
モスラは欲深き人間と対極に位置する崇高な存在ですね
よく人間の味方をしてくれますが、ある意味では人間より最も遠い存在かもしれません
>「東京世田谷区の東宝撮影所屋外プールにあるんだ!」
子供たちはそれで納得したんでしょうか!?
「メカゴジラの逆襲」(1975)……昭和ゴジラ最後の戦いへの応援コメント
怪獣映画は日本文化史でもあると感じています。
ウルトラマンとゴジラという二本柱があるのは、日本の特撮の財産。
狭間に位置するガメラが一番気がかりだったりしますが。
更新を楽しみにしています。
作者からの返信
コメントありがとうございます
ガメラにも何か動きがありそう……という噂がありますが
正式な発表を待つしかないですね
「ガメラ2 レギオン襲来」(1996)……平成怪獣映画の金字塔への応援コメント
この作品は面白かった!
高橋めぐみさんの映画紹介、映画講評、さすがです!
ストーリー進行の中で、新怪獣レギオンの生態が徐々に明らかになって行く展開も緊張感を高め観客を飽きさせません。
主演の水野美紀のフレッシュな演技、さらに吹越満の自然でどこかとぼけた演技も良かったです。
怪獣映画ファンを充分に楽しませて、いよいよ2大怪獣が北関東でクライマックスの死闘 !! …ってところで !?
まさかのドラゴンボール?
私は映画館で真剣に観てたけど、旧来の大人ガメラファンは呆気にとられて…引いてましたね。
何コレ…?
こんなことしたら、次作がキツくなるんじゃないかと不安になったけど…案の定でしたね。
怪獣映画って、難しいと思いましたよ!…平成ガメラ三部作を観てね…。
東京タワーも一年くらいじゃ直せなかったし。
作者からの返信
最後の必殺技は当時のスタッフも唐突すぎると思ってたみたいですね
今見返すとガメラも相当焦ってたんだなあというのが感じられますが、初見時はやっぱり驚くでしょうね
東京タワー修復って実際どのくらい大変なんでしょうね
何度も壊されてるけど直されてるのは見たことないな……
この映画は私もかなり期待を持って観に行きましたよ!
結果はもうガッカリを通り越してもはや怒りしか覚えませんでした。
「あれのどこがゴジラなんじゃあ !! 」
素直な感想はまずこれでしたね。
放射線熱線も吐かない!…でもって餌がマグロ !? …さらに卵をボロボロ産んで子ゴジラわらわらってさぁ…!
ふざけんな、ハリウッド!馬鹿にしてんのか~っ!!
ジャン・レノがまた何でこんな駄作に出てるんだ!キャリアに傷がついちまうぞ!
…って文句言いながら映画館を出ました。
向こうであんなの作るなら、こっちもキングコングを日本猿で撮ってやりたいぜ!
作者からの返信
まあ確かに「こんなんゴジラじゃない!」という意見が出るのも仕方ない気はしますね
でもこのまま二作目、三作目と続けていけば、いつか受け入れられる日もあった……のかもしれない……
>こっちもキングコングを日本猿で
「キングコング対ゴジラ」のコングのデザインは海外じゃ不評だったらしいので、まあ、どっちもどっちってことで……
待ってました!「ガメラ対バルゴン」
当時小学生になったばかりの私が、母親にせがんで初めて映画館に見に行った作品ですね。
ちなみに同時上映が「大魔人」でした。
ガメラ対バルゴンは、とても内容的には子供向けとは思えぬ濃いストーリーで、男たちの欲望、裏切り、エゴイズムが剥き出しにこれでもかと描かれ、恐ろしささえ覚える作品。…しかしそれが日本に上陸し暴れまわるバルゴン対策に苦慮する人々と実にうまくリンクしながら進行するストーリー展開を見せ、結果的に昭和ガメラシリーズの最高傑作と言って良い作品になったと思います。
ガメラ作品の面白さの特徴として、逆転の発想が挙げられますよね。例えば…
カメが空を飛ぶ。
北極生まれのガメラの武器は火炎を吐くこと。
熱帯ニューギニア生まれのバルゴンの武器は冷凍液を吐くこと。
ワニみたいなトカゲみたいな姿態のバルゴンは水に潜れないのが弱点。
…など。
この作品の設定では両怪獣ともいわゆる「人間の味方、正義の怪獣」ではなかったので、封切前に懸賞付きのクイズ企画があったんですよ。
「ガメラ対バルゴン、勝つのはどっちか?」
という内容。
私は当てました。…何かもらったかどうかはもう覚えてませんけど。
この作品はその後、何度もテレビでも放映されましたが、船医役の藤岡琢也が良い味を出してました。
名作です。
作者からの返信
対バルゴンの時に小学生だったとは、かなり古参の怪獣ファンの方ですね~
子供受けは良くなかった、みたいな話もよく聞きますけど実際のとこどうだったんでしょう
>逆転の発想
これがやっぱり東宝怪獣にはない強烈な個性を生んでいるんでしょうね
バルゴン、ギャオス、ギロン等々、今でも唯一無二の存在ですね
「ゴジラ」(1954)……初の国産怪獣映画にして不朽の名作への応援コメント
明けましておめでとうございます。
怪獣映画について少々スランプ気味でしたもので、かなり遅い挨拶になりました(汗)。
昨年は私の拙い書き込みに丁寧なお返事を頂き、どうもありがとうございました。今年は怪獣映画以外にも色々書き込んでいきたいと思います。
では、今年もよろしくお願いします。
http://plaza.rakuten.co.jp/achachan
作者からの返信
あけましておめでとうございます
コメントから新たな気付きを得ることもあって、ありがたかったです
今年もよろしくお願いします
新年明けましてやっぱりマグロを食ってるようなのは駄目だな!!
……とは言え、怪獣映画としては割と面白い所もあるんですよね。
ただ、ゴジラ映画としては、個人的には「うーん……」という感じですけど。
今年も更新楽しみにしてます!!
作者からの返信
あけましておめでとうございます
もう76本目なので今年の前半には100本到達(予定)です
もう少しだけお付き合いいただければ幸いです
「原子怪獣現わる」(1953)……レイ・ハリーハウゼンの出世作への応援コメント
こんばんは。
「原子怪獣現わる」は「ゴジラ」の原型になったともいわれる映画ですね。この映画を皮切りに核実験でよみがえった怪獣や放射能で変異した怪獣が世界中に蔓延する訳ですが、ここでは通常兵器が効かない相手には喉元を攻めるという理に適った攻撃がなされてます。
でも、この喉元の傷から流れた血の成分が被害を広げてしまう為、この世でたった1発しか無いアイソトープ弾を傷口に打ち込み倒す事になります。
(1発だけなので打ち損じが許されないなんて「ウルトラマン」最終話のペンシル爆弾の元ネタはこれかしら?)
