第5話 妹の次なる愚行

 ゴールデンウィークを目前にして、頭の中は楽しい計画でお花畑だ。そんな平日最初の日、俺はアルバイト先のチェーン店居酒屋にいた。


「もう上がりか?」


 バックヤードの事務所で着替えを済ませると、入って来たのは同僚で同級生の隆一りゅういちだ。短くはない茶髪に縁眼鏡をかけたこいつは、同じ大学にも通っている。進学のため県外から来た隆一は、大学からの付き合いだが気さくで話しやすい奴だ。


「あぁ。隆一は休憩?」

「そうだ、そうだ」


 賄いが乗ったトレーをテーブルに置くと、隆一は事務所の椅子にどっと座った。時計を見てみると22時を少し回ったくらいだ。


「て言うか、なんで芳規はいつも10時上がりなんだ? 高校生みたいだな」


 そんなことを言ってカッカッカと笑う隆一は食事を始めた。まぁ、隆一の疑問には答えづらい理由があるので思わず気が重くなるが。


「門限が厳しいんだよ」

「は!? 男子大学生のくせに門限あんの!?」


 隆一はさぞ驚いたようで、口の中を隠すこともせず、目を見開いて振り返った。アルバイトを始めるにあたって出勤日の門限を設定した人物が間違いなく家にいる。できればあまり突っ込まないでほしいのだが。


「女子なら厳しい家ではありそうだけど、男子では初めて聞いたぞ? 家、厳しいのか?」


 突っ込まないでほしい願いは無残にも散った。更に隆一は痛いところに気づく。


「いや、それはないか。こないだ週末にも関わらず、バイトのシフトを空けてカラオケに一緒に行ったしな」


 あぁ、亜澄から勝手に事後返信をされていた合コンのカラオケね。それはオールナイトで開催されたが、当日俺は亜澄からのラインの連投と鬼着信で肩を落として途中で帰ったのだ。


「家に面倒なのがいるんだよ」

「ん? 同棲でもしてんのか?」

「いやいや。実家だって言ったことあったろ?」

「うん、知ってて聞いた」


 こんにゃろう。ちょっとムカついたので、隆一のおかずの唐揚げを1つ掻っ攫ってやった。


「あ!」


 隆一の悲痛な声が耳に届くが、俺の口の中はジューシーな味で満たされる。とりあえず嚥下したところで俺は言う。


「知ってんなら聞くなよ」

「だって、童貞のお前が女囲ってるなんてこと知ったらショックじゃん」


 あぁ、つまり先を越されたくないわけね。そう、俺たちは童貞フレンズだ。大学生にもなって童貞とは……とほほ。


「で? 誰がお前の時間を縛るんだよ?」

「はぁ……」


 思わずため息が漏れる。やっぱりその質問から解放はされないのか。


「ぃもぅと……」

「は!?」


 俺がボソボソっと答えると、隆一は大げさに耳に手を当てて聞き返してくる。そのリアクションがなんかムカつく。


「いもうと……」

「なに? なに? 聞こえねーよ!」


 くぅう! もう1つ唐揚げを掻っ攫ってやろうか。――と思ったら、隆一がおかずの皿を自分に引き込んだ。さすがに2回目は通用しないらしい。


「妹だよ」

「ぶっ!」


 吹いて笑いやがった、こいつ。この時は隆一の口に何も入っていなかったからいいが。しかし笑われるのは悔しい。


「なに? 芳規ってシスコンなのか?」

「なっ! なんで俺がシスコンになるんだよ!? 俺の門限の話だから、この場合は妹をブラコンって言うのが自然だろ?」

「はぁあ? 妹可愛さに自分で門限を設定して、高校生みたいなバイトのシフトを組んでんだろ?」


 なぜそうなる? 想像力が豊かなようで。て言うか、さすがにこれは心外だ。


ちげぇよ。本当に妹が早く帰って来いってうるさいんだ」

「はぁあ? そんな妹、日本中探し回ってもいねぇよ」


 いるんだよ、俺んに。


「俺だってな実家に妹いるけど、俺は親父と一緒にいつも邪険にされてたぞ?」


 やっぱりそれが日本の十代の男子が抱く現実の妹像であり、キモイと罵られる兄のつらい立場だよな。――いや、キモイは言い過ぎた。しかし俺の妹に関してはそのが全くない。俺ほどではないが、親父に対しても同様だ。


