第十章(2) 勇者と死の修行
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日本横断から始まった勇者の特訓は文字通り熾烈を極めた。勇者の想像を遥かに超えたとてつもなく酷い内容だった。利根川反復横跳び、成層圏垂直跳び、太平洋往復遠泳、剣山の上での腹筋(重り付き)、剣山の上での背筋(重り付き)、剣山の上での腕立て(重り付き)などなど。どれもこれも恐らく勇者の人生史上トップテンに入るほどのクレイジーな内容だった。
しかし勇者は逃げ出すことはしなかった。何故ならどうしても魔王に負けたくなかったからである。
そして気付いていなかった。自分の潜在能力がとてつもなく底上げされていっていることに……。
そうして三日が過ぎた頃のことだった。
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「勇者、よく耐えたわね。基礎訓練はこれでおしまい。これから先は実践編よ」
昼下がりの青空の下、息を切らして倒れている勇者に向かって美咲が言った。
「じ、実践編……?」
「そうよ。ようやくその段階に移れるわ。死の淵を見た特訓のおかげで、あなたの心身は奥義を使うに足るほどに成長しているはずよ」
「……ほんと、何度死ぬかと思ったことか……。おかげでこれから先どんな死ぬような目にあったとしても、あの訓練よりも苦しいことはないと思って前向きに生きていけるよ……」
「でしょ? わたしのおかげね」
「……半分皮肉だったんだけど……」
「わたしの、おかげね?」
「……はい。あなたのおかげです……」
「よろしい。では実践に移るわよ」
勇者が連れて行かれたのは奥行きがほとんどない洞窟だった。奥には木の枝が山のように積まれている。
「その木の枝を一つ手に取りなさい」
「木の枝を? わかったよ」
勇者は首を捻りながらも木の枝を一振り手に取った。すると、
「今からわたしが大岩をあなたに向かって投げるわ。飛んでくる大岩をその木の枝で二つに割りなさい」
「はい?」
勇者はまたも耳を疑っていた。岩を木の枝で割れだって? そんなこと出来るわけが……などと悩む間もなく、美咲はどこからか持ってきた大岩(勇者の背丈の軽く三倍以上はある大きさ)を勇者に向かって問答無用で投げてきたのだった。
「ぬおおおおおおおおおおお!?」
迫りくる大岩――勇者はパニックに陥った。しかし勇者は洞窟の中に入っているので上下左右逃げ場がない。大岩はまるで洞窟から切り取ったかのような形をしていた(実際、美咲がそこから切り取ったものである)。だから後ろにも逃げ場がなかった。
結果、勇者はぷちっと潰された。
美咲は投げた大岩を「よいしょ」の一言で取り外すと、瀕死の勇者に向かって言ってくる。
「こんな風になる前に、その木の枝でこの大岩を叩き切ってしまいなさい。じゃないと……死ぬわよ?」
勇者は本気で死にそうになっているため何も答えられなかった。仕方なく美咲は回復魔法をかける。すると、
「母さんは僕を殺す気なの!?」
回復するや否や勇者は開口一番そう叫んだ。叫ばざるを得なかった。
「あら、大げさな子ね。たかだか大岩に潰されたくらいじゃない」
「よくそんな軽い口調で言えるよねあんた!? あんなデカい大岩を母さんのバカ力で投げられたら、そりゃ死ぬよ!? 勇者でも軽く死ぬよ!?」
美咲はふぅっとため息を吐くと、
「だったら死なないために、洞窟に到達する前に大岩を真っ二つに斬ればいいじゃない。そうすれば二つに割れた大岩は洞窟の外壁にぶつかって洞窟の中には入って来ないから、あなたは無事という寸法よ」
「簡単に言ってくれるけど、常識的に考えて木の枝で大岩を斬れるわけないよね!?」
「あなたに授ける奥義は常識の範囲外にあるのよ。さ、ぐだぐだ言っていないで。次、投げるわよ」
「さらりと言ってくれちゃって……」
勇者は軽く絶望した。これから自分は何度三途の川を見ることになるのだろう? 魔法を使えばあのくらいの大岩なんてどうということはない。簡単に破壊できる。
しかし、もしも木の枝で真っ二つにする以外の方法で岩を砕いたら、それこそ死よりも苦しい折檻が待っていることだろう。それが美咲という女だ。
逃げ出したとしても同じ。死よりも苦しい折檻が待っているはずだ。
結果、三途の川を渡る直前で引き返す作業を繰り返すしかないということだ。その回数を減らしたいのなら、一刻も早く木の枝で大岩を真っ二つにする技術を身につけるしかないということだった。
それまでに一体何百回死ぬ憂き目にあうのだろか……?