本作に登場する恐竜リドサウルス。彼にもゴジラ同様、人間の身勝手で目覚めさせられた者の悲哀を感じます。彼は故郷へ向かいながら仲間を探していたのかもしれません。
仲間を見つけたと思って近づいてみると、それは作り物(船舶)であり、中には妙な生き物(人間)がいる。怒りと悲しみのあまり沈没させてしまう。また仲間を見つけたと思ったら、それも作り物(灯台)であり、中にはまた妙な生き物(人間)がいる。怒りと悲しみに任せて倒壊させてしまう。
灯台を破壊した後のリドサウルスのシルエットが嘆き悲しんでいるようで哀愁を誘います。悲しいけど美しいシーンです(灯台守の方々は気の毒ですが・・・・・・)。
本作を観ていると、リドサウルスは元々魚類食で獣類(人間)を捕食する習性は無いのでは?と思います。自分の故郷に繁殖している小さな生き物にただただ戸惑っている感じですし、あの警官はただうるさいから噛み殺しただけで、振り捨てるほどの大きさでは無いのでゴクンと飲み込んだだけの事では・・・・・・。
死に逝くリドサウルスを見る人間達の思いはどのようなものだったでしょうか。苦しい思いをさせてしまったけど、どうか安らかに仲間の元へ旅立って欲しいです。
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作者からの返信
原作小説はまさしく怪獣の孤独と悲哀をテーマにしていますね
もっとも、原作では核実験で目覚めたのではなく、古代生物の生き残りが霧笛の音に反応して海から出てくる、という設定ですが……
死によって孤独から解放されたのであれば、人類にとっても怪獣にとってもハッピーエンドなのかな、とおもいます
こんばんは。
平成ゴジラVSシリーズ最終作「ゴジラVSデストロイア」。ゴジラとリトルにとって安住の地ができたと思った矢先、その土地が2匹に不幸をもたらしてしまうのが悲しいです。
最高で1500℃の高温の中を火傷1つ負わずに突っ切ってきたゴジラですが、天然ウランの爆発の影響でその身を守ってきた核エネルギーの制御ができなくなり、体内炉心が1200℃を超えると体が崩壊してしまうという事態に見舞われます。
体が大きい分、人間よりは熱に耐性はあるでしょうが無傷という訳にはいきません。内側から体を焼かれていくゴジラを見て、神懸かりな力を持っていても体は生身という事を実感させられて痛々しかったです。
結局ゴジラはメルトダウンにより消滅していきますが、その残留放射能を吸収したリトル=ゴジラジュニアが新生ゴジラとして復活します。
新しいゴジラになった事が果たしてジュニアにとって幸せな事だったのかは分かりませんが、人間からの愛情を受けて育った彼ですから、決して人間社会に被害を及ぼす事は無いでしょう。地球に害を及ぼす者が現れたら助けに来てくれるかもしれません。
でも、できればこのまま何事も無くジュニアには平和に静かに暮らして欲しいです。間違っても、先代ゴジラのような悲しい末路を辿って欲しく無いですから。
http://plaza.rakuten.co.jp/achachan
作者からの返信
「ゴジラは死んでもまだいるよ」って結末は初代ゴジラと同じですが、受ける印象は正反対ですね
VSシリーズ後期のゴジラは理由なく暴れ回ったりすることはないので
ジュニアも多分自分のすみかでおとなしく暮らすんじゃないでしょうか
敵怪獣が現れない限りは……
こんばんは。
それまでの怪獣映画の多くは核の恐怖を描いていましたが「フランケンシュタイン対地底怪獣」は戦争被害者の悲劇を描いていますね。
本作に登場するフランケンシュタインは、戦時中に不死身の兵士となるべく作り出されたというのに、戦争が終わった後は異端の存在として阻害されなければならなくなり、まさに彼こそは悲しい戦争の被害者です。
もう1人の戦争被害者といえば、冒頭に登場した原爆症(おそらくは白血病)の少女。原爆で両親を亡くし、自分も不治の病に罹って死の恐怖に怯えている。こちらの方が現実的で、観ていて胸が痛かったです。
そして、後に出現する地底怪獣バラゴン。地底に潜んでいたはずの彼が地上に現れた原因が核実験による地殻変動や地熱の上昇だったとしたら、彼もまたゴジラなどと同様、核=戦争の被害者。思えば、怪獣達の多くが人間の引き起こした戦争の被害者なんですよね。
私はラストは「大ダコ」よりも「生き埋め」の方が良いと思います。あの大陥没はバラゴンが地底を掘り進んだ為に起きたらしいですので、勝負の結果は相打ちという事になります。こちらの方が戦争被害者同士の戦いの悲しさが引き立ちますが、訳分からん大ダコがいきなりしゃしゃり出てきての締め括りでは興醒めしてしまいます。
「フランケンシュタイン対地底怪獣」は、異端の存在を人間態のキャラクターとして描く事によってより悲劇性を高め、人間の業の深さを追及しているように思えます(後の「サンダ対ガイラ」にも同じ事が言えますが)。
余談ですが、バラゴンの生贄になる山小屋の若者男女の中に「南海の大決闘」でダヨを演じる予定だった高橋紀子さんがいます。本作には代役の水野久美さんも出演されてますので、ダヨが2人出ている事になりますね。
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作者からの返信
フランケンシュタインは恐竜と違って人間そのものですからより生々しいですね
なまじコミュニケーションをとれる可能性がある分、逆に異端としての面が強調されているように思われます
大ダコは……まあやっぱり海外ウケ狙いなんでしょうね
編集済
こんばんは。
「ゴジラVSスペースゴジラ」では、VSシリーズのゴジラが初めて人間と共闘しますね。
(「メカゴジラの逆襲」でも、ゴジラは決して1頭だけで戦っていたのでは無く人間と共闘していたのです。「怪獣総進撃」とは違う形の最終的な人間との和解共存だと思っています)
ベビーゴジラの登場で昭和と同じ流れを行きそうな予感を感じていた方々は、嬉しい人と残念な人と半々かもしれませんが、私は前者の方です。
ゴジラ対策に積極的だったはずの未希さんが前作から心変わりしてしまったような印象を受けますが、彼女は元からゴジラに対して敵意は無かったと思います。むしろ常に殺さずに対処したかったと思います。だからこそ、殺さずにゴジラの動きを封じてくれたエミーさん、モスラ、コスモスには感謝の気持ちを示していたように見えます。
ベビーゴジラと出会う事で、その気持ちが一層強くなったようなのですが、それ以前に未希さんは人間社会へのゴジラの危険性が薄れてきているのを感じ取っていたと思います。何故なら、原発がゴジラに襲われる事も無くなり、ゴジラによる放射能汚染の描写も無くなりましたから。
これは昭和後期のゴジラもしていたのではないかと思うのですが、VSゴジラはある時期から撒き散らした放射能を元通りに吸収しているのではないかと。そうすれば原発を襲う回数が極力少なくなりますから。それは決して人間の為では無く、獲物(放射能)を捕りに行く手間が省けるからでしょう。まあ、それ以前にゴジラの矛先は原発よりも放射性廃棄物や天然ウランになってきているみたいですけど。
それからゴジラは未希さんを覚えていたみたいで、彼女が念力でコントロール装置を外してくれた時には感謝するような様子を示していました。すべての人間が敵では無い事をゴジラ自身も分かっているのだと思います。
これからリトルゴジラを育てながら距離を置いての人間との共存という事になりそうだったのですが、運命はそれを許さなかったようですね。
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作者からの返信
ゴジラの息子が出てきて、昭和ゴジラと同じ道を行くのか?
と思わせておいて「VSデストロイア」で終了させたのは、今から思えば上手かったのかも?
三枝未希はゴジラを応援する子供たちの視点に寄り添うためのキャラクターだと個人的には思っています
未希がゴジラへの敵意を持たないことでゴジラへの感情移入がしやすくなってるんでしょうね
こんばんは。
初めてのゴジラ映画以外に対するコメントです。
「サンダ対ガイラ」は前作の姉妹編という事で、前作と同じ流れの部分はあるけど完全な続編という訳では無い作品。攻撃されるガイラを助けるサンダを見て分る通り、彼らは最初から敵対していた訳では無く、人間に対する価値の違いで争う事になります。
ガイラを手厚く介護するサンダの様子に、彼の「弟」に対する愛情を感じ、温かい気持ちにさせられるだけに後に来る悲劇が際立って感じます。独りぼっちで生きてきた彼らにとって「兄弟」というか「同種族」との出会いは、驚きと同時に喜びでもあったと思いますから。
