第26話 私の祈願成就

 大きなトラブルがあった翌日の土曜日、私は起きると日課に移る。音を立てないように気をつけてお兄ちゃんの部屋にやって来た。そしてスマートフォンとパソコンのチェックを済ませてベッド脇に膝立ちした。


「ぐふふ」


 小さく笑ってみる。やっぱりいつ見ても我が兄の寝顔は可愛い。それに加えてキュンキュンする。あぁ、これが恋心か。今までは恋愛の自覚がなかった。この胸が詰まる感覚が苦しいのになぜか嫌だとは思わない。

 今日の日課はもうちょっと踏み込んでみようと思う。昨日のトラブルでお兄ちゃんに名誉の負傷をさせてしまったから。私はベッドで仰向けに寝るお兄ちゃんの隣に潜り込むと、お兄ちゃんの右手を取った。


「ごめんね。守ってくれてありがとう」


 拳に包帯が巻かれた手。私はその包帯を避けてお兄ちゃんの手の甲にそっと唇を当てた。私を守ってくれたお兄ちゃんの大きな手がとても愛おしい。


「んん……」


 するとお兄ちゃんがゴソゴソし始めて、やがて薄く目を開けた。その目はみるみる見開く。そして私をはっきり認識してビクッと体を震わせた。


「亜澄!」

「おはよう、お兄ちゃん」


 私は抑えきれない笑みを浮かべてお兄ちゃんに挨拶する。するとお兄ちゃんは飛び起きた。あぁ、ドキドキした。


 その後、朝食を作って、食べる前にお兄ちゃんの包帯の交換をしようとリビングでその作業に取り掛かった時だった。


「あれ?」

「ん? あれ?」


 私の疑問の声にお兄ちゃんの疑問が続いた。ない、ないのだ。お兄ちゃんの傷が。どういうこと?


「俺、治癒力強化のスキルでも手に入れたのか?」


 なんだろう? それ。もっとわかりやすく言ってほしいな。するとそんなタイミングでお父さんが起きてきた。途端にお兄ちゃんが私に目配せをする。――これはちゃんと通じたよ。


 お兄ちゃんは昨日アルバイトがあったため、お父さんと食事の席を一緒にしていない。帰って来てからもほとんど顔を合わせていない。だから怪我のことを知られておらず、そして私が危険な目に遭ったこともお父さんは知らない。

 この朝こそお兄ちゃんの右手に巻かれた包帯で悟られるかなと思っていたが、その包帯を巻く必要がなくなった。それならばお母さんのことで忙しいお父さんに余計な心配はかけたくないので、このまま何も言わないでおこう。


 ということで、3人で朝食の席を囲ったわけだが、まぁ、お兄ちゃんに「あ~ん」はしたよね。お父さんの前だったけど、珍しくもお兄ちゃんは1往復に限らず私の全てを受け入れてくれた。どうした? 嬉しいけど。


 その後お父さんはお母さんの病院に行き、私たち兄妹はお見舞いを午後からにして午前は間々観音に行くことにした。雲はかかっているが雨の心配はなさそうな天気の中、お兄ちゃんの運転で間々観音に行くのは久しぶりである。

 手を繋いで一緒に順路を廻り、最後にやって来た本堂。昨日来た時はトリップしなかった。乳神様はどこかに出張中なんだろうか? しかし合掌して目を閉じると、体が軽くなった。そう、トリップだ。


「ほっほっほ。よく来たな、亜澄」

「乳神様!」


 出てきてくれた! 乳神様だ。神々しい光に照らされた爆乳の観音様だ。私は涙目になりながら前のめりになる。


「乳神様! お母さんが! お母さんが!」

「ほっほっほ。把握しておる」

「なんと! そうでしたか!」


 さすがは乳神様。全知の神だろうか?


「私に試練を与えてください! なんでもします! だからお母さんの乳癌を治してください!」

「ほっほっほ。試練なら既に達成しておる。じゃからその必要はない」

「へ?」


 試練を達成した? どういうこと?


「宮間大」

「え!?」


 乳神様からまさかの名前が出て驚く。昨日のことが思い出されて鳥肌も立つ。なぜ宮間君の名前が乳神様から出てくるのか?


