第13話 妹の下着事情
なんでこうなった? どうして俺はこれほどまでに敷居の高い場所にいる? 都市高速も運転するように努力するから、さすがにここは勘弁してくれないかな……。
「お兄ちゃん、これなんてどう?」
「あぁ、うん……」
「ちょっと! ちゃんと見て!」
童貞の俺にその要望は難易度が高い。
ゴールデンウィーク最終日、いつものように亜澄と間々観音に行って、大須でラノベを買って、ランチをした。その後、午後が毎回内容の違うデートなんだが、今までは映画を観たり、ウィンドウショッピングをしたりというものだった。
と言うか、あまり自分で「デート」とは言いたくないのだが、他に表現のしようがないから悲しい。まぁ、それはいい。その午後のデート中、今日はなんと女性ものの下着売り場に来ている。……なぜ?
とにかくこの場所は他のお客さんの目が痛いし、下着姿のマネキンが童貞の目には失明するかと思うほど眩しい。とにかく居心地が悪く、ソワソワして落ち着かない。
「お兄ちゃんはどんなブラがお好み?」
それを聞くのか? そんなことを実の兄に聞いて、妹に何の得がある?
「ボーダー……」
「え!? なに!?」
結局答える俺って……。しかしボソボソっと言った小声の俺に対して、大げさに聞き返す亜澄。目立つから止めてほしい。
「ボーダー」
「聞こえないよ!?」
「ボーダー!」
あぁ、耳が熱くなった。周囲の女性客の視線が突き刺さる。俺は恥ずかしくて、顔が真っ赤になったのだと即自覚した。
「ふむふむ、お兄ちゃんの趣味はボーダー柄っと」
スマートフォンにメモを残すのは止めろよ。それになんの意味があるんだよ。
「他には?」
まだ聞くのかよ。もうなんだか、どうにでもなれという気になってきた。
「淡い色のレース」
「ほう。淡い色って具体的には?」
「ピンクとか水色とか黄色。あと、レースじゃないけど花柄も好きかも」
「ふむふむ」
実に真剣な表情でメモを続ける亜澄。一番長く一緒にいるはずの俺なのに、亜澄の思考がわからん。それはこのゴールデンウィーク中こそ顕著だ。
「今回はこれとこれとこれにしよう」
「おい……」
「ん?」
「いや、なんでもない……」
あろうことか亜澄は黒やベージュなどの単色で地味なブラジャーを選びやがった。さっきまでのリサーチは何だったんだ? まったくもって無用な会話だったじゃないか。
やがて会計を済ませた亜澄と店を出て、俺からどっと力が抜ける。知らず知らずのうちに随分肩に力が入っていたようだ。
ここは大型ショッピングモール。俺と亜澄は下着売り場を出たその足でフードコートに入った。凄く疲れたので俺が休憩を申し出たのだ。そこで俺たちはジュースを買って席に着くと、俺は疑問に思っていたことを問う。
「なぁ? 俺のイメージだと上下セットで買うものだと思ってたんだが?」
そう、亜澄はなぜだかブラジャーだけを買った。おパンツまでは買っていない。
「今回は間に合わせだから」
「ん?」
「とにかく早くブラを着けたかったんだよ」
「なんで?」
「さっきまでノーブラだったの」
「ぶー!」
吹いてしまった。亜澄は「汚いなぁ」と言いながらテーブルを拭く。
亜澄の説明によると、この日は朝からヌーブラなるものを着用していたらしい。そもそもヌーブラってなんだ? まぁ、いい。しかし外出先でノーブラとは。
確かに家では風呂上がりに着けている印象はない。屈むと稀に先端まで見えるのだが、寂しい我が妹の胸に興奮することもない。――まぁ、これは余談だ。
とにかくここで兄として一言物申す。
「身内以外の目につく場所でノーブラは止めろよ」
「もう今は違うよ?」
「そうなの?」
「うん。1着だけ着けたままお会計した」
「ふーん。そもそもなんでノーブラだったんだよ?」
「ぶー。やっぱり気づいてなかった」
亜澄は不満げな表情で俺を睨みつける。気づくって何のことだよ?
