序章(2) 魔王の来訪



「……は?」




 あまりに突然のことに、少年は唖然とした声を上げることしか出来ない。


 少年が煙を上げている液晶テレビからゆっくりと視線を部屋の入口の方へと移していくと、部屋の前に誰かがいた。

 左手を突き出すようにして立っているのは一人の少女だった。セーラー服に身を包んだ彼女は、恐らく少年と同じくらいの歳頃だろう(ちなみに少年は十六歳である)。


 ――しかし、どう見ても普通の人間とは様子が違った。金の髪にダークブラウンの肌、そして極めつけは尻尾と羽と角が生えているではないか。普通の人間にそんなものは生えていない。


「な、なんだよ……お前……?」


 少年は茫然としながらも辛うじてその質問を口にする。すると少女はにやりと口の端を吊り上げながら、


「我(われ)か? 我こそは学級委員長、魔王なり」


(は? 魔王だって?)


 普通だったらここはそう思うところだろう。しかし少年が気を集中させると、彼女

から放たれている尋常ではない量の魔力に気付いた。彼女は魔王……確かにそうとしか受け止められないほどの強大すぎるほどの魔力。

 何故ここに魔王がいるのかはわからない。しかし魔王が目の前にいることは事実としか受け止めようがなかった。


 ――そう、勇者たる自分の仇敵とも言うべき魔王が。

 彼はとっさに壁に掛けてある聖剣へと手を伸ばす。――しかし、


「ま、待て待て! 我は別に戦いに来たわけではないんだって!」


 少女は慌てて弁明してくる。彼は手を止めながらも訝しげに訊き返す。


「……じゃあ、魔王がわざわざ俺のところに何しに来たんだよ?」


 すると魔王少女は鞄の中をごそごそとやってから紙の束を取り出し、それを少年の方へと差し出してくる。


「我はお前にプリントを届けに来てやったのだ」


 少年は益々訝しげな顔になっていた。


「……は? プリントを届けに来ただって?」

「そうだ」

「……魔王が、わざわざ?」

「その通りだ。この魔王が自らお前のために溜まっていたプリントを届けに来てやったのだ。感謝にむせび泣くがよいぞ!」


 魔王は偉そうに踏ん反り返っていた。


「は、はあ。どうもありがとう……」


 少年は今の状況が一体なんなのか全く分からなかった。しかし、一応お礼を言いながら差し出されていたプリントの束を受け取った。


「ふはははははっ! なあに、気にするな! これでも我は学級委員長なのだからな! 当然のことをしてやったまでだ! ふは、ふははははははははははははっ!」


 頷きつつ一人で楽しそうに哄笑する魔王少女と、唖然とした顔でそれを眺める少年。そこには変な空間が出来上がっていた。

 やがて魔王少女は満足したのか、


「ではな!」


 それだけ言い残してあっさりと踵を返し、少年の部屋から去って行ったではないか。その顔は何故かとてつもなく晴れやかだったという。

 しばらくしてから階下で魔王と母親が挨拶をしている声が聞こえてくる。


「おお、勇者の母上殿! 邪魔をしたな!」

「あらあら魔王ちゃん。もう帰っちゃうの? 今お茶を持って行こうと思っていたのよ」

「どうぞお構いなく! 我は学級委員長として当然のことをしたまで! お気遣いは無用ですぞ!」

「まあまあ、本当にありがとうね」

「いや、なあに! それでは我はこれにて失礼をする!」

「魔王ちゃん、女の子なんだから気を付けて帰るのよ?」

「心配はいりませんぞ! 何故なら我は魔王なのだから! 痴漢が出てきたところで返り討ちにしてやりましょうぞ! それでは御免! ふは、ふははははははははははははははははははははははっ!」


 それは一介の母親が魔王と交わす会話だとはとても思えなかった。

 魔王のそのご機嫌な笑い声はやがて家の外へと消えていったようだが、それでもしばらく窓の外から笑い声が聞こえ続けていた。

 少年はプリントを持ったまま呆然と動けないでいる。

 しかしやがて魔王の笑い声が聞こえなくなった頃合いに、ぼそりと呟く。


「……マジでなんだったの、あいつ?」




 そう呟くのがやっとに見える少年は、吹き飛んだドアにクラッシュされた液晶テレビの惨状へと目をやると、盛大なため息を吐いた。


「……どうしてくれんの……これ」


 もうまともに思考能力が働かない少年は、茫然と立ち尽くし続けるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る