「あやつはわしが大宮女大神に頼んで作ってもらった」

「は!?」

「神は創造の神力があるからのぅ。それでお主の兄の嫉妬を煽り、片やお主には兄への本心を引き出した」

「えええ! 私すっごい怖い思いをしたんですよ!? ひどくないですか?」

「それが試練じゃ。ほっほっほ」


 こんちくしょう。その高笑いが憎たらしいよ。


「そしてお主は兄へ抱く感情に気づき、兄はお主を見事守った。じゃから試練は達成じゃ」


 くそぅ、宮間君は乳神様が送り出したサクラだったのか。それが試練だったのか。完全にこの御方にストーリーを作られてしまった。


「そもそも宮間大は一時的に作られた虚空の人間じゃ。それ故もうこの世に存在せん」


 なんだと! それならばお兄ちゃん、遠慮なく抹殺してくれて良かったじゃん。あ! だからお兄ちゃんの怪我が無くなったのか。宮間君がいたという事実を物理的に消したから。

 ん? 宮間大? 私は今頃になって気づいた。ちくしょう。乳神様と大宮女大神様から名前を取っているじゃないか。悔しい。しかし思うところもある。


「それなら! お母さんを治してくれますか?」

「お主の願いは豊胸ではなかったか?」

「私のおっぱいよりお母さんの方が大事です」

「ほっほっほ。案ずるな。お主の母の病は既に快方に向かっておる」

「え! そうなんですか?」

「そうじゃ。お主の兄が持って来た供え物。慣例に捉われない作で、なかなか興を乗せるものじゃったぞ?」

「……」


 お兄ちゃんもラノベをお供えしていたのか。今私しかトリップしていないのだから、お兄ちゃんがトリップしたことがあるとは思えないが、しかし私との買い物でしっかり乳神様の趣向を把握していた。しかも非王道を差し出すとは、侮れん。


「それで昨日はお主の母のもとへ行って参った」


 あぁ、だからお参りした時、出てきてくれなかったのか。


「今は薬に苦しんでおるが、我が念力でこれからは完治に向かうじゃろう」

「乳神様……」


 震える声で思わずその尊い御方の名前を口にする。神様、仏様、乳神様。……あぁ、乳神様は仏様の部類だった。

 するとその時だった。ボン、ボン、と2段階の衝撃が私の体を駆け巡る。その衝撃は胸から発せられたもので、背中ではプチンッと破壊音が鳴った。


「ほえ?」

「お主の願いは豊胸じゃったな?」


 それを聞いて私の胸が大きくなったと理解した。しかしそれと同時に私に焦りが生まれて慌てる。


「違います! お母さんの乳癌完治です!」

「じゃからそれはお主の兄の願掛けで達成した。加えてお主たち兄妹はわしが与えた試練を達成した」


 なるほど。お兄ちゃんの参拝でお母さんの癌が快方に向かい、宮間君を差し向けたことの私たちの試練は達成されたから私の胸が大きくなったのか。

 ん? 待てよ。つまり今回の試練って私1人ではなく、お兄ちゃんにも課されてたんじゃん! やっぱりこの御方、侮れん。


「これでお主は晴れてEカップじゃ」

「へ? ……Eカップ!?」


 驚きのあまり私は声を張った。あぁ、確かに2段階ボインって感覚があった。だからDカップを飛ばしてCカップからEカップになったのか。しかし今までは1サイズずつだったのに今回はなぜ2サイズ?


「試練とは言え、お主の母の病はわしの与り知るところではなく、盲点じゃった。そんな矢先に宮間大を送り込んでしもうたのは心苦しく思うておる。じゃからその詫びも合わせて今回は2段階じゃ」

「なんと! そんなお心遣いを! ははぁ……」


 私は深く頭を下げた。そして両手で胸を鷲掴みにすると、手のひらから零れ落ちるボリュームにニンマリが止まらない。そのまま顔を上げた。


「ぐふふ。目標のEカップ」

「ほっほっほ。そうか、その大きさがお主の目標じゃったか」

「はい!」

「ほっほっほ。ではわしは今後、乳に悩める他の女子おなごのもとにいくかの。もう来るでないぞ? 亜澄」


 しまった。目標だなんて言わなければFカップやGカップもあり得ただろうか? 惜しいことをした。しかしそれでもお兄ちゃんの趣向の最低限であるEカップだ。私はお礼を言う。


「乳神様! ありがたき幸せ」

「ほっほっほ。それからお主は自分の気持ちに気づいたが、本当の試練はこれからじゃ」

「ほえ? どういうことですか?」

「今後、殿方を振り向かせるのは自分の力でするのじゃ」

「ふっふっふ。それならばご安心を。今までどおりお兄ちゃんに構いまくるので」

「…………そうか。ではさらばじゃ」


 そのお言葉のすぐ後に私は現実世界に戻って来た。しかしすぐに気づく。

 どうしよう? ブラジャー切れたままだ。隣にお兄ちゃんを感じて私は焦った。

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