「私バストアップしたんだよ?」
「へ? そうなの?」
「そうだよ」
ぷくぅっと膨れて更に睨みつけてくる。なぜそんなに怒りを露にするのかわからん。
「だから手持ちのブラだとサイズが合わなかったの」
「あぁ、なるほど。けど、3着しか買ってないよな? これから着回し足りるのか?」
「だからそれが間に合わせなんだって」
「どういうこと?」
「どうせ今月中にはまたバストアップするもん」
「へぇ、へぇ、左様ですか」
「なんだよ、その薄い返事は。とにかくまたバストアップするからパンツとお揃いにする必要ないし、1カ月着回すだけだから3着でいいの。勿体ないじゃん」
女の下着事情はよくわからん。ただ、亜澄にご利益があったことだけはわかった。しかし変化した亜澄の胸の程度が俺には見分けがつかない。それくらい微々たるものなんだろう。
「で? 今日はまだどこか行くのか?」
「うーん。どうしようか?」
「ん? 珍しい。ノープランか?」
「元々はプランあったんだけど、本屋とブラの買い物が加わって時間使っちゃったから」
「あぁ、なるほど」
そういうことなら俺としてはもう疲れたのでさっさと帰宅したい。しかし活発な亜澄が果たしてそれを許してくれるだろうか? 俺は恐る恐る聞いてみた。
「じゃぁこの後、家は?」
「お! いいよ」
胸を撫で下ろす。亜澄が明るい表情で承諾してくれたから。
「お
しかしそんなことを言う。さすがに兄妹間で家にいることをデートとは言わないだろ? そんなツッコミを心の中で入れつつも、面倒くさいから話を合わせておいた。
と言うことで俺たちは、このゴールデンウィーク中では一番早い帰宅をしたわけだ。もちろんデートの形態などない。俺と亜澄はリビングのソファーでアイスを食べながらただ駄弁っていただけだ。
そしてアイスを食べ終わるとダラダラと過ごした。正直、疲労困憊だ。今日は今までで一番短い外出とは言え、そもそも疲労は蓄積されている。それに精神力を使う女性ものの下着売り場にも行ったわけだし。
だからいつの間にこうなったのかもわからない。我が家のリビングソファーは背もたれが倒せるタイプで、ベッドソファーとも言える。俺はそこで寝ていた。
そして目を覚ました時に驚く。なんと、俺の腕を枕にして隣で亜澄も寝ていたのだ。背もたれを倒したのは亜澄か。
「むむ」
ただしかしこうして見ると、確かに我が妹の胸は少し大きくなったように思う。シャツの襟元から覗くその控えめな胸は、かろうじて谷間を形成していた。ブラジャーの効果もあるのだろうし、あくまでかろうじてだ。
チラッと時計を見てみるとそろそろ夕方。夕飯の食材の買い出しもあるのだが、今日は親父とオカンが帰って来る日だ。別に今日まで亜澄が炊事を頑張る必要はないだろう。
妹の穏やかな寝顔を見ていて思う。この連休中はこれだけ動き回ったのだ。亜澄だって疲れているだろう。起こすのも憚られたので、俺は腕を抜くことなく亜澄の安眠を受け入れた。今日だけだからな。
小学校に上がる前の幼少期は時々こんなことがあった。亜澄は俺に擦り寄って来て、昼寝をするのが好きだった。今の亜澄の寝顔を見ているとそんな懐かしい思い出が蘇り、俺は愛でるように亜澄の髪を撫でた。
「たまにはいいよな?」
俺が呟いたその言葉は声になっていたのかもわからないほどか細いものだった。俺は空いている方の腕も亜澄に回し、亜澄を抱き枕にした。すると亜澄が無意識に、俺のシャツをギュッと掴んだ。なんだかそれに力が抜け、俺は再び夢の世界へ誘われた。
「あらあら、まぁ」
「はっはっは。相変わらず仲が良いな」
次に目を覚ましたのは帰国した両親の、実に微笑ましそうな声だった。
「しまった……」
やってしまった。亜澄とこんなにくっついて寝ている姿を両親に見られた。亜澄も同じタイミングで目を覚ましたようだが、まぁ、ブラコンの亜澄だし、そもそも腕枕を仕掛けてきたのは亜澄の方だ。咎められることはないだろう。
「う……」
確かに咎められることはなかった。しかし俺の認識は甘かった。亜澄は俺の背中に腕を回し、俺の胸で頬ずりをするのだ。さすがにもう離れろよ。
因みにこの日の夕食は、家族4人での外食となった。
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