2-7 アンが来るらしい


「団長さん。どうしちゃったの?」


 翌朝、食堂で会ったベリジュが私の顔を見て心配そうに眉間にしわを寄せる。

 

 え?そんなにひどい顔なのか?

 目覚めて鏡を見たとき、それは寝不足の顔をしていたが、そこまでひどいようには見えなかった。


「大丈夫だ」

「大丈夫なわけないじゃないの。朝食とったら医務室に来なさいね」


 ベリジュの言葉を聞いていた者が気を利かせたのか、休暇を取っていたメリアンヌに連絡して、今日の新兵の訓練は彼女担当になり、私は強制的に医務室に案内された。


 いや、単なる寝不足で、しかも自己管理が足りないだけだったのだが。

 団長たるもの、団員の見本であるべきなのに情けない。

 メリアンヌの当番の時は私が代わろう。彼女の休暇をつぶしてしまって申し訳ない。

 

「さあ、聞かせてちょうだい。何があったの?」


 医務室に入るなり、ベリジュは扉に内鍵をかけ、私ににじり寄る。


「な、何もない!」


 私の体調に気をつかったわけではなく、寝不足だと見抜き、その理由を知りたかったのか!

 罠に嵌まって気がして、私は扉の方へさり気なく移動する。

 

「冗談よ。冗談。まあ、聞きたいのは本当だけど。さあ、横になって。そんな状態で新兵の訓練なんかしたら、倒れちゃうわよ。それこそ、団長さんとしての威厳がなくなっちゃうんじゃないの?」


 彼女は私よりも何枚も上手で、あのファリエス様と対等に渡り合えるくらいだ。

 私の性格も把握しており、警戒しながらもベッドに横になった。


「ミラナが元気になってよかったわね。これであんたも自由だわ」


 ベリジュは私の脈を取りながら、話しかける。

 そんな情報どこから。

 いや、ミラナの様子を見ていたらわかるか。最近の彼女は笑顔を取り戻しつつあった。そう言えばエリー以外の者と一緒にいるところも見かけるようになったな。


「団長さん。もっとゆったり物を考えたら?あんた、本当がっちがっちだからねぇ。そこが可愛いんだけど」

「か、可愛い?!」


 そう言えば、エリーにも言われたな。

 

「ベリジュ。私は、みんなにそんな風に思われているのか?」

「そんな風?」

「可愛いってことは頼りないってことだろ。守ってやりたいってことだから」

「違うわよ。あんたを頼りないなんて思っていないわ。ただ、すごく真面目で、一本木のところがなんか純粋で可愛いなってみんな思うのよ」


 ベリジュの答えに私はなんと返していいかわからなかった。

 それは褒め言葉なのか。それとも柔軟性がないということなのか。


「あーあ。また考え込んでるわね。はいはい。この話は終わり。皆あんたをちゃんと団長だと思っているわよ。心配しないで。さあ、少し寝なさい。元気になったらメリアンヌと交代したらいいわ。気にしているんでしょ」

「ああ。ありがとう……」


 母親のようだな。

 いや、失礼か。


 ベリジュが私に背を向ける。

そして直ぐに彼女が仕事を始める音が聞こえてきた。すり鉢で薬草を擦る音が規則的に耳に届く。

その音は私の眠気を誘うのに十分だった。

窓から入ってくる風が心地よいと思っているといつの間にか眠りに落ちていた。 




「殿下が?」

「絶対に確かめに来るためね」


 ひそひそと話す声で私は目を覚ます。

 話しているのは真っ赤な髪のファリエス様、そしてベリジュだった。


「あんたは、どっちがいいの?」

「私は殿下かなあ。ナイゼルに頼まれて、黒豹を押すように言われているけどね。王位継承権なんて放棄しちゃってもいいんじゃないかなあ。そうじゃないと私は反対ね。ジュネがあの王城で暮らすとか想像つかないもの」

「ファリエスが殿下押しなのが意外だわ。あんたなら絶対黒豹だと思ったけど」

「まあ、黒豹のほうがまとまりやすいと思うけど。不器用すぎて見ていて痛いのよねぇ」


 な、何を話している。 

 アンと黒豹……テランス殿。

 どっちとかありえない!


「何を話しているんですか!ファリエス様!それにベリジュも!」

「あーあ。起しちゃったか。ファリエス。声が大きかったわね」

「それはあなたもでしょ」


 ベッドから体を起こした私を一度見たあと、二人は言い合いを始める。


「まったく、嫁にいったのに騎士団に入り浸るのもどうかも思うわ。トマスは浮気しないの?」

「う、浮気?トマスって、人の夫を勝手に名前で呼ばないでよ!」

「ごめんなさいねぇ。つい。エッセ様はこんな妻で満足しているのかしら。騎士生活が長いから、色気も足りなさそうだし?」


 流れるような金髪の髪を意味深に掻き揚げ、ベリジュは微笑んだ。

 け、喧嘩、売ってるよ。ファリエス様に!


