1-17 穀物屋のヴィニア


「もう、朝なのか」


 吹き抜けの廊下に出ると、空が藍色に変わっていた。鳥たちのさえずりも聞こえ、夜が明け始めているのがわかる。


「一眠りできそうもないわねぇ」

 

 欠伸をしながら歩くのはベリジュで、それなら寝ていればよかったのに言いたくなる。まあ、カラン様がアンが迎えに来るまで、診てもらいたいから、二度寝してもらっても困るといえば困るのだが。


「アン。起きてるかしら。まあ、寝ているあの子の体を色々触るのも楽しみだわ」

「ベリジュ」


 なんてことを考えているんだ。

 まったく。

 本当、医師としてまずいのではないか。他の女性には被害はないのだろうか。

 心配だ。


「堅いこと言わないの。団長さんだってアンの体に興味あるでしょ?」

「あるか!」


 ベリジュ。やはり医師失格か?

 これで雇っていていいのだろうか。


 私が頭を抱え込んでいるのを知っているくせに、彼女は軽い足取りで医務室へ向かう。

 危険だ。危険。

 おかしなことしないように、見張らなければ。

 

 私は小走りでベリジュを追いかけ、医務室に辿り着く。


「団長さんたら。焦ちゃって。冗談なのに」


 冗談に思えないから、急いだんだ。目が笑っていないし、何か怪しい。

 警備担当の団員は私とベリジュを訝しげに見ていた。


「なんでもないからな。私とベリジュが中に入る。後はカラン様が迎えにくるだけだから、警備はもういいぞ。メリアンヌに報告したら休め」

「はい」


 幾分ほっとしたように頷き、団員は敬礼するとその場から立ち去った。


「団長さん。あんた寝ない気なの?」

「ああ。一晩寝なかったらといって、死ぬわけもない」


 あきれたように言われたが、私は構わず扉を軽く叩く。反応がなかったので、大きな音を立てないように慎重に扉を開けた。


「まだ寝てるわね。可愛いわあ。本当」


 中に入るとすぐにベリジュがアンのところへ飛んでいった。 

 部屋には明かりもなく、カーテンも閉じられているので、真っ暗だった。闇に慣れていたため、物は識別できる。だけど細かいところまでは見えない。

 しかし、ベリジュはうっとりとアンの顔を見つめており、不埒にも体に触れようとしていたので慌てて止めた。


「どうして?ほら、お腹の具合とか診なきゃならないでしょ?」


 それは本当か?

 手つきが怪しかったが、彼女は医師。

 仕方なく、同意すると、ベリジュは顔を摩った後、彼のお腹の辺りに手を置き撫でる。

 どうにも医師の仕事には思えなくて、けれども知識がない私は黙ってそれを見ていた。

 

「くすぐったいな。やめてよ。本当」

「あら。起きてたの?」


 え?アン、起きてのか?

 ベリジュはさも残念そうに尋ね、手を引っ込めた。


「ジュネ様が止めてくれると思ったから寝てるふりをしたのに」

「私は止めたぞ!でも具合を診ないといけないって言ったから」

「嘘に決まってるでしょ。医師が体を撫で回すなんて聞いたことないよ。まあ。こんな美人に撫で回されるのはいいけど」


 アンは体を起こし、ベリジュのほうを見る。笑みを浮かべたようにも思え、なんだから疎外感を覚えた。


「そう?じゃあもっと触ってもいい?」


 そんな二人のやり取りは聞くに堪えなくて、私はそっぽを向く。


「だめだよ。ジュネ様ならいいけどね」

「うわあ。いやだわ。この子。でも元気そうね。これじゃあ、薬を処方しなくてもいいわね。でも明日、いや今日ね。しっかり宿舎で休みなさいよ」

「はーい」


 甘えたように返事をするアン。

 何かとても親しげな二人に少し苛立つのはどうしてだ。

 単に会話してるだけなのに。


「あらあら。団長さんがすねちゃったみたいよ。あたしはこれで失礼するわね。もう一眠りするわ」

「す、すねるとは何だ。ベリジュ!」


 子供のようではないか。

 私は別にすねていない。ただ、どうしてか少し苛立つだけだ。

 理由はわからないけど。


「怒らないの。お邪魔虫は消えてあげるから」

 

