第24話 私の窮地
彼は悪魔だと思う。今になって漸く奈央が言っていた不安の意味がわかった。むしろ見抜いていた奈央に感服すらもする。
「目的はなに?」
私はぶっきら棒に問い掛ける。目の前にいるのは宮間君で、場所は私の部屋だ。家に上げたことも、部屋に入れたことも心の底から不本意だ。お母さんに対するショックな事実を知った日ではあるが、せっかくお兄ちゃんと仲直りできて晴れやかだったのに。
「はっきり聞きたい?」
いつもの爽やかな笑顔ではなく、厭らしい笑みを浮かべる宮間君。ゾッとする。これが彼の本性だろう。恐らく私はこれから危険な目に遭う。受け入れられない事実ではあるが、受け入れざるを得ない。
宮間君は今日、突然私の家に来た。時間からして学校が終わって真っ直ぐ来たのだろう。お兄ちゃんがちょうどスーパーに行っている間というのも痛い。できればお兄ちゃんにも同席してほしいが、いつ帰って来るかはわからない。
宮間君はインターフォンを鳴らしたので最初はインターフォン越しに話した。家の前ではなく、家まで来た事実に驚いたものだ。そして宮間君は言った。
『今1人? 倉町さんの部屋に入れてよ』
「嫌だよ」
『ふーん。じゃぁ、こないだお兄さんがひき逃げをしたってでっち上げる』
「は?」
今日何度目だろう。私は目の前が真っ暗になった。そして玄関先での立ち話を経て、とうとう私の部屋で対面している。
宮間君は部屋の中央の円卓の前に座っており、私はできるだけ彼から距離を取るように離れてベッドに背を預けて座っている。因みに私のスマートフォンは円卓の上だ。
なんで最初に気に掛けなかったのか、今更取ろうとしても宮間君の方が近く、操作は許してもらえないだろう。それほどに宮間君の獲物を狩るような目は鋭く恐ろしい。もちろん獲物は私という女で、だから私はお兄ちゃんに連絡もできない。
「でっち上げるって言ったって証拠はあるの?」
私はそれでも気を強く持ち、宮間君に主導権を渡さないように凄む。しかし宮間君に効果はなく、彼は相変わらず厭らしい笑みのままだ。
「証拠は作るんだよ。俺が当日に着ていた服の繊維を既に車に付着させてたり、これから怪我を作ったり。そうすれば近隣の防犯カメラの映像で、君たちが乗った車と俺があの日あの場所で合流したってすぐに調べられるから」
酷い。そこまで頭が回るのなら邪道な方法で女の子を追いかけるより、正攻法で口説き落とすことを考えればいいのに。尤も私にはお兄ちゃんがいるから靡かないが。
「で、目的の返事をしなきゃね」
「やっぱり聞きたくないかな」
「いいじゃん。倉町さんが聞いたんだから話させてよ?」
これ以上ない嫌悪感が体中を駆け巡り、それが鳥肌となって全身に立つ。心底気持ち悪い。
「倉町さん、俺のカノジョになってヤラせて?」
「カノジョの方は拘ってないでしょ?」
「じゃぁ言い方を変えるね。俺専用の性奴隷になって」
「断るって言ったら?」
「お兄さんのひき逃げをでっち上げて警察に届ける」
悔しい。目頭が熱くなり込み上げてくるものがある。けど絶対こんな奴に涙は見せたくない。私に対してはお兄ちゃんのことを盾にする一方、他方面に対してはカレシですと言い切るだろう。それで性行為を正当化するつもりだ。
「それは困るよね? ブラコンの倉町さん?」
腸が煮えくり返る。私がブラコンなのも既に知っている。だからお兄ちゃんを人質にしているわけだ。
私が何も答えられないでいると、宮間君は動いた。四つん這いの体勢で私に近づいてくる。私は後退ろうとするが、既にベッドが背にある。手も足も震える。これが本能を剥き出しにした雄の姿か。恐怖しかない。
「無理やりはしないよ? 嫌? 断る?」
宮間君は私が伸ばした足を腕で跨いで顔を寄せる。断ることの意味が私に絶望を与える。どうしてもお兄ちゃんを守りたい。だから私は首を横に振った。宮間君からは目を逸らして。
「お? それはどういう意味? 口ではっきり言って?」
「いいよ! 好きにして!」
「くっくっく」
その厭らしい笑い方を私は一生忘れることはないだろう。そして私は彼を一生恨むことになるだろう。いや、私には大好きなお兄ちゃんがいるのに、こんな奴に体を好きにされたら生きてさえいけない。だから私の一生はもう終わるかもしれない。
ん? お兄ちゃんがいる?