「あはは……なんで僕この人の子供として生まれたんだろう……」
「あら、悲しいこと言うのね。力加減を間違って本当に殺しちゃったらごめんなさいね?」
「どうもすいませんでしたあああああああああああああ!」
軽口すら許されなかった。
そして再び始まる地獄の特訓。
死にそうになっては美咲に回復され、また死にそうになるの繰り返し。
これから二日間、山間には勇者の叫び声が木霊することになる。
×××
切り立った崖の上から、そんな勇者の様子を見下ろしている者がいた。
薄緑色のサイドテールの髪を風に靡かせるハーフエルフの少女。
エイミーだ。
彼女は懸命に修行を熟す勇者の姿をじっと見つめていた。死にそうになりながらも、息も絶え絶えになりながらも、真っ直ぐに死の修行と向き合う勇者の姿を。
「勇者……どうしてそこまで……」
エイミーは呟いた。
そしてまた、じっと見つめ続けるのだった。
×××
翌日の昼ごろのことである。
「一度休憩にするわね」
瀕死の勇者に回復魔法をかけながら美咲がそう言った。しかし勇者は喋れないくらいに疲弊しており、ただ息を切らしているだけである。
「わたし、ちょっと下山してスーパーでお買いものしてくるから。わたしが戻るまで精神と体力を回復させておきなさいね」
それだけ言い残して美咲は下山して行った。
肩で大きく息をしながら勇者は空を見つめる。
今日も見事な冬晴れだった。雲一つない青空に吸い込まれそうになる。
勇者は逆に眼前に広がる青空を吸い込むようにして息を整える。
やがて息が落ち着いていくに従って、勇者は体の内からふつふつと力が漲ってくるのを感じた。
「俺……確実に強くなってる……」
強さの限界などとっくに超えていると思っていたのに、信じられなかった。
最初の三日間の基礎訓練で体力と魔力がぐんと上昇し、今の大岩を斬る訓練では打たれ強さと技量が上昇していっている。
さすが美咲だと思った。常人なら精神が崩壊するほどの訓練ではあるものの、本当の強さを身につける教育にかけては彼女の右に出る者はいない。
まあ、鬼だけども……。いや、鬼が可愛く見えるレベルだけども……。
しばらく、ぼーっと風の声を聞いていた。
ややあって、音に何かが混じり始める。それがすぐ近くまで来た時、勇者は顔を横に向ける。
そこにいた人物を見て勇者は少し驚いた。
「エイミー……?」
エイミーは木陰からゆっくりと近付いてくる。そして倒れている勇者の傍らまで来ると、勇者を見下ろしながら口を開いた。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「……なんだよ?」
さわさわとざわめく風に髪をなびかせながら、エイミーは訊いてくる。
「……どうしてそこまで出来るの?」
エイミーの質問は簡潔だった。
彼女の髪が風に揺れる度に、そこから漏れる陽光がまぶしかった。
勇者は目を細めながらその質問に答える。
「もちろん、魔王に絶対に負けたくないからだ」
答えも簡潔だった。
だからこそエイミーにも伝わった。
「……そう。だったらあたしもう何も言わない。頑張ってね」
最後に少しだけ笑って、エイミーは去って行く。
「ああ。頑張るさ」
勇者は誰にともなくそう呟いていた。
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