第2話 兄とデート

 日曜日の午前中の地下鉄は空いていて、私、亜澄あすみはロングシートの端に芳規よしきお兄ちゃんと肩を並べて座っている。因みに地下鉄の駅までは私のラブラブ両親に車で送ってもらった。


「あれ?」


 耳に慣れたお兄ちゃんの声を感じながら、お兄ちゃんに肩を寄せてみる。

 学校の女の子に聞いた。男の子はボディータッチをされると途端に鼻の下を伸ばしたり、緊張して肩に力が入るのだとか。


「んん?」


 しかし私の隣で唸っているお兄ちゃんは、普段の穏やかな顔立ちが難しそうな表情になっていて、私の期待する印象は受けない。ちぇ……。大好きなお兄ちゃんに変化がなくてつまんない。短めに整えた髪からははっきりその横顔が見える。


 私は自分で言うのもなんだが、モテる。学校などではよく男子から呼び出されて、告白をされる。しかし私は恋愛に興味がない。お兄ちゃんと一緒にいるのが楽しいから、同性の友達さえ最低限いれば、男の子と遊びたいなんて考えに至らない。


「ちょ、亜澄?」


 お兄ちゃんは自分のスマートフォンに指を這わせて私の名前を呼ぶ。私はお兄ちゃんに向けて首を傾げてみる。その時にお兄ちゃんが私を向くので、私たちの顔の距離はとても近くなった。しかしお兄ちゃんに動揺した様子は見られない。ちぇ……。


「どうしたの? お兄ちゃん」

「俺のスマホ見た?」

「ん? いつの話?」

「……」


 するとお兄ちゃんが表情を無くした。どうしたんだろう?


「いつって、今の質問はとりあえず直近だけど、追加として、よくあることなのか? って疑問が生まれたよ」

「うん。よく見てるよ。寝る前と起きてすぐの日課。だから直近では今日の朝」

「……」


 どこか唖然とした表情を見せるお兄ちゃん。どうした?


「俺が寝てる間に?」

「うん。お兄ちゃんの指を拝借して指紋認証を突破した」

「はぁ……。プライバシーの侵害だろ……」


 お兄ちゃんは大きなため息を吐いて頭を抱えた。なんだよ、プライバシーって。仲良し兄妹なんだからスマートフォンを見るくらいのこと、あって当然じゃないか。私だって見られても構わないし、なんなら言ってくれれば積極的に見せるよ?


「読んでないラインが既読になってたからおかしいと思ったんだよ……」


 確かに私が先に見たからお兄ちゃんが今まで気づかなかったのは当然か。とは言え、相手は女の人からのラインだったのだ。お兄ちゃんに個人トークをしかける女の人がどんなメッセージを送ってくるのか気になるじゃん。


「で? 誰よ?」

「なんで俺が責められるような言い方をされなきゃならんのだ?」

「当たり前でしょ? 私聞いてないよ?」

「いやいや、なんで亜澄に報告しなきゃならんのだ?」

「当たり前だよ」

「いやい――」

「で? 誰よ?」


 強い言い方で言葉を被せてみた。するとお兄ちゃんはちょっと怯む。こうなるとお兄ちゃんは素直になるのを知っているから、敢えての口調だ。そしてどこか観念したような表情を浮かべるのだ。


「この子はな……」


 へへ、やっぱり話し始めた。妹に甘いお兄ちゃんだから、お兄ちゃんもまた私のことが大好きなんだね。


「こないだ合コンで知り合った子だよ」

「合コン!?」

「しー!」


 私が声を荒らげたものだから、お兄ちゃんは慌てて人差し指を口元に立て私に顔を寄せた。いいぞ、なんならそのまま抱きしめてくれ。私はお兄ちゃんの温もりが大好きなんだ。

 昔はよくあったなぁ、そういうこと。お互いに小学校にも上がる前だけど。お兄ちゃんの腕枕で一緒にお昼寝をしている写真は私の宝物だ。そういうスキンシップももう10年以上してないなぁ。あの頃が恋しいよ。


 て言うか、とにかく今はお兄ちゃんの口から出た「合コン」だ。可愛い妹が家にいながらなんてところに行っているのだ、私の兄は。さっさと帰って来い!