あぁ、そうか。これほどの窮地に立たされて漸く気づいた。他の雄に体を求められて漸く気づいた。私はお兄ちゃんのことが恋愛感情で好きなんだ。もちろん家族愛もある。これは否定のしようがない。けど、私の中には間違いなく恋愛感情も混ざっているのだ。
「じゃぁ、まずはキスからしようか?」
「お兄ちゃんの罪をでっち上げない?」
「ふふふ」
「約束して」
「約束するよ」
すると宮間君は私に顔を近づけ始めた。キスか……。そう言えば小学校に上がる前はしていたな。お兄ちゃんと家族の挨拶みたいなやつだけど。お父さんがしようとすれば私はワンワン泣いて嫌がって、それなのにお兄ちゃんには何回もしてもらった。
そうか。深く考えたことはなかったけど、私のファーストキスの相手はお兄ちゃんなんだ。これだけは救われる。当時は意味が違ったけど、それでも大好きな人としていたことは間違いないから。
すると宮間君の顔が寸前まで寄って来て、彼が目を完全に閉じた瞬間だった。
ガチャッ!
物々しい音を伴って部屋のドアが開いたかと思うと、なんと鬼の形相をしたお兄ちゃんが勢いよく入って来た。
「てめぇ! 弱みに付け込んで俺の
初めて見た。これほどのお兄ちゃんの剣幕と表情を。いつもは私に優しい表情か面倒くさそうな態度しか見せないお兄ちゃんが、怒りに狂っている。私は唖然とするばかりだが、お兄ちゃんの言葉から私たちの会話を聞いていたことだけは理解した。
「うがっ!」
すると宮間君の髪を背後から掴み、彼を仰向けに引き倒した。その後は初めて見る暴力的なお兄ちゃんに為す術がなかった。お兄ちゃんが宮間君に馬乗りになって、原形が無くなるほど顔面を殴打する様を呆然と見ていた。
十発、二十発、もう何発殴っているのかもわからない。突然はっとなった私はお兄ちゃんにタックルをするように抱き着いた。
「もう止めて! 意識飛んでるよ! このままじゃ死んじゃうから!」
別にお兄ちゃんを貶めようとした奴の生死なんてどうでもいい。しかしお兄ちゃんがその加害者となるのは耐えられない。私は必死でお兄ちゃんにしがみつき、お兄ちゃんの動きを止めた。するとお兄ちゃんは呼吸を乱しながらも、漸く宮間君から下りた。
しばらくは何も話せなかった。私はお兄ちゃんから離れることもできなかった。そして意識を取り戻したのが宮間君だ。
「ひっ……」
彼は随分怯えた表情で一度お兄ちゃんを見ると、素早く私の部屋を出て行った。その後、階段を駆け下りる音が聞こえて、玄関ドアの開閉音が届いた。
やがてお兄ちゃんの呼吸が整ったところで、私はリビングでお兄ちゃんの拳の手当てを始めた。随分皮が捲れていて、悲惨なことになっている。まぁ、宮間君の顔ほどではないが。
「やり過ぎだよ?」
「すまん……」
「警察に通報されたら逃げ道ないよ?」
「すまん……」
この時はもう、お兄ちゃんは恐縮し切りだった。けど私は嬉しい言葉を思い出したので、それをネタに揶揄ってみる。
「『俺の亜澄』って言ってくれた」
「は? 言ってないだろ? そんなこと」
「言ったよ」
私ははにかみながらお兄ちゃんの拳に消毒液を塗る。
「うぅ……」
お兄ちゃんは顔を歪めるが、やり過ぎって意味で自業自得だから我慢してね。
「あぁ、思い出した。けどちょっと脚色してるな。『俺の妹』って言ったんだよ」
「うそだぁ。私はっきり聞いたもん」
そう言ってチラッとお兄ちゃんを見てみると、お兄ちゃんは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにそっぽを向いていた。
「もしお兄ちゃんが罪に問われて立場がマズくなっても、亜澄が養ってあげるからね」
「は!?」
「ずっと一緒にいようね」
お兄ちゃんから返事は返ってこないけど、どうせ照れているのだろうと勝手に決めつけた私であった。
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