1-20 深い憎悪


 目を覚まし、視界にエリー嬢が顔が入り、言葉を話そうとして、口を塞がれていることに気がつく。

 彼女も同様に口を塞がれ、手足を縄で結ばれ、柱に括り付けられていた。私の手足は縛れているが、そのまま床に放置されていた。

 エリー嬢の茶色の瞳が不安げに私に向けられる。


 ――大丈夫か?


 そう伝えたくて、私は体を起こす。火が当てられたように背中に痛んだ。


 そういえば、切られたな。


 ヴィニアに気が取れていて油断した。その隙をついて背中を切られた。その後に他の傭兵も部屋に流れ込んできて、鳩尾に拳を食らった。

 それから記憶がない。


 部屋の中には私とエリー嬢だけのようだ。私は痛みと戦いながら、芋虫のように彼女の元へ向かう。


 ――大丈夫だ


 そう伝えたくて口を動かすが、言葉にはならない。でも気持ちはわかったようで頷かれた。


 エリー嬢は何もされてないか?


 彼女のドレスに乱れはない。ただ裾が破かれているだけだ。纏めていた髪は乱れていたが、それだけだった。

 しかし、その頬が赤くなっているのに気がついた。


 ――殴られたのか?


 聞いてみるが、もごもごした声しかでなくて通じなかった。

 バナードがてこづったと言っていたから、きっとやつが殴ったに違いない。

 許さない。あいつは!


「反対よ!」


 突然、隣の部屋から扉越しに争う声が聞こえてきた。


「人質が二人もいるのに、なぜ逃げる必要があるの?」

「多勢に無勢だ。わかるだろう!」

「俺は、ジュネをもらえればそれでいい」

「女たちは置いていく。連れて行くと邪魔だ」

「それなら殺せば?その前に遊んでね」

「ヴィニア!そんな時間はない!お前の糞みたいな作戦で部隊は壊滅だ。今の勢力では無理だ!」

「弱いだけじゃないの。普段は威張りくさっているくせに」

「何を!」

「黙れ。今は言い争いをしている間はない。どちらにしても今は一刻も早くラスタを出る!」

「じゃあ、私が殺してもいいでしょ。二人とも。さっさと済ませるわ」

「それはないぞ!ジュネは貰っていく!」

「うるさいわね!レーン!」


 ヴィニアの声の後、鈍い音がした。

 

 エリー嬢の目が見開き、震え始める。

 多分、バナードは殺された。うめき声も上げさせず。

 

 奴らは強い。

 

 万全の状態でもこれを切り抜けるのは至難の業だ。今は手足を縛られ、まったく勝機が見えない。

 このままでは無抵抗にただ殺されるだけだ。

 せめてエリー嬢だけ守りたい。絶対に。


「ヴィニア。俺たちは先に行く。集合場所はわかっているな」

「わかってるわ」


 部屋の外が騒がしくなり、一気に静かになった。

 扉がゆっくり開かれた。


「さあ。団長様。苦しめて殺してあげる」

 

 ヴィニアは短剣を握っていた。それを弄びながら部屋に入ってくる。

   

 体を起こして彼女に対峙する。背中の傷がひらいたようで、どくんどくんと傷口が脈を打っていた。


 彼女一人だ。

 

 傭兵たちは焦っていた。となるとこの場所に警備兵たちが来るって事か。それであれば時間を稼げばエリー嬢だけでも助けられるかもしれない。


「さあ、どこから切ろうかな。やっぱりその綺麗な顔かな。苦労も知らず理想ばかりを語る口。そう口からね」


 狂気に満ちた笑みを浮かべ、一歩一歩近づいてくる。

 ヴィニアの測りしれない憎悪はどこからきているのか。彼女の言葉の真意を知りたいが今はこの場を切り抜けることが先だ。

 まずは彼女の攻撃を利用して、縄を切る!


