第8話 兄との連休は目前
ゴールデンウィークまであと2日に迫った我が家の夕食の席でのことだ。
「はい、あなた。あ~ん」
「あ~ん。――美味い!」
「あら! 良かったわ。味付けをちょっと変えてみたの」
本当に私の両親は仲がいい。いつ見ても微笑ましくなる。私もお兄ちゃんといつまでも仲良しでいたい。それこそおじいちゃん、おばあちゃんになっても。これからの将来もお兄ちゃんのご飯は私が作るから楽しみにしていてね。
しかしそのお兄ちゃんは食事中、絶対にお母さんとお父さんを見ようとしない。大抵呆れたような表情を浮かべているし、時々鬱陶しそうにため息まで吐く。
「はい、あ~ん」
「あ~ん」
そんなお兄ちゃんのことも気にせずお母さんとお父さんは相変わらずだ。お兄ちゃんもご飯の時はもう少し楽しめばいいのに。
「あ! そうだ!」
閃いた。しかし私が声を上げた瞬間、緊張してお兄ちゃんの肩に力が入った。まぁ、私はそんなことに構わず行動に移すけど。
「はい、お兄ちゃん、あ~ん」
お兄ちゃんは身を私とは反対側に引く。なんだよ、もうっ! まぁ、逃がさないけどね。
「あら」
「相変わらず2人も仲がいいな」
お母さんとお父さんが微笑ましそうに笑って、それぞれそんなことを言う。一方、お兄ちゃんはどんどん体が傾き私から遠ざかる。しかし私の左側に座っているお兄ちゃんだから、私は空いている左手ですかさずお兄ちゃんの腕を掴んだ。
「お兄ちゃん! あ~ん」
箸を持つ側の腕を掴まれて食事の動作が止まったお兄ちゃんは、ここでやっと素直になってくれた。口を開けた時のお兄ちゃんの目は潤んでいて、そんなに嬉しかったのかなとこっちまで頬が緩む。恥ずかしがらずに最初から素直になっていいのに。
「どう?」
「ぉぃしぃ……」
照れちゃって、もう。けどギリギリで聞き取れたから良しとしよう。目くらい合わせて言ってほしかったけど、それは我慢して私は次の行動に移るよ。
「お兄ちゃんからも」
と言ってすぐに私は口を開けて待つ。雛鳥ってこんな気分なのかな? 目を閉じてその時を待っていると、なんだかワクワクする。しかしそれも束の間。
「う痛ィィィィィ!」
私の口に鈍い痛みが。詳細な箇所を説明すると、口裂け女の口が裂ける部分だ。涙目を自覚して瞼を上げると、そこには悪戦苦闘するお兄ちゃんの難しそうな顔があった。どうやら私の口の端に箸を閊えさせたようだ。
「あぁん、ダメよ、芳規。横並びで利き手側の相手に食べさせてあげる時は、しっかり体ごと向かなきゃ」
それは私も勉強になった。横並びだと利き手側の方が食べさてあげる行為が難しいのか。お母さんの説明に納得すると同時に、お兄ちゃんから運ばれてきたおかずが口の中を満たす。
「んんん! うげぇ……」
正直、美味であると信じて疑っていなかった。だってお兄ちゃんに食べさせてもらったんだから。しかしお兄ちゃんはよりによって私の苦手なトマトを運んでいたのだ。
ほとんど噛まずに飲み込んだ私は涙目のままお兄ちゃんを睨みつける。しかしお兄ちゃんはそんな私を無視して自分の食事を進めた。
「まぁ、まぁ。じゃれちゃって」
「はっは。まったくだ」
あ、そうか。照れ隠しのじゃれ合いか。両親の反応に納得。しかしお兄ちゃんはそんな両親を上目で一瞬睨んだような気がした。気のせいか?