 ベリジュはそう言うとすぐに部屋を出て行ってしまった。


「……なんなんだ。いったい。まあ。アンの体調は回復したってことだよな」


 一人ごこちにつぶやき、アンに視線を向ける。

 

「ジュネ様。カラン様が迎えに来るんですよね。それまで僕と一緒にいてくれますか?」


 カーテンの隙間から光が差し込んでおり、部屋が幾分明るくなっていた。

 彼の瞳がしっかりと私を捕らえる。


「……警備担当の者に休みを取るように言った。だから、私が代わりにお前の警備をするからな」

「ジュネ様は卑怯だな。ちゃんと答えてくれない」


 彼の言葉に私は何も言えなかった。

 部屋に二人きりでいることに同意することに戸惑いも生まれていたし、彼の様子がおかしかったせいもある。

 

「いいですよ。今はその答えで。下手に動いて嫌われるのは嫌だし、それだけ意識されているってことですからね」


 アンはそれから、いつもの調子に戻り、私を困らせることはなかった。 

 


 カラン様のお迎えは予想以上に早く来て、そんなに信用がないのかと、苛立つくらいだった。アンも少し拗ねた調子で、カラン様と帰っていった。


「街に出かけてくる」


 カリナにそう伝え、私は穀物屋に出かけた。


「ヴィニア?ああ、昨日故郷に帰ったよ。なんでも母親が病気とかで」


 やはり、な。

 母親の病気。怪しい。


「ヴィニアはどうしてこの店で働くようになったんだ?」

「いや。突然ふらりと店にきてね。気立てのいい娘で、城にも文句も言わず、重い袋を運んでくれたよ」

「あんた」

 

 ――文句を言わずという言葉が気にかかったらしい。隣のおかみさんが店主の腕をつつく。


「いや。あれさ。別に俺は城に文句を言ってるわけじゃないんだ。ただ、城まで運ぶのも結構大変でね。入り口まで俺が運んでもいいんだけど、そこからは俺が中に入れないだろう。そうなるとこいつが中に運ぶことになる。そうなると二人で店を出る必要がある。その間店を閉めることになり、文句言われていたんだよ。ヴィニアがきてくれたから、店を閉めずに助かったんだが」


 穀物屋夫婦のヴィニアへの評価はよかった。怪しい様子もない。

 だが、時期が怪しい。

 アンをさらおうとして失敗して、それで、毒殺の計画に移行したように思える。

 だが、確証がない。


「明日から張り紙しなきゃな」

「今日のうちにお得意さんに知らせておこうかね」


 夫婦は少し困ったように顔を見合わせる。


「明日から、私が来よう。朝のこの時間帯でいいか?」


 城のために店を閉めるのは大変だろう。

 少しでも面倒を減らしたい。


「本当かい。団長さん?助かります」


 夫婦はお互いに頷きあい、私に感謝の意を示す。二人の人柄はとてもよくて、一ヶ月とはいえ、疑問をもたせず、この店に住み着いていたヴィニアの疑いが減る。

 ヴィニアは、本当に犯人なのか。

 そんな疑問が出てきて、私は複雑な心境に陥るしかなかった。

 

「そうだ。団長さん。明日の分。今持っていくのはどうだ。そうすりゃ。明日来なくてもいいだろう?」

「あんた。そんな勝手に。団長さんは忙しいんだ」


 そうか。そうだな。どうせ、用事はここだけだった。今持って帰ったほうがいいか。


「そうさせてもらう。代金は今度来たときにまとめて払う。請求書を渡してもらえるか?」

「はい。すぐに」


 夫婦は頭を下げると店の奥へ入る。戻ってきたとき、主人は大きな袋を一つ、奥さんは紙を持っていた。

 どれくらい重いんだ?