サンダにしてみれば、人間を襲うのをやめない「弟」の所業に嘆き、ガイラにしてみれば、どうして「兄」は例の2本足の生き物の事になるとムキになるのか分らない。彼らは争いながらも、お互い苦しんでいたに違いありません。そう思うと、この悲しい「兄弟」を作り出した人間の罪深さを痛感してしまいます。
この物語を見て思った事は、人間にとって不死身の肉体なんかより兄弟・同族が仲良く生きていける幸せの方が一番大切なのだという事です。私達もコミュニケーションの輪を広げる為に、色々な人達と仲良くしていきたいですね。
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作者からの返信
両者の戦い事態も悲劇的ですが、決着がつくでもなく和解するでもなく二人とも火山の噴火に飲まれてEND、という結末も、何とも言えずやりきれないものがありますね
あの凄惨な戦いを止められるのはもはや自然の力、つまりは神の意志くらいしかなかったと……
というかタイトルを「人食い巨人同士の果てしなき死闘」にしちゃったけどサンダは人食ってないですね
ごめんねサンダ
こんばんは。
VSシリーズ昭和の焼き直し3部作の最終作「ゴジラVSメカゴジラ」。本作ではメカゴジラが人間側の対ゴジラ兵器として登場しますが、わざわざゴジラ型にする必要性があるのかを考えると、ちょっとこじつけがましい設定ですね(苦笑)。
それと本作に登場する青木一馬氏ですが、彼は前作の藤戸拓也氏と同様「自己中」と「非常識」が服を着て歩いているような人物ですね(汗)。決してヒーロー物の主役にはなれない、なってはいけないキャラクターです(それが困った事に主役なんだな・・・・・・)。まあ後に、ピンチのメカゴジラをスーパーメカゴジラにしてGフォースに貢献してくれますが(^^)。
それにしても、本作のGフォースメカゴジラは一時的とはいえゴジラを完全に倒した最強の兵器ですね。これも未希ちゃんの能力あってのものですが、結局その後は・・・・・・。
本作ではベビーゴジラの登場で平成のVSゴジラは昭和同様「子連れ」になってしまうのですが、2匹の関係は「親子」というよりは「兄弟」・・・・・・いや、年齢の離れた「仲間同士」といった感じに見ております(ちなみに、昭和ゴジラの方も成り行きでミニラの育ての親になった感じで見ております)。
対ゴジラ兵器を撃破されたGフォースのメカゴジラチームの面々ですが、去って行くゴジラとベビーを見ながらどこか落ち着いているのは、ゴジラが満身創痍なのと子育てで忙しくなるから当分は出現しないだろうという安心感かもしれませんが、梓さんや未希ちゃん同様ゴジラとベビーに情が芽生えたのかもしれませんね。
それでも、いざゴジラが都市部に出現したら次の兵器で迎撃する覚悟はあると思います。本作のゴジラ同様、自分達にも守るべきもの(人間社会)があるのですから。
ゴジラの体温は低温高温と浮き沈みが激しいですが、1200度というのは体内炉心の限界温度の事。肉体自体は生身ですので、内側から燃えそうになっている「VSデストロイア」のゴジラが痛々しいです。
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作者からの返信
青木氏の自分勝手ぶりはガルーダとメカゴジラの合体の功績で帳消しにされてる気がしますが、本当なら軍法会議ものですね
序盤でも研究室から資料をくすねたりしてるので、二年連続で主人公が泥棒という……
こんばんは。
「ゴジラVSモスラ」は主役といい脇役といい、自己中な人物がイラッとくる話ですね(笑)。特に藤戸氏はファミリー向けの映画の良き父親にはなれない、なってはいけないようなキャラクターですよね。彼の事を強いて悪党とは言わないまでも空気が読めていないというか、事態の把握ができていないところが、ちと怖いかも・・・・・・(汗)。
丸友の社長も悪どい上に、かなり危ないところがありますが、会社がパアになっただけで命を落とさなかっただけ「モスゴジ」の虎畑や熊山よりはマシかも。それより、コスモス用の家具を用意する為にデパートのリカちゃんハウスを漁る部下の社員達の様子を想像すると、笑えるような、気の毒なような・・・・・・(苦笑)。
とにかく、負の主役(汗)・藤戸氏の自己中と丸友社長の自己中、本能のままに暴れまわるゴジラの自己中と地球の害と見なした物は徹底的に殲滅するバトラの自己中と、本作ではたくさんの自己中が破壊を招きますが「地球の神」は1つにあらずという世界観が「聖闘士星矢」を彷彿とさせますね。
徹底的な破壊神・バトラと負の部分も受け入れ抱擁しようとする神・モスラ。平成モスラは怪獣界のアテナといったところでしょうか。まあ、バトラは最後に改心してくれますので、ポセイドンやハーデスよりはマシですが。
本作のゴジラは海底火山にスポンと飲まれて富士山から飛び出しますが、この離れ業は体内放射を応用したバリア能力あっての事でしょうね。まさに神レベル。奴は神になってしまった・・・・・・って、何だかジョジョの世界(笑)。
「ゴジラVSモスラ」は、まさに3つの神の戦い。最終的に受け入れる神・モスラが残りますが、どうか地球に向かってくる隕石を退け、コスモスと共に無事に帰還して欲しいです。
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作者からの返信
本作は第一作目の「モスラ」にゴジラとバトラを混ぜ込んだ、新約モスラ神話みたいな感じですね
バトラが改心するのに対してゴジラはひたすら悪神として描かれているのがクールです
怪獣間の善悪のバランスのとり方が上手いですね、平成シリーズは
ゴジラは体温1200度が限界ですがマグマの温度は数百度~1000度程度なので、マグマの中を泳ぐのは割と平気なんじゃないでしょうか
こんばんは。
タイムパラドックスに無理があるとの指摘が多い「ゴジラVSキングギドラ」。深く考えてみると、このパラドックス自体が未来人の仕組んだ茶番のような気がしてくるんですよね。
エミー女史や同行の3方にはラゴス島の恐竜をベーリング海へワープさせたような映像を見せただけで、実際にワープさせたのは抗核バクテリアで眠っている現代のゴジラだったのでは――!?
一同が恐竜の調査の為にタイムマシンから降りている隙にがM11現代に戻り、眠っているゴジラをベーリング海へワープ。同時に過去から連れ帰ったキングギドラを解き放てば、現代人の目にはパラドックスが生じたように見えるけど、現代のゴジラやビオランテの事は記憶の中に残ったまま。ゴジラの破壊行為や白神博士、英理加さん、権藤一佐の死の事実も・・・・・・。
タカ派未来人2人組にしてみれば、自分達の陰謀がエミーさんにばれて反逆される事を想定すれば「滑り止め」を用意しておく必要があります。キングギドラをダメにされてもゴジラがいれば日本は壊滅。現代人の誰かがキングギドラに対抗させるべくゴジラを作りに行く事を想定すれば、ただの恐竜よりもゴジラに現代の核をぶつけさせれば、より強力なゴジラにしてくれますから(タカ派未来人達は、あれがただの恐竜でも核廃棄物の影響でゴジラになっていた可能性も否定してませんが)。
それでも、キングギドラをゴジラに差し向けたのは23世紀の科学力の誇りに掛けての事でしょう。生き残った方が日本を壊滅させる・・・・・・。
これはあくまでも仮説なんですが、果たして真相は・・・・・・!?
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作者からの返信
なるほど、ギドラが駄目だった時の保険としてゴジラを残しておく、というのはアリかも知れませんね
でもやっぱりキングギドラとゴジラを戦わせずに、二匹で日本を攻撃させたほうが良かったのでは……
変なプライドは身を滅ぼすということでしょうか
こ、これかーーー!!
いや、前に弟に『子供の時、キングギドラと巨大ロボが戦う映画見に行ったよな~』って言われて、ずっと
(;´д`)〈そんなのあったっけ……ゴジラVSキングギドラじゃなくて?
(# ̄З ̄)〈キングギドラがロボになるんじゃなくてキングギドラがロボと戦う奴!!
(;´д`)〈でも言われてみればうっすら記憶にあるような無いような……
……となってたんですが、そうかコレか!!
ありがとうございます!!
作者からの返信
多分これですね
もしくは流星人間ゾーンですね
編集済
変形合体最高!!
唸るドリル最高!!
プラズマメーサー最高!!
合成ブルーダイヤコーティング装甲最高!!
そしてスパイラルグレネードミサイル最高!!
とにかく『男の子のロマン』全部乗せみたいなMOGERA最高!!
(;´д`)〈レフト語彙力破損!!
ヽ(・∀・)ノ〈構わんッ!!
(≧∀≦)〈スパイラルグレネード感想……ファイア!!
ΞΞ Σ □□□><
作者からの返信
この作品は怪獣映画と言うかロボットモノですね
ある意味パシフィック・リムの原点かも?