 私は間合を計りながら短剣が振り下ろされるのを待った。

 

「食らいな!」


 振り下ろされた瞬間、私は背中を向ける。背中と指を少し傷つけたが、目的は達した。

 自由になった手で彼女の手首を掴む。


「くそったれ!」


 悪態をつきながらも彼女は短剣を離そうとせず、私は彼女を壁にぶち当てる。鈍い音がして、彼女の手から短剣が落ち、それをすかさず奪った。

 ふらふらしながら体勢を立て直す前に、足の拘束を解く。


「くそ、くそったれ!あんたなんか大嫌いだ!死んじまえ!」


 彼女は壁に立て掛けてあったモップを持ち、飛び掛ってきた。

 動きは鈍い。

 先ほど壁に叩きつけたショックが抜けていないはずだし、彼女の背中も私同様傷ついている。

 モップの攻撃を交わし、彼女の脇腹に蹴りを入れる。


「うっ」


 床に勢いよく転げるが、彼女の瞳には生気がみなぎり、狂人のようだった。

 私は口を塞いでいる布をとる。


「ヴィニア。どうしてお前はそんなに私を憎むんだ?」

「ははは!」


 私の問いに彼女は狂ったように笑い出した。


「わからない?そうだろうね。あんたみたいな人間に私の気持ちがわかるわけないよ。騎士だって?女も守る?あんたは綺麗事ばかりで、結局何も守っていやしない。その上、自分は王子と兵士との恋愛ごっこ!ふざけんのもいい加減にしてほしいね!」

「ヴィニア?どういう意味だ?私が何もしていない?王子とはなんだ?」

「ははは!そうやって、あんたはとぼけていればいいよ。私みたいな奴が再び現れてあんたを殺してくれることを楽しみにしてるわ!」

 

 ヴィニアが唇の両端をあげ、不気味に微笑む。その後、突然彼女が口を押さえた。


「ヴィニア!ヴィニア!」


 彼女の元へ走るが、一、二度痙攣すると動かなくてなってしまった。目は大きく開かれ、口の端から血が流れる。


「ネスマン様!エリー!」


 扉を蹴破る音がして、数人の足音と怒声が響く。

 呆然とそれを聞いていた私は、背後のエリー嬢によって我に返った。死人と化したヴィニアを床に下ろし、エリー嬢に駆け寄る。そして口から布をとり、手足の縄を解く。


「ジュネ様!」

「いたっ!」


 抱きしめられ、私は背中の傷を思い出した。


「ごめんなさい。大丈夫ですか?」


 エリー嬢の視線は私とヴィニアを行き来する。


「大丈夫だ」

「ネスマン様、エリー!」


 そう答えると同時に背後からテランス殿の声が聞こえた。

 

「ネスマン様!」


 彼は慌てて駆け寄ってきて、私の前で屈みこむ。

 黒髪が額にはりつき、彼の息は荒い。瞳の色は暗くてわからないが。


「背中を切られたのか。早く手当てをしなければ」

「それよりも、逃げた傭兵たちを追ってくれ。ラスタを出るとはいっていたが、アンのことをまだ諦めていないかもしれない」

「大丈夫だ。別の隊が追っている。アン、のことはナイゼルが守っている」

「お兄様が……」


 私に抱きついたままだった、エリー嬢は寂しくそう呟いた。


「エリー。ナイゼルはとても心配していた。本当ならば彼自身がここに来たかったはずだ」

「わかってます」

「さて、ネスマン様。医者のところに連れて行く」


 体が不意に軽くなった。

 視界が、上下が逆転している。


「放してくれ!」


 荷物のように肩に抱えられていることがわかり、私は抵抗する。


「傷口はふさがっていない。すぐに手当てしたほうがいい」

 

 私の抵抗もむなしく、彼は歩き出してしまった。


「私よりもエリー嬢のことを!」

「私は大丈夫です。ユアン様、ジュネ様をお願いします」

「わかった。エリーも一緒に医者のところへ行くぞ。その痕、殴られたのだろう?」


 エリーは静かに頷き、私は唇を噛み締める。


「ネスマン様。今回のことはあなたのせいじゃない。気にするな」

「そうです。ジュネ様。むしろ私のせいで、あなたが連れてこられてしまって」

「エリー嬢。それは違う。私を捕まえるために、バナードは君を浚ったんだ」

「それでも」

「話は後だ。馬車に乗れ」


 小屋から出て道を少し登ったところに馬車が止まっていた。

 テランス殿は私を中にいれ、エリー嬢も車内に乗ったことを確認すると馬車を走らせた。揺れる度に背中に痛みが走み、思考を奪っていく。いつの間にか私は気を失っていた。

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