第27話 働くひとたち
東京都内に入り、コンビニで朝ごはんを済ませた後、わたしたちは目的地に向かった。
カーナビのないこのバンの助手席でネマロがスマホを片手にずっとナビ役を勤めてここまでたどり着いたのだ。
「大手町。KPI本社」
わたしはごく事務的にネマロに告げ、ネマロも機械的にわたしの示す住所をセットする。
都内の地理もよく分からないままに、経団連ビルの裏手あたりの地区にたどり着いた。
国内屈指のメジャーレーベルとはいいながら、KPIの本社はこじんまりとしたオフィスビルのテナントとして2フロアを占めているだけだった。
「あ、あれだ」
目的のビルの通りに入り、ハザードランプを点滅させる。ビルの入り口のやや手前で道路脇に寄せて車を停めた。
さて。荒唐無稽な映画やドラマの展開でありがちなのは、ここでいきなりメンバー全員でゲリラライヴを始めることだろう。けれども現実的にそんなことができるわけはない。あっという間に退去させられてしまうのが関の山だ。
だから、わたしが立てた戦略は適当に目立つことだった。
「じゃ、わたしから行くね」
そう言ってわたしはギターを肩から下げ、ハンディタイプのアンプを手にバンを降りた。
そして、ビルの前の植え込みのコンクリートにどかっと腰を下ろし、足を組んだ。ギターをアンプにつなぐ。
なんとなく雰囲気を出すために、ピックではなくって10円玉を手に持った。
夏休みとは言え、大手町はサラリーマンの街だから、平日の午前中、クールビズのいでたちの男女が俯き加減で通りを歩いて行く。しかも神田と隣り合った街なので、サラリーマンとしても古典的な人種が多いようで、みな一様にくたびれた顔をしている。
ギターを抱えたわたしを気にかける人もそんなにいない。
そして、この風変わりな女子高生であるわたしは、おもむろに演奏を始めた。
軽快なギターのイントロ。アップテンポなのにギターだけで弾き語りのように歌うにはとてもかっこいい曲。大好きだ。
ブルース・スプリングスティーンの、『グローイング・アップ』
10円玉で弦を弾くと適度に歪んだ音になり、とてもしっくりくる。ブルース・スプリングスティーンの、思わず涙ぐむようなこの歌を、わたしはしっかりと顔を上げて歌った。
サラリーマンたちがわたしの方を見ながら通り過ぎて行く。多分、仕事のことで頭がいっぱいだろう。
みんな働いてるのにギターなんぞ弾いて歌っていい気なもんだ。
こっちはやってらんないっていうのに。
ムカつく。
羨ましい。
俺だって昔はやりたいこといっぱいあったんだ。
わたしだってほんとはこんなことばっかりやってるつもりはないのに。
ああ、俺はなにをやってるんだ。
わたしはどうしてこんな晴れた夏の日にビルとビルの間を行き来するだけなんだろう。
この女の子はなんなんだ。高校生ぐらいに見えるけど。
この子、美人じゃないけど結構いい感じね。
真夏の日差しの中、汗びっしょりで演奏してるな。
楽しそうだけど、それだけじゃないみたい。
こいつはどんな気持ちでこの歌、歌ってんだ。
でも、いい歌。すごくいいメロディー。
英語の歌詞、よくわかんないけど、なんだか泣ける。
不思議なことに通り過ぎるこの大人たちの心の中がなんとなくわたしの心にシンクロしてくる。
わたしはこの人たちがつまんない人間だとは思わない。だって、ブルースの歌は、ごく普通に働く人たちのための歌。ごく普通に成長し、恋をし、悲しみ、喜ぶひとたちのための歌。ロックって、そんなわたしたちのための音楽だって改めて思う。
気がつくと立ち止まって聴いてくれる人たちに囲まれてわたしは歌っていた。
ああ、とっても気持ちいい。
嬉しいね、なんだか。
曲の最後。余韻を残すギターの、ジャジャーン、ていう音で演奏を終えた。
拍手喝采、とまではいかないけれども、年配・若輩・男・女の勤め人のみなさんが、控えめに拍手してくれた。
みんな、はにかんだ微笑。うんうんと頷いているおじさんがいる。手をヒラヒラと振ってくれるお姉さんがいる。
わたしは、にこっ、と笑ってお辞儀をし、バンに引っ込んだ。
入れ替わりに、加瀬ちゃんが降りてきた。軽くわたしとハイタッチして、演奏の準備を始めた。
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