「あ! 一昨日の金曜日! 大学の友達とカラオケって言って帰りが遅かった日!?」

「そうだよ……」

「なんで言ってくれないのよ!?」

「ちょ、車内なんだから声量を落とせよ?」

「な・ん・で! 言ってくれない・の・よ!? ――んんっ!」


 すると後頭部もろとも口を塞がれたので息苦しい。2つ縛りが崩れないだろうか? こないだ学校にこの髪型で行ったら好評だったから、気合を入れて今日もしてみたんだけど。ただ、お兄ちゃんがこの時に私を引き込むのでうっとりする。もっとしてくれ。


「声量落とせって……。て言うか、言う必要ないだろ?」


 するとお兄ちゃんが耳元で言った。耳にかかるお兄ちゃんの吐息で溶けそうだよ。そのお兄ちゃんは私が大人しくなったと思ったのか、口を解放してくれた。ならば少し落ち着いて、しかし追及の手は緩めずに話してみようか。


「あの日は私、起きてお兄ちゃんの帰りを待ってたんだよ?」

「待ってないで寝ろよ?」

「待つに決まってんでしょ? 合コンだって知ってたら迎えに行ったよ」

「はぁあ? 夜に大学の近くまでか?」

「当たり前! お兄ちゃん不純だよ!」

「いやいや、俺、どう――えっと、不純なことは絶対ないから」

「本当?」

「本当だよ。……て言うか、なんで亜澄に弁解しなきゃならんのだ」


 後半はボソボソっとお兄ちゃんが口にした不満だ。件の金曜日は帰って来たからいいものの、もし女と泊りだなんてことになっていたら絶対突撃していた。ただ不純ではないとのことなので、それには安心した。

 とりあえずこの話題はお互いに納得したようなので私は正面を向いて座り直した。すると車内の少ない乗客がこちらを見ていることに気づいた。なんだろう? 仲睦まじい兄妹が微笑ましいのかな?


「うがっ!」


 するとお兄ちゃんが大きくHPを削られたような微妙な声を出す。まぁ、微妙って言ってもお兄ちゃんの声だから素敵だけど。しかしどうしたんだ?


「あ、亜澄……?」

「ん?」


 喉を鳴らして疑問を示すと、お兄ちゃんは引き攣った表情で私を見ていた。私はまたも首を傾げたのだが、さっき引き寄せられた名残で距離がより近づいており、こめかみが電車の揺れに合わせてお兄ちゃんの肩に触れたり離れたりを繰り返している。

 それならば、ここぞとばかりにお兄ちゃんの腕を両手でしっかり抱え込む。胸に押し付けるサービスは忘れない。

 しかし、私は貧乳だ。それを自覚すると物凄く悲しくなるのだが。つまりコンプレックスだ。ただ、パットが厚いブラジャーをつけているから柔らかさはあるだろう。所詮パットだから自前の柔らかさではないが。とほほ。


「お前、もしかして勝手に返信したりもしてる……?」


 恐る恐ると言った感じでお兄ちゃんは問い掛ける。何をそんなに怯えているのだか。お兄ちゃんはラインの画面をスクロールさせて、下の方で埋もれていた女の人とのトーク画面を開いていた。


「明らかにお兄ちゃんに気がある内容の女の人には私が代わりに送ってあげてるよ? お兄ちゃん優しいからはっきり断れないんでしょ? 大抵トークは消してるけど、残ってるのがあったんだね?」


 へへん、できた妹だ。


「なんてことをしてくれてんだよ……」


 すると液晶画面から指を離したお兄ちゃんが頭を抱えた。なんで感謝の一言も言えないかなぁ。


「あぁ、そうか。突然メッセージが来なくなったあの子やあの子はこれが原因だったのか。大学で顔を合わせても素っ気なくなってたし……」

「そうなんだ?」

「そうなんだ? って……」

「そんな狭量な女、結局はその程度なんだからさっさと見限るべきだよ」

「おいおい、俺の青春……」

「俺の青春って、高校の時からずっとそうじゃん?」

「は!?」


 この日一番お兄ちゃんの目が見開いた。そして言うのだ。


「もしかして俺が高校の時からやってたのか?」

「えっへん。むしろ中学の時から」


 私はない胸を張ってみる。ドヤ!


 2歳差なので中学、高校が被っていたのは1年ずつだ。中学は学区内の学校に通っていたが、高校は受験があるから別れる可能性があった。だから私はお兄ちゃんが卒業した今の高校に必死で勉強して入学したのだ。

 まぁ、その受験勉強も毎晩お兄ちゃんに付き合ってもらったんだけどね。だから昨年1年は周囲の虫からお兄ちゃんを守れたよ。


 そのお兄ちゃんはなぜだかわからないが青ざめた様子で相変わらず頭を抱えている。なんだよ、もう。せっかくのデートなのに。

 そう、デートだ。だから私はこの後、目いっぱい楽しませてもらった。

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