応援コメント

「原子怪獣現わる」(1953)……レイ・ハリーハウゼンの出世作」への応援コメント

  • こんばんは。
    「原子怪獣現わる」は「ゴジラ」の原型になったともいわれる映画ですね。この映画を皮切りに核実験でよみがえった怪獣や放射能で変異した怪獣が世界中に蔓延する訳ですが、ここでは通常兵器が効かない相手には喉元を攻めるという理に適った攻撃がなされてます。
    でも、この喉元の傷から流れた血の成分が被害を広げてしまう為、この世でたった1発しか無いアイソトープ弾を傷口に打ち込み倒す事になります。
    (1発だけなので打ち損じが許されないなんて「ウルトラマン」最終話のペンシル爆弾の元ネタはこれかしら?)

    本作に登場する恐竜リドサウルス。彼にもゴジラ同様、人間の身勝手で目覚めさせられた者の悲哀を感じます。彼は故郷へ向かいながら仲間を探していたのかもしれません。
    仲間を見つけたと思って近づいてみると、それは作り物(船舶)であり、中には妙な生き物(人間)がいる。怒りと悲しみのあまり沈没させてしまう。また仲間を見つけたと思ったら、それも作り物(灯台)であり、中にはまた妙な生き物(人間)がいる。怒りと悲しみに任せて倒壊させてしまう。
    灯台を破壊した後のリドサウルスのシルエットが嘆き悲しんでいるようで哀愁を誘います。悲しいけど美しいシーンです(灯台守の方々は気の毒ですが・・・・・・)。

    本作を観ていると、リドサウルスは元々魚類食で獣類(人間)を捕食する習性は無いのでは?と思います。自分の故郷に繁殖している小さな生き物にただただ戸惑っている感じですし、あの警官はただうるさいから噛み殺しただけで、振り捨てるほどの大きさでは無いのでゴクンと飲み込んだだけの事では・・・・・・。
    死に逝くリドサウルスを見る人間達の思いはどのようなものだったでしょうか。苦しい思いをさせてしまったけど、どうか安らかに仲間の元へ旅立って欲しいです。
    http://plaza.rakuten.co.jp/achachan

    作者からの返信

    原作小説はまさしく怪獣の孤独と悲哀をテーマにしていますね
    もっとも、原作では核実験で目覚めたのではなく、古代生物の生き残りが霧笛の音に反応して海から出てくる、という設定ですが……
    死によって孤独から解放されたのであれば、人類にとっても怪獣にとってもハッピーエンドなのかな、とおもいます