「ゴジラVSビオランテ」(1989)……ファン投票第一位の人気作への応援コメント
こんばんは。
平成ゴジラのVSシリーズの中でも名作の誉れ高き「ゴジラVSビオランテ」。ビオランテはゴジラ細胞を組み込まれたバラが変異して生まれた植物怪獣ですが、何故か自分の分身であるゴジラと敵対し激しい戦いを繰り広げます。
普通のバラだった頃、彼女(?)は体内に宿した白神博士の娘・英理加さんの心から「バラの中に閉じ込められた悲しみ」を感じ、自己満足の為にこのような非道を行った白神博士に反発して押し黙ったままでしたが、更にゴジラの心が入った時には、彼が「人間から受けた酷い仕打ち」を感じ、そのまま人間に対して敵意を抱く凶暴な怪獣へと変貌していきます。
(ビオランテが泣いていたのは、英理加さんよりもゴジラの事を悲しんでの事でしょう)
ゴジラと敵対するビオランテですが、両者の戦いは敵意からでは無く「不幸な出生」をした身である互いを滅ぼし合う為の戦いだったように思います。双方共倒れが望ましかったのかもしれませんが、もしどちらかが生き残れば黒木特佐の言う通り「人間の敵」になっていた事でしょう。
ビオランテの暴走を感じた英理加さんは親友である明日香さんに助けを求めますが、ビオランテに封印されてしまいます。でも、ビオランテが戦いで瀕死になったのと父・白神博士の声が届いたのとで再び出てくる事ができました。
最後の「ありがとう」の言葉は、ビオランテと英理加さん両方のものだと思います。ビオランテは自分を滅ぼしてくれたゴジラに、英理加さんは科学を弄ばないと誓ってくれた父に対して(すぐ後に悲劇が起きますけど)。
瀕死のゴジラ細胞を排出したビオランテは、宇宙のどこかできれいなバラに生まれ変わり、英理加さんと共に地球を見守り続けているものと思われますが、排出されたゴジラ細胞が新たな敵を生み出したかもしれないと思うと複雑な気持ちですね。
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作者からの返信
平成シリーズはゴジラのコピーみたいな敵が多いですが
ビオランテはその第一弾ですね
破壊生物たるスペゴジやデストロイアと違ってどこか悲壮さを感じさせるのもビオランテの人気の理由ですかね
「ゴジラ」(1984)……平成シリーズに繋がるゴジラ復活作への応援コメント
こんばんは。
「ゴジラ(1984)」は昭和シリーズの続きでは無く、後の平成VSシリーズの序章になるのですよね。と言うか、本来ならゴジラはあのまま三原山で永遠の眠りにつくはずのところが、ファンの熱意によって平成に入ってからは火山内でも生存可能な神がかりな怪獣に生まれ変わってしまいました(汗)。
昭和の時代の怪獣達(ゴジラも含めて)なら火山に入ろうものなら、こんがり丸焼きになってしまうでしょうが、VSシリーズのゴジラは口からだけで無く体から放射熱線を発する事ができるようになっています。VSゴジラが生身でありながら火山内で活動可能なのは、これを応用したバリア能力のお陰と思っております。
平成時代に入ってからのゴジラは昭和の時よりも体が大きくなり、能力もパワーアップしてますが、特筆すべき事は核爆発に耐えるというか吸収してしまう事ですね。昭和のゴジラはここまで不死身ではありませんでした。
「ゴジラ(1954)」で山根博士はゴジラが水爆の洗礼を受けながら生きていると言われてますが、セリフをよく聞いていると博士の言う水爆の洗礼というのは「核爆発」では無く「放射能」の事のようです。昭和のゴジラは巨大な体と分厚い皮膚が通常兵器を受け付けないというだけで、作戦で動きを止めて喉元を集中攻撃すれば倒せる相手だと思います。ただ、放射熱線という飛び道具がそれを阻止してしまいますけど。
ですから、もしオキシジェンデストロイヤーが無ければゴジラ殲滅の為に核兵器の使用が考えられたかもしれません。
(現に「三大怪獣」の時にはゴジラ&ラドン対策に核兵器の話が出てますし「南海の大決闘」の時には核爆弾を察知したゴジラが大慌てで退避しています)
地球上最強の生き物とはいえ、昭和の頃のゴジラには生身の生き物としての温かみを感じてますが、VSシリーズ以降の生物としては飛躍し過ぎてしまった平成時代のゴジラは、もはや神レベル・・・・・・(汗)。
私としては「ゴジラ(1984)」のゴジラがあのまま生身の生き物として三原山で永遠の眠りについて欲しかったですが、平成という新時代がそれを許さずゴジラを神にしてしまったようですね・・・・・・(しんみり)。
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作者からの返信
平成シリーズのゴジラはもう何でもありな感じで
ファンタジーに片足突っ込んでますね
ラドンの体が粒子になってゴジラを復活させる、なんてシーンは
お前の体どうなってんねん、と思わなくもない……
「ゴジラ対ヘドラ」(1971)……サイケでデカダンな幻想の炸裂への応援コメント
こんばんは。
「ゴジラ対ヘドラ」は昭和ゴジラシリーズの中でも、その描写の陰湿さ、グロテスクさは類を見ませんね(というか、見返してみると昭和ゴジラシリーズのどれもが独特の個性を持っていて、イメージが統一されていない気がしてきました)。
本作の上映当時は環境汚染がピークだったようで、大きな問題になっていたようですね。高度成長期、日本の産業革命時代の頃は空を真っ黒にする煙突の煙が繁栄の証として称賛されていたようですが、後々それが害悪になっていく事は想像がつかなかったのでしょうか。
核の落とし子であるゴジラは、同じように人間の作り出した「毒」から生み出されたヘドラに自分と同じ影を見て悲しいものを感じたかもしれません。でも、地球に生きる者として地球を汚染し破滅に導く者とは戦わなければならない。
この頃のゴジラは人間に距離は近付いてきていても、決して人間の為に戦っていた訳では無いのですよね(でも、次作では少なくとも日本には好意的になってくれるみたいです)。
今にして思えば、この重苦しい雰囲気を吹き飛ばす為に例の悪評高き「ゴジラの飛行」が必要だったのかもしれません。大きな問題に悲観的にならず、前向きに(後ろ向きだけど)進んで行こう。そういうメッセージが込められているのかもしれません。その結果、ゴジラは強敵ヘドラに辛くも勝利しました。
田子の浦や四日市の汚染が凄かったようですが、大阪でも淀川の汚染が酷くて一時は魚が住めなかった時期もありました。今では環境の改善が進んでフナやタナゴが戻ってきて、空もいくらか澄んできたように思えますが、今はダイオキシンの影響による異常気象という別の環境問題が出てきているのですよね。
昔に比べれば汚れが見えなくなっただけで、根っこの所は何も変わっていないのかと思うと考えてしまいます。このダイオキシンこそが、映画の最後に出てきた「もう1匹のヘドラ」なのでしょうか。でも、私は悲観的にならず人間の英知を信じて前向きに生きていきたいです。
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作者からの返信
ヘドラを倒したあと、人間をギロリと睨みつけるゴジラの視線に、本作の全てがこめられていますね
飛行シーンは今でも色々言われていますが、あれがないと終始陰鬱なだけで重苦しい映画になっていたでしょう
この映画でゴジラのヒーローっぽさを出せた唯一のシーンがあの飛行だったのかな……と思います
「メカゴジラの逆襲」(1975)……昭和ゴジラ最後の戦いへの応援コメント
こんばんは。
「メカゴジラの逆襲」で強烈なインパクトを観る人に与えている真船博士ですが、世間(の負の部分)を知り過ぎている芹沢博士と違って、浮世離れしているというか、独り善がりというか、一般的な世間の常識を知らなさ過ぎますね。どちらも平田昭彦さんが演じておられるというのに、ここまで正反対なキャラクターは珍しいです。
例え自分は悪用しないつもりでも、発見した恐龍を自在にコントロールするなんて事を言えば誰だって危ない人だと思って警戒するのは当たり前。それを逆恨みして復讐を考えるなんて、どれだけ自分を偉いと思っているのか。
娘・桂さんは見たところ、父親ほど世間に恨みは抱いてませんね。研究を成功させて世に役立てれば世の中の人達は分かってくれると信じている感じ。これはお母様の影響かもしれません。でも、こんな研究をしている事自体、真船一家は浮世離れしてますよ。
もし生物コントロール装置を悪用しようとする輩が現れて妻と娘を人質に取られでもしたら真船博士も言いなりにならざるを得ないでしょう。前作の宮島博士が良い例です(この方も平田さんが演じてましたね)。芹沢博士も悪い輩に恵美子さんを人質に取られて言いなりにさせられた時の事を考えていたのかもしれません。
真船博士が独善的な性格になってしまった責任の多くは周囲にあるのかもしれませんが、芹沢博士も色々な人達との触れ合いが無ければ真船博士のようになっていたかもしれません。それを思うと2人は「光」と「影」。対なのでしょうね。
最後に罪の無いチタノザウルスの事ですが、ゴジラはただ彼のコントロール装置を破壊しただけで、きっとどこかで生きている。そう思いたいです。
それから「ゴジラの逆襲」のアンギラスの対処法ですが、人の住んでいない場所へ照明弾で誘導して巨大な落とし穴に落とすか瓦礫の下敷きにするかして動きを止めた後、喉元を集中攻撃という方法もありますが、アンギラスがゴジラに勝って生き残るという事はまずありえないでしょう(苦笑)。
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作者からの返信
芹沢博士は徴兵されて戦地へ赴いていたという過去があり、兵器や戦争に忌避感を抱くようになったのでしょう
芹沢・真船両博士の、自身の発明品に対するスタンスの違いはそこにあるのかも知れません
落とし穴作戦は怪獣対策としてかなり有効だと思うのですが、キングコング対ゴジラかプルサガリくらいでしか見たことありませんね
準備が大変なのかしら
「キングコング対ゴジラ」(1962)……日米怪獣、夢の頂上決戦への応援コメント
こんばんは。
「キングコング対ゴジラ」はゴジラシリーズ初のカラーで、モノクロの前作2本とは打って変わっての陽気な作風になりましたね。冬眠から覚めてマッチョになったゴジラ。日本猿をそのままデカくしたようなキングコング。自衛隊の策略で風船猿と化したコングの能天気な飛行に、ゴジラの「対メガロ」とはまた違った不自然な笑えるドロップキック。そして殆ど漫画の登場人物達の演技・・・・・・(爆笑)。
能天気に物語は展開しますが、思えばこの映画は登場人物の殆どが気の毒な体験をしますよね。番組の視聴率稼ぎの為に危険なファロ島へ送られた弥次喜多コンビ。ゴジラ&コング両方に襲われるヒロイン・ふみ子さん。コングに恋人を奪われる藤田さん。視聴率稼ぎに連れてきたコングには逃げられ、その後は多大な責任を負わされると思われる宣伝部長。毎度の事ながら怪獣に振り回される自衛隊と一般市民(今回は島民も)。
それでも私が一番可哀そうだったのは、ファロ島に生息するトカゲちゃん。何をしたという訳でも無いのに、たまたま尻尾を握ってしまった弥次喜多の一人にブンブン回された挙句に崖下へ捨てられ、もう一人にライフルの追い撃ち・・・・・・(汗)。
全身画像を見ましたが、可愛い♪可愛い♪♪こんな可愛いトカゲちゃんを酷い目に遭わせるなんて、私にはとてもできません。何て事するんだ!!弥次喜多コンビ!!
