2-6 重ねられた唇

 演劇は鑑賞券を買えば、誰でも見ることができた。服装もそこまで厳しくはない。乱れていなければ大丈夫、そんなものだ。

 まあ、公式に決められていないが、あまりにもひどい格好をしていると門番から止められることもあり、念のため皆がそれぞれ晴れの服を身に着けてくる。


 こんなことなら、もう少し小綺麗な服を着ていればよかった。

 今日は綿のシャツにパンツという祝日の私の普通の格好だ。ジャケットを羽織らなかったことを悔やんでいると、テランス殿がご自分が着ていたジャケットを貸してくれた。彼はジャケットの下も私と違ってかっちりとした格好だったので、鑑賞には問題がなさそうだった。


 予想通り、私たちはすんなりと通してもらい、指定の席に着く。


「隣国の王子は、殿下も演じたことがあるのか?」

「ええ、前は王女役でしたよ」


 時刻はまだ夜ではない。

 しかしカーテンが窓の光をさえぎり、室内は夜のように暗い。

 上演前で観客の話し声が聞こえ、客入りが良好なのがわかり複雑な気持ちになった。

 アンが抜けても、劇団は変らない。

 それが少し寂しく思えたからだ。


「……テランス殿?」

「ユアンだ」

「ユアン殿」

「殿はいらない。ジュネ。殿下のことを思い出すか?」

「ええ。隣国の王子で、アン、殿下はとても可憐な王女を演じていましたから」


 話題をふってくれ助かったとばかり、私は返事した。しかし、テランス殿は唇を噛んだ後、黙ってしまった。

 

「何か不都合でも?」

 

 気になって聞き返すが、彼が口を再び開く前に劇が始まってしまった。



 部屋の中心の舞台に明かりが灯り、王女が登場した。

 金色の髪に濃紺の瞳。

 王女らしい美しさであったが、私は二年前に見たアンが演じる王女を思い出していた。


 胡桃色の髪は艶やかに輝き、彼の肩から背中を覆い、とても神秘的だった。長い睫は空色の瞳に影を落とし、儚げだった。

 正に危機迫る王国の最後の王女という姿で、目が離せなかった。


「ジュネ」


 不意に耳元で低い声と吐息を感じて、私はへんな声を出しそうになる。


「な、なんですか?」


 平常心を心がけて、舞台を邪魔しないように小声で返す。


「あの王女役を殿下が演じていたんだな」

「ええ。そうです。とても綺麗でしたよ」

「忘れられないみたいだな」

「ええ。多分一生忘れられない」


 それくらい、アンの王女役ははまり役で、今演じている役者の演技はよくできていたけど、私の中で王女は、アンのままだった。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 舞台が終わり、役者達が一列に並び声援に答える。窓を覆っていたカーテンが開けられ、部屋に光が差し込んだ。