「あ、そうだ、亜澄。生活費はもう用意してあるから、明後日からの家事はよろしくね」
「うん! 任せて!」
「は!?」
私の返事に交じってお兄ちゃんの声が響く。お兄ちゃんは目が点になっていて、お母さんを向いていた。
「どっか行くのかよ?」
「どっかって、ハワイに行くのよ」
「は!?」
「言ってあっただろ?」
お父さんも会話に参戦。確かに私は聞いていた。だからお兄ちゃんも例外なく知っていると思っていたけど。
お父さんとお母さんは2日後、日本を飛び立つ。ゴールデンウィークの期間中はずっと旅行だ。その間、家は私が任されるわけで、しっかりお兄ちゃんのお世話をしなくてはならない。俄然気合が入る。
結婚願望がない私なので、当然、生涯をお兄ちゃんと添い遂げるつもりだ。だからお兄ちゃんとの生活は老後まで続くわけで、そのための修行である。
「初耳だわ!」
「そうだったか? まぁ、今までもあったし、問題はないだろ?」
「ったく。いつも直前になって旅行に行くって言い出しやがって」
あぁ、そうか。両親が長く家を空ける時は大抵私が先に聞いちゃうから、お父さんとお母さんからしたらお兄ちゃんにも言ったつもりになっているんだ。まぁ、でも問題ないよ。お兄ちゃんと2人きり、楽しいじゃん。
「父さんたちがいない間、母さんの車なら自由に使っていいからな」
「使う用事なんてないよ」
「ん? 亜澄から使うって聞いてるぞ?」
「は?」
またも目が点になったお兄ちゃん。今度は私を向く。私はとりあえず笑顔を返してみる。するとお兄ちゃんはすぐに視線を外しちゃった。ちぇ……。
「お兄ちゃん、ゴールデンウィークはドライブデートだよ?」
「そうなの?」
「うん。ばっちり予定組んであるから期待しててね」
「へぇ、へぇ」
薄い返事を返してお兄ちゃんはまた食事に手を戻した。そこでお母さんからの補足が入る。
「お父さんの車は保険に年齢制限があるから運転しちゃダメよ」
「へぇ、へぇ」
「私の車の鍵は玄関の下駄箱の上に置いておくわね」
「はいよー」
お母さんの車は軽自動車だけど、車のステータスに文句は言わない。そもそも車の知識もない高校生だし、狭い軽自動車の方がお兄ちゃんとの距離が近くなるから問題ない。今年のゴールデンウィークはお兄ちゃんと2人の生活にドライブデートがあるからバラ色だ。
この後食事が終わり、お兄ちゃんの後にお風呂を済ませてリビングに戻ると、お兄ちゃんはもういなかった。それなので私はドライヤーを持ってお兄ちゃんの部屋に行った。
「お兄ちゃん?」
「ん? 風呂上がったのか?」
「うん」
「じゃぁ、ここ座れよ」
「えへへ」
そう言ってお兄ちゃんが促してくれたのは学習デスクの椅子。早速私が腰かけると頭皮に心地いい熱風があたるとともに、お兄ちゃんの手が私の髪を撫でる。私は大人しく座ったまま背中越しに聞いてみる。
「お兄ちゃん立ったままで疲れない? 私、床に移るよ?」
「いいから。そんなに大した時間でもないし」
優しいな。文句ばかりでよく渋い顔をするお兄ちゃんだが、なんだかんだ言って面倒見がいい。
「デート楽しみだね?」
「兄妹でデートとは言わねぇだろ?」
「ぶー。嫌なの?」
「嫌じゃないけど……。まぁ、楽しみっちゃぁ、楽しみかな」
こうして時々だが、素直なことも言ってくれる。
「えへへ。お兄ちゃんを喜ばせてあげるね」
成長見込みの私の胸でね。
「期待してるよ。ところで亜澄、宿題はしたのかよ?」
「はぁ……」
せっかくの癒しのひと時にげんなりするようなことを言うのでため息が漏れる。
「まだ……」
「ゴールデンウィークの宿題は出揃ったのか?」
「うん……」
「じゃぁ、明日提出の宿題を先に終わらせて、ゴールデンウィークの宿題も進めないとな」
「うえぇ……」
あの宿題の量を思い出すと吐き気すらする。
「どうせ亜澄のことだから、宿題やる時間も考えずに予定を詰め込んだんだろ?」
「……」
返す言葉もない。正にそうだ。昼間は遊んで、夜は家事。すべてお兄ちゃんと一緒に過ごすために割くわけで、学校が求める勉強の時間は考察の外だ。
「俺も一緒に宿題見てやるから」
「それなら頑張る!」
「まったく。少しは1人でもやる気になれよ?」
「
「はぁ……、とにかく今日と明日は頑張ろうな?」
「うん!」
お兄ちゃんが宿題を見てくれるのなら、夜遅くまで頑張るのだって苦にならない。むしろ一緒に過ごす時間が増えたことで私の心は弾んだ。
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