「俺も親父も靴下脱ぎっぱなしにすると、棒に引っ掛けてキモイって言われるし」


 言われていた……。ただ亜澄に関して言えば、親父の靴下は爪の先で摘むものの、俺の靴下はしっかり掴んで洗濯籠まで運んでくれる。なんなら脱がそうとお世話をすることもあるくらいだ。


「いつも俺を罵るくせに自分は厚化粧のブスだし。まだ中学生の分際で身の程も弁えず色づきやがって」


 よほど虐げられた生活を送っていたらしい。お悔やみ申し上げるぜ。ただな、童貞が「色づきやがって」と毒を吐いても虚しくなるだけだから、童貞の俺の前以外では止めておけよ?

 しかし隆一の妹と亜澄は共通点が少ない。亜澄はよく美少女だと言われるし、実際に男が寄って来るのを目にも耳にもして知っている。だから俺は思うのだ。


「妹にカレシできねぇかなぁ?」

「は!?」


 一度は食事に目を戻していた隆一がまたも目を見開いて振り返った。俺、なんか変なこと言ったか?


「シスコンのくせに妹にカレシができてほしいのか?」

「だからシスコンじゃねぇって」

「妹にカレシとか、生々しくて嫌じゃね?」

「は?」


 俺の否定をスルーした隆一は何を言っているのだ? 妹にカレシが嫌? いや、そんなことはない。あれだけモテる亜澄だから男は選ぶほどいる。だからこそカレシを作って早く兄離れをしてほしい。そうすれば俺だって人並みに女の子と仲良くなれるのに。

 すると俺に焦りを生む着信音が鳴り、俺は液晶画面の発信者を見て肩を落とした。その様子を見ていた隆一が疑問を示した。


「出ないのか?」

「……」

「まさか、本当に妹か?」

「まぁ……」


 俺は緩慢な動作で通話ボタンをタップした。亜澄からの用件はやはり早く帰って来いと言うもので、いつもより遅いだのというお咎めまでが漏れなくセットだ。確かに家まで近いアルバイト先で、今こうして話し込んでいるわけだから。

 すると、帰って来ないなら迎えに行くと言い出したので、俺は慌てて帰る旨を伝えて電話を切った。煩わしい妹だとは思っていても、さすがにこんな時間に女子高生を出歩かせる気はない。


「カッカッカ。まさか本当にブラコンの方だったとは」


 いやいや、まさか本当にシスコンの方を疑っていたとは。どうやら隆一は、俺の説明だけでは全く信じていなかったようだ。

 とりあえず俺はこの後の亜澄のことを考えると面倒なので、挨拶も程々にアルバイト先を出た。


 そして帰宅してからのこと。風呂も食事も済ませてもう時刻は日付が変わろうかという頃だ。いつものとおり俺は座卓式のPCデスクの前で、動画サイトを開いた。


「ん? あれ!? 嘘だろ!」


 ない! ないのだ! 身銭を削った俺の命のストリーミング動画が! このダメージはでかい。一体なぜ……?

 するとその時、ガチャッとドアが開いた。


「お兄ちゃん」


 相変わらずノックもしない。そう、入室して来たのは亜澄だ。もし今、真っ最中だったらどうしてくれるんだ。さすがに画面だけはマウスを素早く操作して消したけど。

 ただしかし、亜澄の顔を見て悟った。動画を消した奴はこいつか。俺が貯めていた巨乳もの全て。確かに今朝、亜澄は俺の部屋で起きた。これにはマジでパニックに陥ったものだ。俺の部屋にいる間に削除したんだな。

 ただ、亜澄の寝顔は天使のように可愛かった。まぁ、これは余談だ。


 て言うか、血縁者に恥ずかしいものを知られた。趣向を知られた。このダメージもでかい。しかし俺はなんとか平静を装って用件を聞く。


「なんだよ?」

「ゴールデンウィークは私のために全部空けといてね。それじゃ、おやすみ」


 バタンとドアが閉まる音の後、部屋を襲った静けさ。

 俺の都合は? 俺、予定組んじゃダメなわけ? ゴールデンウィークだよ? 男子大学生は合コンや何かに理由をつけた合宿を楽しみにしているんだよ?

 そんなことばかりが脳内を周回した。

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