可愛いトカゲちゃん、どうか弾が外れて生きている事を祈りたいです。
つい取り乱しましたが(苦笑)、「キンゴジ」は観客動員数がダントツ1位の1255万人で未だに記録が破られていないのですよね。日米怪獣対決の傑作、これからも不朽の名作であり続けるでしょうね。
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作者からの返信
作品のノリは明るくて陽気ですが、昭和後期とは違って
大人のためのコメディ作品といった感じですね
ちょっとブラックなところもあったりして
ゴジラとコングの再戦が来年に控えていますが、さてどうなるやら……
こんばんは。
「ゴジラの逆襲」は前作から約半年で制作された第2作目のゴジラ映画ですが、この新作の上映の早さから第1作目の反響がどれほど大きかったかが伺えますね。
舞台は大阪ですが東京の時と違い、街が焼け野原になっても復旧に向けて明るく生き抜く人々が描かれています。この辺に大阪人の逞しさを感じ、同じ大阪人として誇らしく思うのですが、それ故に第1作目のテーマである「核の恐怖」が薄れてしまってますね・・・・・・。
(ゴジラとアンギラスが上陸したのは大阪市此花区の海沿いの工場地帯。余談ですが、私は此花区の西九条という所で生まれました。両者の上陸から??年後の事です。今はUSJで賑わってますが、昔は何の変哲も無い工場街だったんですね)
ここで初登場のアンギラスですが、体に分散する脳というのは正確には発達した神経の塊のようで、ここで察知された敵の動きが脳に伝わるから素早い動きができるようですね。こんなの相手に勝ってしまうゴジラは凄いですが、まあ戦いは素早さだけで決まるものでは無いですけどね。
ゴジラのような飛び道具(熱線)を持たないアンギラスは作戦次第で身動きできなくして弱い首元を集中攻撃すれば倒す事ができそうですが(初期設定ではアンギラスも熱線が吐けたとか)、ゴジラはそうはいかないので照明弾で遠ざける対処法が取られました。でも、本作では人間の愚行が事態を最悪の方向へ向かわせてしまい、最終的には多くの犠牲を出しながらゴジラを氷の中に生き埋めにしました。
こうやって生かされた事で、後々2代目ゴジラが数々の怪獣対決を経て人間との相互理解のきっかけを得る事になりますが、私はこれで良かったと思います。
オキシジェンデストロイヤーなどというおぞましい兵器はこの先作られてはならないし、ゴジラにも他の怪獣達にも使われて欲しくないですから。
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作者からの返信
この作品は人間の力だけでゴジラに立ち向かう姿がいいですね
もし生き残ったのがアンギラスの方だったらどうなっていたのか、気になるところです
素早く動き回られたら、果たして対処できるのか……
「怪獣大戦争」(1965)……シリーズ唯一のゴジラ宇宙遠征への応援コメント
こんばんは。
「怪獣大戦争」では地球が初めて宇宙人からの侵略を受けるのですよね。あの有名なゴジラの「シェー」はさておいて(笑)、本編に登場するX星人という科学万能主義の宇宙人。何でも機械任せというのが後に「対ガイガン」に出てくるM宇宙ハンター星雲のG達に共通しますが、行動及び人生の選択までが機械任せというのが恐ろしいです。
機械の計算ずくで作り出された悪徳も争いも無い秩序正しい世界。果たしてこれが本当の平和な世界なのでしょうか?自己主張もできず機械の命令に従うだけの、ただ生きているだけの人生。これでは文字通り「機械の部品」。
ここまでの世界に到達するまでには、かなりの血が流されたはず。結局のところ根っこの方は何も変わっていない、うわべだけの秩序です。
それに機械にはたまに「誤算」というものが生じますから、その指示に従って動いていたら破滅に向かって一直線か、他者に多大な被害を及ぼす事になるか・・・・・・。
本作の侵略行為が良い例です。もし良識のある宇宙人であれば「侵略」よりも「共存」の道を選ぶでしょう。地球には「負」の歴史もありますが「正」の歴史もあるのですから、計算ずくでそれらを踏み潰す事は許されません。受け入れるはずです。
結局、X星人達の自己主張の否定、全てに公平な機械の決定に逃避するようになってしまったのは、同族同士であっても自分と異なる意見や思想を受け入れる心を持てなかった事にあるのではないでしょうか?統制官その他がどのような未来へ向かって脱出したかは分かりませんが、こんな考え方を改めない限り明るい未来は無いでしょう。
機械任せで破滅してしまったX星人の姿を見て、我々地球人もそうならないよう努めたいですね。
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作者からの返信
ああいう過酷な環境での生活を余儀なくされていれば、先鋭化・過激化するのも仕方ないかな、という気もします
コンピューターによる支配も、生存のための合理的な手段なんでしょう(ディストピアであることは間違いないですが)
統制官がもうちょっとマイルドならあるいは……ファイナルウォーズの伊武雅刀みたいに……
「オール怪獣大進撃」はゴジラ映画でも初心者向けですね。巷では酷評の多い本作ですが、それまで怪獣大百科でしか見た事の無かった怪獣達をまとめて見る事ができたのはこの作品が最初でした(カマキラスとクモンガの動きには目を見張りました)。
内容も気弱な少年が夢の中のミニラに触発されて成長していくという微笑ましいものですが最後の悪戯はちょっとやり過ぎでは・・・・・・(汗)。
怪しげな役どころの多い天本英世さんが本作では意外な役どころを見せてくれて、こちらも微笑ましいのですが、最大の謎は、果たしてあの人には「若い時代」というものがあったのでしょうか・・・・・・?(何て失礼な事を!!汗)
何にしても、怪獣達(ゴジラも含めて)が豪快というか、ありえない不自然なすっ飛び方をするようになったのは、この映画が最初ですね(笑)。
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作者からの返信
怪獣の描写の変化については、円谷英二の手を離れたことが一番の理由でしょうね
本作でのガバラとの戦いは、「本多猪四郎監督が考える子供のための怪獣演出」として見れば、興味深いものがあります
こんばんは。
「南海の大決闘」はゴジラが人間と更に触れ合う機会ができる映画ですね。それにしても主役側の面子がツギハギというか寄せ集めというか、金庫破りに漁師の兄弟、遊び人2人と南国少女・・・・・・これだけバラエティーに富んだメンバーはゴジラシリーズでも他に類を見ませんね(笑)。
でも、彼らは不思議とそれぞれの役割を持っているというか、持たされているというか。まるで平和の敵である悪の組織を滅ぼす為に神に選ばれたような存在です。
金庫破り→メンバーのまとめ役、得意の鍵開けと行動力で突破口を開く
漁師の兄弟→メンバーを集める、囚われの島民達に小美人の意図を伝える
遊び人達→アイデアでゴジラとエビラに悪の組織を壊滅させる
南国少女→悪の組織から頂戴したアクセサリーが役立つ、ゴジラとの触れ合い
ゴジラはこの映画でおそらく初めて人間を間近に見る事になるのですが、何と弱そうな生き物かと思ったかもしれません。これを機会にますます人間のテリトリーに介入するのを控えるようになってくれたのだと思います。でも、自分の足元の人間を巻き込むのもお構い無しに攻撃してきた悪の組織には良からぬものを感じたと見えて、徹底的に殲滅してくれましたね。
この南国少女・ダヨは高橋紀子さんという若手の女優さんの代役で水野久美さんが演じたそうで、確かに実年齢より若い雰囲気で演じられてましたね。それなら高橋さんの再挑戦という事で、次作の南国少女・サエコは高橋さんが演じて欲しかったです。
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作者からの返信
元がキングコング映画だっただけに、ゴジラの扱いが一風変わっています
宇宙からの侵略者ではなく、特定の人間を敵とみなして正義の鉄槌を下したのは本作が唯一でしょうか
水野久美はマタンゴやサンダ対ガイラとのギャップが良いですね
こんばんは。
カマキラスは「ゴジラの息子」の中で、強烈なインパクトを放っている怪獣ですね。憎たらしいけど、お茶目で可愛い♪というやつでしょうか(笑)。
あの3匹のカマキラスは、兄弟なのか?仲間同士なのか?ともあれ、あの動きを見ていると怪獣同士の会話が聞こえてきそうな程の人間臭さを感じます。
私は特に、最後まで生き残ったカマキラスが、躊躇するミニラに「掛かって来いよ!」と言わんばかりに右手の槍で手招きしているのが最高♪(笑)。あの仕草を見ていると、表情の無いはずのカマキラスが何だか薄ら笑いを浮かべているような気がします。操演だけでここまで命を吹き込むなんて、操演スタッフの技は正に「神技」です。
エビラにしてもガイガンにしてもメガロにしても、何故か仕草がお茶目で怪獣同士の会話が浮かんでしまうのですが、怪獣擬人化は見ていて楽しいですね(賛否両論でしょうけど)。
思えばカマキラスは、ゾルゲル島に人間かミニラ、どちらかさえいなければ生まれる事は無かった存在なんですよね。哀れを誘わないのは、やはり「いじめる」系のキャラクター故でしょうか?
