1-5 黄昏の黒豹

 テランス殿の提案もあり、私たちはそそくさと路地裏に移動した。

 その間も逃げるとでも思っているのか、彼は私の手首をきつく握ったままだ。


「さて、ゆっくり話せそうだ」


 人の姿が見えなくなり、テランス殿はやっと私の手を放した。

 掴まれた手首は赤くなっており、刺すような痛みが走る。

 これくらいで、痛みを覚えるとは、鍛え方が足りない。

 そう思いながらも、手首が気になり、自然と別の手でさすってしまう。


「悪かったな。強く掴みすぎた」

「いえ。私の鍛え方が足りないので」


 多分男であれば、これくらいで赤みを帯びることはないだろう。

 心配そうに手元を見られるが、弱いと思われては騎士団長の名が廃る。

 私は手首をさするのをやめ、顔を上げた。


「大丈夫です。それよりお話を」

「……わかった。お前は、いや。あなたは、ナイゼル・カランを知っているな?」

「ナイゼル・カラン……。はい。名前だけですが……」


 なぜ、あの手紙の主の名前を。約束というのは彼とのことか?だが、私は返事をしていない。


「あなたは自分から会いたいと手紙を送ってきて、約束を破った。正直がっかりした」

「は?確かにナイゼル・カラン、様から手紙を受け取りましたが、私から会いたいなどとは書いておりません。したがって約束などはしておりませんが?」

「嘘をつくのはよくないな。カサンドラ騎士団の団長でありながら」

「嘘?嘘などついておりません」


 なんだ。嘘つき呼ばわりか? 

 私は頭にきて、テランス殿を睨み付ける。

 テランス殿は、まあ、男の中ではましな奴だと思っていた。しかし、なんだ。嘘つき呼ばわりか。私もがっかりだ。

 だいたい、テランス殿はナイゼル・カランの何なんだ?


「証拠があるんだが」


 憤る私に彼は小さく息を吐き、ポケットから白い紙を取り出した。

 それは手紙で、開いてみると筆跡は私に似ていた。


 妹君のことで話があるので、来てほしいと書いてある。

 なんだこれは?


「私はこんなこと書いていない。それよりこれを見てくれ」

 

 私は自分の潔白を証明したくて、持ち歩いていたナイゼル・カランの手紙を見せた。

 テランス殿はそれをじっと見つめた後、大きく溜息をついた。


「悪い。どうやら俺は、いや俺たちははめられたようだ」

「誰に?」

「それは言えない」

「それは、卑怯だ。私を嘘つき呼ばわりして、それはない。大体、あなたはナイゼル・カランの何なのだ?」


 呼び捨てにしてしまったが、怒りでそんなことに構っていられなかった。


「悪いな。説明が遅れた。俺は、ナイゼルに頼まれて、今日、ネスマン様を待っていたんだ」

「そういうことですか。いや、でも私は行くとは返事していない。大体、来てほしいなどと手紙を出した覚えもない」

「そうだろうな。多分」

「多分?」


 なんだか、テランス殿は先ほどまでの勢いを失い、困ったような顔をしていた。

  

「この件は俺がきっちりけりをつける。だが、ナイゼルの妹のことは、どうにかしてくれないか?」

「ナイゼルの妹、ああ。私が彼女を誑かしているって、あれですか?」

「えっと、そうじゃない。あなたからエリーにあきらめるように言ってくれないか?」

「説得?会ったこともない私から説得されても納得できないと思うのですが」

「会ったことない?そんなはずはない。あなたが彼女を助けたから、彼女はあなたを追ってカサンドラ騎士団に入団を希望していると聞いている」

「助けた?……覚えがない。いや、覚えがありすぎてわからないな」

「なんだそれは」

「私は困った女性を見ると助けるようにしている。それはあなたもよく知っているだろう」


 そう、私の困った癖なのか。

 私は困っている人。特に女性がいたらどうしても手を出してしまう。だから、よく警備団とぶつかってしまう。その度にこのテランス殿が間に入ることが多い。だから、彼と顔見知りになってしまった。男なんて生き物なんて、顔を覚えるのもいやだが、このテランス殿だけは別だった。彼はとても公平な男だ。

 正義を貫く。

 カサンドラ騎士団の騎士として、街の警備に手を出してはいけない。だが、目の前で困っている女性がいるのに、何もしないわけにはいかない。この理屈がわからなくて、大概の男は怒り狂うのだが、このテランス殿は違った。


「そうか、そうだったな」


 遠い目を一瞬して、彼は頷く。

 なんなんだ?


「まあ、エリーの勝手な思い込みか」


 そう言われて私は返答に困ってしまう。まあ、思い込みには違いないけど。


「受けてみたいなら、受けさせてみたらいいのでは?普通の令嬢が試験に通るのは無理だ。だから、受けても通るとは限らない」

「そうだが。ナイゼルは、エリーが手に豆までつくってまで特訓することが耐えられないらしい」

「それであれば、彼自身が妹さんを説得すべきだろう?」

「それができないから、彼はあなたに頼ろうと思ったんだ」

「それはお門違いだ」


 ナイゼルという人の他人任せなところが、頭にきて私は声を荒げてしまった。だいたい、自分で頼みに来なくて、テランス殿に頼むところも頭にくる。


「そうだな。確かに」


 すると自虐的に笑われ、私は怒りを忘れ戸惑う。

 彼は眉を寄せ、なんだか叱られた犬みたいに見えた。黒豹って言うか、黒犬みたいだ。


「えっと。言い過ぎた。テランス殿は代理にすぎないのに。ナイゼル・カラン様は、なぜ直接来れなかったんですか?いや、私も会うつもりはなかったですけど」

「いや彼は王都にいるから。だから頼まれたのだが……」


 王都?

 おかしい。王都であればそうそうラスタに戻って来れない。

 なのに明日の約束をするなんて。

 最初から彼は来るつもりはなかった?

 目の前のテランス殿はかなり渋い表情をしている。


「悪かった。誤解した上に、いろいろとな。手首も」

「いや、気にしないでください。私は騎士ですから」

「騎士、そうだな」


 テランス殿が朗らかに笑い、眉間の皺が消えた。とても自然な笑顔で私もつられて口元が緩む。

 

「笑うこともあるんだな。麗しの白銀の君も」

「なんですか。それは。そのあだ名、実は大嫌いなんですよ。簡便してください」

「そうか。悪かったな」

「黄昏の黒豹も困ることがあるんですね」


 そう言い返すと彼は参ったと額を押さえる。


「やめてくれ。俺も実は嫌いなんだ。そのあだ名が」

「そうなんですか。ぴったりと思いますけど」

「そうか。それなら、俺も、あなたには「麗しの白銀の君」が合っていると思うが」

 

 お互いにそう言って、私たちは苦笑しあう。


 そうして結局、私には何が何だかわからないが、もう手を煩わせることはないだろうと言われ、そのまま別れた。


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