 久々に見ることになった劇は、王女の演技がアンのことを思い出させて、まったく集中できなかった。

 王女が台詞を口にする度に、アンに告白されたときや、手紙などを思い出して、気が逸れた。

 折角誘ってくれたテランス殿には申し訳ないと思いながらも礼を述べる。彼は目を少し細め、寂しそうに笑った。


「ちょっと、酒でも付き合わないか」

「えっと、いや」


 「デート」は十分なはずだ。

 しかもお酒を飲むには早すぎる時間だ。


「頼む」

「頭を上げてください。テランス殿!」

「ジュネ。名前で呼んでくれないか」

「……ユアン殿」

「殿はいらない」


 室内にはもう数人しか残っていなかったが、私たちのやり取りは注目されていた。痛いほどの視線が居心地を悪くしていた。


「ジュネ。だめか?」

「わかりました。一杯だけなら」


 頭は上げたが、縋るような瞳に私は頷くしかなかった。



「ここは?」

「俺の家だ」

「は?」


 連れてこられたのは、「黒豹亭」。穀物屋の隣で、来たことがある道筋だと思っていたら、彼の家だった。

 そういえば、穀物屋しか目に入っていなかったけど、時間によっては隣がやけに賑やかな場所だったけ。


「俺の母が作る料理は絶品なんだ。狐亭にも負けないぞ」


 彼は私の腕を掴むと、戸惑っている私に構わずぐいぐいと中に入っていった。


「あれ、ユアン。早い帰りだね。デートじゃなかったのかい?えっと、友達?ああ、その子だね!」


 私の足元から天辺まで見て、素っ頓狂な声を出したのは人が良さそうな中年の女性だった。


「母さん。この人は、ジュネ・ネスマン様。カサンドラ騎士団の団長だ。ジュネ。これが俺の、」

「うわああ。あなたが噂の「麗しの白銀の君」。いやあ、綺麗だね。お隣さんに通ってるという話を聞いていたけど、行く度にいつも帰った後で、残念がっていたんだ。やっと本物が見れた。やっぱり綺麗だねぇ」


 テランス殿のお母様は、布巾をカウンターに置くと私の所に近づいてきて、感慨深そうだった。目に涙が浮かんでいるのはなぜだろう。


「本当、綺麗だねぇ」

「……いえいえ。そんなことは」


 じっくり見つめられて恥ずかしくなる。

 しかも綺麗を連発されても。


「母さん。まだ開店準備終わってないだろ。俺はジュネとちょっと話したいから、端っこの席借りるぞ。あと麦酒二杯持ってきてくれ」

「はいはい」


 テランス殿がそう言ってくれて、お母様は不満そうだが、カウンターの奥へ入っていく。凝視されることから逃れられて、ほっとしていると、腕を引かれた。


 一番端の席に座っていると、テランス殿のお母様が木のカップ二つと皿を運んでくる。


「はい。麦酒二杯ね。あと、これおいしいから食べて」


 カップになみなみと注がれた麦酒に、小魚の入った皿を出される。


「ぱりぱりと骨まで食べられるから」

「これはうちでは人気のおつまみなんだ。美味しいぞ」


 薦められるまま、テランス殿同様に手づかみで炒めた小魚を口にする。

 絶妙な塩加減と、歯ごたえが堪らず、私は唸ってしまった。


「これは美味しい」

「よかった」


 私の反応に母子はにこりと笑い、私はちょっとおかしくなった。まったく似てない母子なのに、笑顔はそっくりだったからだ。


「母さん。もういいから」

「あら、冷たいねぇ」


 お母様が再びカウンターの奥へ姿を消すと、テランス殿が麦酒を煽る。


「ジュネ」

 

 まっすぐ見られ、暗がりなのに、彼の瞳が煌いて見えた。


「あなたは、本当は殿下が好きなのか?」


 言い逃れができない、させないとばかり、彼の二つの目は私を捉えていた。視線を外すことができず、脳裏で彼への答えと私の気持ちを探ってみる。


 好き。これは、恋人とかそういう好きだよな。

 アンのことは友人としては好きだ。弟みたいな存在だった。

 だけど、多分これは「男」としてではない。

 でも、あの手紙を読むと胸が痛くなった。カラン様に否定されたときも。

 だったら「好き」なのか?


「俺はあなたが好きだ。だから、俺のことも考えてほしい」

「へ?」


 驚く私に考える余地を与えず、彼は腰を上げると前かがみになり唇を重ねた。


「な、なにをするんだ!」


 私は彼の胸を叩き、そのまま立ちがあがる。

 唇を手の甲で拭う。

 勝手に、なんで。


「ジュネ!」

 

 背を向けて走りだした私にテランス殿が呼びかけた。だが、私は無視をする。

 許せない!

 人が油断した隙に勝手に!

 最低だ!


 城に戻って私はまずは顔を洗い、唇を何度も洗った。

 その夜食事をする気もなく、部屋に篭る。

 人に会うと今日の「デート」のことを聞かれるだろう。

 たかが唇が触れたくらいだ。

 気にするほうがおかしい。

 だけど、感触は残っていて、テランス殿の意外に柔らかい唇を思い出す。

 そんな自分が嫌で、唇を何度も拭った。


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