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作者からの返信
虫系の怪獣は海外作品でも登場しますが、どれも無感情で不気味な感じ
それに対してカマキラスはどことなく愛嬌を感じられますね
日本のセンスと海外のセンスの違いでしょうか
逆にクモンガはひたすら不気味で、それが最終決戦に緊迫感を生んでいました
こんばんは。
「三大怪獣 地球最大の決戦」はモスラを通じて、初めて怪獣と人間の間に相互理解のきっかけが生まれるのですよね。
「勝手にしやがれ」「人間は我々をいじめている」等のゴジラ&ラドンの言葉に「分からず屋」のコメントを発した新藤刑事。もし彼に怪獣語が分かりゴジラ達の説得をしたとしたらモスラ以上に真理をついたものになるのでは?何と言ってもハードボイルド・Gメン75ですから(笑)。
「オレ達は何をしたという訳でも無いんだぞ!それなのに攻撃してきやがって!」
「何をぬけぬけと!お前達の暴挙でどれだけ人間の生活が破壊されていると思っているんだ!」
「先にオレ達の住処を破壊したのはお前達人間じゃないか!」
「だったら何をしても良いのか!?人間の中には善良な人達だっているんだぞ!」
・・・・・・説得どころか、余計に事を荒立てるかも・・・・・・(汗)。
「三大怪獣」では怪獣被害に嘆く被災者の姿も描かれていますが、最終戦で被害に遭った村の場合は「怪獣被害」というよりも「戦争被害」ですね。地球を守る為の戦いとはいえ、土地の住民に被害を与えてしまう。後々、アニメや特撮で問題になってくるテーマの素地はこの頃からできていたのですね。複雑です。
でも、最終的にはモスラの説得で分かってくれたのか、ゴジラもラドンも極力人間世界には手を出さない事にしてくれたようですね。人間側も小美人の説明で分かってくれたのか、キングギドラを追い払った後は怪獣達を攻撃しませんでした。怪獣にも人間にも悪意は無いのですから、相互理解の懸け橋になってくれたモスラと小美人には感謝!です。
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作者からの返信
宇宙からの脅威によって、人と怪獣が初めて分かり合うわけですね
ゴジラのヒーロー化を批判する人もいますが、「人間世界と対立怪獣といかに生きるべきか」を模索するのは、やはりゴジラでしか出来ないことだったと思います
昭和シリーズ、作風はバラバラに見えても「怪獣との共存」へと至る道を描いたひとつのサーガなんでしょうね
こんばんは。
破壊の限りを尽くし、モスラの卵を狙い、モスラの命を奪い、岩島の教師と児童達を恐怖させた事でシリーズ中でも完全な悪役扱いをされている「モスラ対ゴジラ」のゴジラ。
泥の中にモコンと埋まった状態だったのが可愛いですが(笑)、このまま眠ったままだったらゴジラの上に工業地帯ができていたのですね(目覚めて良かったね、ゴジラちゃん)。
初期の頃はゴジラは人間の味方では無かった事をこの映画で知りましたが、劇中の彼の行動を見ているとそれほど悪役には見えません。ただ本能のままに進行しているだけで壊すつもりで壊している訳では無く、手向かいする者だけに攻撃を仕掛けているように見えます。モスラの卵も、ただ興味があって近づいて行っただけなのかもしれません。
モスラも卵を守る為とはいえ、ゴジラを殺したくは無かったかもしれません。その思いが幼虫達に通じたからこそ、ゴジラは生かされたのだと思います(まあ、幼虫のうちは殺傷能力は無いと思いますが)。
この映画ではインファント島民の人間不信も描かれていますが、そんな中に丸腰でモスラの協力を頼みに行った3人は本当に勇気があると思います。島の外には悪人だけで無く善人もいる。これは勇気を出して触れ合わないと伝わらない事です。3人の思いが切実だったからこそモスラは力を貸してくれたのだと思います。本当の人間不信の無い世の中を作るのは、まだまだ難しいと思いますが。
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作者からの返信
昭和シリーズにおいてひたすらに野性的なゴジラを見られる作品は、実は貴重でした
初代ゴジラとは別のベクトルの恐ろしさを持っているゴジラだと思います
モスラとゴジラの対比構造も奥深く、初期の名作ですね
「ゴジラ対メガロ」(1973)……君が主役だジェットジャガーへの応援コメント
こんばんは。
突っ込み所満載な「ゴジラ対メガロ」。あれは無意味に長いカーアクション、科学では説明のつかない構造のジェットジャガー、早いわ軽いわの常識破りのスピーディー怪獣バトル、今や伝説の「飛んでる」ドロップキック等々、遊んでいるのかマジなのか分からない展開が笑えますが、それ以上の謎がシートピア人とは何者か!?
300万年前なんて人類発生以前の事。M宇宙ハンター星雲のG達と友好関係にあるところからすると、もしかして滅亡寸前に地球に移住してきたハンター星雲の人類の末裔なのかも!?
彼らの地上攻撃は一見報復のように見えるけどそれは口実で、核実験の問題が無くてもいずれはG達と組んで地上征服に乗り出したのではないでしょうか!?そう考えれば、地上人側に警告を発するでも無く一方的に攻撃してきた彼らの無茶振りにも納得がいきます。G達もやたら平和をお題目にしてましたし、似てますよ。この2者。何にしても、私はハナからこのシートピアン達には好感を持ってませんでしたけど。
ここではゴジラが何故か同じ核の被害者であるシートピア人と敵対している事が言われてますが、ゴジラはただ日本の危機を救いたかったのでしょう。前作でゴジラとアンギラスは危ういところを日本人達に救われてますから、少なくとも日本には恩義を感じている。だからこそ、謂れのない攻撃を受けている日本を救いたかったのだと思います。日本だって核の被害者なんですから。
ジェットジャガー・・・・・・彼はモスラとかファンタジー系のキャラクター以上に説明のつかないキャラクターですね。まさに「ご都合主義」の権化!いや、シートピアン達のあまりの理不尽さに怒った神様が力を与えて下さったのかしら・・・・・・?
ともかく、事が終わった後はジェットジャガーはご近所の名物、六郎くんの友達の良い遊び相手、これで家事の才能があれば文句の付け所は無いのですが(笑)。その他、危険な場所での作業や人命救助にも貢献してくれそうですね。
余談ですが、ガイガンの相棒はキングギドラよりもあのお茶目な「尻叩き」メガロの方がぴったりだと思うのは私だけでしょうか?
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作者からの返信
300万年間も海底で引きこもっていた理由が謎ですね
いくらでも地上へ復活するチャンスはあったろうに……
キングギドラと組んだ時のガイガンは無慈悲な暗殺者で、メガロと組んだ時のガイガンは悪ガキ仲間に見えますね
誰と組んでも相性が良いのかも?