 袋を持ち上げようとして、一瞬驚く。

 その重さは持てない重さではなかったが、かなり重い。ここから城まで担ぐには相当の体力がいる。


「ヴィニアはこれを持っていったのか?」

「ええ。あの子。あんな細い体していたのに、力が強くてね。軽々と担いで歩いていたな」

「そうそう。本当、お前さんより力があるんじゃないかって、よくからかっていたよ」


 笑いながら答える夫婦に、私はヴィニアへの疑いを強くした。

 田舎から来たと説明した彼女。

 野良仕事をしていたとはいえ、この重さのものを軽々と持ち上げるのは難しい。

 私は騎士として今まで鍛えてきた。おかげで、腕力だけでも並みの成人男性よりも強い自負がある。


「団長さん?」

「なんでも。それじゃ。これを貰っていきます」


 紙を畳んでポケットに入れ、袋を肩に担げ、均衡をとりながら私は店を出た。


「ネスマン様?」


 呼び止められて、顔を上げれば、そこにはテランス殿がいた。警備兵団の服ではなく、普段着の装い。瞳は鋭さを持つこともなく、文字通り目を丸くしている。


 袋を担いでいるからか?

 私は袋を下ろすと彼に挨拶をする。


「テランス殿。おはようございます」

「あ、おはよう。今日は買出しか?」

「ええ。まあ」

 

 そうしか見えないだろうな。実際、城へもって帰るのだから間違ってないしな。

  

「重そうだな。手伝おうか」

「いえ、結構です」


 また、私が弱いと思っているのか。

 そういえば、前もアンの警護を外れるように言っていたな。

 そんなに弱いように見えるのか。

 それとも「女」だと侮られているのか。


 苛立ちが募り、私はこの場を去るのが得策だと、袋を担ぎなおす。


「今日もよい一日を」


 そう言って去ろうとしたが、彼は私の前に立ちふさがった。


「どいてもらえませんか?」

「やはり、城まで持とう」

「必要ないですから」


 しつこいな。

 

 苛立ちが募り、思わず睨んでしまう。

 すると彼はまた叱られた子犬のように悲しい顔をした。

 

「えっと、」


 どう対応していいかわからず、戸惑っていると肩が急に軽くなる。


「俺が持っていく。城に運ぶんだろう?」

「必要ないですから」

「城付近に用事があるんだ」


 なんだ。それは。

 城付近って、ここから城は一本道。城の周りには何もないぞ。


「テランス殿!」

「今日は袋を持ちたい気分なんだ。止めるな」

「は?」


 この人、大丈夫か?

 

 彼のことが心配になるが、テランス殿は私の考えなどに気づくこともなく、一人で先を歩いていく。

 

「テランス殿!」


 小走りで追いかけ、何度も袋を渡すように伝えるが、彼は頑として譲らなかった。

 このまま城まで袋を持っていくのかと、諦めた時、救いの主が現れた。


「ジュネ様、ユアン様」

 

 現れたのはエリー・カラン嬢で、頬を紅潮させていた。


「お久しぶりです。ジュネ様」


 エリー嬢は少しはにかみながら、挨拶をしてくれた。

 私はそれに返したが、テランス殿は眉を潜め、彼女の周りを探るように眺める。


「エリー。一人なのか?」

「いいえ。友人と一緒です。梟の店で装飾品を見ていたのです」


 エリー嬢は店を指差し、テランス殿は窓から店内を探るように見る。


「女性だけか?」

「ええ」


 警備兵団が守っているとはいえ、貴族の女性が共もつけず街にいるのは無謀すぎた。まあ、それだけ、警備兵団を信頼しているということか。

 テランス殿は袋を一旦下ろし、ミラナと親しげに話している。


 似合いだな。


 そんな感想が出てくるほど、二人の仲は良さげで、私は少し胸が痛くなった。


 ああ、嫌だ。

 なんでなんだ。


 凹みかけたが、私はふとある事に気がつく。


「テランス殿。今日は休みなのだろう。エリー嬢とご友人を送っていったらどうだ。私のことは構わないから」


 いや、だいたい。

 袋を運んでほしいと頼んでもないし。


 私は彼の足元の袋をすばやく奪い担ぐ。


「それでは、私はこれで。テランス殿、エリー嬢。またそのうちに」


 有無を言わさず、私は一礼をすると足早に二人の側を離れる。


「ジュネ様!」

「ネスマン様!」


 エリー嬢とはまともに会話する暇もなかったが、また次でも。

 彼女は入団試験を受けるつもりなのだから、機会はまだある。

 

 それよりもこの場をすぐに離れたい。


 私は袋から垂れる紐をぎゅっと掴み、城まで一気に駆けた。

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