第10話 兄の隣でトリップ
とうとうやってきた間々観音。通称おっぱい寺。隣を歩くのは愛しのお兄ちゃんだ。しかし到着当初浮かれていた私は、ここで不思議な体験をするなんて夢にも思っていなかった。
敷地の狭いお寺なので、順路を歩いているとものの数分で本堂前の階段までたどり着く。他にも2組の参拝者がいるようだが、どちらもカップルか夫婦を思わせる。既に参拝が終わったようで、もうこのお寺を出るみたいだ。
そして階段脇にある絵馬
私もその模られた乳房のように美巨乳になれるかなぁ?
「凄いな……」
「だね」
まぁ、私は事前の情報収集で画像を見ていたのだけど、お兄ちゃんは感嘆しているようだ。絵馬を1枚1枚捲りながら乳房とは反対面に書かれた文字を読んでいる。私もお兄ちゃんに顔を寄せて一緒に読んでみた。
て言うか、お兄ちゃん。さりげなく絵馬の乳房を指で撫でるのは止めてくれないかなぁ? 私気づいているよ? 恥ずかしいから。まぁ、ちょうど人が捌けたところではあるけど。
しかし「でへ」なんて言葉でも聞こえてきそうなほど鼻の下を伸ばしてもいる。こんにゃろう、今に見てろよ。私のおっぱいで悩殺してやるんだから。
因みに絵馬に書かれているのは、授乳に向けた願いや、お乳の病気に関する願いや、バストアップの願いがほとんどだ。多くが東海圏からの参拝者のようだけど、稀に遠方からのものもある。なるほど、これが全国区のB級スポットか。
気の済むまで絵馬を見て――お兄ちゃんは触って――私たちは境内の階段を上がった。
1フロア分にも満たない低い階段で、上ってすぐの場所に物販テーブルがある。そこには乳房のストラップやお守りなどが置かれていた。そして土足はここまで。どうやら本堂への参拝は靴を脱がなくてはいけないらしい。
私とお兄ちゃんは靴を脱ぐと本堂へ上がった。脇に巫女さんでもいそうな販売窓口があるのだが無人だ。尤もここはお寺だから巫女さんはいないが。人を呼ぶためのインターフォンはあるので、どうやら絵馬はここで買うらしい。
「買うか?」
「うん。けど、お参りが終わってからにする」
「そっか」
とにかくまずは参拝である。私とお兄ちゃんは本堂のセンターに立ち、お賽銭を投げて鈴を鳴らすと、パンパンと手を叩いて合掌した。すると脇からお兄ちゃんの声が届く。
「亜澄の胸が大きくなりますように、亜澄の胸が大きくなりますように」
あら、お兄ちゃんわかっているじゃない。ちゃんと私のことを思ったお願いを、声に出してまで言ってくれるなんて。
「亜澄がここに来たかった理由はこれしかないと思うし、どうせ男の俺にご利益は少ないと思うから、面倒臭い妹の願いを叶え――うぐっ!」
思いっきり足を踏んでやった。合掌して目を閉じているから勘だったけど、皮肉にもお兄ちゃんのつま先にヒットしたみたい。靴を履いてないから反って痛そうだ。
とにかく私もお願いしなきゃ。私は目を閉じたまま心の中で唱える。
――おっぱいが成長して、他の巨乳ビッチに向いているこのお兄ちゃんの目が私に向きますように。
すると突然、ふわっと体が軽くなった。それこそ体重がなくなったかのようだ。驚いた私は慌てて目を開けてみる。するとなんと、景色が変わっていた。
ここはどこだろう? 足元はドライアイスを撒いたように白いモヤモヤで、地面は見えない。どこに立っているのかもわからず、雲の上にいるかのようだ。
周囲は水色でかなり明るい。足元を顧みる限りそれこそ空を連想させる。隣にいたはずのお兄ちゃんの姿はない。
「ほっほっほ」
すると声が響いた。鼓膜にではない。直接脳に響いた女声だ。だから方向もわからないのだが、私は予め体が向いていた方に真っ直ぐ視線を上げた。
「乳に悩める少女よ、よく来たな」
するとその御方は現れた。周囲を神々しく照らされ、髪が長く豊満な乳を携えた恐らく人。いや、現実世界からどこかにトリップしたような感覚だから、人型と表現した方がいいのだろうか?