「怪獣総進撃」(1968)……東宝怪獣オールスター、ここに集結!への応援コメント
こんばんは。
「怪獣総進撃」は元々はゴジラ映画最終作になる予定の映画で、最終的に怪獣と人間の行き着く先を描いているようですね。動物園で飼われているようになってしまった怪獣達の姿に不満の方が多いようですが、人間にしてみれば怪獣を傷つけずにその力を抑えるにはこれしか無かったと思います。怪獣達を眠りから覚ましてしまったのは人間ですが、故意にやった訳ではありませんし、怪獣達を攻撃したくてしているのではありません。人間だって自分達の生活を守らなければいけないのですから。
でも映画を最後まで観ていると「怪獣達の管理」を勧めているのでは無い事に気づきます。ラストの怪獣達の様子を見ていると、全ての管理システムが壊れた怪獣ランドに自分達から帰ったように見えます。管理やコントロール無しでもここで生きていくと言っているように見えました。
思えば怪獣ランドという楽園を提供されていた時分から、すでに怪獣達は人間に対して理解を示していたものと思われます。キラアク星人との最終決戦に赴くSY-3号を見上げている怪獣達の様子は、自分達が加勢に行けない事を悲しんでいるように見えます。アンギラスに至っては始終俯き加減で、まるで泣いているみたい。
この頃のゴジラさんは大分性格が丸くなっていると思われますので、人間を敵と見なす事は無いでしょう。事件の後は怪獣達は管理されないし、人間達も管理しない共存世界の実現。これが昭和ゴジラシリーズの最終的なテーマだと思います。
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作者からの返信
「人が怪獣を管理することの傲慢さ」がこの作品の裏テーマですね
管理から解放された怪獣が人類を救う、という展開に皮肉が効いています
「怪獣との共存」という命題は色々な特撮作品で扱われますが、答えのひとつがここで示されているのかもしれません
ゴジラVSモスラ ヽ(・∀・)ノ〈キターーー!!
記憶にある限りでは子供の頃、一番最初に映画館で見た映画です。
いや、バトラがね、メチャクチャカッコイイんすよ!!
幼虫から成虫に進化するシーンとか最高です!!
未見の方もいらっしゃるでしょうし、ネタバレになるので詳しくは書きませんが、クライマックスのシーンで子供ながらに、『下向きに!! 下向きに持っていれば……ッッッ!!』と思ったのは良い思い出です(笑)
作者からの返信
下向きだと背びれが邪魔で持ちにくいんでしょう、多分
バトラは一回限りで使い捨てるには勿体ないキャラクターでしたね
なぜ平成モスラ三部作で出さなかった……
こんばんは。また参りました。
「対メカゴジラ」はゴジラ生誕20周年という事で沖縄国際海洋博覧会のタイアップも兼ねて出演者の方々も豪華ですね。ブラックホール第3惑星人の皆さん、どう見ても宇宙人らしからぬ日本の悪の集団にしか見えない外観に私も違和感を覚えていたのですが、後に正体が猿の惑星である事が分かり、やっと宇宙人らしいイメージになってくれました(笑)。
女性陣の主役格はオスカル田島玲子さんですが、確かに出番は多いですけど目立った活躍が無いので、私はむしろ出番は少ない割に見せ場の多い博士のお嬢さんの方が印象的でした。
それから多くの人が時代錯誤と槍玉に挙げる沖縄の老人と孫娘のいでたちですが、あの一家は落ちぶれたとはいえ王族の末裔ですから王族の正装のつもりで着ているのではないですか?沖縄でも拓けた場所の住民なら現代人らしい服装の筈ですよ(^^)。
沖縄の老人は古い人なので、やたら日本の本土の人達を目の敵にし、ゴジラを悪の怪獣呼ばわり。これは前々から本土を守るゴジラに対して良からぬ感情を抱いていたところに偽ゴジラ騒ぎが起きたものだから、一挙に悪感情が噴き出したようですね。予知能力を持つ孫娘は何かゴジラとは違うものを感じていたようですが。
でも、最終的にはゴジラと本土の人達がキングシーサーと協力して沖縄を守ってくれた事から和解してくれたのが救いです。
「対メカゴジラ」でのアンギラスの痛め付けられ方は語り草になるぐらい痛ましいですね。
でも、ただ痛ましいだけなら救いが無いですが、彼は優しいからこそ強い。あの時は彼が偽ゴジラと戦ってくれたからこそ多くの人々が避難でき、傷つきながらも怪獣島のゴジラに伝えたからこそゴジラは日本の救援に向かう事ができたのだと思います。
深い傷を負わされたアンギラスですが、ゴジラ生誕25周年記念の年に某テレビ雑誌に掲載された記事によりますと傷はすっかり完治したとの事です。このまま何事も無く、ゴジラ達と平和に暮らして欲しいです。
http://plaza.rakuten.co.jp/achachan
作者からの返信
もしも深手を負わされていなかったら
最終決戦にもアンギラスが参戦したのだろうか、と思いながら観ていました
シーサーとの共演はファイナルウォーズまでお預けでしたね
初めまして。ゴジラの検索により参りました。
「ゴジラ対ガイガン」は従来のゴジラ映画と違い、登場人物は「戦争を知らない」新世代といった感じ。それまでだと文明の発展は「希望」みたいな描かれ方だったのに対して、ここでは「危惧」に変わってきているのが世紀末的。
「怪獣総進撃」が未来の話とすると「対ヘドラ」~「逆襲」までは「ゴジラの息子」から続く話という事になりますね。この頃の怪獣島はコントロールされる以前という事で、怪獣達も自由に外へ出られるみたい。怪獣島に住む怪獣達は皆好きですが、中でも私のお気に入りは可愛い健気なアンギラスです。
「対ガイガン」の頃のアンギラスはまだ人間と触れ合った事が無いようですね。人間に対して警戒心が無いから偵察の時に人間の領域に踏み込んで攻撃されてしまったと見ています。それでも反撃する事も無く退散していったのは、人間が悪意では無く怯えから攻撃しているのだと分かっているのですね。彼は弱い者いじめをしない優しい怪獣なのです。偵察も人間世界に異常は無いかを見に行っただけなので、今のところ異常無しという事で、ちゃんと役目を果たしてますよ。
優しいだけに彼の受けるダメージは痛々しいのですが、それでも一生懸命に敵に立ち向かう姿は感動的。彼は優しいからこそどんな困難にも耐えられる、ゴジラとは違う強さを持っています。
この戦いで自分とゴジラの危機を救ってくれたのは日本の人達だと分かったのか、それ以後はゴジラと共に日本の危機を救いに来てくれますね。これからも、その優しさを忘れないで欲しいです。
http://plaza.rakuten.co.jp/achachan
作者からの返信
二代目アンギラス、目が大きくて可愛らしくなったのは
やっぱり二代目ゴジラに寄せたんでしょうかね
偵察シーンは、よく見るとアンギラスの額に傷があるそうです
ガイガンとの戦闘を撮影した後に撮ったためだそうで
なんか変な色がついてて分かりにくいですが
編集済
「ゴジラVSビオランテ」(1989)……ファン投票第一位の人気作への応援コメント
ビオランテの突進シーンは衝撃でしたね。
( ; ゜Д゜)〈走るんかい!?
あと、仕事で大阪のTWIN21に行った時、特に用も無いのに上層階まで上って、この作品の名シーン『薬は注射より飲むのに限るぜ』を呟いてみて、その後に
((((;゜Д゜)))〈って言うか、この高さ!? ゴジラでかっ!? 怖っ!?
って一人で戦慄したり、いろいろと思い入れのある作品です(笑)
作者からの返信
>ビオランテの突進
映画を見返していて、あのままゴジラに体当たりをぶちかましてたらワンチャンあったのではないか?と思いました
聖地巡礼もいいですね
私はJR京都駅を利用するたびに意味もなく吹き抜けを見上げています
が……ガイガン!!
俺達のガイガンじゃないか!!
やたらめったらトゲトゲしくて、ノコギリやら鎌やら正に全身凶器といった出で立ち、一目で『コイツはワルモノ!!』と分かるデザイン……子供の頃に一目惚れした怪獣です!!(笑)
そして、最近読んだアニゴジの前日譚を描いた小説『プロジェクト・メカゴジラ』にもガイガンが出てくるんですけど、ガイガンの章で素で泣きました。(苦笑)
とにかくガイガンが好きなので、取り上げてくれて嬉しいです!!
