第24話 踊るチャイ

目の前にわたしの知らないチャイが居る。

化粧をして着物を着、三味線に合わせて舞っている。

わたしは得心した。


「ああ。この間ステージ上で可憐に見えたチャイは、この瞬間の顔なんだな」


会場は市民ホール。

何流とかよく分からないのだけれども、チャイのお母さんはとにかくも師範であり、その流派を後継している、ってことだ。そしてチャイも継ぐように望まれている。


「さすが先生のお嬢様ね」

「まだ高校生なんですって」

「うちの流派もこれで安泰ね」


チャイの体はチャイ1人のものではなかった。もちろん母親だけのものでもない。

この流派に携わるすべての人が、チャイを求めているということだ。


どんな服を着てくればいいのかまったく分からなかったので無難だろうと思い制服で来た。ただ、周囲全員和服でビシッとキメているのでやはりわたしは異常に目立つ。

隣の席の年配女性から話しかけられた


「あなた、お嬢さんのお友達?」

「ええ、まあ」

「お嬢さんは学校でも優雅なんでしょうねえ」

「うーん」

「え、違うの?」

「いえ、いえ。とても優雅で紅茶なんぞ嗜まれてますよ」

「あら。日本茶じゃないのね。・・・でもまあ、そういう柔軟さも次世代の日舞には必要だわね」


アジアの紅茶を嗜み、クロスバイクでスカートの中身が見えそうになり、あまつさえ、チャイってあだ名でロックバンドのヴォーカルだとは口が裂けても言えなかった。


日本舞踊は初体験だ。

最初のうちは退屈するだろうと思っていたけれども、これがなかなか。

お弟子さんたちの踊りもそれなりに楽しめたし、渋さと華やかさとが共存しててとても新鮮だった。何よりも膨大な練習の賜物であるということが素人のわたしにも分かったし、おそらく日常の所作から意識していないとこういうレベルには到達しないんだろうと素直に感服した。


そして、チャイの踊り。

不覚にも感動してしまった。

まず、凛々しい。

そして可愛らしい。

普段のチャイからは想像もつかない優雅さ。華やかさ。可憐さ。

何よりも、親からの折檻を受けてさえ反抗するチャイが、舞台の上では目の前の踊りに真剣に取り組んでいることがすごいと思った。

プロ、というか。大人、と言おうか。


迷いに迷った挙句、わたしはチャイに手を振ってみた。

当然無視されるだろうと思ったのだけれども、チャイは間違いなくわたしの方を見て軽く手を振り返してくれた。


最後に踊るのはチャイの母親だった。

あの不遜で人格的にも問題のある母親がどんな踊りをするのだろうと見ていたけれども、はっきり言ってすごかった。

引き込まれ、一挙手一投足を見逃すまいと舞台にのめり込まされた。

ジャンルが日本舞踊だっていうだけで、この人はスターだと思った。


「さおり、何あれは? あんな動作教えてないでしょ⁈」

「すみませんでした」


楽屋でチャイは大勢のお弟子さんたちの前で叱責され、畳に手をついて母親に謝っていた。

わたしに手を振ったことを責められているようだ。


「あの、すみません」

「あら、六区ロックさん。今日は観に来ていただいてありがとうございました」


この母親からこんな丁寧な言葉がわたしにかけられるとは思っていなかった。面喰らってしまったけれども、とにかく謝ろうと思った。


「すみません、わたしが軽はずみにさおりさんに手を振ったばっかりに」

「いいえ。あなたは悪くありません。さおりがまだまだ未熟者ということです。観に来てくださった方に応えようとしたのでしょうが、あの場合は踊りに完璧に集中することこそお客様に応えることです」

師範せんせい

「なんですか、さおり」

「夏の舞台は今日が最終日です。どうかこの後、またわたしを六区ロックさんの音楽に参加させてください」

「今日のような体たらくでは一刻たりとも稽古の手を抜くことは許されません」

「わたしが悪うございました。どうか、お願いします。せめて六区ロックさんが卒業するまでの間は」


びっくりした。チャイがこんなこと思ってたなんて。

思わずわたしは制服のスカートの折り目を正して正座し、母親に向かって手をついた。


「お母さん。分野は違いますが、わたしたちは真剣に音楽に向き合っています。一点恥じるところはありません。どうぞ、わたしからもお願いします」


「滝本さん、わたしからもお願いしますよ」

おお先生・・・」


さっき声をかけて来た年配の女性だ。

母親の言葉と周囲の気の遣いかたからみて、大きな流派の大物師範だったようだ。


「滝本さん。日舞も時代と共にあらねばなりません。というのは日舞も最初は時代の先端をいく踊りだったはずだからです」

「はい・・・」

「日本の伝統芸能すべてそうです。歌舞伎だって映画もテレビもネットもない時代では世の最先端をいくエンターテイメントだったでしょう。もちろん、新しいということだけにとらわれて美しさを見失っては元も子もありません。ですが、さおりさんも、このお友達も、誠実に懸命に十代の時を過ごしているとは思いませんか?」

「はい。おお先生のおっしゃる通りです・・・さおり」

「はい」

「精進怠りなく両立できると誓えますか」

「はい、誓えます。懸命に励みます」

「六区さん」

「は、はい」

「さおりを決して甘やかさず、厳しく指導してください。お願い致します」

「はい」


門下の行きつけだという和風喫茶店へとチャイに誘われた。


「ロック・・・」

「あれ? さっきは『六区ロックさん』なんてしおらしく言ってたくせに」

「いいだろ。この方がしっくりくるんだよ。で、その、あれだよ・・・」

「何? あれって」

「その・・・傘になって守ってくれてありがと」

「ん? ああ。この間の話ね。うんうん。いくらでも傘になるよ。だって、かわいいチャイのためだからさ」

「ロックはわたしのこと本気じゃないのかなって思ってた」

「なにそれ」

「いや、だってさ。加瀬やイサキやセナに対してはすごい身を削って色んなことしててさ。わたしにはそこまでじゃないのかな、って思っちゃって」

「お? 胸がきゅーってなるこというね。んなわけないじゃん。わたしはチャイがかわいいよ。今日だってチャイに会えなくて禁断症状出たからさ、ノープランの出たとこ勝負で来たんだよ。お母さんとあんなふうに話せてよかったよ」

「あんな母親だけどさ、尊敬はしてるんだ。普段は無茶苦茶だけど」

「まあ、いいお母さんっていうよりは、いい師範だよね」

「うん」

「さてと。チャイ。ステージに穴開けた埋め合わせはきっちりしてもらうからね」

「えー? 不可抗力だから仕方ないだろ」

「ダメ。プロなんだから、自分の境遇から何から全部織り込んで対処しないと」

「厳しいなあ・・・」

「師範からも一切甘やかすな、折檻してもいいって言われたしね」

「はあ? 折檻なんて言ってないだろ」


なんにせよ、チャイがわたしの元に帰って来てくれた。


うれしい。

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