「うるさいわね。この乳だけ女。男がみんなそれしか興味ないみたいに言わないでよ!」

「そんなこと言ってないわよ。勝手に想像しすぎじゃないの?」


 言い返すファリエス様に対してベリジュは完全に余裕で、悠然とした笑みは浮べられたまま。

 これは、ファリエス様が負けた。

 すごいな。


「このぉ。ジュネ。団長室に行くわよ。こんなところで話はできないわ!」

「ファリエス様!」


 ファリエス様が、ベッドの上の私を引きずるようにして立たせる。

 可笑しそうに笑っているベリジュに見送られ、私は団長室へ連行されていった。



「まったく。あの下品な女。街に女医がいたらすぐに代わってもらうのに。いや、王都から呼ぼうかしら」


 団長室を乱暴に閉め、ファリエス様はソファに深く腰を下ろす。私は自然とその前に座ることになった。


「あのファリエス様?」

「嘘よ。嘘。ベリジュが優秀なことは知っているわ。ただ頭にきているだけだから」


 腕を組み、怒りが収まらない様子でファリエス様は天井を睨む。

 久々にお怒りの様子で、私も少し緊張ぎみだ。


 先ほど自分のことが話題にされていたほうがまだましな気がする。


「はあ。もういいわ。ベリジュだから。仕方ないわ」


 ファリエス様の唯一勝てない者、それがベリジュのような気がする。

 彼女は大きく息を吐き、私に目を向けた。


「話を聞いていたから知ってると思うけど、アン、殿下が来週ラスタに視察に来られるわ。滞在期間は二週間よ」


 そういえば、言ってな。そんなこと。

 二週間か。顔ぐらいは見たいな。


「ジュネ。これは視察という名目の確認だからね」

「確認?」

「あなたと黒豹が本当に付き合っているか、どうかのよ」

「え?視察ですよね?私のことなんて」

「ナイゼルとトマスからの情報をあわせると、絶対に視察はこじつけで、本当の目的はあなただから。王城でもそれがわかるから、許可が下りるのが大変だったみたいよ。だけど体裁よく視察は行われる。まあ、しばらく王族が訪れてなかったら、おかしくない視察だしね」


 そう言われても。

 確認ってどうやってする気だ? 

 王子がそう簡単に自由行動はできないだろうに。


「来週から面倒なことになりそうだから、頑張ってね。絶対に王子が行方不明とかになりかねないわ。視察の通達が明日にはマンダイ家にいくわ。それから、マンダイ騎士団、警備兵団、そしてカサンドラ騎士団……。マンダイ騎士団が余計なことをしそうよねぇ。まったく」


 ファリエス様は火がついたかのように話し続けた。

 私はなんと答えていいかわからず黙ったままだ。

 警備の仕方とか、三つの組織で話す必要が出てきそうだ。

 ファリエス様がおっしゃることが本当なら、アンの奴、絶対に警備網を潜り抜けようとしそうだし。


 頭が痛くなってきた。

 

 いや、待てよ。

 本当に私に会うのが目的なら、私から彼に面談を申し込んで、説明すればいいのじゃないか。まあ、テランス殿の手を煩わせることになるが。


 ふと彼のことを考えて私は唇の感触を思い出す。

 とたん、体温が上がった気がした。


「……ジュネ?大丈夫?」

「だ、大丈夫です」


 何考えているんだ。私は。そんなことより対策を。


「ファリエス様。私が考えるに、私からアン、殿下に謁見を願い出ることは可能でしょうか。そうすれば彼が警備を抜け出すことはないと思うのですけど」

「それはいい考えね!思いつきもしなかったわ。ナイゼルとトマスに言ってみるわ」

「よろしくお願いします」


 考え込んでいる様子のファリエス様の表情が急に晴れる。

 

 寝ている間に別れてしまったので、きちんと会いたいと思っていた。

 でもこんな形では、本当は会いたくない。

 ……仕方ない。

 一時の気の迷いで彼が王子の責務を放棄するなど、考えれらないから。


「あー。先にあなたに伝えにきてよかったわ。ベリジュと話したことはちょっと頭にきたけどね。まあ、それも久々だったし。多分、来週アンと会ってもらうことになると思うわ。色々準備していてね」

「じゅ、準備?」


 何の準備だ?正装のことか?


 しかしファリエス様は私の疑問に答えることなく、颯爽と部屋を出て行ってしまった。


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