作者からの返信
ここにもガイガンの虜になった方が一人……
やはり子供心にはこのデザインは衝撃的ですね
10年後も20年後も子供たちを魅了し続けるでしょう
プロジェクトメカゴジラは未読ですが、ガイガンに泣かされるとは
すごい時代がきたもんですね……
「大巨獣ガッパ」(1967)……熱海の温泉街を襲撃する夫婦怪獣への応援コメント
子供が「ガッパ!!」と叫ぶシーンが記憶に焼き付いている……ような気がするのだが、流石に昔の事過ぎて若干曖昧で自信がない。
そうか、あれって熱海だったんだ……。
最後のシーンで
「ギャオスの断末魔だ……」
というセリフがあった気がするのですが。
子供の私は断末魔の意味が解らず、これ以降。
「最後に攻撃を空にぶっぱなすのが断末魔って言うのかぁ」
と、しばらく勘違いをして覚えてしまった記憶があります。
作者からの返信
平成版でもオマージュされた名場面ですね
超音波メスの合成には費用がかかるので
使用回数を制限せざるをえなかったそうですが
断末魔で使ったのは英断だったと思います
「大魔神」(1966)……特撮と時代劇が融合した三部作への応援コメント
一作目しかみた事が無いのですが
あの怒りの顔がかわるシーンが宴会芸として当時ブームになったみたいな話しを聞いた覚えがあります。
大魔神は当時のこち亀とかでも何度かネタにしていた気がしますし。
(ガメラでは逆にこち亀ネタにしてたけど
社会に影響与えていた時代だったのですねぇ。(最近はシンゴジラが与えていたけど
作者からの返信
映画は当時ヒットしたらしいので
作品の知名度も高かったんじゃないでしょうか
元ネタを知らない人でも単なる顔芸として笑えるので
一発芸としては秀逸かもしれませんね
今の子供さんはやっぱりしないんですかねぇ、、、ザリガニ釣り(´・ω・`)
作者からの返信
そもそも水辺で遊ぶの禁止されてそうな気がしますね
娘の影響力すげぇな……。
バタフライエフェクト的に今日の怪獣映画界にも多少の影響を与えてそう。
作者からの返信
まあ初代ゴジラの時点で「ゴジラが死ぬの可哀想」みたいな声はあったらしいので
むしろ必然的な流れだったかもしれません…
カマキラスしかり、漫画バキで戦った妄想人間大カマキリしかり。
やっぱカマキリって巨大化映えというか、怪獣映えするのですね。
まぁ両手にカマついてんだもんなぁ……。そしてあの顔。
そら目立つよね。
でも、その理屈ならクワガタとかカブトムシの怪獣とかいてもよさそうな気もするけど。
あんんまその辺の甲虫怪獣って観たことないような?
私が知らないだけなのだろうか。
作者からの返信
甲虫が巨大化しても固いだけですからね
それなら蜘蛛とかカマキリとか、見栄えがして、かつ身近な危険生物を巨大化させた方が面白いということでしょう
ウルトラシリーズならノコギリンとかアントラーとかいますね
ゴジラ対メガロのメガロもカブトムシですね
序文:怪獣を取り巻く状況(2018年夏)への応援コメント
ほんとね!
前にすごいいいPV作ったのに、その後どうしたんだガメラ!
そら平成三部作が大傑作だからそれを超えられるようなものを作るのが難しいというのは分かるけど。
がめら、かーむ、ばーーっく!!
一周まわって怖い顔に……。
いや、やっぱ見えないっすわぁ。
アメコミチック!
「クロノス」(1957)……映画史上初、巨大ロボット怪獣登場への応援コメント
画像ちらっとみたけど超シュールっすね……。
日本ではモゲラが初だったのか。知らなかった。
世代的に、ゴジラVSシリーズ(スペゴジ)の印象が強くて、モゲラは味方感がありました。
まぁ、それ言ったらメカゴジラだって宇宙人から、VSで地球人の兵器になってますけれども。
前回のモノリスといい。原初の「敵」はある意味シンプルでいいですね。
作者からの返信
見た目はシュールですが話は王道で面白いのです
SF好きメカ好きにも受けると思うので
もっと有名になってもいいんじゃないかと
昔のロボット怪獣はだいたい侵略兵器でしたね
「人類の味方になったロボット怪獣」の原点は何でしょうねえ
ゴジラ第1作の海外編集版作品!
私もこの作品の存在は知ってはいましたが、実際に観てはいないですね。
ハリウッド版ゴジラは、近年の2作品を観ても全くの駄作と言わざるを得ないでしょう。
私、映画館で観て、「ゴジラ映画をナメてんのか !? 」と怒りすら覚えましたもん。
頭に来たので、自分でオリジナルゴジラ小説を書いてこのサイトに投稿したら、なぜか公開後2ヶ月足らずで公開停止にされてしまいました。
ぐぬぬぬぬ…!
我が日本の東宝映画が誇る大スター、ゴジラは第1作公開から64年!
もはや日本の伝統芸能と言ってもよいでしょう。
正統キャラクターのゴジラに戻して再び特撮実写映画にて公開してほしいと願っております。
編集済
このアメリカ版は見た事があります。正直言って途中で飽きてしまうような代物でした。本家の雰囲気すら殆ど伝わっていない作品だと思いました。
>主人公の実況解説が入り
全くその通りで、これが一層雰囲気を壊してると感じました。
ゴジラ、アンギラスに続く怪獣ラドン!…円谷英二特撮が冴えわたるカラー作品ですねぇ!
この作品で特筆すべきは巨大翼竜の起こす風圧による都市破壊シーンですね。
阿蘇高原を走るジープが上を飛ぶラドンの風圧で吹っ飛ぶシーンや、西海橋の下の海面にラドンが突っ込むシーンなど、見事な特撮場面がふんだんに散りばめられています。
しかも、それまでの怪獣映画ではゴジラが都市破壊するのは夜のシーンが多かった(おそらく特撮の細かいアラを隠すためか?)けど、ラドンが出て来るシーンは全て白昼堂々!
怪獣映画を完全にジャンルとして定着させた作品といった感があります。
この作品から、特撮映画俳優として土屋嘉男と並び佐原健二がその後活躍するようになりましたね。
作者からの返信
言われてみれば特撮シーンは全部昼間ですね
やはり初のカラー作品だからということでしょうかね
佐原健二、今作では記憶喪失の演技が印象的でした
この作品、個人的にはけっこう好きですね!
怪獣バトルよりも、どちらかと言うとゴジラを撃退しようとする男たちの姿や気迫が印象に残る映画です。
土屋嘉男(漢字合ってる?)はこの作品で、以降特撮映画俳優として定着した感があります。
大阪の街で両怪獣が戦う下で、地下道に逃げる人々を、決壊した川の水が襲うシーンが凄いと思った印象が残っています。
「ゴジラ」(1954)……初の国産怪獣映画にして不朽の名作への応援コメント
怪獣映画世代の私にとっても、この作品は歴史的名作ですね!
円谷英二の特撮ビジュアルはもちろん、人間ドラマのプロットもとても深く描かれています。
興味深いのは志村喬演じる生物学者が、ゴジラを研究対象として見るべきと主張し殺すことに反対するシーンや、酸素破壊装置をゴジラ退治に使用することで兵器流用につながるのでは?と悩む科学者のラストシーンなど…。
日本初の怪獣映画にして、単なる娯楽映画としてではなく、科学に対する懸念や徹底的な反戦への主張が隠れたテーマとなっているところが、この作品には込められています。
ハリウッドゴジラは私個人の感想としては、駄作だな…!
メガヌロン、子供の頃にみて超びびった記憶があります……。
トンボとかフナムシとかが巨大化すると、怪獣映画的には序章のモンスターですけど、子供心にはある意味怪獣よりも怖いシーンに見える。
作者からの返信
メガヌロンは大きさが絶妙ですね
人家にこっそり忍び込むことができ、かつ人の手に負えない大きさ
それがリアルな怖さにつながってると思います
あと顔も怖いし
「ゴジラ」(1954)……初の国産怪獣映画にして不朽の名作への応援コメント
悲劇的なまでの破壊描写。これは本当に凄かったです。
白黒なのも相まって、まさにこのシーンは戦争映画のようでした。
寧ろ今の子供に見てほしいくらい。
序文:怪獣を取り巻く状況(2018年夏)への応援コメント
平成版のガメラ凄い好きだったんですけどねぇ。
1~2は。特に2のレギオン襲来は。
3は……、うん、まぁね。
シン・ゴジラにはガチ泣きしたので、ガメラも是非に……。
ゴジラ対ガメラをとうとうやっちゃってもいいのよ!
作者からの返信
ガメラ3はあまり評判がよくないみたいですね
あの世紀末感は唯一無二だと思うのですが
ゴジラ対ガメラは……ガメラもハリウッドでリメイクしてもらえばあるいは……
「怪獣総進撃」(1968)……東宝怪獣オールスター、ここに集結!への応援コメント
第一作以上に大好きなゴジラ映画です。死んだら棺に総進撃と嵐と世界大戦争を入れて貰って焼いて欲しいと思います。
80年代にテレビでやっていたのはタイトルだけ総進撃で、中身はゴジラ電撃大作戦といった物で、エンディングの余韻ぶっ壊しでした。
どうでもいい話ですが、マンダがモノレールを破壊するシーン、操演スゲエって何回も見てると、画面左側の路上の小さい鉄塔がポコって倒れるんですよ。複雑な操演をやった結果、想わぬ角度のミニチュアに当たってしまったんだろうなあって、むしろ感慨深く思ってしまいました。
未資料フィルム収録のゴジラ対マンダ、高画質で見たいものです。