とても不思議な感覚で、混乱してもおかしくないはずなのに、私の頭の中は妙に冷静で冴えていた。
「えっと……誰ですか?」
「この寺に祭られている観音じゃ」
「はっ!?
「違う、神ではない。かんの――」
「乳神様! ははぁ……」
私は深く腰を折って頭を下げた。直立の状態でなければ土下座をしていたところだ。なんせ私が欲しいご利益を、意のままにできる御方が現れたのだから。
「……まぁ、良い。お主の好きに呼べ」
「はい! 乳神様!」
顔を上げた私は元気に返事をすると、このチャンスを逃さぬよう早速願いを口にした。
「私の胸を大きくしてください!」
「ほっほっほ。威勢が良いな。叶えてやろう」
あら、なかなかあっさりしているのね。
「但し、条件がある」
あぁ、タダとはいかないのか。そりゃ、そんなに都合よく事は進まないか。
「なんでしょう?」
「お主、これから七日間毎日ここに参れ」
「それは無理です」
「……そこは「わかりました」と即答するところではないのか?」
「月曜日は振替休日だけど、火曜日と水曜日は学校があります」
「なるほど。勉学に励んでおるのじゃな?」
「はい」
「しかしお主、今黄金連休じゃろ?」
乳神様……ゴールデンウィークを知っている……。
「はい。連休が始まりました」
「それならば本日土曜日から翌々日曜日まで、火曜日と水曜日を除いた七日間参れ」
乳神様……日本人の今年のカレンダーをしっかり把握している。連続って前振りは何だったんだよ。妥協できるなら最初からそうしてくれ。しかしそう言うのであれば、私は承諾できる。
「わかりました」
「そして毎日供え物を持って参れ。供え物は明日からで良い」
「具体的には何を?」
「わしはな、お主らの世界の文化で純文学の純愛ものが好物でな」
まさかの読書家。とは言え、さすがは高尚なご趣味だ。とりあえず私は黙って聞こう。
「特に好きなのが、兄妹が恋に落ちる喜劇じゃ」
おいおい、それって、純文学の純愛ではなくて、ラノベのラブコメじゃないのか?
「それで兄妹で来たお前だから特別に姿を見せてやった」
あぁ、なるほど。確かに私はお兄ちゃんと来て、お兄ちゃんに自分を見てほしいって願掛けをした。だから私をトリップさせたのか。
しかし残念ながら私たちはしっかり血の繋がった兄妹なんだよ。天にも昇るほど愛し合っているけど、ラブコメのように親の再婚でできたとかの義理の兄妹ではない。だから私たちの愛は恋愛感情ではない。
しかしチャンスを得た私は乳神様に忖度をしようと思う。
「わかりました。私が幾つか見繕って本をお供えします」
「それは楽しみじゃ」
ラノベのラブコメの方にしておくからね、乳神様。
「あ、そうじゃ。わしはな、
今度は百合ものキタ! この御方、本当に授乳や
まぁ、いい。ここは私の巨乳化がかかっている。忖度だ。
「わかりました。それも見繕ってお供えします」
「ほう、楽しみであるぞ。では、まずは明日。首を長くして待っておる」
なんだか乳神様って奔放な御方だな。こっちこそ巨乳化を叶えてくれる日を、首を長くして待っているよ。
そう思っていると、体がふっと重くなった。現実の世界に戻って来たのだとすぐに理解して、私は目を開けた。正面には本堂と賽銭箱と紅白の
「亜澄の胸が大きくなりますように……」
まだ言っているよ。と言うかもしかして、私がトリップしていた時間は現実世界では進んでいないのかな? そう思っているとお兄ちゃんの目が開き、お兄ちゃんは合掌を解いた。
「さ、お参り終わった。次は絵馬かな」
「うん、そうだね」
そう答えて私はお兄ちゃんの手を握り、お兄ちゃんの温もりを感じながら考える。今日からのお兄ちゃんとのゴールデンウィークは予定を変更して、毎日参拝と本屋さんかな。お小遣い足りるかなぁ?
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